僭帝編・第二十三話「潮」
王は、何も求めなかった。
——それなのに。
潮が満ちるように、すべてが集まってきた。
ファナティカを、単身で葬った。
その一報が、裏社会を駆け巡ってから。潮目が変わった。
蔦漆のもとには。連日、ひっきりなしに報せが舞い込んでいた。
「……また、傘下入りの申し出か」
彼は、積み上がった書類の束を、指で弾いた。関東一円の、名だたる裏組織。
武闘派の集団。腕利きの個人。——そのことごとくが、僭帝の名を慕って。頭を垂れてくる。
無理もなかった。あのファナティカ。現役ナンバーワンのエンデヴァーすら
退けた、災害級の怪物。それを、僭帝は——正面から迎え撃ち、葬った。裏社会の住人たちにとって、それが意味するところは明白だった。
——シュンカは、本物だ。
力こそがすべての世界。その頂点に、疑いようのない証明を掲げた者が、現れた。ならば、集うのは、必然だった。強き者に。本物の王に。
「くくっ。笑いが、止まらんな」
蔦漆は算盤を弾く。取り込むべき組織。切り捨てるべき有象無象。情報を精査し、選別し、配置する。彼の頭脳の、独壇場だった。僭帝という、巨大な生き物が、日に日に、膨れ上がっていく。その血管の一本一本を、彼が設計していく。
「ただし——表には、手を出すな」
蔦漆は、傘下の組織に、厳命した。
「堅気には指一本、触れるな。政も、経済も、放っておけ。我々は裏の王だ。
表の玉座など、要らん。——欲張った瞬間、国家が牙を剥く。そうなれば、この、居心地のいい楽園も、終わる」
それは、王の平穏を守るための。彼なりの、計算だった。表を荒らさなければ、国家とて簡単には動けない。裏に徹する限り、この大樹は揺るがない。
集まってきた、荒くれ者たちを束ねるのは。エディの役目だった。
「——おい。新入り整列しろ」
覇王の一声で。腕自慢のならず者たちが、びくり、と背筋を伸ばす。一癖も二癖もある、裏社会の猛者たち。放っておけば好き勝手に暴れる、荒馬の群れ。それを——エディはその圧倒的な格で統率していた。
「僭帝の掟は、一つだ」エディが、低く告げる。
「ボスと、ミカ嬢に、仇なす者は——理由も聞かず、消す。それ以外は、好きにしろ。……分かったな」
誰も、逆らわなかった。逆らえる、はずがなかった。この、覇王の放つ圧の前では。
エディは、内心で、独りごちる。……上々だ。数も、質も、揃ってきた。これだけの戦力があれば。たとえ、どんな大きな敵が来ようとも。
彼の脳裏には。ぼんやりと、一つの可能性が、よぎっていた。いずれ——ヒーローどもが、動くかもしれん、という。あの、ファナティカ戦を目撃した、エンデヴァー。あの男が、僭帝を放っておくとは思えない。ならば、備えは、いくらあっても、いい。
組織は、もはや。神奈川一円に留まる規模では、なくなっていた。
その、すべての中心に。
シュンカは、いた。
膨れ上がる、組織。集う、強者。日に日に、大きくなる、僭帝という王国。——その頂点に、座りながら。彼は、何一つ、興味を示さなかった。
「ボス」。エディが、報告に来る。「関東の主要な組織は、ほぼ、掌握しました。戦力も、盤石です」
「……そう」
シュンカの返事は、それだけだった。
組織が、大きくなろうが。強者が、集まろうが。裏社会の頂点に、立とうが。——彼には、どうでも、よかった。玉座も、権力も、軍勢も。何一つ、望んでなど、いなかった。
彼の隣で。ミカが、退屈そうに、足をぶらぶらさせている。その横顔を、シュンカは、ちらりと見た。
——ミカが安全で。ミカといられる。
それだけがあれば。良かった。この膨れ上がる王国も。彼にとっては、その、ただ一つの目的のための。副産物に過ぎなかった。
求めなかった。何も。ただ隣にいたかった。それだけの少年のもとに。
——潮が満ちるように。すべてが集まってくる。
皮肉な、だった。世界を欲したAFOは、何も遺せず消えた。すべてを渇望した、死柄木は、今も、燻っている。なのに——何も求めないこの少年のもとにだけ。力も、人も、王国も。とめどなく流れ込んでくる。
まるで——求めぬ者こそが。王に選ばれる、とでもいうように。