僭帝編・第14話「次善」
継ぐべき者は死んだ。
遺されたのは、選ばれなかった二番目。
——その事実は餌のように差し出され。
そして、静かに毒を滴らせた。
その女は、前触れもなく現れた。
死柄木弔の前に。青い髪。顔にAFOの三文字を
刻んだ女。
「お初に、お目にかかります」。女は恭しく頭を下げた。聖母のように微笑んで。
「私は、ファナティカ。我が君の——AFO様の、忠実なる、しもべにございます」
ファナティカ。その名に、死柄木は聞き覚えが
あった。
AFOのスペイン支部長。最高幹部の一人で、
名うての狂信者。会ったことはなかったが名前と、その悪名は、連合にいた頃から知っていた。
あの先生が、海の向こうのすべてを束ねさせていた女。
なぜ、その女が今俺の前に。死柄木は警戒した。だがその狂信めいた響きに、嘘は感じられなかった。
「我が君は遺されました」女は続けた
「ご自身の意志を、継ぐ者のための力を。
ドクターのもとへ、行きなさい。そこにあなたを
より高みへと引き上げる手立てがあります」
死柄木の目が、わずかに見開かれた。
ドクター。AFOの腹心。勿論知っている。
そして——「力を継ぐ」
AFOが、遺した改造、個性それを受け取れば
自分は、さらに強くなれる。喉から手が出るほど
欲していた力。
話がうますぎる。死柄木は訝った。
「……なぜ、お前が、それを俺に」
女の、微笑みが——わずかに、翳った。
「……本当は」彼女は静かに言った。
「あなたに、お渡ししたくはありませんでした」
「あ?」
「我が君が、本当に後継として、望まれていたのは。あなたではありません」
女の声に、隠しきれない、無念が滲んだ。
「あの方が、手塩にかけて育てておられたのは——
シュンカ。あの子供でした」
死柄木の、こめかみが引き攣る。
また、その名前か。
「ですが、あの子は」女の声が、低く震えた。
「我が君を、殺した。最大の裏切り者。継ぐ資格などありはしない。——ですから」
女は、まっすぐに死柄木を見た。聖母の微笑みの奥に昏い光を湛えて。
「あなたは、次善です」
その一言が、死柄木の胸を貫いた。
「仕方がないのです。あの子は、もう我が君の敵。継げる者は、消去法で——もう、あなたしかいない。だから、私はあなたを繋ぎに来ました」
悪意はなかった。それが、余計に惨かった。
女は、ただ事実を述べていた。本命はシュンカ。
お前はその代わり。残り物。仕方なく選ばれた
二番目。——そう面と向かって告げられた。
死柄木の、握った拳が震えた。
爪が、手のひらに食い込む。
次善。消去法。仕方ない。
またしても。またあいつだ。あいつが本物で。
俺は、その代用品。AFOの下にいた頃から
何ひとつ変わっていない。死んでもなお、あいつは俺の上にいる。
怒鳴りつけて、やりたかった。この女の、首を
崩してやりたかった。だが——死柄木は、奥歯を噛みしめて堪えた。
……利用...できるもんは利用する。
屈辱は、屈辱だ。だが、それで、力が手に入るなら。あいつを——シュンカを、いつか殺すための
力が。ならば呑む。次善でも、残り物でも、
何でもいい。使えるものはすべて使ってやる。
「……分かった」。死柄木は、絞り出すように、言った。「ドクターのところへ、行く」
「賢明です」女は、再び微笑んだ。「我が君も、きっと、お喜びに」
女が、去った後。死柄木は一人、暗がりで首を掻きむしった。
「……シュンカ」
血が、滲む。
次善と言われた。あいつのせいで。先生が死んだ後まで、あいつのせいで、俺は、惨めな思いを、する。
いつか。いつか必ず。この手で。あのすました顔を——。
殺意が再び燃え上がる。消えることのない
芯となった憎悪が、また熱を持つ。
その日が来れば。必ず。
ファナティカは、死柄木のもとを後にした。
務めは果たした。我が君の意志は次善の器へと
繋いだ。心残りはあるが——仕方のないこと。
本命は裏切ったのだから。あの恩知らずが。
さあ。
女の足はもう迷わなかった。本命へと向かう。
シュンカ。そして、その隣の少女。
二人が、どこにいるかは調べがついていた。
表には、決して出てこないが
——裏の世界で急速に膨れ上がった巨大な組織。
その頂に、白い髪の子供がいる。隠れていても、
これだけの規模になれば、嗅ぎつける術はいくらでもある。
だが、女はいきなりその中枢を叩く気はなかった。
まずは——挨拶だ。あの恩知らずに私が来たことを、知らせてやらねば。そして、怯えさせおびき出す。
女が、目をつけたのは僭帝の末端の一つだった。とある地方の下部組織。シノギを回す構成員たちが、集まる拠点。
女は、その建物に足を踏み入れた。誰何する構成員たちに聖母のように微笑みかけて。
そして——口元に、手を当てた。
澄んだ、けれどどこか歪な音が響いた。
次の瞬間。
和やかに、談笑していたはずの、構成員たちの、目の色が変わった。隣にいた仲間が。昨日まで
肩を組んでいた仲間が。突然——憎悪に、満ちた形相に、なる。
「て、てめェ、何しやがる——!」
誰かが叫んだ。だがそれは、女に向けられたものでは、なかった。隣の仲間に。
殺し合いが、始まった。
理由もなく。ただ湧き上がる、衝動のままに。
構成員たちは、互いを殴り、絞め、掴みかかった。先ほどまでの
和やかさが嘘のように。地獄の
ような光景が広がっていく。
ファナティカは、その中心で静かに微笑んでいた。我が君の写真を胸に抱いて。
「ふふ」
これが私の力。感受性を操る。
憎しみを植え付け、喜びを奪い、人を人でなくす。
彼女はまだ本気ではなかった。
半径も絞っていた。これはほんの挨拶。片鱗に過ぎない。
「聞こえますか、シュンカ」。女は誰にともなく、囁いた。荒れ狂う殺し合いの中心で。
「私が来ましたよ。我が君を奪った恩知らず」
唇が、聖母のまま弧を描く。
「貴方たち二人を。必ず——殺し合わせて差し上げます」
血の匂いの中で、女はうっとりと目を細めた。
それから彼女は倒れ伏した者たちの、
血だまりに、指を浸した。そして壁へ向かう。
一文字また一文字と、丁寧に書きつけていく。仲間の血で、綴られた招待状を。
『恩知らずのシュンカへ。我が君を奪いし、
恩知らずよ。貴様たち二人、必ずや殺し合わせてみせる』
書き終えると、女は満足げに一歩退いた。
我が君のペンダントを、握りしめ、その血文字を
うっとりと眺める。
これで、あの恩知らずも私の存在を知るだろう。そして——来る。来ずにはいられまい。大切なひとつを守るために。
「お待ちしておりますよ」。女は、囁いた
「我が君の、仇を討つその時を」