夜明け編 第3話「摘む手」
子供を、一人、殺す。
——それを彼らは「安全保障」と呼んだ。
英雄たちは吼えた。「言葉を、飾るな」と。
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会談から、幾日か後。
ヒーローたちは、再び、対策本部へと招集された。だが、その空気は、以前とは違っていた。招集をかけたのは、公安。そして、議題は——伏せられていた。
席に着いたのは、大人たちだけだった。オールマイト、エンデヴァー、ホークス、ベストジーニスト。若いヒーローや、生徒たちの姿は、ない。
学生や若手たちを、この場に呼ぶ気は、なかった。——これから話されることが、あまりに汚れていると、予感していたから。汚れ仕事は、大人が被る。それが、
彼らの、せめてもの矜持だった。
公安のトップが、重い口を開いた。
「——単刀直入に、申し上げる。政府は、僭帝への対処方針を、決定した。
ご協力を、いただきたい」
「対処、とは」ベストジーニストが、静かに問う。
公安のトップは、一拍置いた。そして告げた。
「あの少女——ミカを。排除する」
室内の空気が、凍った。
「……何を、言っている」ホークスの声が、低く掠れた。
「根拠は、ある」官僚が、資料を示した。
「かつて、我々が掴んだ情報だ。——『僭帝の王を殺したくば、隣の少女を殺せ』。あの王の力の源、あるいは命綱は、あの少女に結びついている。ミカを排除すれば——シュンカも、共に機能を停止する。倒せぬ王を無力化する唯一の道だ」
その情報の出所を、彼らは詳しく語らなかった。だが——それは、かつて、死柄木弔が、シュンカへの憎悪から流したものだった。死んだ怪物の、遺した憎しみの一滴。それが今国家の手に渡り、少女の喉元へと向けられていた。
「あの組織は、制御できない」公安のトップが続けた。
「二十万。国家に匹敵する。そして、頂点の王は、何も望まぬがゆえに、いかなる取引にも応じぬ。手綱のかけようがない。放置すればいずれ——この国は、あの王の気まぐれ一つで、滅びかねん。ならば、今。芽のうちに」
「だから、子供を殺すというのか」
オールマイトの声が、腹の底から響いた。
彼は、立ち上がっていた。痩せた体を、震わせながら。その目に、めったに見せぬ怒りが、燃えていた。
「聞け。——それは、暗殺だ。安全保障でも、対処でもない。子供を、一人闇討ちで殺すという話だ。言葉を飾るな」
「オールマイト……」
「ありえん」彼は、断じた。
「我々は、ヒーローだ。子供を守る者だ。その我々が、子供の暗殺に、手を貸す。——そんなことが、許されるか。世間が、許すと思うのか。露見すれば、この国の正義は地に堕ちる。ヒーローという、存在そのものが終わる」
エンデヴァーも、拳を握りしめた。
「それに——正気か。暗殺で、あれが止められると、本気で思っているのか。もし、しくじれば。あの王の逆鱗に、触れたら。——この国は、終わりだぞ。お前たちは、眠れる獅子の髭を、抜こうとしている」
ホークスの声には、幻滅が滲んでいた。
「……俺は、公安に近いところにいた。だから、言う。俺たちは——こんなことのために、この力を使ってるんじゃ、ない。身内が、こんな卑劣に走るのを。黙って、見過ごせと言うのか」
ベストジーニストが、静かに、しかし鋭く、締めくくった。「そもそも——筋が、通らん」
彼の言葉に、一同が、視線を向ける。
「思い出せ」ベストジーニストは、冷ややかに続けた。
「ファナティカを、誰が倒した。神野の、あの怪物を。我々ヒーローが、束になっても届かなかった、あの敵を——倒したのは、シュンカだ。死柄木を。世界を滅ぼしかねなかった、あの災厄を止めたのも——あの僭帝だ」
室内が、静まる。
「我々は、手に負えぬ脅威の後始末を。事実上、あの子たちに押し付けてきた。させておいて。その恩恵に、あずかっておいて。——脅威が去った途端。今度は、その救い手を恐れて、暗殺する、だと。しかも子供を狙って」
彼の、目の奥が光った。
「恥を知れ。それが人のすることか」
オールマイトの胸に、その言葉は、深く突き刺さった。——そうだ。我々は、あの子に、世界を背負わせた。ファナティカも、死柄木も。本来、大人が、ヒーローが、なんとかすべきだった。それを、あの子に託した。その罪を、抱えている。
なのに——その上。あの子の唯一の拠り所まで。奪おうというのか。託した罪を、返すどころか。その最後の宝まで。
「……断る」オールマイトは、静かに、しかし揺るぎなく告げた。「我々は、この計画に、協力しない。断固として。——これは、ヒーローのやることでは、ない」
だが。
公安のトップは、俯いたまま、しばらく沈黙し——やがて、絞り出すように言った。
「……あなた方の、仰ることは。分かる。正論だ。倫理として、間違っている。それも、分かっている」
彼の顔にも、苦悩があった。彼とて、好んで、子供を殺したいわけではない。
ただ——恐怖が、あった。制御できない、巨大な力への、為政者としての恐怖。国を預かる者としての、責任。その重圧が、彼をこの暗い決断へと、追い詰めていた。
「だが——では、聞く。あの倒せぬ王を。どうする。共存? あの王の、気の向くままに。国の命運を、預けろと? 明日にでも、あれが牙を剥いたら。誰が、責任を取る。あなた方の理想が、国を守ってくれるのか」
彼は、顔を上げた。その目には、恐怖と、決意が、入り混じっていた。
「……協力は、いただけずとも。政府は、進める。これは、決定事項だ」
オールマイトたちの反対を。国家は、押し切った。恐怖が、正論を、飲み込んだ。
こうして、暗殺計画は——ヒーローの、断固たる反対を、押しのけて動き出した。
英雄たちは、吼えた。だが、止められなかった。彼らの正義も、怒りも、恩義への訴えも。恐怖に駆られた国家の歩みを、止めるには、至らなかった。
子供を、一人、殺す。
その、あまりに卑劣な一手が。今、静かに、少女の喉元へと、伸び始めていた。
止められなかった、という無力感を、抱えて。オールマイトは、拳を握りしめる。
——必ず、防いでみせる。あの子には、指一本、触れさせない。
だが、その決意が、間に合うのか。
夜明け前の闇は、なお深く。最も昏い刻が、近づいていた。