擬史風花雪月   作:鰻天ぷら

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第二十六章②

旧ファーガス王国領、王都フェルディア。

天を衝くような城壁と堅牢な市街を持つこの都市は、今や分厚い雪雲と猛烈な吹雪に閉ざされ、白き死の結界と化していた。

かつての王城の門前、広大な雪原の広場には、王都奪還に燃える王国兵たちの血が夥しい染みとなって広がっていた。彼らの前に立ち塞がっていたのは、ファーガスの正規兵でも、帝国の重装歩兵でもない。

 

「オホホホホ! さあ、私のかわいい人形たち! あの薄汚い獣の残党どもを、一匹残らず踏み潰しておしまいなさい!」

 

城のバルコニーから、豪奢なドレスに身を包んだファーガス公コルネリアが、扇子を口元に当てて耳障りな高笑いを響かせた。

彼女の眼下――雪原の最前線に並び立っているのは、アガルタの闇の技術によって生み出された巨大な鋼鉄の魔道人形『タイタニス』の群れである。全高四メートル近いその異形の装甲は、王国兵の放つ矢や剣撃を軽々と弾き返し、巨大な鉄の拳で彼らを雪ごと叩き潰していた。

さらに恐るべきは、その足元である。

 

「ぐっ……! ダメだ、踏み込むな! 足元に気をつけろ!」

「罠だ! 近づけば消し炭にされるぞ!」

 

王国兵の悲痛な叫びが吹雪に掻き消される。

コルネリアは、広場の雪の下に無数の不可視の魔法陣を仕掛けていた。タイタニスの巨体を縫って決死の突撃を試みた兵士たちが、不可視の境界線に足を踏み入れた瞬間、雪原から紅蓮の炎柱が噴き上がり、彼らの身体を一瞬にして炭化させていく。

 

猛烈な吹雪による視界不良。鋼鉄の巨兵による物理的な壁。そして、足元に潜む無数の地雷。

その圧倒的な面制圧の前に、王都奪還の士気に燃えていたファーガス兵の歩みは完全に止められ、ただ徒らに犠牲を増やすだけの膠着状態に陥っていた。

 

その血塗られた最前列。

猛吹雪の中で、ディミトリは英雄の遺産『アラドヴァル』の柄が軋むほどに強く握りしめ、前方のタイタニス軍団を睨みつけていた。右目に巻かれた黒い眼帯に、雪が冷たく張り付く。

 

(……俺は、ここで死ぬわけにはいかないのだ)

 

数日前までのディミトリであれば、罠が張られていようが、鋼鉄の人形が立ち塞がろうが関係なかった。己の命など欠片も惜しまず、獣のような咆哮と共に単騎で突撃し、肉を引きちぎられ骨を砕かれようとも、強引に血路をこじ開けていただろう。

だが、今の彼にはそれができない。彼の脳裏には、フェルディアへ向かう直前に自らを抱きしめて微笑んだ、声なき歌姫の姿が焼き付いている。ドロテアが自らの声帯を犠牲にしてまで繋ぎ止めてくれたこの命を、ただの復讐心で使い捨てる権利は、もう彼にはないのだ。

自分はもう、亡霊の怨嗟を晴らすための狂王ではない。生き抜いて、王として民を導くという重い業を背負ったのだ。

 

しかし、堅実に、兵の犠牲を抑えて攻めようとすればするほど、コルネリアの配置したタイタニスと魔法陣の罠は凶悪な壁となって立ちはだかり、軍の進行は完全にストップしてしまっていた。アラドヴァルを持つディミトリ一人で防衛線を突破したとしても、後続の兵が罠の餌食になるだけだ。

 

その凍りついた膠着の最前線に。

ザクッ、と。

小柄な人影が、躊躇いなく雪を踏み越え、ディミトリの隣に並び立った。

 

「……ディミトリ。ここで進めなくなったら、ドロテアが声を失ってまであなたを助けた意味がなくなるじゃないですか」

 

手斧を肩に担いだツィリルが、吹き付ける雪を物ともせず、ディミトリを真っ直ぐに見据えて口を開いた。

 

「コルネリアを倒すのは、あなたの仕事です。……ボクたちには、あの城壁の向こうでレア様が待ってる。だから、こんなところで足止めを食らうわけにはいかないんです」

 

ツィリルは愛用の手斧の柄を握り直し、前方に立ち塞がるタイタニスの群れへと視線を向けた。そして、背後に付き従う少女たちへ振り返る。

ツィリルは愛用の手斧の柄を握り直し、背後に付き従う少女たちへ振り返った。

 

「……みんな。あの人形の群れと、雪の下の罠が邪魔だ。……道を作って」

 

淡々とした、短い実務的な指示。

だが、その短い言葉が雪原に落ちた瞬間。ツィリルの背後に控えていた少女たちの瞳に、吹雪すら蒸発させるほどの異常な熱光が灯った。

 

「……愚問ですわ、ツィリル。あなたが道を空けろと望むのなら、この極寒の雪原など、わたくしの魔法ですべて焦土に変えてご覧に入れますわ!」

 

コンスタンツェが、鉄の扇を鋭く広げる音と共に高笑いを上げ、両手を天へと掲げた。彼女の周囲の雪が、異常な魔力の上昇によって瞬時に蒸発し、白い水蒸気の柱となって立ち昇る。

 

「わ、私だって! ツィリルがこんな雪の中で立ち止まらなくていいように、一番邪魔なガラクタから手っ取り早く消し炭にしますから!」

 

リシテアが、寒さではなく対抗心で顔を真っ赤に染め上げながら、コンスタンツェの横に並び立ち、両手で高度な闇の術式を展開した。

 

次の瞬間、分厚い雪雲が赤黒く染まった。

上空から巨大な炎の隕石『メティオ』が、空を切り裂くような轟音と共にタイタニスの群れの中心へと落下した。圧倒的な質量と熱量が雪原に激突し、爆発の衝撃波が周囲の兵士たちを吹き飛ばす。

それと同時に、リシテアの放つ漆黒の巨大な棘『ダークスパイクΤ』が、爆炎の中から現れた別のタイタニスの装甲を紙のように貫き、内部の魔道回路を破壊して次々と連鎖爆発を起こしていった。

 

「ツィリル様! 雪の下に隠された卑劣な罠など、私がすべて焼き尽くして道を作ります! 『ボルガノン』ッ!!」

 

二人の広域魔法が作り出した爆炎と混乱に紛れ、モニカが狂信的な瞳孔を開いたまま最前線へと歩み出る。彼女の両手から放たれた極大の炎柱が、一直線に雪原を舐め尽くすように突き進んだ。

その圧倒的な熱量は、表層の雪を吹き飛ばすだけでなく、コルネリアが隠していた不可視の魔法陣に次々と強制干渉し、誘爆の連鎖を引き起こしていく。雪の下から赤蓮の炎が間欠泉のように噴き上がり、仕掛けられていた地雷原が、自らの炎によって完全に無力化されていった。

 

「な、なんだと!? 私のタイタニスと罠が、あんな小娘たちの魔法なんぞで……!」

 

バルコニーから戦況を見下ろしていたコルネリアの顔から、余裕の笑みがスッと消え去った。扇子を握る手に思わず力が入る。

 

だが、アガルタの技術の結晶であるタイタニスも無抵抗ではない。メティオの直撃を免れ、半壊しながらも機能を維持していた一体の巨兵が、爆炎の中から不気味な駆動音を響かせて飛び出し、先頭に立つツィリルへ向けて巨大な刃を振り下ろそうとした。

ディミトリが咄嗟にアラドヴァルを構えようとした、その時。

 

「もー、寒いから動きたくないのに……ツィリルくんに近づく虫は、アタシが叩き潰す係なんだからっ!」

 

ツィリルの背後から、文句を言いながら飛び出したヒルダが、その細腕には不釣り合いな英雄の遺産『フライクーゲル』を上段に構え、タイタニスの懐へと瞬時に潜り込んだ。

金属が軋み、へし折れる凄まじい破壊音。

ヒルダの放ったフルスイングが、魔道人形の分厚い装甲を粉砕し、巨体を上半身ごと宙に吹き飛ばして鉄屑に変えた。

 

「ツィリル! 城壁の影から、アガルタの魔道士どもがあなたを狙っています!」

「うん。イングリット、お願い」

 

「……ええ。私の主君に、その汚い狙いを向けないでください!」

 

ツィリルの短い指示に呼応し、ペガサスに騎乗したイングリットが吹雪と同化するような凄まじい速度で空へ舞い上がった。彼女の振るう英雄の遺産『ルーン』の槍先が、城壁の陰に身を潜めて呪文の詠唱を始めていた魔道士たちの喉元を冷徹に、そして極めて効率的に貫いていく。上空からの正確無比な強襲により、ツィリルを狙う伏兵の射線は完全に潰された。

 

「ツィリルさん……お怪我は、ありませんか……?」

 

激しい爆発と金属音が飛び交う最前線。雪と泥に塗れた戦場の中心で、マリアンヌが祈りの杖を高く掲げ、ツィリルの背中を癒しと保温の光で優しく包み込んだ。

 

「フフッ。本当に、ツィリルをこんな寒い雪山で歩かせるなんて……いけない聖女様ね。私が綺麗にお掃除してあげるわ」

 

メルセデスが、極上の微笑みを湛えたまま、ゆっくりと一歩前に出る。彼女の背後に展開された無数の光の矢『アプラクサス』が、残存していたタイタニスの残骸と、逃げ惑うアガルタの兵士たちへ向けて一斉に降り注いだ。

神聖なる光の刃が、魔道人形の残骸を貫き、呪われた装甲をドロドロに溶かして完全に沈黙させる。

 

「大丈夫。マリアンヌとメルセデスが側にいてくれるおかげで、ちっとも寒くないよ。……みんな、すごく手際がいいね」

 

「っ……! はい……私、ツィリルさんのために……っ!」

 

ツィリルの称賛の言葉に、マリアンヌの頬が熟れた林檎のように赤く染まった。

 

彼女たちの眼中に、王国奪還という大義や、立ちはだかる鋼鉄の脅威など最初から存在していない。

ただ「ツィリルの歩む雪道を均す」というその一点においてのみ結託した少女たちの暴力的な熱狂が、帝国最強と謳われたコルネリアの防衛線を一方的に蹂躙し、巨大な鉄屑と焦土の山へと変えていった。

 

ほんの数分。

それだけで、王城の前の雪原を覆っていたタイタニスと魔法陣の罠は完全に消し飛び、コルネリアの待つバルコニーへの直通の道が、ぽっかりと口を開けていた。

 

「……道は空いたよ。行って、ディミトリ」

 

ツィリルは、手斧を下げたまま、短く顎をしゃくった。

 

「ああ。……感謝する、ツィリル。そしてお前たちも」

 

ディミトリは、静かに、だが確かな王としての威厳に満ちた足取りで、焦げた匂いと鉄屑が散乱する雪原を踏み越え、王城のバルコニーへと続く階段を上っていった。

 

***

 

「チッ……忌々しい教団の犬どもが。……まあいいわ。タイタニスなど、所詮はただの人形。私が自ら、あの青二才をあの世へ送ってあげるわ」

 

バルコニーの扉が蹴り破られ、ディミトリが姿を現しても、コルネリアの顔に焦りの色はなかった。彼女は扇子で口元を隠し、ディミトリの右目の眼帯を見下すようにして、悪辣で飄々とした笑みを浮かべた。

 

「オホホ……立派な王様になったこと。随分と獣の匂いが抜けて、つまらなくなりましたわね。でもねえ、ディミトリ? あなたは何も知らないのよ。あのダスカーの悲劇の真実も……あなたの愛した継母(パトリシア)が、本当は誰を恨み、誰を殺そうとしていたのかも」

 

「……何?」

 

ディミトリの足が、ピタリと止まる。

長年彼を幻聴と幻覚で縛り付け、狂王へと堕とした最大の元凶――『ダスカーの悲劇』。その中心にいた継母パトリシアの真意。それを匂わせる言葉を聞かされて、彼の心が揺らがないはずがなかった。アラドヴァルを握る手に、一瞬の隙が生じる。

 

「ふふふっ、知りたい? なら、あの世で義母上に直接聞いてごらんなさァァいッ!!」

 

言葉でディミトリの心を意図的に揺さぶり、彼が一瞬耳を傾けたその隙を突いて。

コルネリアが扇子を投げ捨て、ニタァッと醜悪に笑いながら、ドレスの背後に隠し持っていたアガルタの暗器(毒刃の射出機)を起動した。

致死の猛毒が塗られた刃が、至近距離からディミトリの心臓へ向けて射出されようとした、その瞬間。

 

ギャルンッ!!

 

眼下の広場から、凄まじい回転音を伴って飛来した手斧が、バルコニーの欄干を掠め、コルネリアの腕を暗器ごと正確に弾き飛ばした。

 

「……っ!? あぐっ……忌々しい小ネズミが……!」

 

腕を弾かれ、暗器の狙いを完全に逸らされたコルネリアが、激痛に顔を歪ませながら憎々しげに眼下を睨みつける。

広場では、ツィリルが手斧を投げ終えた投擲の姿勢のまま、一切の感情を持たない金色の瞳で彼女を見上げていた。

 

「……ディミトリ。そんな魔女の戯言、聞く価値ないですよ。……早く仕事を終わらせてください」

 

ツィリルの放った平坦な一言が、コルネリアの仕掛けた精神的な毒を完全に打ち砕いた。

過去の真実がどうであれ、目の前の魔女が王国を蹂躙し、民を苦しめた元凶であるという事実に変わりはない。ツィリルの言葉で過去の呪縛を完全に振り切ったディミトリは、深く息を吐き、静かにアラドヴァルを構え直した。

 

「……貴様の戯言に耳を貸す俺は、もう死んだ」

 

「なっ……! 待ちなさい、ディミトリ! 私はまだ、あなたの継母の真実を……っ!」

 

「これは、復讐ではない。……過去を背負い、未来の民を護るための、王の裁きだ」

 

一閃。

ディミトリの迷いのない一撃が、恐怖に顔を引き攣らせた魔女の首を、その最期の言葉ごと綺麗に刎ね落とした。

コルネリアの首が雪の積もるバルコニーの床に深々と突き刺さり、血の華を咲かせる。

ここに長きにわたって旧王国領を苦しめてきた魔女の支配は完全に潰え、正統なる王の帰還が果たされたのである。

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