三つ巴編 第5話「地の底」
地の底に、光は届かない。
——そこは、慈悲も届かない。
王の逆鱗に触れた者が、最後に辿り着く場所だった。
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襲撃者たちは、瞬く間に制圧された。
セイレーン、チェイン、アル・カイドの三人を相手に、勝てる道理がなかった。次々と沈められていく中、一人だけ、あえて生かして捕えられた者がいた。
「——情報源は、一つあれば十分だよ」
城へ戻ったのち、その一人が、地下へと引きずられていった。
僭帝の本拠の、最深部。陽の射さぬ、冷たい一室。
椅子に縛りつけられた男は、がたがたと震えていた。
目の前に、二つの影。
仮面の赫飛。そして、恍惚を隠さぬアル・カイド。——僭帝でも、とりわけ「触れていけない」二人だった。
赫飛が、腰の革袋から、手入れの行き届いた刃物を、一本、また一本と並べていく。趣味で、世界中から集めたコレクション。その手つきは優しく、丁寧で——それが、かえって男の背筋を凍らせた。
いつもの赫飛なら、この手の仕事は、面倒がって鼻歌まじりにやる。だが今日は、違った。仮面の奥の目に、笑いの色は一片もない。
「あのね」。赫飛の声は、凍てついていた。「僕ら、本当は、こういうの好きじゃないんだ。痛いの、可哀想だしさ。——でも、今日は別だ」
彼は、一本の刃を、指先で撫でた。
「君たち、ミカ様に手を出したろ。あの子に。——あの、優しい子に。指一本でも、触れようとした。それが、どういうことか。……たっぷり、教えてあげる」
アル・カイドが、うっとりと、けれど怒りに震える声で、歩み寄る。
「我らが王が、この世で唯一、慈しむ御方だ」。彼の声が、低く軋んだ。「その御身に、爪を立てんとした。——お前たちのしたことは、神を汚したに等しい。万死。いや、万死でも、足りぬ」
彼は、仮面の下で、静かに続けた。
「安心するといい。私は、痛みの専門家だ。自分の歯や眼球を、日常的にもいでいるからね。どこを、どうすれば、人がどれほど語りたくなるか。——熟知している。ゆっくりと、語ってもらおうか」
男の喉から、ひゅう、と、掠れた悲鳴が漏れた。
「さあ、始めようか」。赫飛が、一本の刃を手に取った。
——その後のことは。
地下の、重い鉄扉が語ることはない。
ただ、長い、長い時間。扉の向こうから、くぐもった音だけが漏れ続けた。そして、やがて、それも途切れて——静寂が落ちた。
扉が、開く。
赫飛が出てくる。刃を、布で拭いながら。
「——吐いた、よ。全部」
待っていたエディとチェインに、彼は告げた。
「異能解放軍の、はぐれ者だ。リ・デストロの命令じゃない。——裏のネットに、妙な噂が流れてたらしい。
『僭帝の王を殺したくば、隣の少女を殺せ』ってね。あの馬鹿ども、それを真に受けた。誇りだのなんだのって不満を溜めて、勝手に突っ走った」
その言葉を聞いた瞬間。
チェインの拳が、鈍い音を立てて、傍らの壁にめり込んだ。
「……ふざけるな」武人の声が、地を這う。「噂を、真に受けた。だと? そんな、下らん理由で。——あの方に、刃を向けたのか」
彼の全身から、抑えきれぬ怒気が立ち上る。普段の生真面目な仏頂面は、跡形もない。
「命令かどうかなど、どうでもいい」 チェインは、吐き捨てた。「意図があろうが、なかろうが。あの方が、襲われた。その事実だけで——万死に値する」
エディの眉間にも、深い皺が刻まれていた。彼は、腕を組み、低く唸る。
「不可侵を結んだ、直後にこれか。……リ・デストロは、知らんのだろうがな」冥王の声には、静かな、けれど煮えたぎる怒りがあった。
「組織の頭が、制御しきれん下っ端の暴走。だが、そんな言い訳が、通ると思うなよ。誰が流した噂だろうと、誰の命令でなかろうと——ミカ嬢に手を出した。その一点は、動かん」
「噂の出所は」チェインが問う。
「後で洗う」エディは、短く答えた。「趣味の悪い毒を撒いた奴がいる。そいつも、いずれ、地下に招く。——だが、今は」
彼は、天井を、奥の間のある方角を、見上げた。
「まず、ボスに報せる。ミカ嬢が、襲われたことを」
その報せは、最後に、奥の間へと届いた。
シュンカのもとへ。
幹部たちが、固唾を呑んで見守る中、エディが、慎重に口を開いた。——まず、伝えるべきは、順番だった。
「ボス。落ち着いて、聞いてください。……ミカ嬢は、無事です」
シュンカの視線が、ゆっくりと、本から上がった。
「掠り傷、一つ、ありません」エディは続けた。
「セイレーン、チェイン、アル・カイドが、完璧に守り抜きました。——ですが。移動中に、襲撃が、ありました」
「——ミカは、無事?」シュンカが、まず、それだけを問うた。
「はい。間違いなく」
シュンカは、ゆっくりと頷いた。そして。
「……そっか」彼の声は、凪いでいた。「——犯人は」
「異能解放軍の、はぐれ者です。リ・デストロの、命令ではない、と」
「……そうなんだ」
たった、それだけだった。
怒鳴りもしない。荒れもしない。ただ、淡々と、事実を受け止めた。——その、あまりの静けさに、幹部たちの背筋が凍った。
怒りに燃える自分たちより、遥かに——冷たい。怒りで我を忘れるシュンカなら、まだ、可愛げがある。本当に恐ろしいのは、こうして、凪いでしまった時だ。
シュンカは、本を静かに閉じた。そして、少しだけ、考えるように、瞼を伏せた。
「……みんな、怒ってくれてるんだね」ぽつり、と言う。「ありがとう。——でも」
彼は、赤い瞳を、開いた。そこには、何の熱もなかった。
「その話、続きはあとで聞かせて。——今は、ミカの顔を、見たいから」
彼は立ち上がり、奥へと歩いていく。襲撃者のことも、異能解放軍のことも、もう、頭にない様子だった。彼の世界はたった一人で回っている。
残された幹部たちは、互いに、顔を見合わせた。
怒りは、彼らの中で、まだ煮えている。だが王のそれは——怒りですら、なかった。ただ、事実を天秤に乗せただけ。その天秤がどちらに傾くのか。
11万の命の運命が、今、たった一人の子供の胸の内で、静かに、決しようとしていた。