空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第59話「秤」

三つ巴編 第12話「秤」

 

男は、二つの未来を秤にかけた。

 

——何も望まぬ王が、勝つ未来。

 

すべてを奪う男が、勝つ未来。

 

そして、後者を想像した瞬間、血の気が引いた。

 

 

 死柄木弔、覚醒。改造。AFOを超える怪物。

近く、僭帝と激突する——その報せは、愛知の異能解放軍にも届いていた。

 

 リ・デストロは、執務室で、報告書を睨みながら、焦っていた。

 

 まずい。二つの巨人が、ぶつかる。

 

 北の連合と、東の僭帝。AFOを超えたとも噂される怪物と、世界の英雄すら退けた王朝。その激突は、もはや「戦争」という言葉ですら、生ぬるい。災害だ。

 

 そして、彼は理解していた。三つ巴の盤上で、

二つが本気でぶつかれば——残る一つが、無傷で済む道理はない。

 

 「……火種は、間違いなく、こっちまで来る」

 

 彼は、低く呻いた。死柄木の崩壊は、触れた地面すら塵に変える。僭帝の化け物どもの力も、底が知れない。その余波が、我が版図に及ばぬ保証は、どこにもない。

 

 

 リ・デストロは、机に両肘をつき、指を組んで、思考の海に沈んだ。

 

 近く起こる、僭帝と連合の激突。

その結末を彼は冷静に二つに分けて想像した。

 

 もし、僭帝が勝ったなら。

 

 ——おそらく、我々に何も起こらない。

 

 彼は、あの王の本質を思い出した。

何も望まない。版図にも、支配にも、興味がない。ミカという、たった一人さえ無事なら、それで満足する子供。僭帝は、連合を退けた後、またあの静かな城へと帰っていくだろう。我々を、取り込もうとも、滅ぼそうともしない。こちらがあの少女に手を出さない限り。

 

 ……生き残れる。むしろ、最も平穏な結末だ。

 

 だが。

 

 もし——死柄木が、勝ったら?

 

 その想像に足を踏み入れた瞬間、リ・デストロの顔から、血の気が引いた。

 

 死柄木弔。あの男の本質は、僭帝とは正反対だ。破壊。支配。奪うこと。それ自体が目的の男。何も望まぬ王とは、違う。あいつは、すべてを望む。

 

 僭帝を倒した死柄木が、次に手を伸ばす先は——考えるまでもない。

 

 我々だ。

 

 異能解放軍も、破壊し、支配し、塵に変える。

いや、我々だけではない。この世界、そのものを、あの男は、恐怖と崩壊で塗り潰す。——僭帝という、最大の歯止めが消えた世界で。

 

 「……冗談じゃない」

リ・デストロは、掠れた声で呟いた。額に冷たい汗が滲む。

 

 彼は今、痛烈に悟った。

 

 ……我々は、恐れる相手を、間違えていた。

 

 僭帝は、最強でありながら、何も望まぬがゆえに、世界にとって最も無害な番人だった。

本当の脅威は——あの、すべてを欲しがる北の怪物の方だったのだ。

 

 ずっと、僭帝の逆鱗に怯えてきた。けれど、僭帝が倒れることこそが——我々にとって、世界にとって、最悪の悪夢なのだ。

 

 リ・デストロは、震える手で額を拭った。

そして、生まれて初めて——奇妙な願いが、胸に芽生えた。

 

 頼む。——勝ってくれ。あの何も望まぬ王よ。

 

 革命を掲げた男が今、たった一人の子供に、世界の命運を託そうとしていた。

 

 

 だが、その願いは、彼の中で、すぐに、次の問いへと変わった。

 

 ……ただ、祈るだけで、いいのか。

 

 リ・デストロは立ち上がり執務室を歩き回った。

 

 僭帝の勝利をただ待つ。息を潜めて、嵐が過ぎるのを願う。

——それは、あまりに受け身だ。確実でもない。もし、万が一僭帝が競り負けたら? その時、

我々は、何の備えもないまま死柄木の餌食になる。

 

 ならば。

 

 彼の脳裏に、一つの、大胆な考えが閃いた。

 

 いっそ——僭帝と手を組んで、共にあの怪物を叩くべきではないか?

 

 その発想は、最初彼自身を驚かせた。

けれど、考えれば考えるほど、それは理に適っていた。

 

 第一に。僭帝の勝利が、我々の生存に直結するなら。ただ祈るより、自ら、その勝利を後押しする方が、遥かに確実だ。死柄木という怪物を倒すのに、我が十一万の軍勢が加われば、僭帝の勝率は、間違いなく上がる。

 

 そして第二に。——これが大きい。

 

 あの襲撃。我が軍の馬鹿どもが、ミカを狙った、あの一件。それによって生まれた、僭帝との間の、深いわだかまり。「一度だけ」と許された、あの薄氷の関係。——もし、我々が、共に血を流して、死柄木と戦えば。

 

 その蟠りは、溶ける。「異能解放軍は、敵ではない」。それを、言葉ではなく、行動で証明できる。

 

 「……一石二鳥、か」。リ・デストロは、低く呟いた。

 

 生き残りと、和解。その二つを、同時に掴める。——これ以上の手は、ないかもしれない。

 

 もっとも、問題もあった。

 

 あの王が、我々の助けを、受け入れるか。シュンカは、何も望まぬ子供。「お前らの手など要らない」と、一蹴される可能性は、低くない。むしろ、先の襲撃を根に持っていれば、協力の申し出、自体を、疑われるかもしれない。

 

 そして——我が軍だ。誇り高き十一万が、「僭帝のために戦え」と言われて、素直に従うか。

 

 ……いや。だが、相手が死柄木なら、話は違うかもしれない。あれは、我々をも滅ぼす、共通の敵だ。「あの王に媚びる」のではなく、「我々自身のために、怪物を討つ」。——そう説けば、誇りを傷つけず、戦意を引き出せる。

 

 リ・デストロの胸の中で、天秤が、傾いていく。

 

 受け身で、怯えるだけの日々から。——自らの手で、運命を掴みにいく道へと。

 

 「……賭ける価値は、ある」。彼は、立ち上がった。落ち窪んだ目に、久しく失っていた覇気が戻る。「僭帝に、協力を打診する。——我が軍の、誇りと存続。その両方を、賭けて」

 

 恐れていた王の隣に立つ。それは、屈服ではなく——共に怪物を討つための、同盟だった。

 

 大義の男は今、最も意外な一手を、指そうとしていた。

 

 ——問題は、ただ一つ。何も望まぬ、あの王が。差し出された手を、取るのか。それとも、「いらない」の一言で、払いのけるのか。

 

それは誰にも——リ・デストロにすら読めなかった。

 

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