翌朝になっても、レイは昨夜見た一文を忘れることができなかった。
観測座標を確認しました。
ただ、それだけ。
誰が。
何を。
どこから観測したのか。
表示されたのは僅か数秒であり、端末の履歴にも残っていなければ、通信記録を確認しても外部から接続された形跡すら見つからなかったため、寝ぼけていたのではないかと自分自身を疑いたくなるところだったが、そんな逃げ道を許さないように、机の上へ置かれている石だけは昨夜より明らかに色を変えていた。
これまでは七色にも見える透明な輝きを宿していたはずなのに、今は中心部分へ僅かな赤色が混ざっている。
光を当てなければ気付かない程度。
それでも昨日まではなかった変化だった。
「観測座標、か……」
レイは端末へその言葉を入力してみる。
出てくるのは宇宙観測や地図測量、あるいは野生ポケモンの生態調査に関する資料ばかりで、昨夜の出来事へ繋がりそうな情報は何も見つからない。
当然といえば当然だった。
そもそも、あの表示が人間によるものだったのかすら分からない。
「ニャローテはどう思う?」
床へ座って毛繕いをしていた相棒へ訊ねてみる。
ニャローテは顔を上げ、少しだけ首を傾げた後、すぐに興味を失ったように前足を舐め始める。
「だよな。分からないよな」
答えが欲しくて訊いたわけではない。
ただ、声に出すことで頭の中を整理したかっただけだ。
レイは石を布へ包み直すと、昨日アクロマに言われた通り、端末へ新しい記録を追加した。
時刻。
室温。
天候。
幻視。
石の変色。
そして。
端末へ表示された文字。
最後まで書き終えたところで、突然画面の上部へアカデミーからの通知が表示された。
『本日午後、研究関係者による追加説明を実施します』
その下には小さく、
『対象:異常現象に関する目撃情報を提出した生徒』
と記されていた。
「俺も、か」
昨日までの記録をアカデミーへ提出した覚えはない。
だが、過去に遭遇したガケガニについては周辺の監視装置に戦闘記録が残っているだろうし、それ以前にもアクロマから何らかの報告が行っている可能性は十分にある。
何より。
昨夜の表示について尋ねられるかもしれない。
そう思うと、行かない理由はなかった。
◇◇◇
午後。
指定された研究棟の一室へ入ると、既に十人ほどの生徒が集まっていた。
レイと同年代の者もいれば、もっと年下に見える者もいる。
共通しているのは、皆どこか落ち着かない表情をしていることだった。
「君も見たの?」
隣へ座った男子生徒が声を掛けてくる。
「何を?」
「変な景色」
その一言で、レイは思わず相手の顔を見る。
「見たのか?」
「一瞬だけだけどね。砂漠みたいな場所。パルデアにも砂漠はあるけど、あれは違うと思う。空が……なんていうか、真っ赤だった」
前の席に座っていた女子生徒も会話へ加わる。
「私は森だった。ものすごく大きな木があって、その周りに知らないポケモンがいた」
「知らないポケモン?」
「図鑑にも出なかった」
レイだけではない。
初めて、その事実を実感する。
自分が特別なのだと思っていたわけではない。
だが、これまで自分の周囲で同じような幻視を体験した人間には会ったことがなかった。
ならば。
これは個人の異常ではない。
もっと広い範囲で起きている現象。
その考えに至ったところで、部屋の扉が開いた。
入ってきたのはアクロマだった。
白衣のポケットへ片手を入れたまま、いつものように周囲の緊張など気にする様子もなく中央へ立つ。
「皆さん、集まっていただきありがとうございます」
誰かが小さく息を呑んだ。
アクロマは生徒たちを一人ずつ見回した後、机の上へ小型端末を置く。
「まず最初に伝えておきます」
一拍。
「皆さんが見たものについて、現在我々は正体を特定できていません」
予想していた答えだった。
それでも部屋には小さなどよめきが広がる。
「幻覚ではないんですか?」
一人が訊ねる。
「その可能性も完全には否定できません」
「じゃあ夢とか?」
「夢を十数人が同時刻に見るのであれば、それはそれで非常に興味深い研究対象になりますね」
冗談なのか本気なのか、やはり分からない。
だが、アクロマはすぐに表情を戻した。
「しかし、皆さんが幻視を経験した時刻と、パルデア各地で観測されたエネルギー変動がほぼ一致しています」
端末から映像が投影される。
パルデア地方の地図。
そこへ無数の点が表示されていた。
赤。
紫。
青。
そのほとんどは大穴を中心として広がっている。
「こちらが過去三日間に確認された異常地点です」
「こんなに……」
誰かが呟く。
レイも驚いていた。
自分が遭遇したガケガニなど、ほんの一例に過ぎない。
数十。
いや、百近い地点。
「ですが」
アクロマが操作すると、画面が切り替わる。
今度は世界地図。
「問題はこちらです」
幾つかの地方へ同じ印が表示される。
ホウエン。
カロス。
ガラル。
そしてイッシュ。
「同様のエネルギー変動が、パルデア以外でも観測されています」
室内が静まり返る。
「……世界中で起きているってことですか?」
「現時点では断定できません。ですが、少なくともパルデア固有の現象ではない可能性が高い」
レイは地図を見る。
視線が、一点で止まる。
カロス地方。
そこだけ、他より大きな印が表示されていた。
「博士」
「何でしょう」
「カロスだけ印が違います」
アクロマは少しだけ口元を緩めた。
「よく見ていますね」
画面が拡大される。
一つの巨大都市。
円形に整備された街並み。
中央へ聳える巨大な塔。
「ミアレシティ」
名前だけなら知っている。
カロス地方最大の都市。
数年前、大規模な都市再開発が行われたことでも有名だった。
「昨日、パルデアで大穴の境界面が拡大したのとほぼ同時刻、ミアレシティでも空間異常が観測されています」