第2話 「器」
第二話「器」
器とは、空であることに値打ちがある。 欠けた二つを噛み合わせれば、満ちた一つになる—— そう信じて疑わなかった男は、 欠落と欠落のあいだに芽吹くものの名を、ついぞ知らなかった。
報告書は、いつもどおり退屈な紙の束だった。
私が各地に抱える孤児院から、月に一度上がってくる定期報告。大半は処分するか、せいぜい珍しい個性として記録に残す程度のものだ。何百年と、私は人間を「使えるか否か」だけで選り分けてきた。その作業に、もはや胸の動く瞬間などありはしない。
だが、その月は二つの綴りが、別々の施設から、別々に上がってきた。
ひとつめは、白い子供の報告だった。
白い髪、赤い瞳。人形のように整いすぎた顔。職員の筆跡には、隠しきれぬ怯えがにじんでいた。叱っても、罰しても、その子供には何ひとつ届かない。殴れば拳のほうが軋み、刃を向ければ刃のほうが欠ける。
彼の周囲だけ、時間が凍りついたように世界が彼を拒む——。
時を止める個性。触れたものごと、絶対の不変へ落とし込む盾。
完璧だ、と一瞬思い、すぐに私は鼻で笑った。報告の末尾に、致命的な但し書きがあったからだ。その不変を起動しているあいだ、子供自身の心臓もまた、止まる。数秒。たった数秒で、彼は自らの無敵に窒息する。
「無敵の盾が、たった数秒で自分の心臓を止めるか。……惜しいな」
声に出して、私は独りごちた。惜しい。本当に、惜しい。
——だが、私はそこで指を止めた。
個性を視る目にかけて、私の右に出る者はいない。記録に添えられた個性因子を眺めるうち、私はその子供の裡に、もう一つ、眠ったままの力があることを見抜いた。
予備の心臓を、外に置く力だ。
心から信ずる者がただ一人いれば、その者の裡へ、もう一つの鼓動を植えつけられる。器となった相手が近くにいるかぎり、止まるはずの心臓は止まらず、あの不変は永く灯り続ける。器が砕けても、鼓動はひとりでに次の信頼者へと渡っていく。
——盾の欠陥を、根こそぎ埋めるための、あつらえたような二つめの力
だが、その力は、ただの一度も発動した形跡がなかった。当然だ。発動には、心から信ずる相手が要る。そして孤児院の記録のどこにも、この子供が心を許した人間など、ただの一人もいなかった。
「なんだ、薬はもう体の中にあるじゃないか」
私は思わず笑った。無敵の盾は、自らを治す薬を、すでに体の裡に抱えている。ただ、その薬を満たす器が——信ずるに足る誰かが、この世にいないというだけだ。
私は綴りを置き、もうひとつのほうを開いた。
黒髪の少女の報告だった。
そちらは、職員の筆跡そのものが乱れていた。少女が泣くと、部屋が暗くなる。少女が独りになると、闇から獣が這い出る。
八体——国家を一夜で滅ぼせる式神が、少女の心細さに応じて、手綱もなく暴れ出すのだという。誰も近づけない。宥める術がない。あまりに巨大すぎて、誰の手にも負えない力。
膨大な出力。けれど、それを握る手がない。記録の隅に、職員のひと言が添えてあった。
——あの子は、ただ寂しいだけなのだと思います。私は、その一文の意味を、深く考えもしなかった。
二つの綴りを、私は左右に並べた。
そして、しばらく天井を眺めた。
頭の中で、二つの欠落が、ぴたりと向きを変えて噛み合っていく。
白い子供の盾は、信ずる誰かを得れば完成する。眠った二つめの力が目を覚まし、その者を器として、欠陥は消える。 黒髪の少女の力は、傍に誰かがいれば静まる。独りでなくなれば、獣は牙を引っ込める。
「……ははっ。お互いで、完璧に補い合っているじゃないか」
声が、自然と漏れた。一つの鍵が、二つの錠を同時に開ける。こんな符合は、何百年生きても、そうそう転がってはいない。
お互いを、お互いの器とすればいい。少女が、子供の信ずる相手になればいい。子供が、少女の独りを終わらせればいい。一つの絆が結ばれた瞬間、止まる心臓には永遠の鼓動が宿り、荒れ狂う獣には手綱がかかる。二つの不良品が、一つの完璧な器になる。
「欠けた者同士、寄り添わせれば満ちる。よくできた話だ。私が描いたかのようにな」
私は、自分の発見に満足した。これだから、人間を見るのはやめられない。誰の目にも欠陥品にしか映らぬ二つの破片が、組み合わせ次第で、こうも美しく噛み合う。それを見抜くのは、いつだって私だけだ。そういう男だからこそ、私はこれだけ長く生きてきたのだ。
すぐに手筈を整えさせた。白い子供を、黒髪の少女のいる施設へ移す。表向きは、ただの定員調整。職員にも理由は告げない。同じ屋根の下に置き、あとは時を待つ。器は、急かして満ちるものではない。
端末を切り、私は次の算段へ頭を巡らせはじめた。
予備の心臓と、それを灯す器。出力と、それを握る手。私はそれを、二つの不良品を噛み合わせて欠陥を相殺する、ただの工学だと思っていた。必要な部品は過不足なく揃えた、と。
ただ一つ——あの二つめの力を目覚めさせる「信頼」だけは、私の手で据えてやれぬ部品だった。命じて作れるものではない。だから私は、それが芽吹く場所だけを用意して、あとは育つのを待つことにした。道具の修理のつもりで。
「育て。私の、完璧な器に」
差し出した手を握り返された経験を、私は持たない。だから、わからなかった。
その芽が何という名で、満ちたとき器の中に何が宿るのか。寂しさという欠落を埋め、止まった心臓に永遠を灯すその一つの絆を、人がふつう、どう呼ぶのか。
いつか私を殺すものに、私はその日、たがいを与える算段を立てたのだった。足元で静かに芽吹こうとしているものの名を、ついぞ知らぬまま。
2人の能力のご説明
シュンカの個性「不壊」「奇心」は Re:ゼロから始める異世界生活様のキャラクター、大罪司教レグルス・コルニアスより能力の一部をお借りしています