空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第35話「報せ」

僭帝編・第二十一話「報せ」

 

同じ報せが。

一方には、屈辱の炎を。

もう一方には、安堵の涙をもたらした。

 

 ファナティカが、敗れた。

 

 その報せは、瞬く間に闇の世界を駆け巡った。

 

 あの、スペインの狂女が。単身で

僭帝の下部組織を壊滅させ、横浜を地獄に変えた、あの化け物が。——たった一日で、塵にされた。僭帝の手で。

 

 ヴィラン連合のアジトにも、その報せは届いていた。

 

 「……嘘、だろ」スピナーが、呻いた。

「あのファナティカが。あの、AFOの秘蔵っ子が。あっさり……」

 

 誰もが、言葉を失っていた。荼毘は醒めた目で、宙を睨んでいる。トガでさえいつもの笑みを、忘れていた。

 

 あの女の強さを。この場の誰もが、知っていた。まともにやり合えば、連合とて、ただでは済まない、いや手も足も出ない、その化け物を——シュンカは、片手間のように、葬った。

 

 その静寂の中で。

 

 死柄木弔だけが、震えていた。

 

 怒りで。屈辱で。

 

 ……また、こいつか。

 

 死柄木の爪が、掌に食い込んだ。あの、白い髪の子供。先生に、「自慢の弟子」と呼ばれ。先生の、仇であるはずの、あの男。

ファナティカは——曲がりなりにも、先生の仇を、討とうとした。討てずに、死んだ。

 

 なのに、自分は。

 

 その仇に。指一本、届かぬまま。ここで、燻っている。ファナティカにすら劣る。あの、白いガキには——遠く、及ばない。

 

 劣等感が。腹の底から、黒く噴き上げた。

 

 「……気に入らねえ」

 

 死柄木の、掠れた声が、漏れた。

 

 あの男が、憎い。あの男の、すべてが。あの余裕が。あの揺るがなさが。何もかも。——ならば。

 

 ふと。死柄木の脳裏に。ファナティカから、聞いた、ある話が、蘇った。あの女が、AFOの遺産を、託しに来た、あの時。世間話のように、漏らした——あの男の、たった一つの秘密。

 

 死柄木の、荒れた唇が。歪んだ。

 

 「……そうだ。いいことを、教えてやるよ。裏社会の、みんなに」

 

 嫌がらせだった。ただの。あの男を、少しでも、困らせてやりたい。その、一心の。

 

 死柄木は、闇のネットワークへ、その情報を、流し始めた。

 

 ——シュンカには、弱点がある。あの、隣にいる、少女。あれを殺せば。あの化け物も死ぬ。

僭帝の王を、殺したければ——あの少女を、狙え、と。

 

ただ、目の前の子供を困らせたい。

その、ちっぽけな私怨だけで。彼はパンドラの箱を、開けた。

 

 その数日後。

 

 都内の病院。個室のベッドにエンデヴァーは

身を起こしていた。脇腹と、腕に、包帯を巻いて。命に別状はなかった。だが——その表情は、傷の痛みとは、別のもので沈んでいた。

 

 「やぁ……ひどい様だな」

 

 病室に現れたのは、痩せこけた男だった。かつて、平和の象徴と呼ばれた男。

オールマイト——八木俊典。見舞いの、菓子折りを手にして。

 

「オールマイトか」エンデヴァーが、力なく笑った。

 

「No.1が、無様にやられた。……笑ってくれて、いいぞ」

 

 「笑うものか」オールマイトは、静かに、椅子を引き寄せた。

「あの、横浜の惨状は聞いている。……よく、生きて帰った」

 

 しばし、沈黙が落ちた。

 

 エンデヴァーは、天井を見上げていた。あの日、見た光景を。どう伝えるべきか。迷うように。

 

——だが、やがて、意を決したように、口を開いた。

 

 「オールマイト。お前に……いや、お前にこそ伝えねばならんことが、ある」

 

 「なんだ」

 

 「あの日。横浜で。俺は——見たんだ」

 

 エンデヴァーの声が、わずかに掠れた。

 

 「あの、ファナティカという女を、倒したのは。俺じゃない。ヒーローでもない。——子供だ。白い髪の、赤い目をした。そして、その隣に、黒髪の少女がいた」

 

 オールマイトの肩が。びくりと震えた。

 

 「……なんだと」

 

 「二人とも、まだ幼い。12、いや、それより下かもしれん。オールマイト、お前が探していた神野の子達じゃないのか?」

 

 オールマイトは、答えなかった。答えられなかった。ただ、その落ち窪んだ目が、大きく、見開かれていた。

 

 白い髪。赤い目。黒髪の少女。

——間違い、ない。ずっと探していた。あの子たち。神野のあの日から。ヴィランに、してしまった、あの——

 

 「……生きて、いたのか」

 

 オールマイトの声が、震えた。

 

 「あの子たちは。生きて……無事、なのか」

 

 「ああ」エンデヴァーが、頷いた。

 

「無事だ。傷、一つ、負っていなかった。それどころか——」

 

 エンデヴァーは、あの光景を、思い起こす。

 

 「あの子は。あの、白い髪の子供は。俺が、手も足も出なかった、あの化け物を——一撃で、葬った。そして……民間人を、誰一人、巻き込まなかった。

狂わされた人々を、元に戻し。倒れた、俺にすら、手を出さず。ただ、静かに去っていった」

 

 「……っ」

 

 「聞いてくれ、オールマイト」。エンデヴァーの目に、力がこもる。

 

「あの子のやり方は。確かに、ヴィランの、それだ。倫理観は、壊れているのかもしれん。だが——あの子には、善悪の天秤がある。守るべきものと、

そうでないものを、分けている。無差別じゃない。まだ——間に合うかもしれん」

 

 その時。

 

 エンデヴァーは、気づいた。

 

 オールマイトの頬を。一筋の、涙が、伝っていた。

 

 声も、なく。痩せこけた、かつての英雄が。ただ、静かに。ぼろぼろと、涙を、こぼしていた。

 

 「……オールマイト?」

 

 「すまない」オールマイトが掠れた声で言った。

 

「すまない、みっともないな。……ただ、その」

 

 言葉に、ならなかった。

 

 ずっと。ずっと、探していた。あの子たちを。

神野で救えなかった。ヴィランに、してしまった。その罪を。毎日、毎日、痩せた体を引きずって、

街を探し回った。ファナティカが現れて——もう、間に合わないかと。あの子たちが、あの女に殺されるのではと。眠れぬ夜を幾つも越えて。

 

 それが。

 

 「……生きて...いて...くれた」

 

 安堵が。堰を切ったように、溢れた。よかった。生きていた。無事だった。——その、たった一つの事実が。彼の、張り詰めていたものを、すべて、緩めた。

 

 「あの子たちは。ちゃんと……生きて...いる」

 

 涙が、止まらなかった。喜びの。安堵の。そして——まだ、間に合うという。希望の涙が。

 

 エンデヴァーは、何も言わなかった。ただ、静かに、その姿を、見ていた。No.1ヒーローの称号を継いだ男が。かつての、平和の象徴の、涙を。

 

 「……エンデヴァー」。やがて、オールマイトが、顔を上げた。涙に濡れた顔で。けれど、その目には——強い光が、宿っていた。

 

「あの子たちを、救いたい。今度こそ。私は——もう、間違えたくない」

 

 「ああ」。エンデヴァーが、深く頷いた。

 

「俺も、同じ気持ちだ。……あの子たちを、あのままには、しておけん」

 

 二人の、かつての、そして、今のNo.1が。

同じ決意を、胸に。静かに、頷き合った。

 

 その決意が、どこまでも、まっすぐで、善意に満ちていることを。二人は、疑いもしなかった。

 

 ——ただ。その手が、届く相手のことを。二人は、まだ、何も、知らないのだった。

 

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