空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第81話「3キロの距離」

夜明け編 第11話「三キロの距離」

 

引き金を引く指に、善悪はない。

 

——ただ、追い詰められた者の、震えがあるだけだ。

 

 

 

 男は、丘の上に伏せていた。

 

 城から三キロ。個性がなければ届かぬ距離。だが、男の個性は、その距離を無にする。狙ったものを必中で射抜く。——だからこそ男は選ばれた。この汚れ仕事に。

 

 スコープを覗く。三キロ先の城の庭が、手に取るように見えた。

 

 男は、の住人だった。長く日陰を生きてきた。金のためなら、何でもやった。人も、撃った。——だから、目をつけられた。国に。「お前の腕が要る」と。

 

 

 断ればどうなるか。男は知っていた。

 

 逆らえば、国は男を切り捨てる。叩けば、埃はいくらでも出る身だ。逮捕。あるいは、それ以上。——国に逆らった裏の住人がどうなるか。生きて娑婆には戻れまい。

 

 だが。

 

 受ければ、受けたで地獄だった。標的は僭帝。あの二十万の帝国。——その王の、伴侶を撃つ。撃てば、男は、裏社会で生きていけなくなる。どこへ逃げても、あの帝国の手が伸びる。裏の世界に、僭帝を敵に回した男の、居場所などない。

 

 逆らえば、表に殺される。受ければ、裏に殺される。

 

 ——詰んでいた。最初から。

 

 

 そんな男に。国はたった一つの、出口を差し出した。

 

 「やれば、保護する」そう言った。「僭帝からは、我々が、匿う。新しい身分を、やる。安全な場所を。——お前は助かるんだ。撃ちさえすれば」

 

 男はそれに、すがった。すがるしかなかった。

 

 撃てば助かる。国が守ってくれる。裏社会からも、僭帝からも、逃してくれる。新しい人生を、くれる。——男はそれを繰り返し、自分に言い聞かせた。震える指を、その約束でなだめた。

 

 「……大丈夫だ」男は、呟いた

「撃てば助かる。国が守ってくれる。……守ってくれるよな?」

 

 その、語尾が。揺れた。

 

 男自身、信じきれていなかった。国が自分のような男を本気で守るのか。用が済めば切り捨てるのが、連中のやり方だと、裏で生きてきた男は、骨身に染みて知っていた。——だが、信じるしかなかった。他にすがるものがなかったから。

 

 

 スコープの中に。標的がいた。

 

 黒髪の少女。ミカというらしい。あの王の命綱。——それを撃てば、王は終わる。国はそう言った。少女さえ消えれば、あの怪物は無力化する、と。

 

 男はその少女を見た。

 

 ……子供だった。

 

 当たり前だ。分かっていた。だが、スコープ越しに見る、その姿は。ただの、幼い少女だった。白い髪の、少年と。並んで。何か他愛のないことを話して。笑って。

 

 男の指が。止まった。

 

 

 ——撃ちたくない。

 

 その思いが、胸の底から突き上げてきた。子供だ。あの子は。ただの子供だ。

撃つべき標的なんかじゃ、ない。

 

 男は裏の住人だった。人も撃ってきた。だが——子供は。子供だけは。

 

 汗が、額を流れた。スコープを持つ手が、震えた。引き金にかけた指が、動かない。

 

 撃てば、あの子は死ぬ。まだ、あんなに幼いのに。あんなに、笑っているのに。

 

 だが。

 

 撃たなければ、俺が死ぬ。国に切られる。裏に追われる。——どっちにしても、俺は詰んでる。だったら。だったら、せめて。

 

 「……すまねえ」男は、呟いた。誰にともなく。少女にとも、自分にとも、つかず。「すまねえ。俺には……他に、道が、ねえんだ」

 

 目を、つぶるように。震える指に、力を込めた。

 

 

 同じ頃。城の庭。

 

 シュンカと、ミカは、並んで、座っていた。

 

 あの日の約束通り、二人は、また庭に出ていた。国が折れ、暗殺は凍結された。もう、刃の気配はない。——そう、皆が思っていた。だから、その日の庭は、穏やかだった。守りも、あの日ほど張り詰めては、いなかった。

 

 「ねえ、シュンカ」ミカが、空を、見上げた。「あのね。……ちょっと、思ったんだけど」

 

 「なに」

 

 「わたしたち。これから、どうなるのかな」ミカは、少し笑った。

「ずっと、こうやって。二人で。……いられるのかな」

 

 シュンカはその横顔を見た。茜色の光が少女の頬を照らしていた。

 

 「いられるよ」彼は言った。静かに。「ずっと。……僕が、いるから」

 

 ミカが嬉しそうに、笑った。そして、シュンカの肩に、そっと、頭を預けた。

 

 穏やかな、夕暮れだった。世界が、優しく、凪いでいた。二人の、時間が。ただ、静かに、流れていた。

 

 ——その時。

 

 

 

 空気を、裂く音が、した。

 

 いや、音より速く。それは来た。三キロの彼方から。必中の個性を乗せて。

 

 シュンカの、目の前で。

 

 ミカの、体が。

 

 跳ねた。

 

 肩に、預けられていた、その頭が。ぐらり、と、傾いだ。細い体が、糸の切れた人形のように、シュンカの腕の中へ、崩れ落ちた。

 

 ——赤が。

 

 広がっていた。少女の体から。茜色の光の中で。それより濃い、赤が。じわり、と。

 

 「……ミカ?」

 

 シュンカの声が。掠れた。

 

 ミカは、答えなかった。閉じた、瞼。傾いだ、首。開いた、唇からは、言葉ではなく——か細い、息だけが、漏れていた。

 

 「ミカ……?」

 

 その腕の中で。少女の体から、力が抜けていく。温もりが、赤とともに、流れ出していく。

 

 シュンカは。動けなかった。

 

 自分の腕の中で、大切なものが崩れていく、その、あまりの現実に。

 

 茜色の空の下で。

 

 世界が。

 

 止まった。

 

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