空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第51話「逆鱗」

三つ巴編 第4話「逆鱗」

 

解放を叫んだ男たちが、たった一人の子供に頭を垂れている。

——その屈辱が、澱となって沈んでいた。

そして、東から流れてきた一つの毒が、その澱に火を点ける。

 

 異能解放軍の、末端の詰所。

 

 薄暗い一室に、数人の構成員が額を寄せていた。古参もいれば、血の気の多い若手もいる。共通しているのは、その顔に浮かんだ拭いきれぬ不満だった。

 

 「……なあ、おかしくないか」

古参の一人が、声を潜めた。

「俺たちは異能解放軍だぞ。個性を解き放ち、あらゆる鎖を断ち切る。それが、俺たちの掲げた大義だったはずだ。なのに」

 

 彼は、吐き捨てるように続けた。

 

 「今、俺たちがやってることは、何だ? たかがガキ一人が頭の組織に、媚びを売って、機嫌を窺ってる。不可侵だと? ——これが、異能解放軍の誇りか」

 

 周囲の数人が、重く頷いた。

 

 リ・デストロの通達は、末端まで行き渡っていた。僭帝には手を出すな。あの王を刺激するな。

首魁の言葉は絶対だ。だが、頭では分かっていても、腹の底の澱はどうにもならなかった。

 

 解放を掲げた軍勢が、一人の子供への恐怖という、これ以上ない重い鎖に、自ら繋がれている。その矛盾が、彼らの誇りを、じわじわと腐らせていた。

 

 「……でもよ」若手の一人が、身を乗り出した。声に、昏い熱がある。「聞いたか。東の噂だ」

 

 「東?」

 

 「ああ。裏のネットに、妙な話が流れてる。

 

——『僭帝の王を殺したくば、隣の少女を殺せ』」

 

 場の空気が、ぴくりと動いた。

 

 「どこの誰が流したのかは知らねぇ。だが、こいつが本当なら——」。

 

若手の目が、ぎらりと光った。

 

「あの王の強さは、全部、隣のあの女に繋がってるってことだろ。あの女が王の急所だ」

 

 「……つまり」。別の一人が、喉を鳴らす。

「あの女さえ消せば」

 

 「王は、ただのガキに戻る」

 

 誰かが、そう言い切った。

 

 詰所の空気が、一変した。不満という澱が、たった一つの噂を触媒に、行動の熱へと変わっていく。

 

 「考えても、みろ」。若手が、まくし立てる。

 

「あの女一人だ。あの女一人を消すだけで、僭帝は崩れる。あの化け物どもの根っこが枯れる。

——そうすりゃ、俺たちは誇りを取り戻せる。

子供に媚びる屈辱から、解放される」

 

 「だが……リ・デストロ様の命令は」

 

 「知るかよ、そんなもん」。若手は、鼻で笑った。

 

「首魁が動かねぇなら、俺たちが動く。成功すりゃ、誰も文句は言えねぇ。俺たちは異能解放軍の誇りを守った英雄だ」

 

 愚かだった。あまりにも愚かだった。

 

 彼らは、何も分かっていなかった。あの噂が、どれほどの地獄への引き金か。あの少女に手を出すことが、何を意味するのか。

——そして、その噂を裏に流した者が、どんな目的を抱いていたのか。

 

 誰も、知らなかった。

 

 東の、暗い場所で。人であることをやめようとしている男が、こう囁いていたことを。己が動けぬ間に、敵を削るための、静かな毒として。

 

 その毒が今、最も愚かな器に注ぎ込まれ、暴発しようとしていた。

 

 穏やかな、昼下がりだった。

 

 黒塗りの車が、街道を滑るように走っていた。

 

 後部座席にミカ。その両脇と助手席に、

セイレーン、チェイン、アル・カイド。

僭帝でも指折りの三人が、たった一人の少女のために、護衛についていた。

 

 セイレーンは、普段からミカの身の回りを世話する、数少ない女性幹部だ。同性ということもあり、ミカも彼女の前では、わずかに気を許す。

 

 「……べつに。あたし一人でも、平気だけど」。

ミカが、ぶっきらぼうに呟く。

 

 「いいえ、ミカ様」。チェインが、生真面目に応えた。「貴女に万が一があれば、我々の存在意義が、なくなりますので」

 

 アル・カイドは車内でひとことも口を開かなかった。仮面の奥から、ただ静かに、周囲の気配を探り続けている。我らが王がこの世で唯一、心を寄せる御方。その御身を守ることは

彼にとって祈りにも等しい聖務だった。掠り傷一つ、影さえも近づけてはならない。

 

 セイレーンもまた、窓の外に視線を走らせながら、静かに座っている。彼女の耳は、常人には聞こえぬ音の綻びを、拾い続けていた。

 

 ——その時だった。

 

 窓の外。空気が、歪んだ。

 

 次の瞬間、轟音とともに、何かが車を横合いから撃ち抜いた。車体が大きく傾ぎ横転しかける。

 

 待ち伏せ。複数の襲撃者。

 

 だが。

 

 その刹那、三人の動きは常軌を逸していた。

 

 チェインが、ミカを抱え込む。同時にセイレーンが、短く笛を吹いた。澄んだ音が空気を裂く。飛来する第二撃を放った襲撃者の照準が、ぐらりと狂う。狙いを見失った弾丸が、あらぬ方向へ逸れた。視神経を、乱されたのだ。

 

 そして、アル・カイドが車の外へ身を躍らせ——爆ぜた。

 

 三倍の爆炎が、迫る襲撃者の一団を、正面から薙ぎ払う。

 

 ミカの身体には、掠り傷一つ、付かなかった。三人の壁が、完璧に彼女を守り抜いた。

 

 砂塵が晴れる。

 

 チェインが、ミカを背に庇いながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

 その表情は——いつもの生真面目な仏頂面では

なかった。

 

 怒り。底冷えのする、怒り。

 

 「……今」。低い、地を這うような声。

「誰が、ミカ様に手を出した」

 

 セイレーンが、笛を口から離す。その目は、凍りついていた。普段の穏やかさはどこにもない。

 

 アル・カイドの、再生した肌の下から、

抑えきれぬ激発が噴き上がった。神が唯一、慈しむもの。その御身を汚さんとした。

——彼にとって、それは万物への冒涜に等しかった。

「我らが王の御物に、傷をつけようとは。……万死。いや、万死でも足りぬ」

 

 三人の全身から、殺気が立ち上る。それは、もはや護衛のそれではなかった。

 

——処刑人の気配だった。

 

 「セイレーン」。チェインが、短く言った。

「ミカ様を、すぐ城へ。最優先で」

 

 「……わかってる」。セイレーンの声は、低く震えていた、怒りで。「この子に、指一本。——絶対に、許さない」

 

 彼女は、ミカを庇うように抱き寄せながら、砂塵の向こうを睨みつけた。倒れ伏す襲撃者たちへ向ける視線は、氷のように冷たい。

 

 「城へ運んだら、こいつらのことは……存分に、話を聞かせてもらう」

 

 たった一つの愚行が、最も触れてはならない逆鱗に触れた。

 

 幹部たちの怒りは、すでに極限に達している。

 

 ——けれど、それすら前座に過ぎなかった。

 

 この報せが、奥の間に座る白い王のもとへ辿り着いた時。世界は初めて、本物の「終わり」を見ることになる。

 

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