夜明け編 第21話「あと少し」
届く距離は、死ぬ距離だった。
——それでも、少女は進むことをやめなかった。
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新宿は、地獄だった。
裂けた摩天楼。崩れ落ちた国家の中枢。透明な刃が、なおも都市を断ち続けている。その破壊の中心に、シュンカが立っていた。
そしてその正面には膝をついたまま動けずにいる、スターアンドストライプの姿。
世界最強のヒーローはまだそこにいた、届かぬと知りながら。倒せぬと知りながら。それでもこの子の前から動くことができなかった。対峙をやめられなかった。
——彼女の、涙で濡れた瞳はただシュンカだけを見つめていた。
その戦場の外れに。
一台の車椅子が辿り着いた。
「……シュンカ」
ミカだった。
撃たれた肩を庇いながら。蒼白な顔で。それでもその瞳はまっすぐに、破壊の王を捉えていた。彼女を乗せて幹部たちが駆けつけたのだ。
だが——遠かった。
シュンカは遥か向こう。その間には崩れゆく瓦礫と、なおも走り続ける、無数の透明な刃。そしてこの耳を聾する破壊の轟音。
——この距離では声は届かない。どれだけ叫んでもこの轟音に掻き消される。
声を届かせるには。もっと近づくしか、ない。
だが近づけば。あの空気の刃の圏内に入る。硬さも質量も関係なく、あらゆるものを両断する刃の。
——掠めればそれで終わりだった。
届く距離は。死ぬ距離だった。
「……行くしかない」ミカは呟いた。「シュンカに声を届かせるには。近づくしか」
「なりません!」セイレーンが叫んだ。「あの刃の中に入れば——ミカ様が!」
「分かってる」ミカは、静かに言った。
「でも、わたしが行かなきゃ、シュンカは止まらない。……世界が終わる。シュンカも戻れなくなる。——なら、行くしかない」
その覚悟を聞いて。幹部たちの目の色が変わった。
病室から、ミカを護衛してきた者たち。セイレーン 赫飛 チェイン 蔦漆。
——王の露払いに就いたイズナやアル・カイドはこの場にいない。彼らは遥か前線で、王と共に破壊の道を開いている。この場にいるのはただミカを守るためだけに、来た者たちだった。
「……ならば」赫飛が前に出た。伝説の殺し屋の静かな殺気を纏って。
「俺たちが道を作る。あの刃からミカちゃんを守り抜く」
だがその時。思いもよらぬ声が上がった。
「——手伝わせてくれ」
ヒーローたちだった。
オールマイト ホークス エンデヴァー 緑谷
——満身創痍の体で、崩れた瓦礫を越えて駆けつけてきた。
「あんたたちは……」赫飛が、警戒を露わにする。僭帝と、ヒーロー。つい先刻まで、敵だった者たち。
「あの子を止められるのは、ミカちゃんだけだ」オールマイトが言った。息を切らしながら。「ならば私たちは、あの子のもとへ送り届ける。……立場なんて、今はどうでもいい。子供を救うためなら」
緑谷が頷いた。「僕も手伝います。あの子を——シュンカくんを、救うために」
赫飛はしばし彼らを見つめた。そして
——静かに、頷いた。「……いいだろう。呉越同舟ってやつだ。ミカちゃんを守る。それだけは、同じだからな」
敵だった者たちが。今一人の少女を守るために。肩を並べた。
混成の守りが動き出した。
ミカの車椅子を中心に。赫飛が影のように、迫る刃の間を縫って進路を切り開く。チェインがその連撃で、崩れる瓦礫を弾き飛ばす。
蔦漆が、冷徹に周囲を読み最も刃の薄い経路を瞬時に指示する。
セイレーンが、笛の音で車椅子を押す腕を狂わぬよう支える。
ヒーローたちが四方を固める。ホークスの羽が刃の軌道を読み、エンデヴァーの炎が瓦礫を退け緑谷がその身を挺し、オールマイトが最後の力を振り絞る。
だが——刃は、防げなかった。
シュンカの空気の刃は。硬さも防御も関係なく、全てを両断する。エンデヴァーの炎の壁も切り裂かれる。赫飛の刃も、チェインの連撃も、刃そのものは消せない。
——彼らにできるのは。ただその軌道からミカを逸らすこと。刃と刃の、僅かな隙間を縫って。一歩ずつ。一歩ずつ。ミカを前へ進ませることだけ。
「——右だ! 避けろ!」
ホークスが叫ぶ。車椅子が瓦礫の上を跳ねる。透明な刃がその髪の毛一本の脇を、通り過ぎた。ミカの頬に細い赤い線が走る。
「ミカ様!」
「大丈夫……! 進んで!」
それは壮絶な前進だった。
一歩ごとに誰かが傷ついた。赫飛の腕が裂けた。チェインの拳が砕けても、なお盾となった。蔦漆が、飛来する破片を身を挺して防いだ。ホークスの羽が削がれた。エンデヴァーが片膝をついた。緑谷の腕が軋んだ。オールマイトの痩せた体が、限界を超えていく。
だが——誰も倒れなかった。誰も退かなかった。
防御不能の刃の嵐の中。彼らは、満身創痍になりながら。それでも、一人として欠けることなく。ミカを守り抜いた。子供を救うという、その一点で。敵も、味方も、なく。
——これは。
オールマイトは、朦朧とする意識の中で思った。
——これは、あの子が望んだ、未来の姿かもしれない。敵だった者たちが憎しみを越えて。一人の子供のために、肩を並べる。……こんな未来があるのなら。あの子はまだ。
そして。
ミカは、近づいていた。
破壊の中心へ。シュンカのもとへ。轟音が少しずつ大きくなる。刃が、密度を増していく。死がすぐ隣を通り過ぎていく。
——それでも彼女は進んだ。撃たれた体で。頬から血を流しながら。ただたった一人を止めるために。
もう少し。
もう少しで。
声が届く。
シュンカの背中が。少しずつ近づいてくる。その小さな背中が。世界を壊し続ける、その孤独な背中が。
ミカは口を開こうとした。ありったけの力を込めて。あの子の名を呼ぶために。
あと少し。
あと少しで——