三つ巴編 第14話「私も戦える」
少女は、盤上に、自ら歩み寄った。
——私は、荷物じゃない。
守られるだけの日々に、彼女は静かに背を向けた。
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作戦会議の場に、ミカ自ら足を運んだ。
幹部たちが、姿勢を正す。シュンカの隣に在る少女。僭帝にとって、彼女はシュンカと同じだけ、守るべき存在だった。
「蔦漆」ミカは、盤面を見て、口を開いた。
「私が出す式神。もう、決めた。——グノスターと、リブラ。この二体よ」
蔦漆の、背中の触手が、微かに揺れた。
「……理由を伺っても?」
「グノスターは、蛾と蠍の、二体一組」
ミカは、淡々と答えた。
「蛾に乗れば、私は空にいられる。三キロ圏内を、
自在に保てる。そして、蠍のフォルテスが前で道を切り開く。——シュンカの力を常に発動させておくには、これが一番いい」
「なるほど。空の聖域と、前衛。理に適っています」。蔦漆は頷いた。
「では、もう一体。リブラを選んだのは?」
ミカの、瞳が、わずかに沈んだ。
「……死柄木は、改造を受けてる。何を溜め込んでるか、誰にも読めない。崩壊だけじゃない。AFOみたいに、いくつもの個性を抱えてるはず。何が飛んでくるか、分からない怪物よ」
彼女は、続けた。
「相手の手が読めないなら、一個一個、対策なんて立てられない。だったら——『何が来ても、捻じ曲げる』リブラしかない。崩壊にも、未知の個性にも、
『公平』で文句をつけられる。これ以上の、対抗札はないの」
「——待ってくれ」低い声で、話を遮ったのは、リ・デストロだった。
「概念を、捻じ曲げる? 崩壊に、文句をつける?。——それは、どういう意味だ。そんなことがあり得るのか」
無理もなかった。十一万を率いる男でも、聞いたことのない理屈だった。
ミカは、面倒くさそうにけれど律儀に口を開いた。
「リブラは、『公平』を建前に戦うの。——でも、その『公平』が、全部、インチキなのよ」
彼女は、例を挙げた。
「たとえば、あいつが不利なら、『公平にしよう』って言って、相手の力を、半分、奪う。囲まれたら、『公平にしよう』って、自分の分身を出して、同じ数にする。——あいつが『これが公平だ』と決めたら、世界の方が、それに従うの。力でねじ伏せるんじゃない。勝負のルールそのものを書き換える式神よ」
リ・デストロの眉が、微かに動いた。
「……それは、比喩ではなく」
「現実に、そうなるの」。ミカは頷いた。「あいつが口にしたことは、必ず『本当』になる。ただし——相手が、破滅する形で、本当にするだけ」
リ・デストロは、しばし、沈黙した。
強さを信奉し、力こそが理だと信じて生きてきた男にとって、その能力は理解の外にあった。
力比べですらない。土俵の形を変えてしまう狡知。
「……化け物、だな」彼は掠れた声で呟いた。
「いや。——これを操る、お前たちがだ」
彼の背に、冷たい汗が伝う。この子供たちが統べる夜は——男が知る、どんな力よりも底が知れなかった。
だが——シュンカだけは、リブラの能力になど、興味がなかった。
彼が見ていたのは、ただミカの沈んだ横顔だけ。
「……ミカ」シュンカが、静かに口を開いた。その声は、いつもの平坦さの中に、ほんの少し、違う色を含んでいた。
「リブラは、出さなくていい」
ミカが、彼を見る。
「あれは、ミカの傷だ」シュンカはまっすぐ
ミカを見ていた。
「世界は不公平だって、ミカがずっと抱えてきた……
一番、痛いところ。リブラを出すってことは、
それを、みんなの前でさらけ出すってことだろ」
彼は知っていた。ミカの式神が、彼女の傷の一つ一つであることを。中でもリブラは
——「公平なんて、強者が自分の不正を正当化するための嘘だ」
という、世界に踏み潰された子供の諦めそのものであることを。
「無理して、傷を開かなくていい。シュンカの声が、わずかに揺れた。
「死柄木なんて、僕だけで、やれるから。——ミカは、空で、ただ無事でいてくれれば。それでいい」
それは、シュンカにしては、珍しいほど、感情の滲んだ言葉だった。世界の何にも動じない王が、
たった一人のために、心を揺らしている。
ミカは、その言葉を、静かに聞いていた。そして——首を、横に振った。
「……ダメよ、シュンカ」
彼女の声は、静かで、けれど、揺るぎなかった。
「私、ずっと、あなたに守られてきた。寄心も、聖域も、盾も。——全部あなたが私を守るためのものだった。私は、その中でただ守られてるだけだった」
彼女は、シュンカを、まっすぐ見返した。
「でも、それじゃダメなの。守られっぱなしじゃ、ダメ。——私だって、あなたの隣で戦えるんだから」
ミカの瞳にこれまでにない強い光が宿っていた。
「リブラを出すのが、私の傷を開くことだって、分かってる。痛いのも、怖いのも、分かってる。
……でも、それが、あなたを守れるなら。私は開く。——あなたが、いつも私のためにそうしてきたみたいに」
シュンカは、言葉を失った。
いつも、彼が守ってきた少女。荒んで、他人を拒んでいた、あの子。それが今、自分の一番痛い傷を開いてでも、隣で戦うと言っている。
「私は、荷物じゃないの」ミカは微かに笑った。
「あなたの隣にいる。守られるんじゃなくて、一緒に、戦う。——それが私の選んだことよ」
シュンカは、しばらく、彼女を見つめていた。
そして——ゆっくりと、頷いた。
「……分かった。でも、一つだけ。
——もし、リブラの傷が君を飲み込みそうになったら、すぐ引っ込めて。その時は、僕が全部引き受けるから」
「うん」。ミカは頷いた。「約束する」
守る者と守られる者。その一方通行が——ほんの少し、対等な、二つの背中へと変わり始めていた。
リ・デストロは、そのたった二人の子供のやり取りを、呆然と見ていた。
国家を滅ぼす化け物を、八体も従える少女。あらゆる理を捻じ曲げる魔を、手札に持つ王。——その規格外の二人が、交わしているのは、ただ、互いを案じ合う、ささやかな言葉だった。
……敵に、回さなくて、本当に、良かった。彼は、心の底から、そう思った。
「——決まりね」ミカは、盤面に向き直った。
「私の式神は、二体。グノスターで、空と前衛。
リブラで、死柄木への備え。それが私の全部よ」
盤上に二つの王が伏せられる。
空を舞う蟲と、公平を騙る魔と。
守られるだけだった少女が、自ら最も危うい札を選び、盤上に立った。
あとは——幕が、上がるのを待つだけ。
史上最大の戦が、指呼の間に迫っていた。