僭帝編・第二十二話「居場所」
理由なんて、なかった。
ただ、気づいたら。
——ここが、帰る場所に、なっていた。
オレは昔から退屈ってやつが、大の苦手だった。
強さも金も、ひと通り手に入れた。
新宿の怪物、なんて大層な二つ名も、もらった。
でも——満たされた? まさか。何をやっても
どっか、白ける。世界がペラッペラの書き割りみたいに見える。だから、面白そうなもんには片っ端から、首を突っ込む。それが、オレの生き方だった。
この、僭帝なんていう、ヘンテコな組織に乗ったのも。ただ面白そうだったから。ほんと、それだけ。
白髪の、無愛想なガキが、ボスで。その隣に、
黒髪のお嬢ちゃん。……最初は、そりゃ、思ったさ。笑える冗談だって、な。
なのに、まあ。人生ってのは分からない。
ファナティカとの戦いの後。オレは、あの女の力で操られた。仲間に牙を剥いた。オレの意思とは関係なく。
気がつけば瓦礫の中に転がっていた。エディに、思いきり吹っ飛ばされたらしい。全身が痛む。
「よお。目、覚めたか」
エディが、見下ろしていた。
「……オレ、何かやらかしたか...?」
「操られて、暴れた。俺が、殴って止めた。——お前が、吸収持ちで助かったぜ。並のやつなら、死んでた」
オレは身を起こした。周りを見る。
皆、無事だった。誰も——オレを、責めなかった。操られたオレを、殺すことも、できたはずなのに。
そうせず、わざわざ殴って、気絶させて。
個性破壊弾とやらで、あの女の力を消して、オレを正気に戻した。
「……助かったのか。オレ」
「ボスが、言ったんだよ」エディが、肩をすくめた。
「『殺さずに』ってな。……面倒な、注文だ」
オレは、少し、黙った。
殺さずに。——あの、無感動なガキが。オレのことなんて、道具くらいにしか、思ってないと、思っていた、あのボスが。わざわざそう言った。
なんだか。妙な気分だった。
その夜。ファナティカ戦の打ち上げ、ということになった。
誰が、言い出したのか。アジトの広間に、
酒と、飯が並んで。血の気の多い連中が、勝手に、騒ぎ始めた。
「セイレーンちゃーん、飲も飲もォ!」
「……触るな。斬る」
「つれねェ〜」
赫飛が、いつもの軽口で絡んで。セイレーンに、冷たく、あしらわれている。
チェインは、黙々と、飯を食っている。アル・カイドは、隅で静かに笑っている。蔦漆は、帳簿らしきものを眺めながら、酒を舐めている。
騒がしい。統一感の欠片もない。
その中心で。ボスとミカがいた。
ミカが、何か、ボスに話しかけて。ボスは相変わらず、無表情で頷いている。けれど。
——その隣にいる時の、ボスの空気だけは。ほんの、少し。柔らかい。
オレは、手の中の酒を、ぐるりと、回しながら。ぼんやりと、その光景を、眺めていた。
……ああ、そうか。
と。ふいに、思った。
なんだよ、これ。この感じ。
騒がしくて。まとまりゼロで。どいつも、こいつも、一癖どころか、五癖くらい、ありそうな、はみ出し者ばっかりで。——なのに、さ。
……居心地が、いいんだよなァ。これが。
オレは自分の思いつきに、ちょっと笑っちまった。傑作だ。退屈が嫌いで、何やっても白けてた、このオレ様が。こんな雑で、うるさい場所を、居心地いいなんて
ぬかしてる。
飽きねえんだ。こいつらといると。次に何が起こるか、さっぱり読めねえ。ボスも、お嬢ちゃんも、この変てこな連中も。
——見てて、まるで、飽きない。
いつからだろうな。オレは、いつのまにか、この場所を。
——すっかり、気に入っちまってた。
で、まあ。隣で、同じように、ちびちびやってた、エディに。オレはぽろっと、こぼしたわけだ。
「なあ、エディ」
「あん?」
「オレさァ。……シュンカとミカのこと、好きになっちまったよ」
ぶっ、と。エディが、酒を噴いた。
……正気か、こいつは。
俺は、噴き出した酒を、手の甲で、拭った。隣で、へらへら笑っている、イズナを、まじまじと、見る。
好きになった、だと?あのイズナが。新宿の怪物と呼ばれ、何にも執着せず、何にも本気にならなかった、この...享楽の塊みたいな男が。
「……お前...飲みすぎだ。寝ろ」
「本気だぜ、オレ」
俺は、それ以上、取り合わなかった。酔っ払いの、戯言だ。そう、片付けた。片付けた、はず、だった。
だが。
その夜から。妙に、その言葉が、頭に、こびりついて、離れなかった。
俺は——エディ。この僭帝を、イズナと二人で、作った男だ。
断っておくが、俺はあのガキに心酔なんてしていない。するはずがない。
俺にとってシュンカは、看板だ。シュンカという、災害級の規格外の力。それを、旗印に掲げれば
裏社会は面白いように転がせる。
あいつはそのための、神輿。ただの駒だ。
……そのはず、だった。
なのに。イズナのあの、間抜けな一言のせいで。俺は柄にもなく、考え込んでいた。
あいつを——シュンカを駒だと。本当に、そう言い切れるのか。
思い返す。ファナティカとの戦いを。あの女は化け物だった、俺たち幹部が総出でも、手を焼く、規格外。エンデヴァーですら届かなかった。
——それを。あいつは片手間で葬った。
空気を固定して、イズナのビームを、こうも簡単にいなし。高速で間合いを詰め
一瞬で。まるで造作もないというように。
あれが。駒?
笑わせるな。
俺は、気づいてしまった。認めたくなかったが。——認めざるを、得なかった。
俺はあいつの器を。見誤っていた。
看板だと。神輿だと。そう値踏みして、拾った。利用してやるつもりだった。この俺の、掌の上で、転がして。——だが、とんだ、思い上がりだ。あいつは、利用できるような、ちゃちな器じゃ、なかった。底が見えない。……いや。
正しくはこうだ。利用してやろうと近づいた、この俺のほうが。いつのまにか——あいつの、途方もない器に。呑まれていた。使うつもりが、呑まれていた。
それが真実だった。
ならば。俺の、結論は。一つ、しかなかった。
俺はシュンカの前に立った。
あいつはいつものように、無感動な目で、俺を、見上げた。その隣には当然のように、ミカがいる。
「ボス。——一つ、詫びなきゃ、ならん」
俺は、切り出した。
「俺はあんたを勘違いしてた。看板として、神輿として、利用するつもりで拾った。……だが、間違いだった。あんたは——そんな、ちゃちなタマじゃねぇ」
シュンカは何も言わない。ただ、聞いている。
「あんたは、本物だ。この裏社会の、頂点に立つべき、器だ。だから——俺があんたを、そこまで押し上げてやる。俺の頭脳と力のすべてを使ってな。あんたを
正真正銘の王にしてやるよ」
覇王の、宣言だった。俺のこれは、最大限の敬意であり——臣従の証だった。
だが。
シュンカは。少しの間も置かずに答えた。
「いや。別に要らない」
……は?
「王とか、頂点とか。興味ない。僕は——ミカと、いられればそれでいい」
そのあまりにあっさりとした、
答えに。俺は、一瞬言葉を失い——
そして。笑ってしまった。
ああ。そうか。そうだよな。
頂点を。世界を。差し出してやる、と、言われて。「要らない」と。即答する。
——欲がない。まるで何一つ、望んでいない。ただ、隣の少女といられればそれでいい、と。
それを聞いて。俺は最後の最後で。完全に理解した。
求めない。何も。だからこそ
——こいつは本物だ。玉座を欲しがる者は、山ほどいる。だが玉座を差し出されて、要らない、と言える者が。どこにいる。求めぬ者こそが。王の器だ。
「……ボス」
俺は片膝をついた。この俺が。
誰にも膝を折らなかったこの覇王が。
「——それでこそ、だ」
心の底からの、笑みが、こぼれた。
俺はずっと、頂点を目指してきた。誰の下にも、つかず。いつかこの手で、すべてを束ねる。
それが、俺の生き方だった。——なのに。
今俺は。生まれて初めて。心からこの人の下につきたいと。そう願っている。
おかしな話だ。頂点を、目指していたはずの俺が。「仕えたい」と、思える相手に、出会っちまうとは。
だが——不思議と。悔しさは、なかった。負けた、とも、思わなかった。むしろ。
……ようやく、見つけた。
俺が、この生涯を賭けて、仕えるに値する本物の王を。それは——頂点に、立つことよりも。ずっと胸の躍る。発見だった。
こうして。僭帝の最後の一人が。王の前に膝を折った。
打算で、集った、七つの刃は。もう、どこにも、いない。——ここにいるのは、ただ一人の王と。その王に、心から仕える、七人の臣下だけ、だった。