空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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児童虐待に近い描写があります


第3話「居場所」

 

第三話「居場所」

誰もが、彼女から逃げた。 怖がって、嗤って、可哀想がって——みんな、逃げていった。 だからその夜、少女はまだ知らなかった。 「出ていけ」と言われて、出ていかない誰かがいることを。

 計画の第一手は、単純だった。

 二つの駒を、同じ盤の上に並べる。馴らし、依存させるために――AFOは職員に、たった一言だけ命じた。新入りの少年を、あの奥の部屋に入れろ、と。誰も近寄らない、“化け物”の部屋に。

 

 職員は怪訝な顔をした。あの部屋に子供を入れるなど正気か、と。だが逆らえる相手ではなかった。かくしてシュンカの荷物は、ミカの部屋の隅に運び込まれた。

 その夜、ミカは部屋の隅で膝を抱え、新しい“同居人”となった少年を睨んでいた。

 

「……出てけ」

 

 低く掠れた、威嚇するような声。けれど、その底には怯えがにじんでいた。

「お前、知らないのか。みんな言ってただろ。私は化け物だ。近づくと、お前も危ない。私の中から、変なのが出てくる。怪我じゃ済まないかもしれない。だから――出てけ。別の部屋に行け」

 

 それは脅しの形をした、警告だった。彼女なりの優しさですらあった。これ以上、誰かを自分の“力”で傷つけたくない。これ以上、誰かに怯えた目を向けられたくない。だから、来る前に追い払う。いつものように。

 

 いつもなら、誰もが青ざめて逃げ出す場面だった。

 だがシュンカは、自分の荷物を隅に置き、気だるげにあくびを一つして、それからひどく平坦に言った。

 

「ふうん。――別に、どこでもいいよ、僕は」

 ミカの睨みが、止まる。

「ここしか空いてないって言われたし。化け物でもなんでも、僕にはどうでもいい。怪我? すればいいんじゃない。別に、痛くても困らないし」

 

 彼は本当にどうでもよさそうにそう言って、床にごろりと横になった。彼女の警告を、怯えもせず、馬鹿にもせず――ただ、心底どうでもよいものとして受け流した。

 

 ミカは、言葉を失った。

 

 今まで、誰一人として例外はいなかった。彼女が“化け物だ”と口にすれば、相手は必ず顔色を変えた。怯えるか、嗤うか、可哀想なものを見る目をするか――そのどれかだった。だから彼女は、その札を切れば人が離れていくことを、知り尽くしていた。離れていくのが当たり前だと、思い込んでいた。

 なのに、この少年は、何の反応も示さない。

 怯えない。嗤わない。憐れまない。彼女が必死に突き出した“化け物”という棘を、まるで存在しないかのように、すっと通り抜けていく。睨んでも、脅しても、その凪いだ表情はさざ波一つ立たなかった。

 

 逃げない誰か。誰も近寄らなかった部屋の奥で、彼女は生まれて初めて、“出てけ”と言って出ていかない相手と、同じ床の上にいた。

 消灯の時間が来ても、ミカは眠れなかった。

 部屋の隅、膝を抱えたいつもの場所。けれど、いつもとは違った。床の上に、あの白髪の少年が当たり前のように横になっている。出ていけと言ったのに、出ていかなかった。

 

 彼女は、じっとその背中を睨んでいた。物心ついた頃には、もう一人だった。気味が悪いと親に捨てられた日のことは、よく覚えていない。覚えているのは、そのあと向けられ続けた目のほうだ。

 

化け物。近寄るな。あっちへ行け。――それが、彼女の知る世界のすべてだった。7年近く、誰もいないことに慣れてきた。慣れたふりをしてきた。なのに今、“誰か”が同じ部屋にいる。それだけで、胸がざわついて落ち着かなかった。

 耐えきれず、彼女は低く声を投げた。

 

「……なんで、逃げないの」

「ん?」

「みんな逃げるんだ。私から。怖がって馬鹿にして、可哀想がって。親だって私を捨てた。――なのにお前、なんで逃げないんだよ。本当に怖くないの、私が」

 

 声が少し震えていた。怒っているようで、縋っているようでもあった。突き放したいのか、いてほしいのか、彼女自身にもわからなかった。

 

 シュンカは少し考えるように天井を見て、それから答えた。

 

「怖いって、――何が」

「だ、だから。私の中から変なものが出て、お前を傷つけるかもしれない」

「ふうん」。彼は本当に興味なさそうに言った。

「傷ついたら困る人にとっては、怖いんだろうね。――僕は別に困らないから、怖くないんじゃない? ミカが化け物でも、そうじゃなくても、どっちでも僕には関係ないから」

 

 関係ないから。

 突き放すでもなく、慰めるでもなく、ただ徹頭徹尾どうでもいい少年の理屈だった。

 

 ミカは、その横顔をじっと見た。嘘を言っている様子はなかった。怖いのを我慢している強がりでもなければ、優しくしてやろうという気負いでもない。本当に、心の底から、どうでもいいのだ。彼女が化け物だろうがなかろうが、この少年にとっては、天気の話と同じくらいの意味しか持たない。

 

 それは、彼女が生まれて初めて向けられる種類の“無関心”だった。

 今まで誰もが、彼女に何かを向けてきた。恐怖か、嫌悪か、憐れみか。どれも、彼女を刺す棘だった。けれどこの少年が向けてくるものには、棘が一本もなかった。向けてくるものが、そもそも何もなかった。

 

 ミカは、膝を抱えたまま黙り込んだ。

 しばらくして、床から規則正しい寝息が聞こえてきた。シュンカはあっさりと眠っていた。“化け物”と同じ部屋で、無防備に、心底どうでもよさそうに。

 ミカは、その寝顔をじっと見ていた。

 

 夜は、いつも一番寂しかった。暗闇の中で一人、膨れ上がる孤独に押し潰されそうになる時間。捨てられた、という事実が夜になると決まって胸の奥から這い上がってくる。お前は要らない子だと、暗闇がささやいてくる。なのに今夜は、少しだけ違った。同じ部屋に、寝息が一つある。それだけで、暗闇が少しだけ薄まっていた。

 寂しさで死にそうだった少女の胸に、ほんの小さな穴が、一つ埋まり始めていた。

 

 それが何なのか、彼女にはまだ、名前もわからなかったけれど。

 ――遠い場所で、男は報告を受け、満足げに微笑んでいた。完璧な兵器の組み立てが、今、始まったのだと。それが二人にとって、世界で最初の“居場所”になり始めていることには、気づきもせずに。

 

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