空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第32話「音」

僭帝編・第十八話「音」

 

聞こえない刃には、聞こえない盾を。

——狂気を断つのは、力ではなく。

その正体を、見抜く、冷徹な目だった。

 

 ファナティカの追撃を振り切り、僭帝の一党は、廃ビルの陰に身を潜めていた。

 

 「——さて。どうする」

 

 エディが、低く言った。気を失ったイズナを無造作に地面へ下ろしながら。あの怪物じみた女を正面から相手取るには、あまりに情報が足りなかった。

 

 「あの女の力。まるで見当がつかん」エディが続ける。

 

「イズナが、いきなり操られた。だが、どういう理屈で、ああなったのか。

触れられたわけでも、何かを撃たれたわけでもない。……厄介だな」

 

 誰もが、押し黙った。

 

 得体の知れない能力。それが、この一党の足を止めていた。シュンカの不壊をもってすれば、あるいは、正面から潰せるのかもしれない。だが——ミカや、他の幹部が、次々と操られれば。戦いは泥沼になる。

 

 その時。

 

 「……音」

 

 ぽつりと、声がした。セイレーンだった。

 

 普段、めったに口を開かない女が、静かに続けた。

 

 「あの女の力。おそらく——音が媒介です」

 

 全員の視線が、集まる。

 

 「私の個性は、調律。音で、人の感覚を狂わせる。……だから、分かる。あの女が、力を使うとき。空気が微かに震えていました。人の耳には、届かない。けれど——確かに音が鳴っている。あれで感情を操っているんです」

 

 同じ音を操る者にしか、気づけない。聞こえざる怪音波。それを、セイレーンの耳だけが捉えていた。

 

 「なら」エディが身を乗り出す。「お前の力で、どうにかできるのか」

 

 セイレーンは、少しだけ間を置いた。そして。

 

 「……相殺に近いことなら、できるかもしれません」

慎重に、言葉を選ぶように。「私の音をぶつけてあの女の音を、乱す。完全には

防げない。けれど——操作の精度を、鈍らせることはできるはず」

 

 沈黙していた戦況に、一筋の、光が差した。

 

 あの得体の知れない力に。抗う手立てがある。

 

 「上出来だ」。エディが口の端を上げた。「なら、布陣を組むぞ」

 

 覇王の目が、鋭く一同を見渡した。

 

 「セイレーン。お前はグラディウスの上から、あの女の音を、妨害し続けろ。

それが、生命線だ。一瞬でも切らせば全員が操られる。——動かず、そこに徹しろ」

 

 「……分かった」セイレーンが静かに頷く。

 

 「赫飛。お前は影に潜め。音は、影の中までは届きにくい。潜んで機を伺い隙を突け」

 

 「はいはい。得意分野だよォ」赫飛が

軽薄に笑う。その目の奥だけは笑っていなかった。

 

 「チェインは、露払い。前に出てあの女への道を、こじ開けろ。雑魚も操られた連中も、蹴散らせ。ただし——」

 

 「分かってる」チェインが、拳を鳴らした。

 

「操られた民間人は、殺さん。峰打ちで抑える。……手間だがな」

 

 「アル・カイドは、ミカ嬢とセイレーンの護衛につけ。あの二人に指一本、触れさせるな。特に、セイレーンが墜ちれば終わりだ」

 

 「御意」。アル・カイドが恍惚と頷いた。

 

 「そして——ボスが、本体を牽制する」エディがシュンカを見た。

 

「あの女は、ボスの不壊には手が出せん。音も、剣も、効かん。正面から釘付けにできるのは、ボスだけだ」

 

 シュンカは、いつものように無感動に頷いた。ミカが安全なら。それでいい。あの女を片付けることが、その最短の道なら——やる。それだけのことだった。

 

 「布陣は、決まりだ」。エディが立ち上がる。

 

「行くぞ。——各自油断するな。あれは化け物だ」

        

 

 三つ首の獣が、地獄の街を逆しまに駆け戻った。

 

 グラディウスの背に、シュンカとミカ、そしてセイレーンを乗せて。その周囲を、幹部たちが固めている。

 

 半壊ビルの屋上が、見えてきた。

 

 そこに——青い髪の女がいた。だが、その足元にもう一つ人影があった。巨大な、炎の英雄が。膝をつき血に塗れて。マチェットナイフを振り上げられ——今にも、とどめを刺されようとしている。

 

 「——っ、あれは」ミカが息を呑んだ。

ヒーローだ。エンデヴァー。あの人まで、あの女に。

 

 また。私たちのせいで誰かが。ミカの胸が鋭く痛んだ。

 

 その時だった。

 

 グラディウスが咆哮した。巨躯が地を蹴り、

一気に、間合いを詰める。

 

 ファナティカの刃が、止まった。屋上に駆けつけた、巨獣とその背の二人へ、

視線を向ける。

 

 「——あら」女の顔に、聖母の微笑みが戻った。とどめを忘れたように。斬られた英雄から、興味を失って。「お帰りなさいませ。待ちくたびれて、しまいましたよ」

 

 膝をついたエンデヴァーが、霞む目でその光景を見上げた。夜の獣。その背に立つ、

白い髪の少年と、黒髪の少女。

 

——子供。なぜこんな戦場に子供が。朦朧とする

 

意識ではそれが誰なのか、まではたどり着けなかった。

 

 シュンカは、その英雄を一瞥した。ただ、それだけだった。倒れていることも、血を流していることも、彼にとっては何の意味も持たない。

ただの風景。彼の目は既に女だけを捉えていた。ミカと殺し合わせるとほざいた女だけを。

 

 「セイレーン」。シュンカが、静かに言った。

 

 「——もう、始めます」

 

 セイレーンの指が、既に笛を構えていた。澄んだ音が、細く、長く、響き始める。あの女の、聞こえざる怪音波に対抗するように。空気の震えが拮抗する。

 

 「ふふ。なるほど」。ファナティカが、感心したように目を細めた。

 

「わたくしの音に、気づきましたか。……賢い子。でも」

 

 女の微笑みが、深くなる。

 

 「わたくしの、本気を——防ぎきれますか?」

 

 その瞬間、ミカは感じた。

 

 こめかみの、奥。何か、冷たいものが、忍び込んでくる。ざわり、と、胸の中がざわめいた。

セイレーンの音が、必死に、防いでいる。けれど——完全には防ぎきれない。女の音がその隙間から

染み込んでくる。

 

 ……頭が。

 

 ミカの視界が歪んだ。隣にいる、シュンカの姿が。世界で一番、大切なその人が。——なぜか、ひどくおぞましいものに見え始めていた。

 

 「シュンカ……? あれ...なんで..!」

 

 違う。これはあの女の力だ。分かっている。分かっているのに——込み上げてくる、この憎しみが。抑えられない。

 

 あの母親と同じ。愛が。裏返っていく。

 

 「あら、あら」ファナティカの、恍惚とした声が、遠くで、聞こえた。

 

「いい子。——さあ。殺し合いの始まりですよ」

 

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