三つ巴編 第18話「公平な決闘」
偽りの公平を司る魔が、真の姿を現す。
——ここからは、正々堂々。
けれど、その決闘に公平など一かけらもなかった。
退いていく商人の背が——ぐにゃりと歪んだ。
黒い外套が内側から膨れ上がり、引き裂かれ
剥がれ落ちる。
その下からせり上がってきたのは、四メートルを超える、山羊の頭を持つ、筋骨隆々の悪魔。
二本の角の間に天秤を掲げている。
夜の魔リブラ。その真の姿。
商人の慇懃さは、なおもその顔に張りついていた。悪魔は恭しく一礼する。
「それでは、お客様。——ここからは、正々堂々と公平に私と戦いましょう」
死柄木は、その巨躯を見上げた。
力の九割を毟り取られ、残ったのは、リブラが寄越した、借り物の肉体だけ。だが——それは全盛期のオールマイトを超える。ならば、と、死柄木は腰を落とした。
「……上等だ。山羊。崩壊が効かないなら——この体で直接ぶっ潰してやる」
四メートルの悪魔が相手でも、この肉体なら
届く。筈だった。
ところが。
リブラは、死柄木の構えを見て——困ったように、山羊の首を傾げた。
「おや。おや。これは困りましたねぇ」
悪魔は、さも残念そうに呟いた。
「お客様の肉体。——少々、強すぎます。これでは、私が一方的に不利。とても、『公平』とは言えません」
その瞬間、リブラの巨躯が——黄金に輝き始めた。
筋骨がさらに膨れ、光が全身を覆う。リブラの力が、死柄木の肉体と、寸分違わぬ高みまで、せり上がっていく。
「——これで対等。これで公平。さあ心置きなく、やり合いましょう」
死柄木の額に、青筋が浮いた。
(……は?)
(お前が。——お前が、俺を強化したんだろうが!!)
俺の個性を九割毟り取って、代わりに寄越した肉体。それが「強すぎる」から、自分も強化する、だと。——なら、最初から寄越さなければ良かっただろう。何の茶番だこれは。
声に出さなかったのは、最後の意地だった。乗せられて、たまるか。
だが——内心の叫びとは裏腹に、状況は、最悪だった。
己は、個性の九割を失い、残ったのは肉体だけ。そして、その肉体すら、今、目の前の悪魔が、完璧にコピーした。奪われ損ねた、だけ。——『公平』の名の下に、死柄木は、ただ九割弱くなって、元の木阿弥に引き戻された。
「公平な決闘です」リブラが、優雅に告げた。
「では、条件も、揃えましょう。——少々、お互い、身が軽すぎる。重力を三倍にいたしましょう」
ずん、と、世界が重くなる。死柄木の膝が軋み、地面にめり込みかける。
——だが。同じ三倍の重力を受けている筈の黄金の悪魔は、涼しい顔で立っていた。『同じ条件』の下で、地力の差だけが、剥き出しになる。それが
リブラの「公平」の本質だった。
重力の中、死柄木は、それでも喰らいついた。
借り物の肉体を振るい、黄金の山羊に拳を叩き込む。
だが、返ってくる一撃は重く死柄木の体に、深く傷が刻まれていく。
膝をつきかけた、その死柄木に——リブラは、心配そうに首を傾げた。
「おやおや。それは、お辛そうだ。——いけません。お客様に、無理をさせては、商売の名折れ」
悪魔の掌が、死柄木の傷に翳される。淡い光。——傷がみるみる塞がっていく。
死柄木は、一瞬安堵し——そして、凍りついた。
体の奥で、またあの音がした。砕ける音。
「治療の、お代を頂戴しました」
リブラは、にこやかに告げた。
「あなたの、残ったお力を——一つ、確かに、頂きましたよ。傷を治した分公平に、ね」
死柄木は、理解した。——そして総毛立った。
傷つけば、治される。治されれば、力が減る。減れば、また傷つく。また治される。また減る。
——終わらない。すべての道が、『公平』の名の下に、ただ一つの結末へ収束する。己がすり減り
何も残らなくなる、その一点へ。
「……やってられ、るか!!」
死柄木は、リブラに背を向けた。こんな茶番に、付き合っていられない。狙いは最初からただ一つ。
空の——ミカ。
あの女さえ、消せば。彼は、借り物の肉体で、地を蹴った。空へ、飛ぶ。あの、白い蛾の背へ。
——その、瞬間。
世界が、歪んだ。
飛んだ筈の死柄木の体が、ぐにゃりとねじれ、次の瞬間には——リブラの目の前に、引き戻されていた。まるで、そこから一歩も動いていなかったかのように。
「……なっ」
「いけませんねぇ、お客様」リブラが、静かに告げた。その声から慇懃さの奥の冷たいものが覗く。
「私は最初に申し上げたはずだ。『正々堂々』戦いましょうと」
悪魔は、天秤を静かに掲げた。
「これは、公平な、決闘。——ですから、私たちは、他の誰にも干渉できません。そして他の誰からも、干渉されません。逃げることも隠れることも
余所見をすることも——できない」
彼の声が、荒野に低く響く。
「あなたも。私も。——お互いにね」
死柄木は、慄然とした。
この山羊と、決闘の檻に、閉じ込められた。あの少女には、指一本、届かない。逃げることも、できない。ただこの茶番の中ですり減っていくことしか、許されない。
あの女を狙うというたった一つの目的すら
——『公平』の名の下に、完全に封じられた。
黄金の悪魔が、微笑みながら拳を構える。
その、出口のない檻の外を——白い王が静かに、近づいてくる。
もう、すぐそこまで。