夜明け編 第15話「対等」
力なき正義は、無力だ。
では正義なき力は、何をなしうるのか。
二十四時間の砂時計が、半ばを過ぎた頃。
政府の要人たちが、ヒーローのもとへ駆け込んできた。青ざめた顔で取り乱して。かつての傲慢はどこにもなかった。
「頼む……頼む! 何とかしてくれ! このままでは、東京が——いや、私たちが皆殺しにされる! ヒーローだろう! 人を守るのが仕事だろう!」
その姿を、ヒーローたちは、冷ややかに見ていた。
「……どうしろと言うんだ」
ホークスの声は氷のようだった。
「どうしようもないだろう。——手を出したのは、そちらからじゃないか」
「それは……!」
「我々は反対した」ベストジーニストが、静かに遮った。
「子供の暗殺などあってはならないと。何度も言った。——だが、あなた方は、我々を蚊帳の外に置いて勝手に実行した。一度ならず、二度も。その結果がこれだ」
要人が言葉に詰まった。
「今さら泣きつくのか」エンデヴァーが、吐き捨てた。
「自分たちで火を放っておいて。燃え広がったら消してくれと」
オールマイトは何も言わなかった。ただ、拳を握りしめていた。——彼の中にあったのは、政府への怒りだけでは、なかった。もっと苦い何か。自分たちもまた、あの子を救えなかったという、痛み。
「……我々に」オールマイトがようやく口を開いた。
「主張できる正当性は、何もない」
要人たちが、彼を見た。
「あの子は、何もしていなかった」オールマイトは、絞り出すように言った。
「この国を何度も救ってきた。何も求めなかった。ただ静かに生きていた。
——それを、我々の国が撃った。子供を二度も。……あの子の怒りは正当だ。恐ろしいほどに、正当だ。それに異を唱える資格は、我々にはない」
沈黙が落ちた。ヒーロー自身が認めてしまった。——悪いのはこちらだと。
「では……!」要人が縋りついた。
「では、せめて! あの者たちの身柄を! 王が要求している者を差し出せば——!」
「それもできない」
オールマイトの声は、静かだったが、揺るがなかった。
「たとえ罪を犯した者でも。引き渡して殺させることは。——我々には、できない。それをしたら我々は、もうヒーローではなくなる」
「なっ……!」
「分かっている」オールマイトは、目を閉じた。
「矛盾している。……我々に正当性はない。あの子を責める資格もない。かといって、力で止めることも、できない。そして、人を見殺しにすることもできない。
——何を選んでも間違っている。動くことも。動かないことも」
彼は天を仰いだ。
「これが……我々の無力の正体だ」
完全な手詰まりだった。ヒーローは、ヒーローであるがゆえに、何もできなかった。正義は力の前に無力で。その正義すら、もう、彼らの手にはなかった。
その時。
対策本部の扉が、前触れもなく開いた。
誰もが振り返った。——そこに立っていたのは。日本の誰も、呼んでいないはずの人物だった。
金色の髪。星条旗を思わせる意匠。
——世界最強格と謳われる、彼の国の象徴。
スターアンドストライプ。
「待たせたね」彼女は軽く手を挙げた。豪快に笑って。
「話は聞かせてもらったよ。ドア越しに悪いけどさ」
「スター……!」オールマイトが、目を見開いた。「なぜ君が。ここに」
その瞬間。スターの顔が、ぱっと輝いた。
「師(マスター)——! ああやっぱり、あんたがいてくれたか!」
彼女は大股で歩み寄った。憔悴したオールマイトの前で、しかしその目は
少年のようにきらめいていた。
「久しぶりだねぇ、師 あんたに会えただけで、海を越えてきた甲斐があったよ。……っと、悪い。今はそういう場合じゃないね」
彼女はごほん、と咳払いをして表情を引き締めた。
——だが、その根っこには揺るがぬ何かがあった。この女にとって、オールマイトは、人生の指針。幼い日に命を救われて以来、髪型も生き方も全てがこの男を
基準にしている。師が愛したこの国を、師が守ろうとしたこの世界を守る。
——そのことに彼女は、一切の迷いを持っていなかった。
「なぜ、来たかだろ?」スターは肩を竦めた。
「そりゃあ来るさ。日本に国家の暗殺すら弾き返す化け物がいる。世界中が
そう言って、震えてる。……で、うちの上も言うわけだ。『何とかしろ』ってね」
彼女は部屋の中を見渡した。青ざめた要人たち。憔悴したヒーローたち。
「でもね」彼女の口調が変わった。
「来る前に、調べたのさ。あのボーイのことをね。……何をしてきたか。何をしてこなかったか」
彼女は、指を折った。
「AFOを殺した。ファナティカを殺した。死柄木を殺した。
——世界を、三度、救ってる。しかも、AFOをやったのは、十歳の時だって言うじゃないか。……それだけの力を持ちながら、国を支配してない。要求もしてない。ただ、静かに暮らしてた。——そんな相手をそっちが撃った。子供を二度も」
彼女は、まっすぐオールマイトを見た。
「——これ、あのボーイは悪くないだろ」
オールマイトは目を閉じた。そして頷いた。
「……ああその通りだ。悪いのは我々だ」
二人の認識は一致していた。
「じゃあ話は早い」スターは言った。「あたしが、あのボーイと話す」
「話す……?」ホークスが、眉を寄せた。
「無理です。あの子は、誰の言葉も聞かない。……我々が、どれだけ手を伸ばしても届かなかった」
「そりゃあそうさ」スターは、あっさりと頷いた。
「あんたたちが届かなかった理由。——簡単だろ。力が違いすぎるんだよ」
彼女の声は淡々としていた。事実を述べるだけの口調で。
「あのボーイからすりゃ、あんたたちは蟻みたいなもんさ。踏み潰すか、無視するか。どっちかしか、ない。……対等じゃない相手の言葉なんて、あの子は、本気で聞きゃしない」
その言葉は残酷だったが、真実だった。ヒーローたちは反論できなかった。
「——でも、私は違う」
スターの瞳に確かな自信が、宿った。豪快で揺るぎないアメリカNo.1の自信が。
「私は世界最強格だ。あのボーイが、『こいつは無視できない』『こいつとは対等に向き合わなきゃ』——そう思える、だけの力がある。……だからこそ、さ。
私になら、あの子と対等な力関係で対話ができるかもしれない」
「待て、スター」オールマイトが言った。「まさか君は。あの子と戦う気か」
「まさか」スターは、首を振った。きっぱりと。
「言ったろ、師 あたしは話しに来たんだ。戦いに来たんじゃない」
彼女は窓の外を見た。僭帝の城がある方角を。
「あのボーイの怒りは正当さ。それは認める。撃たれたら怒る。当たり前だ
——でもね。だからって、関係ない人まで巻き込むのは違うだろ。東京には老人も
赤ん坊もいる。あのボーイの怒りとは、何の関わりもない人たちがさ」
彼女の横顔にヒーローとしての揺るがぬ信念が、あった。師から受け継いだ、
光のような信念が。
「だから話す。力ずくじゃない。——対等に向き合って伝えるのさ。
『あんたの怒りは正しい。でも、無関係な人は巻き込むな』ってね」
彼女は踵を返した。そして振り返り、にっと笑った。
「なあに心配いらないよ、師。あんたが、命がけで守ったこの国、あたしが
預からせてもらう。……ちょいと話をつけてくるだけさ」
誰も彼女を止められなかった。止める言葉を持たなかった。
——ただ、一つの望みがそこにあった。世界最強格のヒーロー。日本の誰もが届かなかった、あの王に。この人ならあるいは。対等に立てるのかもしれない、と。
スターは去っていった。東京へ向かって。確かな自信を胸に。