三つ巴編 第17話「料金」
欲しかった力を、確かに手に入れた。
——その代わりに。
己の中で、何かが砕け散る音を、聞いた。
死柄木の全身が、光に包まれる。
骨が軋み、筋肉が膨れ上がり、肉体が作り変えられていく。
かつてUSJで、神野で、彼自身が相対した、あの全盛期のオールマイト。その圧倒的なフィジカルが——いや、それすら超える力が、死柄木の体に宿った。
力が漲る。指先まで鋼のような感覚。世界のすべてを握り潰せそうな全能感。
「……これだ」死柄木は、陶酔した。「これで、俺は——」
だが、その言葉は、最後まで続かなかった。
次の瞬間——体の奥で、何かが砕ける音がした。
一つ。二つ。——いや、何十。何百。
己の中に蓄えていた個性。AFOから受け継ぎ、改造で積み増した、無数の力。それが、音を立てて、剥がれ、砕け、霧散していく。
「……っ!? な——なんだ」死柄木が、喉を引き攣らせる。
「なんだ、これは。なんだ、なんだ——なんだ、これはァ!!」
自分の内側から、力が抜け落ちていく。あれほど積み上げた、あれほどの苦痛に耐えて得た、怪物の力が。指の間から零れる砂のように、消えていく。
崩壊すら——彼の代名詞、彼のすべてだった、絶対の超常すら。剥がれ、消えていく。
「やめ——やめろ! 何をした!! 俺の——俺の力が!!」
リブラは、恭しく頭を垂れた。
「——お客様。ご注文の品を、確かにお納めしました」
商人の声は、どこまでも穏やかだった。
「全盛期のオールマイトを超える肉体。ご覧のとおり、間違いなく、お渡ししております」
彼は、両手を広げた。
「ですから、公平に。——その料金として、あなたのお力を、九割、頂戴いたしました。これ以上なく、対等なお取引でしょう?」
死柄木の、震える手を見下ろしながら、リブラは続けた。
「ええ、ええ。約束は守りましたとも。あなたは確かに、オールマイトを超える肉体を、お手に入れた。——その代わりに。怪物ではなくなった。それだけのことです」
超人となった、代わりに。怪物では、なくなった。
死柄木は、自分の体を見下ろした。強靭な腕。鋼の肉体。だが、その内側は——空っぽだった。AFOを超えた、あの力は、もう、一割しか残っていない。
欲しがった。だから、奪われた。
「貴様ぁ……!!」
死柄木の口から、憎悪の咆哮が漏れた。だが、商人は、もう用はないとばかりに、すうっと後ろへ退いていく。
契約は済んだ。獲物は、骨抜きになった。
その一部始終を、空から見届けていたミカが——通信機に、鋭く告げた。
「全員、聞いて」
戦場の喧騒の中、その声が、味方に届く。
「リブラが、仕事をした。——死柄木の肉体は、オールマイト以上に強化された。けど、その代わり。あいつの個性、九割が破壊された」
彼女の声が、荒野を駆け抜ける。
「今の死柄木は——ただの、フィジカルお化けよ。AFOを超えた怪物は、もういない。残ったのは、一割。それだけ」
その報せが、戦場を走った。
恐怖の象徴。誰もが心の底で怯えていた、あのAFO超えの怪物が——戦いの前に、九割を失った。
異能解放軍の十一万が、雄叫びを上げる。僭帝の構成員が、声を張る。士気が、天を衝いた。
その勢いのままに。
脳無の群れの、最も分厚い一角に、エディが踏み込んだ。
207センチの巨躯。葉巻をくわえたまま、彼は、リミッターを外す。次の瞬間、その一撃が——脳無を数体まとめて、地平の彼方まで吹き飛ばした。
「役者不足だ」冥王は、静かに言った。「——出直して、来い」
その脇で、チェインが、脳無の群れに沈んで——いや、踊っていた。
一呼吸に、十三発。拳が、肘が、膝が、あらゆる距離を制する。当てるたびに、威力が積み上がっていく。十。五十。八十。——百。
「——弾けろ」
最後の一撃で、脳無の一団が、文字通り、爆ぜ飛んだ。
そして、脳無の海の、ただ中に。アル・カイドが、一人、立っていた。
己の歯を一本、口の中でもぎ、ふっと吹く。ダイナマイトの三倍の爆発が、脳無の群れを抉る。傷ついた端から再生し、また己を爆ぜさせる。
「祝福を。——存分に」
痛みを恍惚に変えて、狂信者は、脳無の海を、一人で割り続けた。彼の胸にあるのは、ただ一つ。我が王の征く道を、清めるという、聖なる務め。
単発の破壊力。武の極み。不死の爆弾。——それぞれの流儀で、幹部たちは、連合の軍勢を、圧倒していく。
数で勝る筈の脳無の群れが、一方的に、削られていった。
露払いは、蹂躙の様相を呈していた。
そして、その喧騒の、すべての中心を。
蠍の背に乗ったシュンカが、変わらず、静かに進んでいた。
脇目も振らず。士気にも、無双にも、興味を示さず。ただ、骨抜きになった怪物の方へ、一歩、また一歩と、近づいていく。
空の蛾が、それを見守る。地の蠍が、王を運ぶ。
死柄木は、痩せ細った己の手を見下ろし、そして——ゆっくりと近づいてくる、白い影を見た。
欲した果てに、空っぽになった器と。欲さぬがゆえに、満ちた王が。
その距離は、もう——すぐ、そこまで、縮まっていた。