閑話-1- 崩れた日常と始まり
涼しい空気の中で、少女は一人ただ立っている。
「はぁ」
ため息が漏れた。
「なんで、こうなっちまったんだ」
静かな病室。嫌になるほど涼しく、空気もきれいに保たれている病室。
病室内のベッドに寝ているのは、稲葉楓だ。
点滴が繋がれ、病衣に身を包む。
なぜこうなったのか、原因は分からなかった。病室の先生に尋ねても、答えは同じ。脳組織に損傷があるわけでも、神経系に異常があるわけでも、持病があったわけでも、何らかの病気に感染したわけでもない。
治療の目途も立っていない。
「楓さぁ、ふざけた冗談もいい加減にしてくれよ? 私、キミとまだ遊び足りないし、凪とキミをくっつけれてないんだけど」
ただねているだけのような、いつも通りの呼吸をしている楓に話しかける。
反応はない。彼の両親もすでに、見舞いに来た後だ。病室に入る前、泣き崩れる声がした。誰だって、愛する子供が植物状態になれば、悲しみに暮れる。その中でも、アイツの親友ともいえた私、東條花樹を、楓と合わせてくれた。一人で合わせてくれる配慮もしてくれた。
「凪ちゃんさぁ、キミの事好きだから、両片思いだったわけなんだが。なんであともう少しってところで、こうなっちゃうかな。凪ちゃんも呼んでるけど、遅れるらしいし、ちょっとの間私とタイマンで話すことになるぞ」
現実を受け入れられなくて、話しかける。それに答えることは無いのに。
熱い塩水が瞼からこぼれた。
「案外涙もろいんだなぁ。なんで、あの時、あの場所で、別れた時は元気だったじゃん」
少女の静かな叫びが、静かな空間で木霊する。
稲葉楓はピクリとも動かない。
「聞こえてないだろうから話すけど、私、キミに憧れてたんだぜ? バカみたいな好奇心と、躊躇わない行動力。キミは自分の事普通だって言ってたけど、ハッキリ言って変人だったね。まぁ、諦めない姿勢と、考え方はかなり好きだよ」
涙ぐんだ、何処か震えた声。恋愛感情はハッキリってあるわけがない。けれど、友情はかなり深く、結ばれていた。
「東條さん......」
後ろから、硝子のような、透き通った声が響いた。楓が恋愛感情を向けていた相手が、雨宮凪が来ていたようだ。それに気づかず、話していたことに少し恥ずかしさを覚える。
「私は、話したいことそこそこ話したし、キミも話しなよ。凪ちゃん」
震えた声で、凪に言葉を掛ける。
「どうして、貴方は......」
言葉が出ないのだろう、何かを言おうとすれば、それを飲み込んで、話す言葉を整理している。
楓と親友だった私に相談したり、私のアドバイスを受けてアタックしたり、それだけ大切で恋愛感情を向けていた人間が、動かなくなった。
楓の両親の抱える思いにも似ているが、その辛さは凪にしかわからない。
「私はここから出るから、好きな人と話してなよ。私がいないほうが話しやすいだろうしさ」
「......」
沈黙を肯定と受け入れ、異様なまでに澄んだ病室を後にする。
静かな廊下で、足音を響かせる。
病院の自動販売機で、コーラを買いながら、ふと思いたった。
(......あの商店街に、何か理由があるのかな)
楓と別れた商店街。楓は、商店街の中で突然植物状態になったらしい。
原因がないと結果は起きない。
「......調べてみるか」
重く感じていた足が、少し軽くなった気がした。
病院を出る。蒸し暑い熱気が体を襲う。汗が噴き出てくるが、そんなことなんてどうでもいい。
朝霧商店街に向かって走る。
一緒に遊んだゲーセンを通って、一緒にご飯を食べた店を通って、一緒にふざけ倒した公園を通って、最後に分かれた場所へ向かう。
「はぁ、はぁ、着いた」
楓が死んだ場所。正確に言えば死んではいないが、私にとってはそれと同義だった。
シャッターが閉まり、何処か異質さを感じるほど静かな商店街を歩く。
風が吹かない、空気が重い。思い込みもあるのだろうが、何か怪異が出そうなほど、恐怖を覚えさせる。
(キミは、どうしてああなってしまったんだ)
何も見つからない。
(結局、何の意味もないか)
当たり前だ。内傷も外傷もない原因不明の植物状態。どう足掻いても、手掛かりなんてあるわけがない。
だけど、諦めきれない、諦めたくない。
「......?」
何かを見つけた。
「......雀?」
このあたりをよく飛んでいる雀。しかし、どこかおかしい。
「動かない......植物状態?」
息はしている。しかし、自分から動くこともない。植物状態、それは楓もなっている状態。
「まさか──」
ふと思い立った疑問、それを検証すべく、商店街の細部を調べる。するとそこには、生命活動を維持しているが、意識はない、植物状態の動物が大量に居たのだ。
野良犬、野良猫、鳥、虫までもが、植物状態になっている。
「何が起きてるんだ......?」
明らかな異常事態。何かが起きた、何か原因があるのだ。
(考えろ、あの好奇心旺盛な馬鹿なら、稲葉楓なら、どう考える)
私が憧れた人、稲葉楓なら、どう考えるか。
原因を掴めたわけじゃない。だが、進展はした。問題を治せるわけではない。けれど解明できれば、もしかしたら、楓を救えるかもしれない。
「やってやろうじゃねえか」
一人の少女が、決意を抱いた。親友を、友の好きな人を救う決意を。