第34話「集う」
人は、旗のもとに集う。大義のもとに、金のもとに、恐怖のもとに。
——では、何も掲げぬ者のもとに、なぜ人は集うのか。
蔦漆は、その問いの答えを、ついぞ帳簿に書けなかった。
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蔦漆は、数を数える男だった。
金の出入り、人の出入り、勢力の増減。あらゆるものを数字に置き換え、盤面を読む。それが彼の役目であり、彼が僭帝で生きてきた術だった。戦えぬ彼が、化け物どもの巣で、頭一つ分の居場所を保ってこられたのは、この、数える才ゆえだ。
だから、彼は最初、それを、ただの数字として眺めていた。
構成員の数が、増えている。
英雄たちとの決戦を退けた、あの後から。門を叩く者が、日を追うごとに増えていた。最初は、数人。それが、十人になり、数十人になり——気づけば、帳簿の桁が、変わっていた。
蔦漆は、門の脇に立ち、新しく来た者たちを検分していた。
素性を確かめ、危険がないかを見極め、振り分ける。渉外の一環だ。誰も彼もを、無条件で入れるわけにはいかない。中には、間諜も、ならず者も、ただ食い扶持を求めるだけの木偶も、混じっている。
だが——選り分けながら、彼は、奇妙な感覚に囚われていた。
来る者の、目だ。
裏社会で名の知れた殺し屋がいた。単独で一国の暗部を渡り歩いてきた、一匹狼。誰にも従わぬことで、その名を売った男だ。その男が、門の前で、静かに頭を垂れていた。
「なぜ、ここへ」蔦漆は問うた。「お前ほどの男が。誰かの下につく柄ではあるまい」
男は、しばらく黙って——やがて、ぽつりと言った。
「あの王の下にいたい。それだけだ」
それだけだ。
蔦漆は、その言葉を、何度、聞いただろう。
行き場を失ったはぐれ者。追われた咎人。力を持て余した無頼。裏社会のあらゆる澱が、ここへ流れ込んでくる。そして、その理由を問えば——皆、判で押したように、同じことを言う。
あの王の下にいたい。理由は、それだけだ。
蔦漆は、それを、理解できなかった。
人が旗のもとに集うのには、道理がある。異能解放軍を見ろ。リ・デストロは「個性の解放」という大義を掲げ、その旗印のもとに、十一万を束ねた。人は、大義に酔い、大義のために集う。あるいは、金。あるいは、力の庇護。あるいは、恐怖による支配。——集団を束ねるものには、必ず、理由がある。求心の、核がある。
だが、僭帝には、それがない。
シュンカ様は、何も掲げていない。思想も、大義も、約束も。あの王は、集まってくる者に、何一つ、与えていない。「俺についてこい」とも言わぬ。「お前を守ってやる」とも言わぬ。そもそも——集まってくる者に、まるで、関心がない。
それどころか、あの王は、何も、求めていないのだ。
求めぬ王のもとに、なぜ、人が集まるのか。
蔦漆は、その問いを、帳簿の余白に、幾度も書きつけた。そして、幾度も、線を引いて消した。答えが、書けなかった。
彼は、分析を試みた。
力への畏怖か。確かに、シュンカの力は、絶対だ。英雄の全軍を、退けた。だが——違う。恐怖で人を集めるなら、その者たちは、怯えているはずだ。だが、門を叩く者の目には、怯えがない。あるのは、渇きが癒されたような、奇妙な、安らぎだ。
利か。ここにいれば、飯が食える、庇護が得られる。それもあろう。だが——名うての強者が、それだけのために、頭を垂れるものか。もっと、割のいい稼ぎ口など、いくらでもある。
では、何だ。
蔦漆は、考えあぐねて、ふと、思い当たった。
——もしかすると。あの王が、何も求めぬこと。それ自体が、理由なのではないか。
彼は、集まってくる者たちの、来し方を、思い返した。
皆、渇いていた。行き場がなく、居場所がなく、誰にも必要とされず、あるいは、誰かに、利用され、裏切られ、すり減ってきた者たち。裏社会とは、そういう場所だ。誰もが、何かを求め、奪い、奪われる。差し出せば、むしり取られる。心を許せば、寝首をかかれる。
そういう世界を、生き延びてきた者たちが。
あの王の前に立つ。
あの王は、何も求めない。忠誠も、貢ぎ物も、見返りも。ただ、そこにいる。隣の少女だけを見て、それ以外の一切に、無関心に。——だから、集まる者たちは、初めて、何も奪われない。何も要求されない。ただ、そこに、いていい。
渇いた者にとって。何も求めぬ王とは——己の渇きを、そのまま、受け止めてくれる、器なのだ。
あの空っぽの王の前でだけ。彼らは、奪われることを、恐れなくていい。
帳簿の桁は、その後も、増え続けた。
数百が、千を超え。千が、倍に届こうとしていた。門は、途切れることがなかった。
誰が触れ回ったわけでもない。誰が勧誘したわけでもない。ただ、風の噂が、渇いた者たちを、呼び寄せた。西に、何も求めぬ王がいる、と。その下でだけ、人は、奪われずにいられる、と。
求めぬ者のもとに、世界の方が、勝手に集まってくる。
蔦漆は、その現象を、目の当たりにしながら、ついに、それを、一つの数式には、還元できなかった。人の心は、彼の帳簿には、収まりきらなかった。
彼にできたのは、ただ、増えていく数を、書き留めることだけだった。
その夜。蔦漆は、最新の数を、エディに報告した。
「……増えたな」。エディは、報告書を一瞥して、低く笑った。「掃いて捨てるほど、湧いてくる。あの、無欲な我らの王のもとに。皮肉なもんだ」
「皮肉、か」
「求める奴のところには、集まらん。求めねえ奴のところに、集まる」エディは、窓の外の、闇を見た。「世の中ってのは、そういう風に、できてるらしい」
蔦漆は、その言葉を、帳簿の余白に、書きつけようとして——やめた。
それは、数字ではなかった。彼の、数える才の、外にあるものだった。
彼は、ペンを置き、ただ、増えていく組織の輪郭を、静かに、見つめた。
二つの巨人が、睨み合う、その一方で。何も掲げぬ王のもとに、渇いた者たちが、音もなく、集い続けていた。
その数が、やがて、二千を超えることに——蔦漆は、まだ、気づいていなかった。