『……で? 俺にこれを着ろと?』
『ええ。修道院の地下に潜伏し、教団を内側から混乱に陥れるための恐怖の象徴……『死神騎士』の装束よ。貴方が動きやすいように、特別に寸法を調整させたわ』
硝子張りのランタンから放たれるオレンジ色の光が、窓のない地下の隠し部屋を淡く照らしている。
真紅の分厚い外套を羽織ったエーデルガルトは、重厚なオーク材の机の上に置かれた禍々しい意匠のドクロの兜と、光を一切反射しない漆黒の重鎧を両手で示し、背筋を真っ直ぐに伸ばして胸を張っていた。彼女の張りのある声のトーンには、かすれも、自らの提案に対する微塵の迷いも含まれていない。
しかし、彼女に直接雇われた傭兵であるシェズは、机の上に積み上げられた分厚い鉄の塊と雇い主の顔を交互に見比べ、眉間の中央に深い皺を刻み込んだ。
『いや、丁重にお断りする。俺の得物は双剣だぜ? こんな重い鉄の板や、床まで届くような長いヒラヒラの外套なんて着てたら、自分の足に引っかかって転んじまう。それに、そのドクロの兜……目の隙間が少なすぎて絶対息苦しいし、視界も最悪だ』
『……えっ』
『変装なんかで脅かさなくても、俺は俺のやり方でちゃんと扉の護衛の仕事をこなす。心配すんなって、雇い主さん』
『そ、そう……。せっかく、ヒューベルトに急がせて、貴方の体格に合わせて特別に設えさせたのだけれど……』
エーデルガルトの真っ直ぐに伸びていた背筋の張りがフッと抜け、真紅の外套の肩のラインが重力に従って数センチ下へと落ちた。机の上のドクロの兜を見つめる彼女の瞳が伏せられ、それ以上言葉が続くことはなかった。
(……まあ、あの息苦しそうな鉄の兜を被らなかったおかげで、こうして身軽に動けてるわけだが)
ポチャッ……。ポチャッ……。
石造りの天井のひび割れから染み出した冷たい水滴が、床の淀んだ水溜まりの水面を打つ音が、薄暗い地下水路の広間に不規則な反響を生み出している。
腐敗した泥と、壁に張り付いた青苔の湿った匂いが充満する旧水路の最奥。堅牢な鉄格子の扉の前に置かれた古い木箱に腰掛けていた紫色の髪の青年――シェズは、当時の雇い主の様子を思い出しながら、軽く首の骨を鳴らした。
ゴキリ、という硬い音が水路の湿った空気に響き、すぐに消える。
だが、その音の余韻が完全に途切れるよりも早く。旧水路の入り口方向から、静かな、しかし確かな複数の足音が近づいてくるのがシェズの耳に届いた。
濡れた石畳を踏む足音は、決して素人のそれではない。水を跳ね上げる音すら最小限に殺され、極めて統率の取れた、地面を這うような歩みだ。
シェズは座っていた木箱からゆっくりと腰を浮かせ、両腰の鞘に納められた双剣の柄の革巻き部分に、そっと両手の指を這わせた。
「……あそこに誰かいる。奥の扉の前を通せんぼしてるみたいだ」
壁掛けの古い金属製のランタンが、頼りない光を石畳に投げかけている旧水路の広間。
先頭を歩いていた小柄な少年――ツィリルが、腰に帯びた短い刃の短剣の柄に右手をかけながら、ピタリと音もなく足を止めた。
その後ろの暗がりから、ユーリス、エミール、そしてモニカたち灰狼の学級の生徒の姿が、影の中から滲み出るように次々と現れる。
「お出ましか。教団の騎士団の銀色の鎧を着てないってことは、アビスの連中か? 地上の騒ぎに気を取られず、一直線にここへ来るとは……思ったより早かったな」
シェズが、錆びついた鉄格子の扉を背にして暗がりから完全に姿を現した。
彼は腰の鞘から二本の長剣を、金属音をひとつも立てずに引き抜き、だらりと両手の横に下げる。極めて自然体でありながら、彼の両足のブーツは濡れた石畳に根を張ったように安定し、重心の位置は微塵もブレていない。
「……アンタ、誰。教団の人間じゃないよね」
ツィリルが、シェズの両手にある刃の長さと足幅を観察しながら、一切の抑揚のない平坦な声で問い詰める。
「俺はシェズ。しがない雇われの傭兵だ。……悪いが、雇い主との契約でな。この扉の先へは、ネズミ一匹通すわけにはいかないんだわ」
「フレンは、その奥にいるの?」
「ああ。今は奥の部屋で寝かされてる」
シェズが短く肯定した瞬間。
ツィリルの淀みのない暗い瞳の奥で、光が微かに収縮した。
「アンタが、フレンを攫ったの?」
「俺は運び屋を手伝って、今はここで門番をしてるだけだ。……奥で、覆面を被った気味の悪い魔道士どもが、何やら血生臭い儀式の準備をしてるぜ。俺の雇い主の目的とはズレてる気がするが、俺にアイツらの邪魔をする権限はねぇからな」
「血の儀式……」
ユーリスが忌々しげに舌打ちをし、すぐ後ろに立つモニカの肩が微かに跳ねた。
そして、最後方で沈黙を保っていたエミールの右手の中で、身の丈を超える巨大な死神の鎌の柄が、ギリッ、と硬い軋み音を立てた。
「……闇の気配。あの中の連中ごと、この門番の男も……斬り刻む……ッ」
兜の奥から、獣の唸り声のような低い呼気が漏れる。
エミールが漆黒の分厚い外套を翻し、濡れた石畳を削るほどの重い踏み込みで一歩前へ出ようとした。
しかし、それをツィリルが左手を水平に伸ばして制止した。
「エミール先生。こいつはボクがやるから、先生たちはアイツを倒したらすぐに奥の扉を壊す準備をして」
ツィリルは背中の矢筒から視線を切り、右手に短い刃の短剣を、左手に木製の弓の胴を力強く握りしめ、シェズの真正面へと静かに歩み出た。
自分より頭一つ分以上大きく、分厚い筋肉を持つ二刀流の傭兵を見上げても、ツィリルの瞳孔の開き具合や、規則正しい呼吸のペースはただの一度も変化しなかった。
「……フレンは、ボクたちの大事な友達だ」
ツィリルの低い声が、冷たい地下水路の石壁に反響する。
「今日は珍しいお菓子があるって、朝からすごく楽しみにしてたんだ。……それを横取りして、あんな暗くて臭い部屋にフレンを閉じ込めて、怖い思いをさせてるヤツらを……ボクは、絶対に許さない」
自分の背後にいる『群れ』の仲間が、不当に傷つけられ、恐怖を与えられている。
その一つの事実の前に、ツィリルの声の温度は完全に下がりきっていた。
「アンタがどんな人でも、関係ないよ。フレンを返さないなら……ここで、ボクがアンタを片付ける」
ツィリルは左手に持っていた木製の弓を、濡れた石畳の上に無造作に置いた。カラン、という乾いた音が鳴る。
空いた左手で腰のベルトからもう一本の予備の短剣を引き抜くと、彼は両手の短剣の刃を地面に向ける逆手に持ち替えた。そして、膝が泥水に触れそうなほど極端に低い姿勢へと重心を沈み込ませる。
パルミラの戦場とアビスの暗がりの中で、自分よりもはるかに巨大な大人を最も効率よく仕留めるためだけに最適化された、徹底的な低い構え。
「……おやつの時間を邪魔されたから、俺を殺すってか」
シェズは口角を片方だけ引き上げ、だらりと下げていた双剣を胸の前でゆっくりと交差させた。
無造作に重ねられた双剣の切っ先から、水滴が床へと落ちる。シェズは、泥水に沈み込んだ少年の両足の筋肉の収縮と、一切の瞬きを排除して自身の首筋のみを固定している暗い瞳を真っ直ぐに見返した。
「いい目をしてるな、少年。……なら、俺の剣を退けて、力尽くで通ってみろ!」
シェズが、石畳に溜まった泥水を爆発的な脚力で蹴り立てた。
紫色の残像を残し、交差された双剣の刃が、ツィリルの首筋を目掛けて鋭い風切り音と共に迫る。
ツィリルは瞬き一つせず、迫る刃の軌道を見極めるようにさらに深く身体を沈み込ませると、水面を這う獣のように、一直線にシェズの懐へと飛び込んでいく。
湿った地下の冷気に、刃と刃がぶつかり合う甲高い金属音と、散る火花が弾けた。