空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第18話「犬」

 

 

 

 

僭帝編・第3話「犬」

 

飼い犬は、首輪を欲しがらない。

野良は餌を求めて牙を見せる。

けれど、この子供は。

自ら首輪を差し出して、なお、何も求めなかった。

 

 神野から幾日が過ぎただろう。

 

 僕とミカは夜から夜へと、渡り歩いていた。

世界の全部を敵に回した二人に、長く留まれる場所はない。だが、それも長くは続けられない。

 

ミカが疲れていた。口には出さないが、分かる。安心して眠れる場所が要る、

守るための、力が要る。金も後ろ盾も。

 

 僕一人なら何も要らなかった。けれどミカがいる。だから要る。

 

 考えた末に僕は一つの扉の前に立っていた。

 

 港の倉庫街。潮と錆びた鉄の匂い。死穢八斎會。この界隈を仕切る極道の一派。古い血の掟で動く危険な連中。だが危険であるほど力はある。

 

「……ここ..本当に入るの」

 

 隣で、ミカが、僕の袖を、軽く引いた。

 

「うん。すぐ済む」

 

 僕は、扉を開けた。

 

 むっとする煙草の煙。中にいた男たちが、いっせいに、こちらを向いた。子供が二人。

場違いもいいところだ。誰かが笑った。誰かが舌打ちをした。

 

「迷子か坊主。ここはガキの来る——」

 

「オーバーホールに会わせてほしい」

 

 僕が言うと、男の声が、途切れた。

 

 空気が変わった。子供が、頭の名を知っている。しかも、呼び捨てに。男たちの手が懐へ伸びかけた。剣呑な気配がぴりりと肌を刺す。

 

 その時だった。

 

「——通せ」

 

 奥から声がした。マスクで口元を覆った、若い男。死穢八斎會を束ねる、オーバーホール。治崎廻だ

 

 男たちが戸惑いながらも、道を開ける。

僕はミカの手を引いて、その前に進み出た。

 

 オーバーホールは、しばらく僕を見ていた。値踏みするような冷たい目。やがてその目がわずかに、細められた。

 

「お前か。AFOを殺したのは..」

 

 噂は、もう、ここまで届いている。当然だ。世界最強の悪が一人の子供に消された。

その報せは裏の世界を駆け巡っている。

 

「用件は」

 

「雇ってほしい」

 

 僕は言った。

 

「用心棒でもなんでもいい。僕は役に立つ。その代わり金と寝床を。彼女と二人ぶん」

 

 短い、沈黙。

 誰かが息を呑む音がした。AFOを殺した子供が、頭を下げて下働きを願い出ている。その光景の異常さに。

 

 

オーバーホールは、答えなかった。

 ただ僕を見ていた。布の下の表情は読めない。長い沈黙。やがて彼はふっと息を吐いた。

 

「断る」

 短い、一言だった。

 

「悪いが、お前は飼えない..」

 

 その声に侮りはなかった。むしろ慎重だった。

彼は、懐から札束を取り出すと無造作に僕の足元へ放った。

 

「三十万ある。持っていけ。宿の何泊か、それで足りるだろう」

 僕はその札束と彼の目を交互に見た。

雇わない。なのに金は渡す。理屈が合わない。

 

「なぜ」

 

 僕が問うと、オーバーホールは、わずかに、首を傾けた。

 

「確かにお前たちは..上手く使えれば価値はあるだろう..だが、俺は御せない犬は飼わない主義でな」

 

 彼は、淡々と続けた。

 

「かといって追い返して、恨まれても寝覚めが悪い。AFOを殺った怪物を敵に回す? それこそ悪夢だ」

 

 だから、金を渡して穏便に帰す。雇いもせず、敵にもせず。間合いを保つ。

 

——それが、この男の、出した答えだった。

 

 賢い判断だと思った。この男は自分の器を正しく、測っている。手に負えないものには手を出さない。僕という存在の危うさを誰よりも理解していた。

 

「分かった」

 

 僕は札束を拾った。要らない、と突っぱねるほど、僕は潔癖ではない。ミカのために使える金ならなんでもいい。

 

「邪魔しました」

 

 僕は、ミカの手を引いて踵を返した。背後で、男たちのざわめきが聞こえた。

あのガキ、本当に、AFOを——。声が潮風に溶けていく。

 扉を、出る。夜気が頬を撫でた。

 

「……雇って、もらえなかったね」

 

 ミカが、ぽつりと、言った。

 

「うん。でも金は手に入った。次を探す」

 

 僕はそれだけ答えた。焦りはなかった。手はいくらでもある。ミカを守れるなら誰の下につこうと、構わない。王の座になど興味はない。

僕が欲しいのは、ただこの子の安全だけだ。

        

 その話は、すぐに、裏社会を、駆け巡った。

 AFOを殺した子供が死穢八斎會の門を叩いた。

用心棒に雇ってくれと。頭を下げて。そして、

 

オーバーホールに、体よく追い返された——。

 

 噂は尾ひれをつけて広がっていく。

ある者は、笑った。最強の力を持ちながら、極道の下働きを願うとは、頭の足りないガキだ

と。ある者は、訝しんだ。何か、裏があるのではないか、と。

 だがその噂を、まるで違う角度から、聞いていた男がいた。

 

 歌舞伎町。とあるビルの、最上階。  エディは、グラスの酒を、揺らしながら、その報告を、聞いていた。

 

「……ほう」

 

 二メートルを超える、巨躯。覇王と呼ばれた男は目を細めた。

 

「AFOを殺したガキが、自分から、極道の犬になろうとした、か」

 

 隣でイズナがけらけらと笑った。

 

「面白ぇだろ? せっかくの看板が、自分から、下につこうとしてんだぜ。バカなのか、あのガキ」

 

「いや」

 エディは、グラスを置いた。

「逆だ」

 

 その目が酒の揺らぎを越えて、どこか遠くを見据えていた。

 

「考えてもみろ。AFOを殺せる力だ。その気になりゃ、この街も、国も、好きにできる。誰もが、そう思う。なのにあのガキは——自分から、極道の下につこうとした」

 

 エディは、ゆっくりと続けた。

 

「巧妙な野心家なら、絶対に、やらん。力を隠し、機を待ち、いずれ全部を、奪いにかかる。それが、利口なやり方だ。だが、あのガキは、真逆をやった。これ見よがしに、頭を下げて、下働きを願った」

 

「……つまり?」

 

「野心が、ねえのさ」

 

 エディの声に、確信が、滲んだ。

 

「あいつは頂点になんざ興味がねえ。力を振るう気も。ただ——何か、たった一つ、守りたいものがあるだけだ。そのために、力が要る。後ろ盾が要る。だから、頭を下げた。それだけのことだ、まぁガキで世間知らずってのも、あるかもしれんが」

 

 イズナが、にやりと、笑う。

 

「で? その『たった一つ』ってのが——」

 

「ガキは、二人組だったらしい。男と、女の子と」

 

 エディは、グラスの底に残った酒を見つめた。

 

「分かりやすい話さ。あいつの欲しいものは、最初から、一つしかねえ」

 

エディは、グラスを干した。

 

 ならば話は早い。その「一つ」をこちらが握ればいい。守ってやるとそう持ちかければ——あの最強の看板は、自ら首輪に首を通す。

 

 犬は首輪を欲しがらない。けれどこの犬は。

たった一つの宝のためなら、自ら、繋がれにくる。

 

 「——イズナ。あのガキの、塒を探せ」エディは立ち上がった。

 

「会いに行く。王に、な」

 

 窓の外、歌舞伎町のネオンが、滲んでいた。

 誰よりも早くその手を伸ばそうとする者が。今、動き始めた。

 

 ——救おうとする者たちより、ずっと、早く。

 

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