魔法陣っぽいのものを作れるようになって数週間。
「イリス~、大きくなったらどうしたいんだ~?」
「その言葉を言うにはまだ早いのではないですか? イグニス様」
なんだか最近、イグニスさん達が良く話しかけてくるようになった。
この前、本から文法を推測したこともあり、会話内容のほとんどは理解できる。しかし、たまに理解できない言葉も出てくる。
「■■に行ってみるか?」
問いかけられた。
このように、おそらく固有名詞はまだわからない。
なぜ赤子に問いかける。そしてなぜイーラさんはそれをツッコまない。
外の世界は知りたいけれど、まだ歩けないし、何より自分で色々見て回りたい。
「ううあ」
「嫌か? じゃあ仕方ないな」
「やはりちゃんと理解してますね」
「ああ、そうだな」
あ、やったか?
冷や汗が噴き出る。そうだ、本読んで魔法陣っぽい何かを作ったあの時、イーラさんに疑念を持たれていた。
いや別に転生者ってことがバレても問題ないとは思うけれど、もし俺がイリスじゃないってバレたら......いや、そもそもイリスってなんだ、産まれた時から俺なんだから俺もイリスなんじゃないか? 俺は元の世界に帰ることを目指しているのだから、そもそもいつかは消えるわけで、それならなおさら転生者ってことは明かさないといけないのだから、今ここでばらしたところでなんも問題はないはず、ああヤバイ焦って思考が変な方向に回ってる。
「頭がいいですね。学習能力も高い」
「ああ、こりゃぁ立派に育つぞお、はっははは」
杞憂だった。いや杞憂というにはまだ早いかもしれないが、現状は大丈夫だと思われる。
.......当たり前だな。異世界転生とかいう概念があるかは分からないが、普通は赤ちゃんが別世界の高校生だなんて思うはずがない。
「歩けるようになったら、■■に行こうな」
「先程イリス様は拒絶されてましたが」
「まあいいじゃないかイーラ」
なんか行くことになったようだ。行かない意思表示をしたのに。明確に喋ることが可能であればこういった時にもう一度否定することが容易なのだが、今はまだ喋れないせいで拒否するのが難しい。
予定は自分で管理したいから、こういうのは少し嫌なんだよな、赤ちゃんだから仕方ないし当たり前だけど。イグニスさんはこういうところがある。
「いぐにつ」
ぽつりとつぶやく。広々としたリビングが一瞬、静まり返った。
「あ」
「お? お、おおおお!」
喋れたわ。
イグニスさんが歓喜の表情を浮かべる。自分の子供が初めて自分の名を呼ぶ現場に居合わせるのは、余程幸せなようなようで、喜びのあまり少し泣いている。
イーラさんも冷静なようで何処か感動のようなものを感じさせる顔だ。
俺からしたら、そこまで特に達成感のようなものもないが、喜んでいる。よくよく考えてみるまでもないが、初めて喋った現場に居合わせたうえに、娘の言葉は自身の名。当然、父親としてとてもうれしいだろう。
「俺の名前! 俺の名前だぞ! なんでパパじゃなんだ?! やったああ!」
俺の脇の間に手を伸ばし、抱き上げられる。
「いや~~~」
「イグニス様、振り回してはいけません!」
空中でぐるぐると振り回される。今手を離されたら吹っ飛びそうだ。
リビングの景色が移り変わる。観葉植物、机、犬の人形などが視界に入っては消えて、また入るを繰り返す。
やばい、酔いそう。
「イリス様も顔を悪くしてますよ」
「ああ、ごめんごめん」
抱きかかえたまま、回転を辞める。
はしゃぎやがって......
「いぐにつ......きらい」
「え、なんてぇ?」
「はぁ......」
とても小さくつぶやいた言葉、イーラさんには聞こえていたようだ。溜息を漏らしている。
おそらく使用人という立場の人に頼むのはとても申し訳ないけれど、イグニスさんを制御してほしい。
シャルロットさんに自分の名前を先に呼んだと自慢した結果、小突かれへこんでいたイグニスさんを尻目に、絵本を読む。
イーラさんにどう思われてるかは心配だが、少なくとも悪感情は抱かれていない。アルバート夫妻も、俺のことをただ頭が良い子だと認識している。ならそれを利用し、さっさといろんなことを知ろう。教えてもらうのも悪くないけれど、どうせ元の世界に帰るのだし、愛着は持ちたくない。今更だろうけど。
ありきたりな勇者と魔王の物語。特に面白いというわけでもない。子供向けなこともあり表現もマイルド。
要約すれば、鬼のような角が生えた種族である魔人を率いた王、魔王が突然人間に攻撃を開始し、人間たちの生活が脅かされる。そして偶然、勇者と呼ばれる勇敢で、とてもつよい人物が現れ、一度は魔王の卑劣な攻撃に敗れるものの、様々な人々の支援により再び立ち上がり、人々が誰かを思う力で魔王を打ち倒した。といったものだ。
言葉が分かるようになったからこそ、暇つぶしとしても有用。しかしながら、今俺が読んでいる絵本は王道、悪く言えばテンプレが多い。まぁそのテンプレを楽しめることもよい事ではあるけど、それだけが好きってわけでもない。
「あら、勇者様の伝説譚を読んでるわね」
シャルロットさんがちらりとのぞき込んでくる。
「ああ、そういえば聖剣の錆が落ちたらしいな。どこで剣聖が生まれたんだろうな」
「錆が落ちたといっても、5年とかそれくらい前じゃなかった? 今更話すには結構遅い話題だけど」
「勇者様と言えば、勇者様が遺した聖剣を扱う剣聖じゃないか。それが出てきてね」
シャルロットさんのつぶやきから会話が広がる。
聖剣の錆が落ちた? 剣聖が生まれた? ようやく俺が知ってるような異世界ラノベになるのか?
耳慣れないが、この前からちょくちょく剣聖だとかそういった単語を見聞きしていた。
これから剣聖になるのだとしたらという淡い期待と、この異世界はそこまでチートさせてくれないし思ってたのと違うと淡い期待を否定する心が対立する。
というかそもそも、あの勇者と魔王の絵本は史実だったのか? この世界が前の世界と似ているせいで、勝手にそんなものはないと思いこんでいた。だが、実際はちゃんと異世界ラノベっぽい感じの世界観でもあるのだろう。
「けんていかぁ」
もし自分がなったらと空想しつつ、剣聖を想像する。聖剣を扱い、多分いるっぽい魔物を切り裂いていく。
魔王がいるというのだから、当然魔物もいるだろう。かなり安定した文明が発展しているし、イメージが沸きずらいが。
まだ見ぬ聖剣や魔物、そして魔法に期待を寄せる。
元の世界に帰ることが一番の目標。しかし、その過程で何かを楽しむことはしてもよいだろう。