空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第34話「塵」

僭帝編・第二十話「塵」

 

狂信は、最期の瞬間まで彼女を救い続けた。

——それが、どれほど、歪んでいても。

その女にはそれだけがすべてだったのだ。

 

 「認めない……認めませんッ!」

 

 ファナティカの絶叫が、地獄の空を裂いた。

 

 愛を砕けなかった。この二人だけが。ならば

 

——もう一度。今度こそ抗えぬほどの力で。彼女は、息を大きく吸い込んだ。渾身の、フルパワーの怪音波を放とうとして——

 

 「——外道の姉ちゃん」

 

 声は、背後から。

 

 いつの間に。彼女の影から。にゅう、と、黒ずくめの男が現れていた。手には、無数のコレクションの中の、一振り。

 

 「ミカちゃんに、気ぃ取られすぎだぜ」

 

 赫飛の刃が、閃いた。

 

 ファナティカの片腕が——斬り落とされる。息を、吸い込んだまま。怪音波を放つ、その寸前で。力が、宙に霧散した。

 

 「が——ッ!?」

 

 よろめく女。だが、赫飛の動きは止まらない。返す手で、懐から何かを取り出す。禍々しい

 

注射器のような——弾。

 

 その瞬間。赫飛の脳裏を、ほんの一瞬、廃ビルでの作戦会議がよぎった。

 

 ——布陣を組む、その最後に。エディが低く告げていた。

 

 『いいか。切り札は、これだ』

 

覇王の手にあったのが、この弾だった

 

『死穢八斎會から譲り受けた、個性破壊弾。あの女の力は、殺せば固定される。

だが——これで、個性ごと、消しちまえば。操作は根こそぎ解ける可能性が高い

誰にも悟られるな。あの女が油断したその一瞬に——撃ち込め』

 

 その一瞬が。今、来た。

 

 「じゃあな。——治療費は、たっぷり貰ったぜ」

 

 赫飛が個性破壊弾を、女の身体へ突き立てた。

 

 効果は、劇的だった。

 

 街じゅうを、狂わせていた、見えざる力が——途切れた。

 

 我が子を、害虫と怯えていた母親が、はっと我に返る。腕の中の、我が子の顔を、思い出したように。笑いながら人を嬲っていた者たちが、その手を、止める。何が起きたのか、分からぬまま。狂気の糸が、切れた。地獄が——終わった。

 

 操作されていたすべての人々が。解き放たれた。個性を消されたことで。ファナティカの力は、根こそぎ失われたのだ。

 

 「……え」

 

 ファナティカが、呆然と呟いた。片腕を失い、地に崩れ落ちて。

 

 「ない。……ない。わたくしの、力が」

 

 その手を、見る。あれほど、多くの命を狂わせてきた、力。我が君に、仕える力。それが——消えていた。空っぽの器になっていた。

 

 「返せ」

 

 女の声が、震えた。

 

 「返せ、返せ、返せッ! それは、あの方のッ! 我が君のための、力なのにッ! 返せぇぇぇッ!!」

 

 地を、掻きむしり慟哭する。もう、聖母でも、狂信者でもなかった。ただ、

すがるものを奪われた一匹の——獣だった。

 

 その姿を。

 

 シュンカが、静かに、見ていた。

 

 次の、瞬間だった。

 

 シュンカの姿が——消えた。

 

 喚き続けていたファナティカには、何も見えなかっただろう。反応する暇も。

悟る間も。あらゆる抵抗は、意味を失っていた。時間を止め、加速した肉体が、地獄の空間を、貫く。誰の目にも留まらぬ速さで。

 

 気づいた時には——もう。

 

 白い手刀が、女の鎖骨から、胸までを貫いていた。

 

 声もなかった。

 

 ファナティカはただ、呆然と自分を貫く、その細い腕を、見下ろした。

何が起きたのか。理解が追いつかぬまま。

 

 「……ミカを、泣かせたんだ」

 

 シュンカがぽつりと言った。いつもの、平坦な声で。けれど、

 

その一言だけが——彼のたった一つの理由だった。

 

 街を、地獄にしたことでもない。

百人を超える人々を、狂わせたことでもない。

ただ——ミカを泣かせた。それだけが。この女の罪だった。

 

 「許さない」

 

 シュンカがもう一方の手を、掲げる。その掌の上に——一握りの、砂があった。時を止め不変と化した、絶対の質量。触れれば、世界を穿つただの、砂。

 

 それを、女へと、投げつけた。

 

 ファナティカの、目が見開かれる。

 

 「あ……」

 

 声を漏らす間もなかった。

 

 けれど——その、最期の一瞬。彼女の顔から、憎悪が、絶望が、すっと消えた。代わりに、浮かんだのは——安らかな微笑みだった。

 

 我が君。

 

 力を失っても。すべてを奪われても。今ようやく。あの方のもとへ、行ける。

 

 「……我が君。今、お傍に——」

 

 その言葉を、最後に。

 

 女は、塵になった。

 

 あれほど多くを狂わせ、荘厳に

狂信を語った女が。あっけなく。世界から消えた。

 

 後には——静寂だけが、残った。

 

 シュンカは、手を下ろした。そこにもう、何もないことを確かめもせず。踵を返す。

 

 彼の興味は既に、女にはなかった。勝利にも、決着にも。ただ——泣きやんだ、ミカの、無事だけを確かめるように。

 

 そのそばで。斬られ、倒れていた、炎の英雄が朦朧とする意識で、その一部始終を、見ていた。

 

 子供が。あの白い髪の子供が。自分ですら、手も足も出なかった、あの怪物を——一瞬で、塵にした。そして民間人を誰一人巻き込まず。倒れた自分にすら、一瞥も、くれず。ただ、隣の少女のもとへ戻っていく。

 

 「……待て」エンデヴァーが、掠れた声を、絞り出した。

 

「君は——一体……」

 

 だが、その声は。届かなかった。

 

 シュンカは、振り返りもしなかった。ミカの手を取り、幹部たちと共に、闇へと、消えていく。ヒーローの言葉など、最初から存在しないかのように。

 

 残されたのは、救われた街と。一人の英雄だけ。

 

 ——後に。この日横浜を救ったのが、ヴィランの子供であったという、事実だけが。エンデヴァーの胸に深く、突き刺さって残った。

 

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