三つ巴編 第11話「祈り」
英雄たちは、盤面を睨んだ。
——最も強大な力が、最も安全であるという逆説に。
そして、気づいてしまう。
自分たちには、祈ること以外、何もできないことに。
---
対策本部。
地図の上には、三つの勢力圏が、色分けされていた。西に、愛知の異能解放軍。神奈川に、僭帝。そして、北。関東の上部に、新たに塗り足された、昏い一色。——ヴィラン連合。
「……整理しましょう」ホークスが、三つの領域を見渡した。
「死柄木弔が、改造で覚醒した。北の連合が、また、動き始めている。——だが、問題は、そこじゃない」
彼は、これまでの認識を、根本から覆すように、続けた。
「俺たちは、ずっと、僭帝を『最大の脅威』だと思ってきた。世界最強の、化け物の巣窟だと。——でも、本当にそうか?」
彼は、僭帝の領域を指した。
「あいつらは、倒れたヒーローを、追わなかった。自ら版図を広げようともしない。あの襲撃の時ですら、異能解放軍を皆殺しにできたのに、一度だけ、と許した。——気づいたんだ。僭帝は、社会を壊すことに、興味がない。あの王は、何も望んでいない。あの少女さえ無事なら、それでいい。つまり——こっちが、あの子に手を出さない限り、あいつらが動く理由は、一つもない」
会議室が、静まる。
エンデヴァーが、腕を組んだ
「……皮肉な話だ。世界で一番、強大な力が。世界にとって、一番、安全だ、というのか」
「ああ」ホークスは頷いた。「三つのうち、社会にとって一番マシなのは、間違いなく、僭帝だ」
「問題は」ベストジーニストが、北の一色を指した。「こっち、です」
ヴィラン連合。死柄木弔。
「あの男は、破壊と支配で、版図を広げてきた。あれは、社会そのものを壊すことが、目的だ。——そして今、AFOを超える怪物に、生まれ変わった。放っておけば、必ず、数え切れない命が失われる」
彼は、声を低めた。
「我々が、本当に立ち向かうべきは、僭帝ではなく——北の、あの災厄です」
ヒーローたちの、脅威の順位が、今、完全に書き換えられた。
最強の僭帝は、眠れる番犬。触れねば、動かない。北の怪物こそが、世界を喰らおうと、牙を剥く、本物の災厄。
「……で、だ」。ホークスが、羽根を落ち着きなく繰った。「一番、まずいのは。——この二つが、ぶつかる、ってことだ」
彼は、僭帝と連合の領域の間に、指を這わせた。
「死柄木の狙いは、僭帝です、あいつは、あの白い王を、超えたがってる。全部、奪いたがってる。——近いうちに、必ず、この二つは、激突する」
会議室の空気が、重く沈んだ。
「なら、俺たちは、どうする」エンデヴァーが、低く問う。「死柄木に、挑むか?」
「無理です」。ホークスは、即答した。「AFOを超えた怪物に、今の俺たちが勝てる道理は、ない。——あの城で、思い知っただろう。俺たちの力は、もうあの領域には、届かない」
沈黙。
誰も、反論できなかった。あの日、全戦力で挑んで、完膚なきまでに敗れた。その事実が、骨の髄に刻まれている。
「じゃあ、加勢するか。僭帝に」エンデヴァーが、おずおずと言った。
「それも、無理です」ホークスは、首を振った。「あの王が、俺たちの手なんか、借りるはずもない。そもそも、死柄木と渡り合える戦力が、こっちにはない。——加勢したくても、できないんだ」
止めることも、できない。助けることも、できない。
ヒーローたちに、残された道は、ただ一つ。
「……はっきり、言うぞ」ホークスの声が、掠れた。「俺たちは今、——僭帝に、勝ってもらわないと、本当にまずい」
その言葉に、誰も反論しなかった。皆、同じ結論に、辿り着いていたから。
もし、死柄木が勝てば。破壊と支配を撒き散らす怪物が、最大の歯止めだった僭帝を倒し、世界に野放しになる。社会は、文字通り、終わる。
もし、僭帝が勝てば。あの、何も望まぬ王は、きっとまた、城へ帰り、静かに眠る。世界は、少なくとも、今の形を保てる。
「……俺たちが、倒そうとした、あの子供に」エンデヴァーが、苦々しく呻いた。「世界の命運を、託すしか、ないというのか」
守護者たちは、今、祈るしかなかった。——どうか、あの悪役が、勝ちますように、と。
長い沈黙のあと。
緑谷が、俯いたまま、拳を握りしめていた。
「……何か、ないんですか」彼は、絞り出した。「僕たちに、できることが。何か、一つでも」
ホークスが、ふと、顔を上げた。
「……一つ、だけ。あるかもしれない」
皆が、彼を見る。
「戦うこと、じゃない。——あの白い王と、『話す』ことだ」
彼は、慎重に、続けた。
「もし、あいつが、社会の破壊を望んでいないなら。俺たちとあいつは、『死柄木を、野放しにしたくない』っていう、一点で、利害が一致する。——なら、敵として、じゃなく。話せる相手が、いるはずだ」
それは、か細い糸だった。けれど、力を失った英雄たちに残された、唯一の道でもあった。
八木が、痩せた手を、固く握りしめた。
あの日。全戦力で、あの城に挑んだ、あの敗北。——救えると思った子供に、救いを拒まれた。全ての前提が、間違っていた。あの誤読の悲劇を、二度と繰り返してはならない。
「……そうだな」八木は、静かに頷いた。「今度こそ、間違えない。力ではなく——言葉で。あの子の隣に、立てる誰かに、なる」
倒せない。勝てない。止められない。
英雄たちに残されたのは、祈ることと。——そして、届くかも分からぬ、一筋の言葉、だけ。
最も強い者が、最も穏やかであるという逆説。その王に、世界の命運を託して。
拳が届かぬなら——言葉は、届くのか。
戦えぬ英雄たちの、最後の武器は。もはや力では、なく。「対話」、だけだった。