空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第52話「地の底」

三つ巴編 第5話「地の底」

 

地の底に、光は届かない。

 

——そこは、慈悲も届かない。

 

王の逆鱗に触れた者が、最後に辿り着く場所だった。

 

---

 

 襲撃者たちは、瞬く間に制圧された。

 

 セイレーン、チェイン、アル・カイドの三人を相手に、勝てる道理がなかった。次々と沈められていく中、一人だけ、あえて生かして捕えられた者がいた。

 

 「——情報源は、一つあれば十分だよ」

 

 城へ戻ったのち、その一人が、地下へと引きずられていった。

 

 僭帝の本拠の、最深部。陽の射さぬ、冷たい一室。

 

 椅子に縛りつけられた男は、がたがたと震えていた。

 

 目の前に、二つの影。

 

 仮面の赫飛。そして、恍惚を隠さぬアル・カイド。——僭帝でも、とりわけ「触れていけない」二人だった。

 

 赫飛が、腰の革袋から、手入れの行き届いた刃物を、一本、また一本と並べていく。趣味で、世界中から集めたコレクション。その手つきは優しく、丁寧で——それが、かえって男の背筋を凍らせた。

 

 いつもの赫飛なら、この手の仕事は、面倒がって鼻歌まじりにやる。だが今日は、違った。仮面の奥の目に、笑いの色は一片もない。

 

 「あのね」。赫飛の声は、凍てついていた。「僕ら、本当は、こういうの好きじゃないんだ。痛いの、可哀想だしさ。——でも、今日は別だ」

 

 彼は、一本の刃を、指先で撫でた。

 

 「君たち、ミカ様に手を出したろ。あの子に。——あの、優しい子に。指一本でも、触れようとした。それが、どういうことか。……たっぷり、教えてあげる」

 

 アル・カイドが、うっとりと、けれど怒りに震える声で、歩み寄る。

 

 「我らが王が、この世で唯一、慈しむ御方だ」。彼の声が、低く軋んだ。「その御身に、爪を立てんとした。——お前たちのしたことは、神を汚したに等しい。万死。いや、万死でも、足りぬ」

 

 彼は、仮面の下で、静かに続けた。

 

 「安心するといい。私は、痛みの専門家だ。自分の歯や眼球を、日常的にもいでいるからね。どこを、どうすれば、人がどれほど語りたくなるか。——熟知している。ゆっくりと、語ってもらおうか」

 

 男の喉から、ひゅう、と、掠れた悲鳴が漏れた。

 

 「さあ、始めようか」。赫飛が、一本の刃を手に取った。

 

 ——その後のことは。

 

 地下の、重い鉄扉が語ることはない。

 

 ただ、長い、長い時間。扉の向こうから、くぐもった音だけが漏れ続けた。そして、やがて、それも途切れて——静寂が落ちた。

 

 

 

 扉が、開く。

 

 赫飛が出てくる。刃を、布で拭いながら。

 

 「——吐いた、よ。全部」

 

 待っていたエディとチェインに、彼は告げた。

 

 「異能解放軍の、はぐれ者だ。リ・デストロの命令じゃない。——裏のネットに、妙な噂が流れてたらしい。

 

『僭帝の王を殺したくば、隣の少女を殺せ』ってね。あの馬鹿ども、それを真に受けた。誇りだのなんだのって不満を溜めて、勝手に突っ走った」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 チェインの拳が、鈍い音を立てて、傍らの壁にめり込んだ。

 

 「……ふざけるな」武人の声が、地を這う。「噂を、真に受けた。だと? そんな、下らん理由で。——あの方に、刃を向けたのか」

 

 彼の全身から、抑えきれぬ怒気が立ち上る。普段の生真面目な仏頂面は、跡形もない。

 

 「命令かどうかなど、どうでもいい」 チェインは、吐き捨てた。「意図があろうが、なかろうが。あの方が、襲われた。その事実だけで——万死に値する」

 

 エディの眉間にも、深い皺が刻まれていた。彼は、腕を組み、低く唸る。

 

 「不可侵を結んだ、直後にこれか。……リ・デストロは、知らんのだろうがな」冥王の声には、静かな、けれど煮えたぎる怒りがあった。

 

「組織の頭が、制御しきれん下っ端の暴走。だが、そんな言い訳が、通ると思うなよ。誰が流した噂だろうと、誰の命令でなかろうと——ミカ嬢に手を出した。その一点は、動かん」

 

 「噂の出所は」チェインが問う。

 

 「後で洗う」エディは、短く答えた。「趣味の悪い毒を撒いた奴がいる。そいつも、いずれ、地下に招く。——だが、今は」

 

 彼は、天井を、奥の間のある方角を、見上げた。

 

 「まず、ボスに報せる。ミカ嬢が、襲われたことを」

 

 

 その報せは、最後に、奥の間へと届いた。

 

 シュンカのもとへ。

 

 幹部たちが、固唾を呑んで見守る中、エディが、慎重に口を開いた。——まず、伝えるべきは、順番だった。

 

 「ボス。落ち着いて、聞いてください。……ミカ嬢は、無事です」

 

 シュンカの視線が、ゆっくりと、本から上がった。

 

 「掠り傷、一つ、ありません」エディは続けた。

「セイレーン、チェイン、アル・カイドが、完璧に守り抜きました。——ですが。移動中に、襲撃が、ありました」

 

 「——ミカは、無事?」シュンカが、まず、それだけを問うた。

 

 「はい。間違いなく」

 

 シュンカは、ゆっくりと頷いた。そして。

 

 「……そっか」彼の声は、凪いでいた。「——犯人は」

 

 「異能解放軍の、はぐれ者です。リ・デストロの、命令ではない、と」

 

 「……そうなんだ」

 

 たった、それだけだった。

 

 怒鳴りもしない。荒れもしない。ただ、淡々と、事実を受け止めた。——その、あまりの静けさに、幹部たちの背筋が凍った。

 

 怒りに燃える自分たちより、遥かに——冷たい。怒りで我を忘れるシュンカなら、まだ、可愛げがある。本当に恐ろしいのは、こうして、凪いでしまった時だ。

 

 シュンカは、本を静かに閉じた。そして、少しだけ、考えるように、瞼を伏せた。

 

 「……みんな、怒ってくれてるんだね」ぽつり、と言う。「ありがとう。——でも」

 

 彼は、赤い瞳を、開いた。そこには、何の熱もなかった。

 

 「その話、続きはあとで聞かせて。——今は、ミカの顔を、見たいから」

 

 彼は立ち上がり、奥へと歩いていく。襲撃者のことも、異能解放軍のことも、もう、頭にない様子だった。彼の世界はたった一人で回っている。

 

 残された幹部たちは、互いに、顔を見合わせた。

 

 怒りは、彼らの中で、まだ煮えている。だが王のそれは——怒りですら、なかった。ただ、事実を天秤に乗せただけ。その天秤がどちらに傾くのか。

 

 11万の命の運命が、今、たった一人の子供の胸の内で、静かに、決しようとしていた。

 

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