第71話「使者」
夜明け編 第1話「使者」
倒せぬ王と、どう向き合うか。
——ある者は、言葉を交わすために。
ある者は、隙を探るために。
同じ「対話」という言葉が、二つの思惑を隠していた。
三つ巴の戦から、月日が流れた。
僭帝は、異能解放軍を呑み込み、全国へと版図を広げ、今や、構成員二十万を数える巨大な存在となっていた。日本の中に、もう一つ、国家が生まれたようなもの。誰も、それを倒せない。潰せない。無視もできない。
その対応を巡って、政府とヒーローたちは、幾度も頭を突き合わせていた。
対策本部の、会議室。
「——結論から言おう」八木俊典が、痩せた背をまっすぐに伸ばした。
「私は、あの王と対話すべきだと、考えている」
室内が、ざわめく。
「対話、ですか」若い官僚が眉を寄せた。「相手は、二十万の犯罪組織ですよ」
「分かっている」八木は、静かに頷いた。
「だが、我々は、あの城で思い知った。力ではあの王に届かない。全戦力を挙げても、勝てなかった。——ならば、残された道は一つだ。言葉を交わすこと。あの子が、何を望み、何を望まないのか。それを知ることから、始めるしかない」
彼の隣でホークスが頷いた。「同感だ。あの王は、社会を無差別に壊しちゃいない。理由もなく、暴れてもいない。——ってことは、話が通じる余地が、あるはずだ。少なくとも、試す価値はある」
エンデヴァーも、腕を組んだまま低く言った。
「……気は進まん。だが、他に手がないのも、事実だ」
ヒーローたちの意見は、対話へと傾いていった。それは、力の敗北を認めた上での、苦渋の——しかし、誠実な選択だった。今度こそ、間違えない。力ではなく、言葉で、あの子に向き合う。
だが。
同じ部屋の公安のトップと、幾人かの官僚は少し違う顔をしていた。
「……対話には、賛成です」公安のトップが、慎重に口を開いた。
「ですが、我々は忘れてはならない。あれは、この国の秩序を、根底から脅かす存在だ。二十万。国家に匹敵する。放置すれば、いずれ我々の統制の外へ出ていく」
彼の言葉は、穏やかだった。だが、その奥に別の温度があった。
「対話は必要だ。だが——それはあくまで、相手を知るため。あの組織が、何を考え、どこに弱点を抱えているのか。それを探る機会でもある」
八木の眉が、微かに動いた。
「……公安。それは、対話ではなく、偵察のことを言っているのか」
「人聞きの悪い言い方は、よしてください」公安のトップは、薄く笑った。
「私は、国の安全を考えているだけです。倒せぬのなら、せめて御する術を探る。それが、我々の務めでしょう。——あなた方ヒーローの理想も結構ですが。現実は、そう甘くない」
室内に、微妙な空気が流れた。
同じ「対話」という言葉を口にしながら。ヒーローは、言葉を交わすために。国家は、隙を探るために。——その思惑は、既に静かにずれ始めていた。
だが、今はまだ。表向きは、一つの方針の下に、彼らは動く。倒せぬ王への、対話の申し入れ。その一点で、両者は手を組んだ。
こうして、僭帝へと、使者が送られた。
僭帝の城。
「報告だ」蔦漆が、集まった幹部たちの前に、一通の書状を掲げた。
「ヒーロー側から、正式に対話の申し入れが来た。政府とヒーロー連合の、連名でだ」
幹部たちの反応は、様々だった。
「今さら?」イズナが、けだるげに煙を吐いた。
「こっちを潰そうとしといて。負けたら、今度は話し合い、ときたか。都合のいい連中だ」
「罠の可能性は?」チェインが、鋭く問う。
「対話と称して、ボスや、ミカ様に危害を加える腹積もりかも、しれん」
「あるだろうな」蔦漆が頷いた。
「特に、政府の連中は、腹の底が読めん。ヒーローは、存外、本気で対話を望んでいるようだが。——後ろの官僚どもは、別の思惑を抱えていると、見た方がいい」
エディが、葉巻をくゆらせた。「で。どうする。無視するか。それとも、応じるか」
視線が、奥のシュンカへと集まった。
シュンカは、本を読んでいた。
対話。ヒーロー。政府。——正直、どうでもよかった。彼らが、何を話したがっているのか。興味も湧かない。
「……別に、どっちでもいいよ」彼は、ページから顔も上げず、呟いた。
「向こうが、話したいなら、聞くだけ聞く。——ミカに手を出さないなら、それで」
その、いつもの無関心。
だが、蔦漆は、少し考えた。そして、口を開いた。
「では、応じましょう。ただし——こちらの条件で」
彼は、幹部たちを見渡した。
「会談の場所は。——この城とする。この城とする。向こうから、出向いていただく」
「城で?」セイレーンが、首を傾げた。「わざわざ、敵を招き入れるのか」
「それがいい」蔦漆は揺れた。
「第一に、こちらの庭であれば、警備も対応も万全だ。妙な真似は、させん。第二に——政府に、格の違いを思い知らせる。国家が、一組織の本拠へ、足を運ぶ。その一事で、どちらが上か、会う前から決まる。飲めば屈辱。飲まねば対話はなし。——どちらでも、こちらの損にはならん」
エディが低く笑った。「……なるほど。用心と示威を兼ねる、か。悪くない」
「ボス。それでよろしいか」蔦漆が問う。
シュンカは、本をめくりながら、頷いた。
「うん。好きにして。——僕は、いつも通りだから」
こうして、条件は決まった。
倒せぬ王への、対話。
言葉を交わすために来る者と。隙を探るために来る者と。二つの思惑を乗せた使者が、城の門をくぐる日が、近づいていた。
そして、それを迎える王は。相変わらず、何一つ気負っていなかった。
対話が、何をもたらすのか。希望か、破滅か。——それを、まだ誰も知らない。
夜明けの前の、最も暗い夜が。その、最初の頁を、めくろうとしていた。