僭帝編・第十七話「盾」
絶対の守りとは。
剣を、振るうことではない。
——ただ、そこに在るだけですべてを拒むこと。
エディは状況を即座に把握した。
イズナが操られた。あの女の能力で。仲間意識を、殺意に変えられ——その掌が、味方に向けて、掲げられている。
「——ちっ」
イズナの個性。吸収と放出。溜め込んだエネルギーを、光の奔流として撃ち出す。その極大の一撃が——今ミカとシュンカに向けて放たれた。
まずい。エディの脳が警鐘を鳴らす。あの出力は直撃すれば、並の人間なら消し炭だ。ボスはともかく、ミカ嬢が——
だが。
その心配は、杞憂だった。
シュンカは、動じもしなかった。ただ小さく手をかざす。それだけ。
次の瞬間、イズナの光が——見えない壁に阻まれた。
空気がそこで止まっていた。透明の、しかし絶対の何か。ビームがそれに触れた途端、拡散し掻き消える。まるで世界そのものに拒まれたかのように。
傷一つつかない。揺らぎすらしない。
エディは、目を細めた。
目の前の空気を固定した。そう理解するのに、数瞬かかった。時を止め、不変にした、ただの空気を、盾に変えた。あのイズナの、極大の出力を——手をかざしただけで。表情一つ変えずに。
……こうも、簡単に。
これがAFOを殺した力。噂は聞いていた。実際に初仕事でも見た。
だが——何度見ても底が知れない。この子供の力には限界という輪郭が見えない。
「エディ」
シュンカの、平坦な声が飛んだ。
「イズナを頼める?殺さずに」
「——応」
言われるまでも、なかった。だが、抑え込んで連れていくには、この男は暴れすぎる。ならば——手っ取り早い方法がある。
エディはリミッターを解除した拳を、イズナの鳩尾へ、容赦なく叩き込んだ。
覇王の一撃。操られたイズナの巨体が、くの字に折れ、遥か後方へ——瓦礫の山へと、吹き飛んでいく。
「悪いな。お前は吸収持ちだ。これくらいじゃ、死なないだろ」
事実、イズナの個性は、衝撃の吸収にも働く。あの程度の一撃では、気絶はしても、死にはしない。乱暴だが確実に距離を取る、合理的な判断だった。操られた味方を、無力化しつつ遠ざける。
その間に。
「ミカ」シュンカが、静かに言った。
「一度退く。あの女の個性が、分からない。……とりあえず、距離を取る」
ミカが頷いた。その小さな手が宙を撫でる。
闇が、盛り上がった。巨大な、獣の形をとる。
夜の王の一体——グラディウス。万能の式神。
その背に、シュンカとミカが乗る。エディも、吹き飛ばしたイズナを担ぎ上げ、続いた。
「あら。もうお帰り?」
半壊ビルの屋上で、ファナティカが、聖母のように微笑んでいる。追う素振りを、見せながら。
だが、シュンカたちを乗せたグラディウスは、既に地を蹴っていた。あの女の
感受性操作。その正体が掴めない以上——まずは、間合いを取る。得体の知れない敵に、無闇に踏み込むのは、下策だ。それはシュンカの、冷徹なまでの合理だった。
赤い獣が、地獄と化した街を駆け抜けていく。ファナティカの姿が、見る間に遠ざかった。
——こうして、シュンカとミカは、その場を離れた。
あの女の追撃を、断ち切るために。
だから、二人は。知らなかった。
自分たちが去った、その直後。入れ替わるように——一人のヒーローが、その戦場に駆けつけたことを。
エンデヴァーが、その惨状にたどり着いたとき。
街は、既に地獄だった。
炎の英雄は、絶句した。そこかしこで、人が狂っている。悲鳴。狂笑。同士討ち。何の脈絡もなく、市民が、互いを傷つけ合っている。彼が、これまで対峙してきた、どんなヴィランの犯行とも——違う。
「なんだ、これは……!」
そして彼は見た。半壊したビルの屋上。そこに佇む青い髪の女を。顔に刻まれた、三つの文字を。
あの女が、元凶だ。No.1ヒーローの直感が、告げた。
「貴様が、やったのか」エンデヴァーの全身から、炎が噴き上がる。「この街を——こんな風にした、元凶か」
女は、屋上から彼を見下ろした。聖母のように微笑んで。
「あら。ヒーロー様。……ふふ。ええ、そうですよ。わたくしが、少々、手を加えました」
悪びれもしない。その、慈悲深い笑みのまま。
「許さん」エンデヴァーの拳に、炎が集束する。「これ以上、好きにはさせん。——ここで、止める!」
業火が、放たれた。ビルの屋上ごと焼き尽くす、灼熱の奔流。現役No.1の、必殺の一撃。
だが——女の姿は、既にそこには、なかった。
「まあ、こわい」
声は——真横から。
エンデヴァーが、目を見開く。いつの間に。あれほどの距離を。青い髪の女が、すぐ傍らに立っていた。その手には——無骨なマチェットナイフ。
速い。エンデヴァーの反応が、わずかに遅れた。炎を纏い直すより早く——女の刃が閃く。
「ぐっ——!」
咄嗟に、身を引いた。それでも、腕を深く斬られた。血が噴く。炎の英雄が、たたらを踏む。
……近接も化け物か。エンデヴァーは、歯を食いしばった。遠距離のあの街を狂わせる力。そして、この近接の刃の冴え。どちらも——並のヴィランではない。
「ふふ。さすが、No.1。いい反応です」。女はうっとりと刃を撫でた。
「でも——あなた、ヒーローでしょう?」
その言葉の意味を。エンデヴァーは、すぐに思い知ることになる。
女の周囲。狂った市民たちが——ゆらり、と立ち上がった。そしてエンデヴァーへと向かってくる。うつろな目で。操られるまま。女を庇うように。エンデヴァーと女の間に、次々と立ちはだかる。
「さあ。どうします?」。女が嗤う。
「わたくしを討ちたければ。——この人たちを、焼き払っていらっしゃいな。できるものなら」
エンデヴァーの炎が——揺らいだ。
撃てない。市民を盾にされて。彼の業火は
あまりに強すぎる。手加減して撃てば、女には届かない。本気で撃てば——間の市民を焼き殺す。
ヒーローが。民間人を、焼けるはずがない。
「く……っ」
炎が、行き場を失って宙で燻る。その、一瞬の逡巡こそが——女の狙いだった。
操られた市民の群れを、盾にして。その隙間を、縫うように。女が踏み込む。マチェットナイフが、白く光る。
エンデヴァーは、市民を傷つけまいと、身をよじり——その不自然な体勢の、脇腹へ。深々と、刃が抉り込んだ。
「がはっ——!」
血が飛ぶ。巨躯が膝をつく。
「ふふ。ごらんなさい」女が、慈悲深く囁いた。「あなたのその優しさが。あなたを殺すのですよ。——ヒーロー様」
エンデヴァーは霞む視界で女を睨みつけた。動けない。市民を盾にされている限り、この女には手が出せない。炎という最強の武器が——民間人を守るという
ヒーローの矜持ゆえに、完全に封じられている。
……これが。この女の、恐ろしさか。
力ではない。心を——ヒーローの優しさを、突いてくる。強ければ強いほど。優しければ優しいほど。この女の前では無力になる。
薄れゆく意識の中で。エンデヴァーは悟った。
自分は——勝てない。この街を救うことも。この女を止めることも。No.1ヒーローで、ありながら。
「無念、ですか?」女が、とどめを刺そうと刃を振り上げる。
「ご安心を。じきにあなたも——」
その時だった。