夜明け編 第22話「もう辞めて」
拳では届かなかった。言葉でも届かなかった。
——ただたった一人の少女の救いが必要だった。
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「シュンカ……ッ! もう辞めて……ッ!!」
その声が。
崩壊の轟音の隙間を縫って、シュンカの耳に届いた。
彼の手が止まった。
破壊に染まりきっていたその赤い瞳が。ゆっくりと声のした方へ向けられる。
そして——そこに、彼は見た。
車椅子に座るミカの姿を。
「……ミカ?」
その瞬間。彼の中から世界が消え去った。
燃え盛っていた怒りも。破壊への衝動も。日本も世界も。何もかも一瞬で意味を失った。彼の視界には、もうたった一人しか映っていなかった。傷ついた身体で自分を呼ぶ少女。それだけしか。
彼は忘れていた。いや、目を背けていたのかもしれない。ミカがまだ生きていることを。眠っていただけで、死んではいなかったことを。寄心を外したあの瞬間から。
彼はミカを失ったものとして扱ってきた。そう思い込むことでしか、決壊を続けられなかったから。
だが違った。ミカはここにいる。生きて傷つきながらも、自分を止めるために命がけでここまで来た。
奪われてなどいなかった。まだここにあったのだ。
彼のたった一つの世界のすべてが。
「ミカ……ッ!!」
シュンカが駆け出した。
破壊を打ち捨て。世界を打ち捨て。彼はただミカのもとへ駆け寄った。
瓦礫を飛び越え、砕けた鉄骨をくぐり、崩れる炎の間を、一直線に。世界を滅ぼそうとしていた、その足が。今はただたった一人の少女のもとへ走っていた。
そして——彼は車椅子のミカをきつく抱きしめた。
泣きながら。
「ミカ……! ミカ……ッ!」
あの冷静沈着な、皮肉屋の何も望まなかった王が。子供のように声を上げて
泣いていた。ミカの小さな身体を壊れ物を扱うように、けれど二度と離すまいと、きつく抱きしめながら。
「ごめん……っ! 守れなくて……ごめん……ッ!」
彼は、嗚咽の中で言葉を絞り出した。
「ミカを……一番、守らなきゃいけなかったのに……! ミカを……傷つけさせちゃった……! 大事な時に……そばにいてあげられなくて……ごめん……ッ!」
——そばにいてあげられなくてごめん。
彼は忘れていた。七つのあの日。ミカにしたたった一つの約束を。
「ずっと、そばにいてあげる」
けれど。その約束の言葉は今。彼の口から無意識に零れ落ちていた。守れなかった
というその痛みとして。意識すらしないほど当たり前に守り続けてきた誓いが。
皮肉にも、それを破ってしまったと信じたその瞬間に。初めて言葉になってあふれ出した。
「全部……僕が悪いんだ……ッ!」
彼は、ミカの肩に顔を埋めて泣いた。
「僕が弱かったから……! 僕がちゃんと守れなかったから……! だからミカが……っ! ——許して……お願いだから……許して……ッ!」
世界を壊そうとした王が。一億を敵に回した少年が。
今たった一人の少女に許しを請うていた。震えながら。涙を流しながら。ただの十一歳の子供として。
ミカの瞳からも、涙があふれ出した。
彼女は無事な腕をシュンカの背に回し、彼を抱きしめ返した。
「……ばか」
彼女は、掠れた声で囁いた。
「あなたは悪くないよ、シュンカ。あなたは何も悪くない……! 守れなかったなんて……! あなたは、いつだって私を守ってくれてた。私が……勝手に撃たれただけ……! だから……謝らないで……っ」
彼女は、シュンカの頭を優しく抱き寄せた。傷ついた腕で。壊れそうなその頭を包み込むように。
「私はここにいるよ。生きてる。あなたのそばにちゃんといる」
彼女は涙ながらに微笑んだ。
「もういいんだよシュンカ。もうじゅうぶん。頑張ったから……。だからもう終わりにしよう。——ね?」
シュンカの破壊の刃は。いつしか消えていた。都市を裂いていた透明な線が。
溶けるように掻き消え。轟音が止み。崩れる音が止む。
——世界を拒み続けていたその力が。たった一人の少女の腕の中で。静かに鎮まっていった。
——その光景を。
崩れゆく街の中で、すべての者が見ていた。
地に膝をついたスターアンドストライプは。涙に濡れた顔でそれを見つめていた。
どんな拳でも。どんな言葉でも止められなかった終末が。
たった一人の少女の存在によって、止まった。世界最強の彼女が届かせられなかった場所に。あの小さな姫だけが届いたのだ。
緑谷 オールマイト ホークス エンデヴァー そして僭帝の幹部たちが。皆言葉を失って、その二人を見ていた。
互いだけをよすがに生きる王と姫。
傷つけ合うのではなく。ただ抱きしめ合う二人の子供を。
破壊の轟音は、いつしか止んでいた。
瓦礫の降る空の下。炎の揺らめく街の中で。二人の子供だけが互いを抱きしめて泣いていた。
世界の終わりは——愛によって。静かに止められようとしていた。
スターアンドストライプは、地に膝をついたまま動けなかった。
彼女は世界最強だった。あらゆる力を叩きつけた。最大最強の一撃すら放った。
それでも、あの少年を一歩も動かせなかった。止められなかった。
——なのに。あの小さな、傷ついた少女は。たった一言で、彼を、止めた。
「……そうか」
彼女は涙に濡れた顔で、掠れた声で呟いた。
「拳じゃなかったんだ。……最初から。あの子を止められるものは。力なんかじゃ、なかった」
彼女は理解した。
あの二人は、世界が恐れたような化け物ではなかった。
ただ互いだけをよすがに生きてきた、傷だらけの子供だった。
——誰かが、あの少女のように手を差し伸べていれば。誰かが、あの少年を本当に見てやっていれば。こんなことにはならなかった。
あの子を化け物にしたのは。あの子ではない。この世界の方だったのだ。
世界最強の彼女の胸を、深い悔恨とそして静かな畏敬が満たしていった。
力では届かない場所がある。だが愛なら届く。
——彼女はこの日この二人の子供から、それを教わったのだ。
そして——気づけば。
誰も死んではいなかった。
あれほどの刃の嵐の中を。防御不能の破壊の中を。ミカを守って進んだ者たち。
赫飛 チェイン 蔦漆 セイレーン ホークス エンデヴァー 緑谷 八木
——満身創痍で。ぼろぼろになりながら。それでも誰一人欠けてはいなかった。
敵だった者たちが憎しみを越えて、一人の子供を守り抜いた。そして誰も失わずに。
愛が、破壊を止めたその夜。
救いは静かに。誰一人こぼさぬまま。この傷ついた街に訪れようとしていた。