ポケットモンスターAGE デルタの終点   作:natsuki

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第十三話 海の学園

 研究区画へ向かう途中でも警報は止まらず、天井近くに埋め込まれた誘導灯が一定の間隔で明滅するたび、つい先ほどまで穏やかな空気に包まれていたブルーベリー学園が、巨大な研究施設としての別の顔を覗かせているようにレイには感じられた。

 廊下を行き交っていた学生たちは職員の指示を受けてテラリウムドーム側へ誘導されており、その流れに逆らうように研究区画へ進んでいるのは、レイとニャローテ、それにシアノとアクロマだけだった。

 

「大丈夫なんですか、俺まで行って」

「むしろ来てもらわないと困るんだよ」

 

 早足で進みながらシアノは、昨日見つかった結晶がそれまでほとんど反応を示さなかったにもかかわらず、レイの到着とほぼ同時に活性化した以上、偶然として片付けるには少し出来すぎているのだと説明した。

 

「俺じゃなくて、この石に反応したんじゃないですか」

「その可能性は高いでしょう」

 

 横から口を挟んだアクロマによれば、だからといって石だけを切り離して考えるのも早計であり、これまでの観測では石が単独で大きな反応を起こした例はほとんどなく、レイが触れている時、あるいは彼の周囲で異常現象が発生した時に限って、活性化の度合いが上昇しているという。

 

「それって……」

 

 その意味を尋ねようとした矢先、胸元の石が小さく震え、ニャローテも気付いたらしく、レイの肩越しに制服の胸元をじっと見つめた。

 

「またです」

「回数は?」

「今のは一回だけ」

「記録しておいてください」

「こんな時まで?」

「こんな時だからこそ、です」

 

 振り返ることなく答えるアクロマに、レイは何とも言えない顔をしながら端末を取り出し、時刻と場所、それに石が一度だけ振動したことを記録した。

 研究区画へ近付くにつれて学生の姿は消え、代わりに白衣を着た研究員たちが忙しなく行き交うようになり、壁や床の造りそのものは学園の他の場所と大きく変わらないものの、扉の横には幾つもの認証装置が設けられ、窓越しに見える部屋にはレイが用途を想像することさえできない機械が並んでいた。

 その最奥にある隔離室の前でシアノが足を止めると、厚い透明壁の向こうには幾つもの測定機器に囲まれた小さなケースがあり、その中央へ掌に収まるほどの紫色の結晶片が固定されていた。

 

「これが……」

 

 レイは思わず透明壁へ近付いた。

 パルデアで遭遇したガケガニの身体を覆っていたものと似てはいるものの、まったく同じというわけではなく、ガケガニに付着していた結晶がもっと濁り、内側から紫色の光が滲み出しているように見えたのに対し、こちらは透明度が高いうえ、表面を流れる光も青紫から赤、そして無色へと絶えず変化している。

 

「これが昨日見つかったものですか?」

「テラリウムドームのキャニオンエリアで発見されたものだよ。野生のポケモンに付着していたわけではなく、地面から突然生えていたらしい」

「突然?」

「少なくとも、その数時間前に撮影された映像には何もなかった」

 

 シアノが操作盤へ触れると壁面のモニターに映像が表示され、岩の多い乾燥した土地を一匹のポケモンがゆっくり横切っていく様子が映し出されたが、時刻の異なる同じ場所の映像へ切り替わった途端、それまで何もなかった岩と岩の隙間から紫色の結晶が突き出しているのが確認できた。

 

「誰かが置いた可能性は?」

「監視記録には人間もポケモンも映っていない。それに、地下を掘って埋めた痕跡もなかった」

「じゃあ、本当に突然……」

「出現した、と表現するのが現在得られている情報だけを見れば最も適切でしょう」

 

 アクロマの言葉を聞きながらレイが透明壁へさらに近付くと、胸元の石がもう一度震え、今度は一度きりでは終わらず、小さな脈動を繰り返し始めた。

 それに呼応するように隔離室の結晶も明滅を始める。

 

「反応値、上昇しています!」

 

 室内の研究員が声を上げ、アクロマがすぐに端末へ視線を落としたものの、レイは数字ではなく結晶そのものから目を離すことができなかった。

 ただ明るくなっているわけではない。

 胸元の石が光れば少し遅れて結晶が輝き、結晶の光が弱まると再び石が脈打つという規則的な応酬が続いており、まるで透明壁を隔てた向こう側から、何者かがこちらの存在を確かめるように叩き返しているようだった。

 

「……会話してるみたいだ」

 

 思わず漏らした言葉に、アクロマが顔を上げる。

 

「興味深い表現ですね」

「いや、何となくそう見えただけです」

「それで十分です。観測というものは、必ずしも数値から始まるとは限りません」

 

 アクロマは隔離室の結晶とレイの胸元を交互に見つめ、もしこれが一方的な反応ではなく情報の交換なのだとすれば、と口にしたところで、不意に続きを飲み込んだ。

 

「何です?」

「まだ仮説にもなっていません」

「またそれですか」

「便利でしょう?」

「博士だけには」

 

 シアノが小さく笑った直後、それまで一定だった警報音が短く途切れ、代わって機械的な通知音が室内へ響いた。

 研究員の一人がモニターへ駆け寄る。

 

「校長、表示が変わりました」

 

 シアノとアクロマが並んで画面を確認し、レイも少し遅れて二人のそばへ近付くと、そこには先ほどまで表示されていた『二次観測対象を検出』という文章が消え、代わりに『照合先検索中』という文字が現れていた。

 その下では、カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロス、アローラ、ガラル、パルデアという地方名が次々と高速で流れ、一巡すると再び最初へ戻る動きを繰り返している。

 

「何を照合してるんですか」

「分かりません。この表示そのものが、うちのシステムに組み込まれているものじゃないんだ」

「じゃあ、誰が表示してるんです?」

 

 シアノの返答にレイが問い返しても、誰も答えることはできなかった。

 やがて高速で流れていた地方名が徐々に速度を落とし、最後には一つの場所で完全に停止した。

 

『アローラ』

 

 その文字を目にした瞬間、レイは息を呑み、昨夜見た南国の島と、浜辺に倒れていた赤い帽子の少年を思い出した。

 

「また、アローラ……」

 

 その呟きを聞いたシアノが振り返る。

 

「また?」

「昨日も見たんです。石が反応した時に、海と島が見えて……そこに、あの帽子の人がいました」

「アローラだと確認できたんですか?」

 

 アクロマに訊かれ、レイは首を横へ振った。

 

「いいえ。でも、さっきこの結晶に出たのもアローラだったし……」

「似ていることと、同一であることは別です」

「分かってます」

「なら結構」

 

 突き放しているようでいて、アクロマ自身も画面から目を離しておらず、数秒後に『アローラ』の文字が消えて『該当記録を確認』という新たな表示と一つの日付が現れると、その表情が僅かに変化した。

 

「博士?」

「……古いですね」

「知ってる日付なんですか」

「私が知っているというより、照合できる可能性があります」

 

 シアノはすぐに操作盤へ触れ、ブルーベリー学園には各地方との共同研究で集めた記録があるため、閲覧権限の範囲内にはなるものの、資料室を調べれば何か見つかるかもしれないと提案した。

 

「アローラの記録も?」

「あるよ。それだけじゃない。ホウエンもカロスも、必要なら調べられる」

 

 ホウエンという名前を聞いた瞬間、胸元の石が一度だけ震えたため、レイは反射的にそこへ手を当てた。

 

「今、反応しました」

「どの地方名で?」

「ホウエンです」

 

 アクロマが目を細める。

 

「記録を」

「もうしてます」

「成長しましたね」

「博士に何度も言われましたから」

 

 少しむっとして答えるレイに、アクロマは満足そうに頷いた。

 研究区画を出た頃には警報も解除され、学園内には少しずつ普段の空気が戻り始めていたが、結晶は再び沈黙し、画面に現れた文字列もシステム上には保存されていなかった。

 研究員たちが画面そのものを外部カメラで撮影していたため内容だけは残ったものの、履歴を調べても『照合先検索中』という処理が実行された記録はなく、まるで表示だけが機械の内側へ割り込んできたような状態だったという説明を聞き、レイはむしろその事実の方に強い気味の悪さを覚えていた。

 誰も操作しておらず、プログラムにも存在しない機能が勝手に何かを探し、遠く離れたアローラの記録へ辿り着いたのだとすれば、それを行ったのは誰なのか、それともそもそも『誰か』という考え方自体が間違っているのかさえ分からない。

 

「考え込んでるね」

 

 突然声を掛けられて顔を上げると、いつの間にかシアノとは別れ、アクロマも研究員と話すために残っていたため、レイはニャローテと二人でテラリウムドームへ続く通路を歩いていた。

 声の主は少し離れた壁際に立っていた少女で、褐色の肌に白い髪、きっちりと整えられた制服という姿と、その鋭さを感じさせる眼差しからは、初対面のレイを値踏みするというより、目の前の人物が何者なのかを正確に把握しようとする生真面目さが伝わってきた。

 

「パルデアから来た人だね」

「そうだけど……」

「ネリネ。ブルーベリー学園の生徒で、シアノ校長からあなたの案内を頼まれている」

「ああ、そうだったんだ。俺はレイ」

「知っている。今回の共同調査に参加する交換学生で、パルデア地方のオレンジアカデミー所属、同行ポケモンはニャローテ、滞在期間は現時点で未定」

「……全部聞いてるんだ」

「案内役が相手の情報を知らない方が問題」

 

 ネリネはそう言うと、レイの横にいるニャローテへ視線を落とした。

 

「よろしく、ニャローテ」

 

 ニャローテが少し警戒するように鳴くと、ネリネは無理に近付こうとはせず、その場で僅かに距離を取った。

 

「警戒されている」

「初対面だと、たまにそうなるから」

「問題ない。必要な距離を保つ」

 

 恐ろしく真面目なのだろうが、レイはまだ会って一分も経っていないうちから、この少女との会話には独特の調子があることを理解し始めていた。

 

「案内って、どこから?」

「本来なら学園施設を一通り回る予定だった。ただし、研究区画で異常が発生したため予定を変更して、先に資料室へ行く」

「……話、早いな」

「あなたもその方がいいはず」

 

 そう言われれば否定できず、踵を返して迷いのない足取りで歩き始めたネリネを、レイはニャローテと一緒に追い掛けた。

 テラリウムドームを横切る途中、ネリネは世界各地から集まった学生がここで学んでいることや、ドーム内部では複数の環境が人工的に再現されていること、ポケモンバトルが盛んである一方、他地方の研究機関との共同研究も多いため、一般の学校では扱わないような資料まで保管されていることを、必要な情報だけ選び取るように説明してくれた。

 

「アローラの資料もある?」

「ある。ただし、全部を閲覧できるわけではない」

「さっき、研究室の機械がアローラの記録を探してたんだ」

「聞いた」

「もう?」

「校長から連絡が来た。だから資料室へ向かっている」

 

 簡潔だが筋は通っており、レイは続けてホウエンやカロスについて尋ねた。

 

「三つとも見られる?」

「理由次第」

「理由は……同じ人が関わってるかもしれないから、かな」

 

 胸元へ触れながら答えると、それまで一定の速度で歩いていたネリネが足を止めた。

 

「同じ人?」

「まだ分からないんだけど、何度か石が反応した時に、赤い帽子を被った人を見てる。アローラみたいな島にもいたし、さっきは大きな街にもいた。それに、ホウエンって聞いた時にも石が反応した」

「幻覚?」

「……そう言われると否定できない」

「否定しているわけではない。可能性を確認しただけ。もし同一人物を探すなら、場所ではなく人物から検索した方が早い」

「でも名前が分からないんだ」

「特徴は?」

「赤い帽子を被った男の人で、たぶん今の俺より少し年上だったと思う。映像によって違って見えるけど」

「使用ポケモンや所属は?」

「分からないし、顔もちゃんとは見えてない」

 

 ネリネはしばらく考えた末、検索条件としてはかなり弱いが、それでも何もないよりはましだと判断したらしく、再び歩き始めた。

 やがて二人が辿り着いたのは、学園の一般区域から少し離れた静かな区画で、そこには図書館とは違う重厚な扉があり、ネリネが学生証を認証装置へかざすと、低い作動音とともにゆっくり開いていった。

 

「ここが資料室」

 

 内部には本棚もあったが、それ以上に目立つのは壁際へ並んだ端末と、厳重なケースへ保管された記録媒体で、古い研究記録や各地方から提供された報告書、学会資料、共同研究の観測データなどが保存されているものの、機密指定された資料については学生権限では閲覧できないらしい。

 

「それでも十分だよ」

 

 レイが端末の前へ座ると、ニャローテも隣の椅子へ飛び乗り、ネリネは立ったまま操作画面を開いた。

 

「最初は?」

 

 アローラを調べるべきか、それとも先ほど石が反応したホウエンを優先するべきか、レイは少し迷った末に後者を選んだ。

 

「ホウエンから」

「了解」

 

 検索を始めると膨大な件数が表示されたため、ネリネは年代や事件記録、人物情報を組み合わせて条件を絞り込んでいった。

 

「赤い帽子の人物が関与した事件で、年代は不明。有名人なら映像記録が残っている可能性が高い」

 

 リーグ関係者や研究者、ジム関係者、災害記録、事件報告といった項目が次々に絞り込まれていき、その中に一つだけ、他より明らかに多くの関連資料を持つ項目が現れた。

 

『ミシロタウン出身トレーナー』

 

 個人名の部分には閲覧制限が掛けられているものの、関連する公開記録の見出しには、『グラードン・カイオーガ異常活動における民間協力者』『ホウエン地方巨大隕石接近事案』『空の柱・レックウザ関連記録』といった、ただの一トレーナーとは思えない出来事が並んでいた。

 

「この人……全部同じ?」

「記録番号は一致している。ホウエンではかなり知られている人物みたい」

 

 ネリネが一つの映像資料を開くと、古いニュース映像らしく画質はそれほど良くなかったものの、大勢の人々が歓声を上げる中、その中央を一人の少年が歩いている姿だけは確認できた。

 顔は角度のせいでよく見えない。

 それでも、頭に被っているものだけははっきり分かった。

 

「……赤い帽子」

 

 その瞬間、レイの胸元で石がこれまでとは比べものにならないほど強く震えた。

 

「レイ?」

 

 ネリネが振り返ったが、レイは答えられず、映像の中の少年を見つめ続けた。

 何度も見た後ろ姿。

 浜辺に倒れていた人物。

 雨の街を走っていた人物。

 映像の少年は幻視の中で見た姿より幼く、輪郭にも多少の違いがあるため、理屈だけなら別人だと考える余地はいくらでもあるはずなのに、それでも胸の奥では、同じ人物なのだという確信に近い感覚が膨らんでいた。

 そう思った瞬間、端末の映像が大きく乱れた。

 

「……何?」

 

 ネリネが操作しても反応せず、画面を覆ったノイズによってニュース映像が消えると、代わって黒い画面へ『観測記録照合』という文字が表示され、その下に三つの項目が現れた。

 

『HOENN:一致』

『KALOS:候補記録あり』

『ALOLA:――』

 

 最後の項目だけは文字が定まらず、表示されては消える動きを何度も繰り返した末に、やがて『ALOLA:記録欠損』という一文へ変化した。

 

「ホウエンだけじゃない……?」

 

 レイが息を止めるように呟くと、ネリネも画面を見つめたまま動かなかった。

 その時、背後から静かな声が届いた。

 

「そのようですね」

 

 振り返ると、資料室の入口にはアクロマが立っていた。

 

「博士」

「随分早く辿り着きましたね。もう少し時間が掛かると思っていました」

「この人を知ってるんですか」

 

 レイが訊くと、アクロマはすぐには答えず、端末へ表示された三つの地方名を順番に眺めた。

 ホウエンでは一致し、カロスには候補となる記録が存在する一方、アローラではその記録そのものが欠けているという不自然な結果を確認してから、ようやく口を開いた。

 

「知っている、という言葉には幅があります」

「またそういう言い方する」

「ですが、今回は一つだけ訂正しておきましょう」

 

 アクロマはホウエンのニュース映像を再表示させ、その中に映る赤い帽子の少年を指した。

 

「この人物が何者なのかを調べたいのであれば、カロスから追うべきではありません。彼の名が公に残り、多くの人間がその存在を知っている場所から始めるべきです」

「それがホウエン?」

「ええ。この地方では、彼は確かに存在した。そして、多くの人々が彼を知っています」

 

 レイは映像の少年へ視線を戻した。

 まだ名前は表示されていない。

 それでも、これまで石が見せる不可解な景色の中にしか存在しなかった少年が、現実に残された記録の中で確かに生き、誰かと関わり、ホウエンという土地を歩いていたのだという事実だけは、もう疑いようがなかった。

 

「……本当にいたんだ」

 

 胸元の石が静かに脈打つのを感じながら、レイは画面に映る赤い帽子の少年から、いつまでも目を離すことができなかった。

 

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