三つ巴編 第10話「盾」
頭脳は、北から漂う血の匂いを読んだ
——鏡像が、目を覚ます。
戦は、もはや避けられぬ。
けれど、王が案じたのは勝敗ではなかった。
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蔦漆は、常に風の匂いを嗅いでいる。
その鼻が北から漂う不穏な気配を捉えた。
いくつもの情報網が、同じ噂を運んでくる。
——ヴィラン連合の頭目、死柄木弔が何処かの施設で「改造」を受け、人でない何かへと覚醒しつつある、と。
蔦漆の、背中の触手がぴくりと強張った。
彼は即座に幹部を招集した。
「報告だ。死柄木弔が近く覚醒する。
AFOの技術を用いた改造を受けて、人間の限界を超えた怪物へと、生まれ変わるらしい」
幹部たちの表情が引き締まる。
「で?」。イズナが、気だるげに問う。
「それが、俺たちと、何の関係がある」
「大いに、ある」蔦漆は、きっぱりと言った。
「奴の、これまでの動向を洗った。死柄木は、この数ヶ月、執拗に、一つの対象を意識し続けている。——僭帝。いや、正確には。ボスとミカ様だ」
彼は集めた情報を並べていく。
死柄木が占領した版図。配置した戦力。そして、漏れ聞こえる、彼の言葉。「あいつを、超える」。「全部、奪う」——その、すべての矢印が、たった一つの方角を指していた。
南。僭帝の城を。
「奴の改造の目的は、明白だ。ボスを超え、すべてを奪うこと。——そして奴は、理解している。
ボスの唯一の急所が、ミカ様であることを」
蔦漆は声を低めた。
「結論を言う。——近いうちほぼ確実に戦争が起きる」
部屋が、静まり返る。
「相手はこれまでの雑魚とは訳が違う。AFOを超える、とも噂される、本物の災厄だ。生半可な備えでは、足を掬われる。——全員、最大級の警戒を怠るな。そして何より」
彼の視線が、鋭くなる。
「狙いは、十中八九、ミカ様だ。奴は正面からボスを倒すのが不可能だと分かれば、必ずミカ様を狙う。——護衛体制を、さらに引き上げる。
一瞬たりとも、あの方から守りを切らすな」
チェインの眼光が、鋭く光った。
「……ミカ様を狙う、というなら、話は早い。来るなら、来い。剣が断つだけだ」
エディが、低く笑った。
「ようやく、退屈しのぎになりそうな相手が来るか。——いいだろう。受けて立つ」
イズナが、煙を吐く。「ダリィ話になってきたなぁ。……ま、ボスの逆鱗に触れる馬鹿は、何人でも同じだ。叩き潰すだけだろ」
幹部たちの間に、緊張と、奇妙な昂揚が満ちた。
その、やり取りを。
奥で、シュンカは本を読みながら聞いていた。
死柄木弔。覚醒。改造。AFOを超える怪物。
狙いは、たぶん、ミカ。近いうちにほぼ確実に、
戦争。——そのすべてを。
「……そうか」
彼は、ページから顔も上げず短く応えた。
死柄木がどうとか。AFOを超えるとか。戦争が起きるとか。——正直どうでもいい。彼には、
その男が、どんなに強くなろうが、何の興味も湧かなかった。
ただ、一点。「狙いはミカ」——そこだけが、
彼の中の冷たい針を動かした。
シュンカは、本を閉じて、少しだけ考えた。
強いらしい。AFOを超えるらしい。
——なら、みんなに任せて、もし万が一、取りこぼしたら? その一回がミカに届いたら?
……それは、駄目だ。
蔦漆が言っていた。ミカが無事だったのは、
運が良かっただけだ、と。——もう運になんか、
預けない。確実じゃないものは、全部要らない。
なら、答えは簡単だ。
「——死柄木は、強いんでしょ」シュンカは、幹部たちを見た。
「みんなが負けるとは、思わないけど。『絶対』じゃない。……それじゃ困るんだ」
彼は、淡々と続けた。
「だから。——その死柄木は僕が相手する。それが、一番確実だから」
幹部たちが、息を呑む。
チェインが、即座に膝をついた
「シュンカ様。それはなりません。我々が、剣としてある限り、あなたが前に出る必要は——」
「ううん」。シュンカは、首を横に振った。
「君たちが強いのは、知ってる。でも、相手がAFOより強いなら、話は別だ。ミカの安全に、『たぶん、大丈夫』なんて、許せない。——一番確実な盾は、僕でしょ」
別に、死柄木と戦いたいわけじゃない。あいつが、僕を超えたい、とか。全部奪いたいとか。
——心底どうでもいい。勝手にすればいい。
ただ、あいつがミカに手を伸ばす。その可能性が、ゼロじゃないなら。——僕が出て、その可能性ごと、消す。それだけの話だ。
僕にとって死柄木は、「ライバル」でも「宿敵」でもなかった。——ただの、ミカに近づく障害物一つ。それ以上でも、以下でもない。
エディが、低く頷いた。
「……承知しました。では、我々は、あなたが心置きなく戦えるよう、周りを固めましょう。一匹の雑兵も、あなたの背後に回らせはしない」
幹部たちの目に、覚悟が宿る。王が、自ら前に立つ。——ならば、自分たちは、その剣に、盾に、なるだけ。
北で、怪物が目を覚まそうとしている。
奪うために、すべてを捨てた男が。
——けれど、その男を迎え撃つ王は、何一つ、意気込んでなどいなかった。
憎しみもなく。恐れもなく。武者震いすら、なく。ただ淡々と。「障害を、消す」それだけ。
愛を求めて、狂った男と。愛以外に、何も要らぬ王。
二人のAFOの子供が、ついに、同じ盤の上で、交わる。その日が——来る。
その戦の、一方には、生涯を懸けた憎悪が。
もう一方には——羽虫を払う程度の無関心が。
その、あまりに残酷な温度差を。死柄木は、
まだ知らない。