[完結]空っぽの王様のひとつだけ   作:カルキよし

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第86話「世界最強」

夜明け編 第16話「世界最強」

 

正しさは、正しいだけでは届かない。

 

——それが届くには、心の扉が要る。

 

 

 絶望の空に、再び希望の光が差し始めていた。

 

 もっとも——それを希望と呼べる者がこの場にいたかどうかは分からない。

 

 新宿。二十四時間の猶予で人の消えた都心。もぬけの殻の高層ビル群が墓標のように立ち並んでいた。ネオンは死に、雑踏は絶え、あれほど昼夜を問わず騒がしかった街から、生きた気配のすべてが拭い去られている。

二十四時間の期限——それは、身柄を差し出す猶予であると同時に、無関係な者は逃げておけという、僭帝からの合図でもあった。人々はその意味を正しく汲んで都心から、潮のように引いていった。

 

 その静まり返った街の中心に。シュンカは立っていた。

 

 傍らにエディ。露払いのイズナと、アル・カイドを従えて。二十万の一部は

リ・デストロの指揮のもと、大阪と名古屋に潜伏している。この国は、丸ごと、王の掌の上にあった。逆らえば東京だけでは済まない。それを誰もが理解していた。

 

 破壊の号令が今にも下ろうとする。その直前。

 

 シュンカの前に、一人の女が降り立った。

 

 

 金色の髪。星条旗を思わせる意匠。二本の角のように跳ねた前髪。——その立ち姿には、シュンカがこれまで相対してきた、どのヒーローとも違う、圧倒的な存在感があった。空気が、彼女を中心に張り詰めるようだった。

 

 「……ボス」エディが、低く囁いた。その声に珍しく緊張が滲んでいた。

「気をつけろあれは——スター・アンド・ストライプ。アメリカのNo.1ヒーローだ。……今、この世界で最強と言われてる女だ」

 

 世界最強。

 

 シュンカはその女を見た。——だがその言葉に、彼の心は何も動かなかった。

強かろうが弱かろうが、関係ない。この世で彼の心を動かすものは、たった一つしかない。そして、それはこの女ではない。ミカではないのだから。

 

 「……あなたは」シュンカが、警戒も露わに問うた。

 

「ヒーローだよね。僕を止めに来たの? それとも倒しに?」

 

 周囲に緊張が走った。幹部たちも世界最強の来訪に身構える。

イズナの身に陽炎が揺らめき、アル・カイドが恍惚と舌なめずりをした。

——世界最強のヒーローを、王が屠るところが見られるかもしれない。そんな、狂った期待すらその目には宿っていた。一触即発の空気。

 

 だが。

 

 スターアンドストライプは、拳を構えなかった。

 

 

 

 

 

 彼女は、ただ、シュンカを見つめていた。

 

 その瞳に宿っていたのは、戦意でも敵意でもなかった。

 

 ——深い悲しみだった。

 

 「……ボーイ」彼女は、静かに口を開いた。その声は世界最強のヒーローとは思えぬほど優しく、そして哀しげだった。

 

 「何故こんなことになっちまったんだい」

 

 シュンカの動きが止まった。

 

 彼は身構えていた。罵倒を。あるいは正義の説教を。あるいは力ずくの制圧を。——これまで彼の前に立ったヒーローは皆そのどれかだった。恐れ、憎み、同情し

正義を振りかざして、彼を「倒すべきもの」として見た。

 

 けれど。この女が最初に向けてきたのはそのどれでもなかった。

 

 ただ、一人の子供を案じる悲しみだった。

 

 

 

 

 「ボーイ。あんた、まだ十一の子供だろう?」

 

 スターアンドストライプは、悲しそうに、眉を寄せた。

 

 「なのに、一国を破壊しようとしてる。……十歳でAFOを殺して。

世界を震え上がらせて。——そんな途方もない重荷をそんな小さな肩に背負って。あんた、どんな気持ちでここまで来ちまったんだい」

 

 彼女はゆっくりと歩み寄った。一歩、また一歩。その足取りに攻撃の意思は

微塵もなかった。武器を持たぬ者が怯える獣に近づくときのような、静かな慎重な歩み。

 

 「あたしはね。あんたと戦いに来たんじゃない。殺しに来たんでもないよ」

彼女は言った。「ただ話をしに来たんだ。——どうしてあんたがこんな道を歩むことになったのか。それを知りたくて海を越えてきた」

 

 シュンカは、しばらく黙っていた。

 

 世界最強のヒーローが、拳ではなく悲しみを向けてくる。

その意外さに彼の凍てついた無のまなざしが、ほんの少し揺らいだ。

 

——この女は他の連中とは、少し違う。そう、感じさせる何かがあった。

 

 

 

 

 「……なんでって」

 

 彼はぽつりと答えた。

 

 「簡単だよ。傷つけたからだ、この国が。何度も何度も、ミカを殺そうとして

とうとう本当に撃った。血を流させた。——僕は言ったんだ、手を出すなって、次はないって。……なのにやった。だから約束を守るだけ」

 

 彼の声は淡々としていた。感情の色の乏しい平坦な声。けれどその奥に隠しきれぬ何かが滲んでいた。怒りとも悲しみともつかぬ、名前のない何かが。

 

 「僕はべつに世界なんてどうでもよかった」彼は続けた。

 

「国を壊したいとも思ってなかった。ただミカが安全で笑っててくれれば。

それでよかったんだ。——なのに。みんながミカを狙うから。だからこうなった」

 

 彼はスターを見た。その赤い目に初めて微かな色が差した。理不尽を訴える

幼い子供の色が。

 

 「……僕のせいじゃない」

 

 

 

 

 

 その一言は。

 

 静まり返った新宿に、落ちた。

 

 僕のせいじゃない。——それは破壊の王の宣言ではなかった。世界を滅ぼす者の、傲慢でもなかった。ただ理不尽に大切なものを奪われかけた、一人の子供の

行き場のない、切実な訴えだった。

 

 スターはその言葉を聞いた。

 

 そして——彼女の胸に悲しみがいっそう深く広がった。

 

 ああこの子は。本当にただの子供だ。何も悪くない。何も間違っていない。

——ただ、大切なものを守りたかった。それだけの子供が。今世界を壊そうとしている。世界の方がこの子をそこまで追い詰めたのだ。

 

 「……そうかい」彼女は呟いた

 

「そうだよな。……ボーイのせいじゃないよな」

 

 シュンカが彼女を見た。

 

 その言葉を彼は予想していなかった。責められると思っていた。止めろと言われると。世界を壊す化け物として糾弾されると。

 

——なのにこの女は僕のせいじゃないと。そう言った。まるで彼の側に立つように。

 

 新宿に風が吹いた。もぬけの殻の街を抜けて。摩天楼の谷間を乾いた音を立てて通り過ぎていく。

 

 二人は束の間見つめ合っていた。破壊の王と世界最強のヒーローが。戦うでもなく、ただ静かに。——まるで互いの中に言葉を探すように。

 

 まだ、号令は下されていなかった。

 

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