夜明け編 第19話「新秩序」
秩序を作り替える力があった。
全てを拒絶する力があった。
——ぶつかった時。全能はただの無力であった。
号令は下された。
シュンカが右手を静かに上げた。ただそれだけ。声も掛け声もなかった。
——次の瞬間、新宿の摩天楼の一つが音もなく両断された。
斜めに走った透明な線。それに沿って鉄とガラスの巨塔がずれ、崩れ落ちる。硬さも質量も関係なかった。世界を切る。空気そのものが刃と化してあらゆるものを断ち切っていく。
国家の中枢、総理官邸、霞が関
——シュンカの視線が向くたび、都市が静かに裂けていった。
スターアンドストライプは、動いた。
彼女は崩れゆく瓦礫の下に、まだ逃げ遅れた者の気配を感じ取っていた。老人が一人。動けずにいる。
——彼女は地を蹴った。ニューオーダーで強化された脚が、音速を超えて瓦礫の下へ滑り込む。老人を抱え、跳ね上がり、安全な場所へ。一つの命を救った。
だが、街は裂け続けている。このままでは間に合わない。
止めるしかないのだ、破壊の源を。
「——悪いね、ボーイ」彼女は呟いた。
「言葉で止まらない……なら、あとは力ずくだ」
彼女はシュンカへ突進した。世界最強の速度で。
触れて名を呼びルールを設定する。それが彼女の個性。
「シュンカは、これから動けない」
——そう定めてしまえば、この破壊は止まる。触れさえすれば。
彼女の指がシュンカの肩に届いた。
「新秩序(ニューオーダー)——!」
彼女は叫んだ。ルールを刻もうとした。この子を縛るたった一つの理を。
だが。
何も、起きなかった。
ルールが乗らない 変わらない彼女の個性が、シュンカという存在の表面で意味を失い、するりと滑り落ちる。まるで水が油を弾くように。この子の輪郭に、彼女の理は一切食い込んでいかなかった。
スターの目が見開かれた。
「……なんだ、これは」
彼女は知らなかった。シュンカの個性「不壊」——あらゆる変化を干渉を、改造を拒む、絶対の自己。彼を作り変えようとするいかなる力も、その壁の前で無効化される。ニューオーダーは対象に「新しいルール(=変化)」を強制する個性。
だが、変化を根本から拒む相手にはそもそも成立しない。
世界を捻じ曲げる全能の理が。この子一人を、捻じ曲げられなかった。
「なら——!」
スターは拳を振るった。ニューオーダーで強化した音速の一撃。ビルすら粉砕する打撃。それをシュンカの頬へ。
拳が当たった
だが
シュンカは微動だにしなかった
打撃の衝撃が伝わらない。彼女の拳は、確かにシュンカに触れている。
なのに、シュンカの体は揺らぎもしない。まるで、世界の方が彼に触れることを許されていないかのように。——不変は変えられない。傷つけられない。動かせない。
彼女は連撃を放った。何十発と。全力で。世界最強の膂力を余すことなく。
——すべてが無駄だった。一発として通らない。シュンカは彼女を見てすら、いなかった。
その赤い目は。ただ遠くの国家中枢を見つめていた。破壊を続けながら。
「……なんで」
スターの声が掠れた。
「なんで私を見ないんだ!私を狙わない!……お前の目の前に、敵がいるだろう!お前を止めようとする、敵が!——なんで攻撃しないんだ!」
シュンカは答えなかった。ただ静かに言った。街を裂きながら。
「……殺したくないって、言ったでしょ」
スターの動きが止まった。
「あなたは殺したくない。だから狙わない。……あなたが何をしても。僕は
あなたには刃を向けない」
その言葉は優しさだった。この上ない優しさだった。
——だがスターにとって、それはどんな攻撃よりも残酷だった。
彼女は戦うことすら許されていなかった。敵として認識すらされていなかった。世界最強のヒーローが。その全力が。この子にとっては、路傍の石ほどの脅威にも、なっていない。狙う価値すら、ない。ただ傷つけたくないから見ないでいる。
——庇われていた。守る側のはずの自分が子供に。
「ボーイ……! もう、辞めてくれ……!」
それは攻撃の掛け声でも、勝利への執念でもなかった。ただ哀しい
哀しい懇願だった。
「私の攻撃は、あんたに届かない! あんたの刃は私を、一撃で殺せる!
——こんなの戦いじゃない! ただ、あんたが世界を拒んで、私がそれにすがってるだけだ!」
彼女は慟哭した。
「お願いだ! もう誰も傷つけないでくれ! ……あんた自身も含めて! ——こんな哀しいことは。もう辞めてくれよ……ボーイ……っ!」
世界最強のヒーローが、泣いていた。
一発当てられず一歩も退かせられず。ただ倒せぬ拒絶の壁の前で。涙を流しながら、懇願していた。
彼女は、膝をついた。
瓦礫の中で、崩れゆく街の真ん中で。世界最強の力を持つその体が力なく崩れ落ちた。
拳は届かない。ルールは乗らない。そして、この子は私を敵とすら見ない。
——私にできることは、何もない。
彼女はずっと信じてきた。力を。師が体現した、あの力を。力があれば守れる。力があれば届く。だから磨いてきた。世界最強になるまで。この子と対等に向き合えるだけの力を。
——なのに。
その力は、この子の前で何の意味もなさなかった。対等な力で対話ができるかもしれない。そう思って来た。だが違った。この子は、力の土俵にすら、
いなかった。彼女がどれほど強くても。それはこの子には関係のないことだった。
世界に、たった一つの望みを拒まれた子供が、世界を拒む。
——そのあまりに哀しい構図の中で。二人の望まぬ戦いはなお続いていた。
誰も勝てず。誰も救われぬまま。
新宿の空に夜が満ちていく。裂けた街の向こうで破壊はなおも静かに続いていた。
世界最強のヒーローは。膝をついたまま。ただそれを見ていることしかできなかった。
——力ではこの子を止められない。
その絶望的な事実だけが。崩れゆく都市の瓦礫の上に。重く横たわっていた。