三つ巴編 第20話「分からないんだ」
男は、生涯をかけて、問い続けた。
——なぜ、お前ばかりが。
その答えを、王は、持っていなかった。
ただ、静かにこう答えた。「分からないんだ」と。
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膝をついた死柄木の前に、シュンカが立っていた。
残り滓となった男と、満ち足りた王。二人の距離は、もう、手を伸ばせば届くほどに縮まっていた。
死柄木は震える声で、顔を上げた。その赤い目に、涙とも憎悪ともつかぬものが滲んでいる。
「……なあ」掠れた声だった。「なんで、だよ」
シュンカは、黙って見下ろしている。
「なんで、お前なんだよ。俺は全部やった。強くなろうとした。認められようとした。人であることさえやめた。……なのに、何一つ、手に入らなかった。先生も、仲間も、力も、何もかも指の間から零れていった」
彼の声が、荒野に響く。
「なのにお前は。——何も、望んでないくせに。何も、欲しがってないくせに。なんで、全部持ってるんだよ。力も、玉座も、傅く連中も、隣のあの女も。——なんで、お前ばっかり、全部、持ってるんだ!!」
それは、彼が生涯をかけて、問い続けた叫びだった。世界のすべてに向けた、答えのない問い。
シュンカは、その問いを、静かに聞いていた。そして——少し、考えるように、瞼を伏せた。
やがて、彼は口を開いた。
「……分からないんだ」
死柄木の呼吸が、止まった。
「分からない」シュンカは、繰り返した。その声に、嘲りも、勝ち誇りも、何もなかった。ただ、本当に分からないだけだった。
「僕は、何も欲しがったことがない。集めようとも、思ったことがない。……気づいたら、みんな勝手に集まってきた。なんでなのか、僕にも分からないんだ」
彼は死柄木を見た。何の感情もない凪いだ赤い目で。
「君が、何をそんなに欲しがってるのかも。……正直、よく分からない」
その言葉は——死柄木の心臓を、真正面から、貫いた。
嘲笑なら、まだ良かった。見下されたなら、憎み返せた。だが、これは
——違う。この男は、俺を憎んでさえいない。眼中にすらない。俺が生涯をかけて焦がれ、憎んだ相手は。——俺のことなど、一度も、考えたことがなかった。俺の渇望の意味すら、分かっていない。
一方通行だった。
俺の憎しみは、最初から最後まで、この男には、一文字も、届いていなかった。
「……ふ、ざけるな」
死柄木は、立ち上がった。借り物の肉体が、軋みを上げる。全盛期のオールマイトを超える、その膂力を、彼は、渾身の力で、握りしめた。
まだだ。まだ終わってない。この体がある。この、オールマイトを超える体で、あいつを、一発でも——一発でも殴れれば。
「うおおおおおおおッ!!」
死柄木は、地を蹴った。残ったすべてを込めた、渾身の一撃。その拳が、シュンカの顔面へと、叩き込まれる。
——何も、起こらなかった。
拳は、確かに、シュンカに触れた。だが、シュンカの体は、揺らぎもしない。傷一つ、つかない。髪の一筋すら乱れない。
不変。傷つくという事象が、そもそも、彼の周りには存在しない。
全盛期のオールマイトを超える一撃。改造の苦痛に耐え、人であることをやめて得た力。リブラに毟られ、それでも最後に残った、渾身の拳。——そのすべてが、何も、起こさなかった。
死柄木は、悟った。
……戦いにすら、なっていない。
最初から、勝負など存在しなかった。俺が何をしようと、この餓鬼には
届かない。改造も、力も、この一撃も——全部無意味だった。俺はあいつと、
全力で戦うことすら、許されなかった。
「……あ」死柄木の喉から、掠れた声が漏れる。
「そんな……そんな、こと……」
絶望が、彼の顔を覆った。
シュンカは、ゆっくりと腕を上げた。
特別なことは、何もしなかった。ただ、腕を、一振りする。羽虫を、払うように。
その瞬間、彼の前の空気が——止まった。
時間を、止められた大気。もはや、いかなる力でも歪まず、砕けぬ、絶対の不変。それが、刃となって押し出される。
音もなく。
時を止めた空気の刃が、死柄木の体を——断った。
死柄木は、最後に、シュンカを見た。
絶望に濡れた、赤い目で。憧れて、憎んで、追いかけて、そして——一度も、振り向いてもらえなかった、その男を。
「……ずる、いだろ」それが最後の言葉だった。「なんで……お前、ばっかり……」
答えは、返らなかった。
シュンカは、ただ、静かに、それを見ていた。憎しみもなく。憐れみすら、なく。ただ、一つの障害が、取り除かれた。それだけの、顔で。
死柄木弔が——崩れ落ちる。
欲した果てに、何も掴めなかった男の、生涯が。誰にも見届けられることなく、荒野の塵へと、還っていった。
その、最期を。
少し離れた場所から、連合の残党が、見ていた。
トガヒミコが、両手で口を覆っていた。その大きな目から、涙が、零れ落ちる。
「……弔くん」彼女は、掠れた声で呟いた。
「かわいそう。……あんなに、頑張ったのに。あんなに、欲しがってたのに。……誰にも、好きって、言ってもらえなかったね」
荼毘は、冷めた目で、それを見て——ふい、と、視線を逸らした。「……馬鹿な奴だ。あそこまでして、あの様か」呆れた声。だが、その拳は、微かに握られていた。
コンプレスも、トゥワイスも、言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。
そして——スピナーだけが。
「……死柄木」
地に、膝をついた。
「死柄木ィ……!!」
慟哭が、荒野に響いた。
誰にも理解されない王を、俺だけは信じる。そう誓った男が、その信じた背中の、最期を見た。届かなかった。何も、届かなかった。あの忠義も、この叫びも——死柄木には、最後まで届かなかった。
スピナーは、地に伏して泣き続けた。
皮肉なことだった。
死柄木は、最後まで「誰にも愛されなかった」と信じて、逝った。だが——ここに、彼を悼む者がいた。彼のために泣く者が、確かにいた。
ただ彼は。それに気づけないまま逝った。
求めても、掴めなかった男。すぐそばに差し出されていた、ささやかな想いにすら——気づけなかった男。
その死を、たった数人が、悼んでいた。
荒野の夜が、静かに、更けていく。