三つ巴編 第8話「覚醒」
手術台の上で、怪物が目を開ける。
——恨み。怒り。劣等感。嫉妬。
*四つの炎が一つに溶けて、男は生まれて初めて、燃え尽きるほど満ちた。
——それが、偽物だとも知らずに。
暗い手術室の奥で、培養槽の液が弾けた。
死柄木弔が——目を開けた。
体に流れ込む力は、もはや人のものではなかった。AFOから受け継ぎ、改造で積み増した
無数の個性。進化した崩壊は、今や触れずとも
世界を腐らせる。
「……成功だ...」ドクターの声が、震えていた
「君はもう——AFOを超えた」
だが、その言葉は死柄木の耳をほとんど素通りした。
——ここまでの道は、地獄だった。
骨を、一本ずつ組み替えられた。
神経を焼いては繋ぎ直された。個性そのものを
幾度も引き剥がされ、増幅されまた埋め込まれた。培養液の中で、悲鳴すら上げられぬまま、彼は人であることを、少しずつ手放していった。
何度、意識が焼き切れかけたか、分からない。
それでも死柄木は耐えた。
なぜ、耐えられたのか。
目を閉じれば、いつでもあの光景が蘇るからだ。
——恨み。
あの日。まだ、AFOの膝下にいた頃。死柄木は、あの白いガキに掴みかかった。崩壊を叩き込んだ。だが、効かなかった。指先が、あの子の体に触れた瞬間、崩壊は何も起こさずに掻き消えた。
何もできなかった。
そして、そこへ先生が来た
「弔、やめなさい。年下になんてことをするんだ」
——先生は、あのガキを庇い自分を叱った。
力でも敵わず。庇われ、叱られた。あの二重の屈辱。
その記憶が、培養槽の中で憎悪の薪になった。
——怒り。
連合は崩れていった。AFOは討たれ、黒霧は消えた。柱を失い、仲間は去り、金も尽きた。
すべてが、指の間から零れ落ちていく。俺は
掴もうとするたびに失い続けた。
その渇きが怒りになった
——劣等感。
いつからか、誰もが俺をあのガキと並べて語った。
治崎も。ファナティカも。そして先生さえも
——「弔より、シュンカだ」誰も彼もが、二人を秤にかけ、そのたびに俺を下の皿へ置いた。
求めもしないくせに。あいつは、ただそこにいるだけで、力を、居場所を、寵愛を、何もかもを勝手に集めていく。俺が喉を嗄らして欲しがり
足掻いてなお届かないものを。あいつは、指一本伸ばさずに腕いっぱいに抱えている。
俺がどれだけのものを積み上げても。
世界は俺を見なかった。俺の隣には、いつもあの白いガキの影があって。
——比べられ、負け、また比べられた。
その、繰り返しが劣等感になった。
日に向かって。
——そして、嫉妬。
あのガキの、隣にはいつもあの少女がいた。
何なんだあれは。ただの女だろう。なのに、
あいつは、あの一人を宝物みたいに扱う。世界のすべてを差し出されても見向きもしないくせに、
あの少女のことだけは、何より大事にする。
……分からない。あんな女のどこがいいのか。
だが、分からないからこそ目が離せなかった。
あいつが、あれほど執着するもの。あいつの、
たった一つの弱点。——あれさえ奪ってやれば。
きっと、あいつは俺と同じになる。何もかもを失って、空っぽになる。そうすればようやく思い知らせてやれる。
あの少女が、あいつにとって何なのか。それを奪うことが、何を意味するのか。
——死柄木は、何一つ分かっていなかった。
ただ、あいつが大事にするものを、壊してやりたい。その衝動だけが嫉妬の名の下に燃えていた。
四つの黒い炎が、胸の奥で溶け合い、
一つの、白熱した核となる。
その核が、改造のあらゆる苦痛を耐え抜く燃料になった。
そして今。すべてが、終わった。
死柄木は、槽から這い出し己の手を見下ろした。
力が漲っている。指先まで鋼のような感覚。
世界のすべてが、手の届く距離にあるように錯覚させる。
その瞬間——死柄木の中で、何かが弾けた。
力と、憎悪が、完全に噛み合う。彼をかつてない高みへと押し上げる。視界が冴え、神経の一本一本まで、電流が通う。
——ハイ、だった。
生まれて初めて死柄木は「満たされた」
気がした。
「……ハ」。乾いた笑いが漏れる。
「ハハ。ハハハ……!!」
それは、歓喜ではない。安らぎでもない。憎しみが極まった果てに咲いた——歪んだ多幸感だった。
けれど、彼は気づかなかった。
あのガキは、誰かを愛して何も望まなくなったから、王になった。自分は誰にも愛されず
すべてを望んだから怪物になった。
同じ出発点。正反対の終着点。
あのガキの満ち足りた心は、愛でできている。
そして今、自分を満たしているこれは——憎しみでできている。
手術台の上で作り上げられた、満腹感。
それは、本物の充足とは、永遠に違う何かだった。
——だが、それを死柄木は知らない。知るすべを、持たなかった。
「待ってろよ、シュンカ」
死柄木は、立ち上がり掠れた声で呟いた。
「全部、奪ってやる。お前の仲間も。お前の王座も。——お前の隣のあいつも」
あいつを奪えば、きっと分かる。あいつと俺の違いが。なぜ、あいつだけがあの少女を手に入れたのか。
——奪っても、永遠に分からないということに
彼はまだ気づかない。
手術室の扉が、開く。
その気配に、連合の脳無が一斉に蠢いた。
死柄木の覚醒に、呼応するように。
覚醒した怪物が、己の軍勢を率いて歩き出す。
恨みで。怒りで。劣等感で。嫉妬で。
四つの毒を糧に死柄木は生涯最高の高みに立った。
その高みが、いかに脆い砂上のものであるかを
——彼は、まだ知らない。
二つの巨人が、剃刀の刃の上で睨み合う、その均衡へ。
三つ目の駒が、今動き出した。
愛で満ちた王と、憎しみで満ちた怪物が。
ついに、同じ盤の上で相見えるその日に向かって。