ポケットモンスターAGE デルタの終点   作:natsuki

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第八話 説明できないもの(後編)

 

 アクロマの表情は変わらなかった。

 だが、答えるまでにほんの僅かな間があった。

 

「どこで、その言葉を知りましたか」

「昨日、あなたが持っていた資料に書いてありました」

「なるほど。拾い読みは感心しませんね」

「落とした資料を見ただけです」

「それも拾い読みと言います」

 

 冗談なのか、本気なのか分からない。

 レイは視線を逸らさずに続ける。

 

「俺が見た景色と関係があるんでしょう」

「そう考える理由は」

「あなたが隠そうとしているからです」

 

 言った直後、自分でも随分と乱暴な理屈だと思った。

 しかしアクロマは怒らなかった。

 むしろ少しだけ興味深そうにレイを見つめる。

 

「良い観察です」

「答えになっていません」

「答えられないのです」

「どうして」

「まだ、説明できる段階にないからです」

「説明できないのか、したくないのか、どちらですか」

「両方ですよ」

 

 あっさりと認められ、レイは言葉を失った。

 アクロマは書架から一冊の本を抜き取りながら、淡々と話を続ける。

 

「科学者は、分からないことを分かったように語ってはいけません。現在起きている現象を境界と呼んでいますが、それが本当に世界と世界を隔てるものなのか、あるいは時間、空間、記憶、可能性といった別の何かなのか、我々にも断定できていない」

「それでも、何かは分かっているんでしょう」

「ええ」

「なら教えてください」

「知識として教えても、君は理解できないでしょう」

 

 その言葉には、馬鹿にするような響きはなかった。

 だからこそ、余計に腹が立った。

 

「やってみなければ分からないじゃないですか」

「その通りです」

 

 アクロマは本を閉じる。

 

「ですが君は、既に知識ではなく現象として理解し始めている」

「……どういう意味ですか」

「今はまだ、説明できません」

 

 同じ答えだった。

 レイが更に問い掛けるより早く、アクロマは背を向ける。

 

「一つだけ助言をしておきましょう」

「君が見たもの、聞いたもの、石が反応した時刻、その時に近くにいたポケモン、天候、場所、感情。すべて記録しておきなさい」

「それで何が分かるんですか」

「何も分からないかもしれません」

 

 アクロマは足を止めずに答える。

 

「ですが、説明できないものを説明できるようにするには、説明できないまま記録するところから始めるしかないのです」

 

 そのまま書架の向こうへ姿を消す。

 結局、何一つ答えてはくれなかった。

 だが、完全に拒絶されたわけでもない。

 少なくとも、自分が見ているものを否定はしなかった。

 レイは再び端末へ視線を戻す。

 画面には、アクロマの論文が表示されたままだった。

 異なる環境。

 異なる姿。

 異なる結論。

 そして。

 異なる世界。

 最後の言葉だけは、論文には書かれていない。

 しかし、それこそがアクロマの研究の先にあるものなのではないかと、レイには思えた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 夜。

 レイはアクロマに言われた通り、昨日までに起きたことを端末へ記録していた。

 石を拾った場所。

 最初に光った時刻。

 講堂で熱を持ったこと。

 燃える街を見たこと。

 ガケガニとの戦い。

 帽子を被った青年。

 書き出してみると、自分が経験したこととは思えないほど現実離れしていた。

 

「これを誰かに見せたら、信じてもらえると思うか」

 

 ベッドの上で丸くなっていたニャローテへ尋ねる。

 ニャローテは眠そうに片目だけを開くと、答えの代わりに大きな欠伸をした。

 

「だよな」

 

 端末を閉じる。

 机の上には、布へ包んだ石が置かれている。

 今日はもう何も起きない。

 そう思った瞬間だった。

 布の隙間から、青白い光が漏れ出す。

 

「……!」

 

 レイは咄嗟に立ち上がる。

 石が震えていた。

 これまでとは違う。

 小さな脈動ではない。

 机そのものを揺らすほど激しく震え、室内を満たす光が、次第に青から紫へと変わっていく。

 ニャローテも飛び起き、レイの前へ立つように身構えた。

 

「大丈夫だ」

 

 そう声を掛けた直後、視界が白く染まった。

 音が消える。

 足元の感覚が消える。

 そして。

 潮の匂いがした。

 青い海。

 白い砂浜。

 風に揺れる南国の木々。

 遠くでは、見たことのないポケモンたちが鳴いている。

 そこはパルデアではなかった。

 今まで見た燃える世界とも違う。

 穏やかで、美しく、どこまでも明るい島。

 その浜辺に、一人の少年が倒れていた。

 赤い帽子。

 砂に汚れた服。

 その傍らには、傷付いたポケモンたちのモンスターボールが転がっている。

 少年の指が、僅かに動く。

 ゆっくりと顔を上げる。

 しかし、その表情を見ようとした瞬間、強い光が視界を遮った。

 映像が崩れる。

 海も。

 島も。

 少年も。

 引き裂かれた紙片のように、ばらばらになって消えていく。

 最後に聞こえたのは、波の音ではなかった。

 遠くから響く、誰かの声。

 

 

 ――帰らなければ。

 

 

 その言葉だけを残し、レイの意識は自室へ引き戻された。

 机へ両手をつき、荒い呼吸を繰り返す。

 目の前には、光を失った石。

 足元には、心配そうにこちらを見上げるニャローテ。

 夢ではない。

 幻覚でもない。

 誰かが、確かにあの島にいた。

 そして。

 帰らなければならない場所を、今も探している。

 レイは震える指で端末を開き、新しい記録を書き始めた。

 時刻。

 天候。

 石の色。

 見えた景色。

 そして最後に聞こえた、短い言葉。

 だが、記録を書き終えようとしたその時。

 何も触れていないはずの画面へ、見知らぬ文字が一行だけ浮かび上がった。

 

 

 ——観測座標を確認しました。

 

 

 次の瞬間には、それも消えていた。

 

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