空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第7話「夜祭り」

 

第七話「夜祭り」

 

夏の夜は、灯りで満ちていた。

提灯も、花火も、人の声も。

——なのに、世界で一番寂しかったのは。

その光の、ただ中だった。

 

 その夜、シュンカがめずらしいことを言った。

 

 窓の外、遠くから祭り囃子が聞こえていた。施設の壁の向こうで町が浮き立っている。蒸した夜気にどこかの屋台の匂いが混じって流れてくる。ミカが膝を抱えてぼんやりそれを聞いていると、隣で寝転んでいたシュンカが、ふと口を開いた。

 

「……ねえ、ミカ」

 

「ん?」

 

「夏祭り、——行ってみない?」

 

 ミカは振り返った。

 

 それは、何でもない一言のように聞こえた。けれど彼女は知っていた。シュンカが“したい”と口にすることがどれほど珍しいか。この少年は、生まれて一度も、自分から何かを望んだことがなかった。生存だけに費やされた空っぽの器に、“行ってみたい”という願いが芽吹く余地など、なかったはずなのに。

 

 その願いが今、彼の口から、ひとりでに零れ落ちていた。

 

 そして——彼がその言葉を口にした、まさにその瞬間。

 

 シュンカが、ふいに胸のあたりに手を当てた。

 

「……?」。彼は少し、不思議そうな顔をした。

 

「どうしたの」

 

「いや。——なんか心臓が変な動きした」

 

 彼は、それ以上は気にも留めずすぐに手を下ろした。妙に穏やかに脈打つ鼓動を、一度だけ確かめるように。ミカにもそれが何なのかわからなかった。ただ、シュンカが胸を押さえたその一瞬がなぜかやけに心に残った。

 

 二人は、職員の目を盗んで夜の町へ出た。

 

「行こう」と言ったのはシュンカのほうだったのにいざ歩き出すと、彼はあいかわらず気だるげで何を見ても「ふうん」としか言わなかった。屋台の光にも、水あめにも、金魚にも、興味を示さない。それでもミカが立ち止まれば立ち止まり、歩けば歩いた。彼が見たかったのはたぶん祭りそのものではなかった。

 

 ミカの横顔は、いつもより少しだけ、やわらかかった。

 

 ——けれど。

 

 祭りの中心に近づくほど、人が増えていった。

 

 浴衣の群れ、子供の歓声押し合う肩と肩、提灯の赤い光が無数の知らない顔を照らしている。誰も彼女を知らない。誰も彼女を見ていない。賑わいは、彼女の外側だけで渦を巻いて、内側には一歩も入ってこなかった。

 

 ミカの足が、止まった。

 

 おかしいと思った。隣にシュンカがいる。なのに、なぜか、急に心細くなっていく。これだけの人がいて、これだけの光があって、これだけ賑やかなのに——いや、賑やかだからこそ。自分だけがこの熱の輪の外にいる気がした。みんなが当たり前に持っているものから自分だけが弾かれている。その感覚が胸の底の、一番古い穴を、そっと押し広げた。

 

 お前は要らない子だとささやく声がする。捨てられた夜のあの声が。

 

「……っ」

 

 胸の奥がざわついた。久しく凪いでいたはずのあの感覚。黒いものがせり上がってくる。

 

「やだ」。ミカは咄嗟に後ずさった。「待って。——出てきちゃう」

 

「ミカ?」

 

「離れて、シュンカ。私今——人が、多すぎて。寂しくて。止められない——」

 

 声が、震えた。なぜ今なのか自分でもわからなかった。隣に世界で一番安心できる相手がいる。なのにこれだけの人混みの中では、その一人ですら寄せては返す群衆の海に押し流されてしまいそうだった。一人だという古い恐怖が賑わいに煽られて、膨れ上がっていく。

 

 堰が、切れた。

 

 彼女の足元から、地面の影が、際限なく広がり始めた。

 

 提灯の赤い光が、一つ、また一つと、闇に呑まれて消えていく。祭り囃子が遠ざかる。蒸していた夜気が、急速に冷えていく。人々が、異変に気づいて、悲鳴を上げ始めた。

 

 その闇の中心から——立ち上がる。

 

 王冠を戴いた漆黒の甲冑。巨大な大剣を携えた騎士。八体の中で最強。すべての夜の始まり。原初の夜の王。

 

 悲鳴すら間に合わなかった。

 

 騎士の出現とともに、闇が無際限に広がっていく。触れた端から、祭りの灯りが消え、人々の足がもつれ、次々と崩れ落ちていく。賑わっていた夏の夜が、一瞬で、終末の気配に沈んだ。この闇は留まらない。やがて町も国も呑み込む。

 

 そして——その闇は誰よりも先に、生みの親を求めた。

 

「シュンカ……っ」

 

 ミカの足元から闇が立ち上り、彼女自身を絡め取り、深淵の底へと引きずり込んでいく。寂しさが生んだ怪物が、一番寂しかった少女を、真っ先に呑み込もうとしていた。

 

「シュンカ! ——来ちゃ、だめ! お前まで呑まれる! 逃げ——」

 

 声が、闇に掻き消える。

 

 遠ざかる意識の中で彼女が最後に見たのは、崩れ落ちた人々と、消えていく祭りの光とその縁にただ一人、立ち尽くす白髪の少年の姿だった。

 

 逃げて、と願った。

 

 お前だけは巻き込みたくない。お前だけは失いたくない。——なのに心の一番底では矛盾した声が叫んでいた。

 

 来て。お願い。一人にしないで。

 

 その願いを飲み込むように夜がら彼女を呑んだ。

 

 遠い夜空で誰もいなくなった祭りの上に、花火が一つ虚しく咲いて——消えた。

 




エルデンリングナイトレインより 原初の夜の王 ナメレスをお借り致しました
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