ズドドドドドォォォォンッ!!
教団の歴史から抹消された旧時代の遺跡が、悲鳴を上げて崩壊していく。
天井から降り注ぐ何トンもの石塊が、数百年の時を経て劣化した地下水道の太い管を次々とへし折った。噴き出した大量の腐水が石畳を洗い流し、足元は瞬く間に悪臭を放つ泥濘(ぬかるみ)へと変貌していく。
「止まるな! 足を取られるぞ!!」
シャミアの鋭い怒号が、崩落の轟音を切り裂いた。
泥水が膝下まで浸かる悪路の中、五体、六体と増援を続ける青白い魔力ラインを這わせたゴーレムたちが、無機質な駆動音とともに迫ってくる。
「チィッ……デカいくせに、なんてしつこさだ!」
最後尾を走るバルタザールが、泥を蹴り上げてガントレットを振るう。
「バルタザール! 相手すんな! 遺跡の第十三層、旧水路の狭いゲートへ向かうぞ! あそこならあのデカブツは通れねえ!」
先頭を走るユーリスが、入り組んだ暗闇のルートを的確に指示する。
ツィリルは片脇に『宝杯』をしっかりと抱え込み、ユーリスのすぐ背後を無言で駆け抜けていた。
「ハァッ……はぁっ……!」
コンスタンツェの息は、すでに限界を超えて上がっていた。
貴族としての歩法しか知らない彼女の足は、泥濘に深く沈み込み、極端に体力を奪っていく。おまけに、先程ツィリルに組み敷かれた腰の痛みが、走るたびに響いていた。
(わたくしが……次期ヌーヴェル家当主たるこのわたくしが、泥水の中を逃げ惑うなど……っ!)
暗闇(日陰)である以上、彼女の精神は極端に強気で高飛車な状態を保っている。
だが、肉体がそれに追いつかない。
「きゃあっ!?」
泥の中に隠れていた太い瓦礫に足をとられ、コンスタンツェの身体が前方の泥水の中へと無様に投げ出された。
「コニー!」
前方を走っていたハピが振り返るが、間に合わない。
コンスタンツェの頭上に、ゴーレムの巨大な影が覆い被さった。
「コンスタンツェ!!」
悲鳴のような声と共に、ぬかるむ泥を掻き分けて飛び込んできたのは、メルセデスだった。
コンスタンツェが倒れたのを見るや否や、死地へと自ら逆走したのだ。
「お姉、様……っ! なぜ……っ!」
「伏せて!!」
メルセデスがコンスタンツェを抱き起こそうとした瞬間、横から飛び込んできたツィリルが、二人の身体ごと泥の中へ強引に押し倒した。
ドゴォォォォンッ!!
三人のすぐ真横の泥濘に、ゴーレムの拳が叩き込まれる。
飛び散った泥と石の破片がツィリルの背中を容赦なく打ち据えるが、彼は一切の苦悶の声を漏らさない。
ツィリルは泥だらけの顔を上げると、シャミアから渡されていた爆薬付きの特殊な矢を番え、至近距離からゴーレムの顔面へと撃ち放った。
閃光と爆発。
ゴーレムが体勢を崩した一瞬の隙を突き、エミールとカトリーヌが交差するように跳躍し、ゴーレムの両膝の関節を同時に粉砕した。
「走れ、ツィリル!!」 エミールが叫ぶ。
ツィリルは、泥に塗れて這いつくばるコンスタンツェの腕をしっかりと掴み、引っ張り上げた。
その手は決して乱暴ではなく、怯える彼女を危険から遠ざけようとする、必死で不器用な少年としての力強さだった。
「……立てる? 死にたくなきゃ、ボクから離れないで」
彼の瞳には、仲間を一人も失いたくないという必死な熱が宿っていた。コンスタンツェは、その純粋な『庇護』の強さに圧倒され、言葉を失った。
「ツィリルくん、ありがとう……。さあ、コンスタンツェ、捕まって」
メルセデスがコンスタンツェのもう片方の腕を支え、自らの肩に回させる。
「はぁっ……はぁっ……お姉様……ごめんなさい……わたくしが、もっと……」
泥と血の匂いが充満する死の空間で、メルセデスの放つむせ返るような白檀の香りと、豊満な胸の柔らかい感触だけが、異常なほどの輪郭を持ってコンスタンツェの全感覚を支配してくる。
「謝らないで。絶対に、離さないから」
メルセデスの声は、ひどく甘く、そして恐ろしいほどに重かった。
コンスタンツェは、その声のトーンに微かな『違和感』を覚えた。
彼女の碧い瞳は、自分(コンスタンツェ)を見てはいない。彼女の視線は、自分たちの前を血を流しながら走り、道を切り拓いている『小さなオス(ツィリル)』の背中だけに、狂気的なまでの熱を帯びて注がれていた。
(ああ……)
コンスタンツェの胸の奥で、何かがトクンと大きく跳ねた。
高飛車な自分を少しも煙たがらず、ただ「死なせたくない」と真っ直ぐに手を引いてくれた、泥だらけの温かい少年。そして、彼に対して無防備なほどの熱と愛情を向ける、大好きなメルセデスお姉様。
日陰の強気な人格のまま、コンスタンツェの精神は、ツィリルの不器用な温かさとメルセデスの熱の底へと心地よく沈み込み、彼らの『群れ』から離れられない甘い依存の鎖に自ら絡め取られていった。
「そこだ! その細い水路に飛び込め!」
ユーリスの叫び声。
ツィリルがメルセデスとコンスタンツェを狭い水路の中へ強引に押し込み、シャミア、バルタザール、ハピたちが次々と滑り込む。
「エミール!!」
迫り来る無数のゴーレムたち。
カトリーヌの雷光と、エミールの死神の剣閃が同時に瞬き、水路の入り口を支えていた巨大な石柱を根元から完全にへし折った。
ガラガラガラガラーーーーッ!!
天井の岩盤が限界を迎え、水路の入り口を完全に土砂で塞ぎ切った。
「……ッ、げほっ、ごほっ……!」
暗闇の中。
土煙と泥に塗れ、全員が狭い旧水路の床に倒れ込んでいた。
誰もが極限の疲労で声も出ない。
その、死臭の漂う暗闇の中で。
ツィリルは荒い息を吐きながら、己の腕の中に抱き抱えた『宝杯』を、氷のように冷たい瞳で見つめていた。
『枢機卿の誘拐』と『宝杯の奪取』。
自分が抱えているこの薄気味悪い遺物が、あの作り笑いを浮かべた男の仕組んだ得体の知れない企み(あるいは罠)の一部であることを、彼の野生の勘だけが、朧気ながらも感じ取っていたのだった。