空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第22話「集う刃」

僭帝編・第7話「集う刃」

 

打算で、集まった。

忠義などではなく、ただ、利のために。

——けれど、その刃は。気づかぬうちに一振りずつ。

同じ灯りの方へ、切っ先を向け始めていた。

 

 隠れ家の、夕暮れだった。

 

 大きな窓から、橙色の光が差し込んで、広間をゆっくりと染めていく。

一日の仕事を終えた幹部たちが、思い思いにその空間に身を置いていた。

 

 部屋の中心に、二人の子供がいた。

 

 シュンカと、ミカ。ソファの隅で、何でもないことを話している。

ミカが、何かにぶすっと頬を膨らませ、シュンカが、それを淡々と宥めている。

子供の、他愛もないやりとり。

 

けれど——その光景を、広間にいる男たちが、それぞれの場所からそれぞれの目で、見ていた。

 

 誰も口には出さない。だが、確かに見ていた。

 

      

 

 チェインは、壁に背を預けて、腕を組んでいた。

 

 彼は誰よりも強さというものを知っていた。拳ひとつで頂きの寸前まで上り詰め、強すぎたが故にすべてを奪われた男。

だからこそ知っていた。強さは——人を狂わせる。手にした力に酔い、奢り

本来の己を見失っていく。そういう堕ちた強者を、嫌というほど見てきた。

 

 あの子供は、違った。

 

 手を一振りで武装集団を瓦礫に変える、桁外れの力。あれだけのものを持ちながら、シュンカは何も欲しがらない。

組織が膨れ上がっても、富が流れ込んでも、玉座にも権力にも、指一本伸ばさない。あの力が動くのは、決まってたったひとつの時——隣の少女に、害が及ぶ時だけ。

 

 力を、誇示しない。奢らない。ただひとつの信念のためだけに振るう。

 

 それは、チェインが武人として生涯追い求めてきた、理想の姿そのものだった。強者はこうあるべきだ。力に使われるのではなく、力をただひとつのもののために従える。それをこんな小さな子供が、誰に教わるでもなく体現している。

 

 「……認めよう」チェインは、ひとり低く呟いた。

 

「あの在り方は、尊敬に値する」

 

 だが、と彼は思う。膝を折るには、まだ早い。誇り高きこの男が誰かを真の主と仰ぐには、尊敬だけでは足りない。あの王が、己の拳を捧げるに足る相手か

——それは、もう少し見極めさせてもらう。

 

 まだ、剣にはなっていない。ただ、ひとりの武人が、初めて、ひとりの王の在り方に、敬意を抱いた。それだけのことだった。

 

          

 

 蔦漆は帳簿を片手に、その光景を訝しげに眺めていた。

 

 つい先刻彼は報告を上げたばかりだった。組織の資金が、先月の三倍。

普通の頭目なら、相好を崩す数字だ。だがシュンカは「そうなんだ」と言っただけで

帳簿に目もくれず、ミカのもとへ行ってしまった。

 

 ……金が要らないのか?

 

 蔦漆の頭の中で、算盤が止まったままだった。

 

 金は最強の餌だ。彼が見てきた裏の頂点は、誰もが金に目の色を変えた。

だから、人は読め、操れた。なのにこの子供には、その取っ掛かりがない。

金が駄目ならと縄張りを、地位を、名声を、それとなく振ってみても

 

——あの赤い瞳は、何ひとつ欲しがらなかった。

 

 欲は弱点だ。欲があるから、人は操れる。なのに、この王にはそれがない。

蔦漆の、人を読み抜くという最強の武器が、この小さなボスの前でだけ空を切る。

 

 ぞくり、と、背に寒いものが走った。読めない。何を差し出せば動くのか、何を望んでいるのか——分からない。

 

 いや。ひとつだけ、あった。

 

 ソファの隅。ミカに向けられた、あのわずかに和らいだ横顔。あれだけが、唯一、読める部分だった。あの少女。あれが、あの王の、たった一つの欲。

 

 ……あれ、か。蔦漆の頭が、かすかに動く。だが、その先を彼はまだ、深く考えなかった。引っかかりは、まだ小さすぎた。ただ、計算高い男の頭の片隅に、解けない式が、棘のように刺さって抜けなくなった。あれは一体何で動いているんだ——と。

 

          

 

 「見ろよミカちゃん、これ。今月手に入れた、東欧の業物でねェ」

 

 赫飛が、にやにやと、磨き上げたナイフを掲げて、二人に近づいていた。

 

 「……興味ない」。ミカが、一瞥もくれずに切り捨てる。

 

 「つれないなァ。じゃあシュンカ君は——」

 

 「赫飛さん」シュンカが、淡々と遮る。「それ、先週も見せられた」

 

 「お、覚えててくれたのか! 嬉しいねェ」

 

 軽口はたいていこうして軽くいなされる。それでも赫飛は、めげずに、二人のそばをうろついていた。伝説の殺し屋。世界中のナイフを集め、笑いを愛する

酔狂な男。その砕けた人柄の奥には、子供という存在への、不思議と柔らかな何かがあった。

 

 そうやって彼は少しずつ二人の来し方を知っていった。施設で拾われたこと。物心つく前から、その力ゆえに道具として磨かれてきたこと。誰にも守られず

ただ利用され続けてきたこと。

 

 ある時赫飛は何の気なしに訊いた。

 

「君らさァ、ちっちゃい頃、何して遊んでたの?」

 

 二人は、顔を見合わせた。きょとんとして。それから、シュンカが、静かに言った。「遊ぶ……?」。ミカも不思議そうに首をかしげた。

何を訊かれているのか、本当に分からないという顔だった。

 

 赫飛の軽口が、そこで止まった。

 

 ……ああ、そうか。この子たちには、そんなものすらなかったのか。

 

 彼は数えきれぬ修羅場を潜ってきた。大の大人が心を折られる地獄も見てきた。だが、この二人がくぐり抜けてきたものは、そのどれよりも過酷だった。子供が、子供である時間さえ、与えられなかった。

 

 なのにこの子たちは壊れていない。歪みはしても、互いを支えに

まっすぐ立っている。その芯の強さに赫飛は素直に頭が下がった。

 

 そして、胸に、じわりと初めての思いが広がる。

 

 ——この子たちには、誰もいなかった。守ってくれる大人が、手を差し伸べる誰かが、ずっと、一人も。

 

 なら。節くれだった指が、ナイフの一本を、そっと撫でた。人を殺すために磨いてきた、この手で。今度は——守ってやれないか。殺し屋が生涯で初めて抱く、奇妙で、温かい衝動だった。

 

 その「誰か」に、自分がなれたら、と。伝説の殺し屋は少しだけ本気で、そう願い始めていた。

 

          

 

 その光景を、セイレーンは、広間の隅の椅子から、じっと見ていた。

 

 初めて人を殺したのは、十四の時だった。

 

 どういう経緯でその仕事に流れ着いたのか、もう、覚えていない。気づけば、笛を吹いていた。彼女の音は人の感覚をそっと狂わせる。

標的は、自ら誤った段を踏み外し、自ら誤った方へ歩いていく。事故。自殺。

そう処理されて、誰も彼女の存在にすら気づかない。最初の一人を殺したという実感さえ、ないままだった。

 

 二人目。三人目。十人目。数えるのは、すぐにやめた。

 

 自殺屋。それが裏の世界での、彼女の呼ばれ方だった。痕跡を残さず、標的がひとりでに死んだことにする。だから表のヒーローはその存在すら知らない。殺しがあったことさえ、気づかれない。完璧な、影。

 

 八年が、過ぎた。

 

 その間に触れたものは、すべて冷たかった。裏切り。打算。金で繋がり、金で切れる関係。依頼人も、標的も、最後はみな同じ顔をしていた

命の軽さだけが、唯一の真実だった。いつからか、彼女の心もそれと同じ温度になっていた。凍りついて何も感じなくなっていた。二十二になった今では、

笑い方も、泣き方も、思い出せない。

 

 僭帝に来たのも、深い理由はなかった。ただ暇だった。それだけ。

 

 けれど。この隠れ家で、彼女は、奇妙な光景を見続けていた。

 

 世界のすべてを敵に回し、それでも互いだけを求め合う、二人の子供。

シュンカは、ミカのために世界最強の悪を屠った。ミカはシュンカだけを信じて、

その隣にいる。富も、玉座も欲さない。ただ、相手が無事でそばにいること。

それだけを、世界のすべてにしている。

 

 八年。冷たいものばかりに触れ続けた、その八年で。一度も、出会えなかったものが——そこにあった。打算でも、取引でもない。本物の、温度。

 

 胸の奥。とうに凍りついたと思っていた場所が、ほんの少しだけ、溶け始めていた。

 

 ……守りたい。ふと、そんな思いが芽生えていた。命令でも、報酬のためでもない。ただ、この小さくて、脆くて本物の温もりを、誰にも踏みにじらせたくない。

冷えた世界にたったひとつ灯った、この光を、消させたくない。十四で人を殺してから、初めて抱く感情だった。

 

 まだ、忠誠とは呼べなかった。ただ、凍りついていた女が、八年ぶりに、何かを守りたいと願った。最初の雪解けのしずくだった。

 

 ——そして、もうひとつ。あの子供の前でだけ、不思議と、警戒がほどける。誰の前でも緩まなかったものが、すっと。それが何を意味するのか、冷えきった女は、まだ知らなかった。

 

          

 

 アル・カイドは、壁にもたれて、その広間の全体を、見渡していた。

 

 武人が、何かを認めるように、目を細めている。計算屋が、帳簿を手に、訝しげに首をひねっている。殺し屋が、子供に軽口を叩いては、いなされている。冷えた女が、隅から、じっと二人を見つめている。

 

 誰も、口には出さない。だが、アル・カイドには、見えた。

 

 この広間にいる、名うての化け物たちが。誰に命じられたわけでもなく、少しずつ、あの二人の子供の方へと、引き寄せられていく——その、目に見えぬ流れが。

 

 彼の胸に、薄ら寒いものが走った。

 

 ——分からない。あれだけの力があれば、世界を支配できる。なのに、あの子供は、何も求めない。玉座も、支配も、欲しがらない。心を向けるのは、ただ

隣の少女ひとり。なのに人が集まる。

 

 その時。アル・カイドの頭の中で、何かが、引っかかった。

 

 ——もしかして。逆、なのか。

 

 玉座を求めて座ろうとする者は、いつか引きずり降ろされる。AFOのように。奪い、握り、しがみついて。だが、この子供は。何も求めない。求めないのに、人も力も、向こうから、その足元へ、集まってくる。

 

 ……求めずして、王となる。そんな在り方が、あるのか。

 

 まだ、それは、はっきりとした形を持たなかった。確信には、程遠い。ただ、これまで信じてきた「王」の輪郭が、この子供を前にして、わずかに、揺らいだ。それだけだった。

 

 アル・カイドは、軽く頭を振った。考えすぎだ、と。けれど——その小さな引っかかりは、胸の奥の乾いた場所に、火の粉のように、ひとつ、落ちた。すぐに消えるかもしれない。あるいは、いつか、燃え広がるかもしれない。

 

          

 

 夕暮れが、夜に変わっていく。

 

 広間の中心では、相変わらず、二人の子供が、何でもないことを、話している。自分たちが、この部屋の空気を、静かに変えていることにも気づかぬまま。

 

 打算で集まった、八つの刃。その何振りかが、もう、知らぬうちに、

切っ先の向きを変え始めていた。

 

 誰に望まれたわけでも、命じられたわけでもなく。ただ、

一振り、また一振りと。同じ灯りの方へ。

 

 それが何に変わっていくのか——当の本人たちさえ、まだ知らなかった。

 

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