僭帝編・第十三話「届かぬ手」
守りたいものほど、手のひらからこぼれ落ちる。
——力を失った英雄に残されたのは。
ただ走り続けることだけだった。
ヒーローたちが緊急に招集された。
議題は一通の国際警察からの通達だった。
会議室の壁に一人の女の人相が映し出される。
青い髪。顔に彫られた、三つの文字。
「国際指名手配犯——通称、ファナティカ」
進行役のヒーローが硬い声で告げた。
「数日前、日本への入国が確認されました」
ざわ.. と空気が揺れた。
「経歴を共有します。元はスペインを拠点に活動していたAFOの最高幹部の一人。いわゆるスペイン支部長です」
AFO、という名に何人かの表情が強張る。
「個性は——詳細は、不明。ですがその爪痕は、はっきりしています」進行役が、資料を繰った。
「過去に3件の『集団ヒステリー事件』を、引き起こしたと見られています。いずれも大勢の人間が、
突如、正気を失い、殺し合い、あるいは自ら命を絶った。原因は特定されていません。——通算の死者数」
一拍、置いて。
「121名」
会議室が、静まり返った。
121名。3件で。1件あたり、40人。一つの街区が、地獄に変わる規模。それを、引き起こした女が、今、この国に、いる。
「目的は、何だ」誰かが、問うた。
その問いに、答えたのは、翼の生えた若きトップヒーロー——ホークスだった。腕を組んだまま、低く言う。
「……復讐、だろうな」
彼は、続けた。
「AFOの忠実な信奉者だった女だ。その、敬愛する主が殺された。だとすれば狙いは一つ。——AFOを、討った者への報復」
会議室の空気が凍りつく。
AFOを討った者。それが誰なのか。この場の全員が知っていた。
「あの子供たちか...」誰かが呻く
「神野でAFOを殺した——」
ホークスは頷いた。
「あの二人を殺すために来た。まず、間違いない」
会議は、紛糾した。
「ならば、保護すべきだ!あの子供たちを、見つけ出して——」
「どうやって」ホークスが、遮った。
「あの二人の、居場所が、誰か分かるのか?」
沈黙が、落ちた。
神野以降、あの二人は、完全に、姿を消していた。煙のように、この世から
消えてしまった。確かな足取りは、誰も掴めていない。
守ろうにも。どこにいるのかが、分からない。
「それに——だ」
ベストジーニストが静かに口を開いた。
「仮に見つけられたとして。我々にファナティカを、止められるのか」
その一言が、もう一つの重い現実を突きつけた。
「3件で、121名。しかも、原因は未だ不明。
つまり——その能力は防ぎようが、分かっていない。下手に近づけば、我々まで、その『集団ヒステリー』に、呑まれかねん」
誰も、反論できなかった。
止める術が、分からない敵。守るべき相手の居場所も分からない。——八方塞がりだった。
その時、会議室の、隅で。
ずっと、黙っていた、痩せた男が——オールマイトが、ぽつりと、言った。
「……私のせいだ」
全員の視線が集まる。
「あの子たちが、AFOを殺さざるを得なかったのも。今、こうして命を狙われているのも。——元を辿れば、すべて私たちがあの子たちを救えなかったからだ」
彼の、痩せ細った拳が、震えていた。
「あの子たちを、ヴィランにしたのは、私たちだ。そして今その子たちがまた、私たちのせいで、狙われている。なのに——」
声が、掠れる。
「なのに、私には。もう守る力すらない...」
かつて平和の象徴と呼ばれた男。すべてを、救えたあの頃の力は
もうない。痩せ細った、その身体には。
会議室の誰もが言葉を失った。慰めも、励ましも、その慟哭の前では、空々しかった。
その日からオールマイトは、走り続けた。
会議が結論を出せないまま終わった後も。
彼は一人街へ出た。
痩せた身体にコートを羽織り、裏社会のあらゆる伝手を、辿った。情報屋。かつての協力者。
古いつてのある者なら誰でも。あの子供たちの
行方を知らないかと。神野の夜から忽然と消えた、あの二人を。
見栄も、矜持も、かなぐり捨てた。
かつての平和の象徴が。今は、頭を下げ、すがるように
聞いて回る。
だが——返ってくるのは、空振りばかりだった。
誰も知らない。あるいは知っていても口を割らない。あの子たちは、まるで煙のようにこの世から姿を消していた。
一日が過ぎた。二日目も、彼は眠らなかった
二日目の夜だった。
ふらつく足で、路地を、曲がったところで。オールマイトは、駆けてくる、足音に、気づいた。
「——オールマイト!」
緑谷出久だった。息を、切らして。その顔は青ざめている。
「……二日も、寝ないで探してるって聞いて」
緑谷はオールマイトの痩せた姿を見て、言葉を詰まらせた。
「そんな……ひどい顔色です。お願いです、少し休んでください」
「……緑谷少年」オールマイトは、掠れた声で、言った。「来て...くれたのか」
「当たり前です!」
緑谷の目に涙が滲む。
「オールマイトがこんなになるまで……僕は....何も知らなくて」
オールマイトは力なく、首を振った。
「休めないんだ」彼は言った。
「今、こうしている間にも。あの子たちがあの女に見つかるかもしれない。
私が休んでいる、その間に」
緑谷は唇を噛んだ。師を止めたかった。
この身体で、これ以上は危険だと。けれど
——その目に宿る覚悟を見て、言葉が出なかった。
これは無謀ではない。師にとってこれは贖罪なのだ。あの子たちを救えなかったその償いなのだと。
ならば。緑谷の答えは決まっていた。
「……分かりました」彼は涙を拭った。
「なら僕も探します一緒に。一人より、二人のほうが早い」
彼自身ずっと心に決めていた。
あの子たちを救う、と。倒すのでも、捕まえるのでもなく救うのだと。師の隣で。
その誓いを、果たす時が——今だった。
オールマイトは、潤んだ目で弟子を見た。
何も言わず。ただ深く頷いた。
二人が歩き出して間もなく。
行く手に、二つの人影が、現れた。ホークスと、エンデヴァーだった。
「……やっぱり、ここにいた」
ホークスが呆れたように息を吐く。
「丸二日、寝てないでしょう。あんた、自分の顔見たことあります? ひどいもんだ」
「いい加減に、してくれ」低い声で、続けたのは、エンデヴァーだった。炎の英雄が、苦々しげに、痩せた男を見下ろす。
「その身体で二日も不眠不休でだと。——死ぬぞ、貴様」
ぶっきらぼうな、けれど確かに、案じる声だった。かつて頂を競い合った男の不器用な気遣い。
「貴様がここで倒れて。それで誰が救われる」
オールマイトは、答えられなかった。二人の言うことは、正しい。分かっている。この身体は、もう限界だ。
「……すまない」彼は、絞り出した。
「だが——じっと、していられないんだ。
また間に合わなかったら。私はもう、二度と自分を許せない...」
ホークスと、エンデヴァーは、顔を見合わせた。
この男を、止めることはできない。それは、
無謀ではなく、もう贖罪なのだと。二人とも、痛いほど分かってしまった。そして、その隣で——若い弟子もまた、同じ覚悟で、立っている。
「……はぁ」ホークスが、頭を掻いた。
「分かりましたよ。なら俺たちも手を貸す。あんたたち師弟だけに、いい格好はさせられないんでね」
エンデヴァーは何も言わず。ただ踵を返し自分も別の方向へと歩き出した。——探すために。
救えなかったと悔いる者は。一人ではなかった。
それでも——四人がかりでも、手がかりは、掴めなかった。
あの子たちは、それほどまでに、深く姿を隠していた。
夜明けの人気のない路地で。オールマイトと、緑谷は並んで立ち尽くした。
オールマイトが、手を、伸ばす。誰もいない、白み始めた空に向かって。
かつて、この手は、あらゆるものを、救えた。届かないものなど、何も、なかった。なのに——今、最も、救いたいものに。この手は、どうしても、届かない。
「……オールマイト」緑谷が静かに言った。
「必ず見つけます。そして今度こそ——救いましょう。二人とも」
オールマイトは頷いた。痩せた背中に若い決意が、寄り添っている。
——救いの手は、必死に、伸ばされていた。一人ではなく幾人もの手が。
けれどその手と、子供たちの間には。
まだあまりにも深い夜が。横たわっていた。