強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第98話 大荒野モイトラ

 乾いた風が、灰と砂を巻き上げていた。

 

 第49階層〈大荒野モイトラ〉。

 

 バンは赤黒く焦げた長衣の裾を揺らしながら、荒野の奥へ歩いていく。

 

 背後には、つい先ほど抜けてきた〈紅蓮の山岳〉がそびえていた。

 

 赤い亀裂から熱を漏らす山々。

 

 絶えず噴き上がる炎と蒸気。

 

 それらは階層の境界を越えた途端、まるで別の世界の景色となって遠ざかっている。

 

 代わりに周囲を満たすのは、見渡す限り続く灰色と褐色の大地だった。

 

 高い山も、密林も、複雑な迷宮もない。

 

 一見すれば歩きやすそうな平地である。

 

 だが、地面にはまともな場所の方が少なかった。

 

 何十メートルにも及ぶ亀裂。

 

 地面を深く抉った巨大な爪痕。

 

 黒く焼け焦げた土。

 

 砕かれた岩山。

 

 そして、武器や防具の残骸。

 

 折れた槍が半ばまで地面へ突き刺さっている。

 

 大楯の一部らしい金属板は、中央から押し潰されていた。

 

 何本もの矢が束になったまま黒く焼け、先端だけを残して崩れている。

 

「戦った跡しかねぇな」

 

 バンは足元に落ちていた剣の破片を拾った。

 

 刀身の半分ほどしか残っていない。

 

 刃は大きく曲がり、表面には赤黒い汚れがこびりついていた。

 

 高熱で溶けたというより、何か巨大なものへ何度も叩きつけた末に折れたように見える。

 

 少し離れた場所には、同じ意匠の剣が三本落ちていた。

 

 持ち主は別々でも、同じ部隊へ支給された武器だったのだろう。

 

「持って帰んねぇのか?」

 

 バンは剣の破片を地面へ戻した。

 

 合同遠征隊は第七十一階層付近まで潜り、すでに帰還を始めている。

 

 役目を終えた武器のすべてを持ち帰る余裕はなかったらしい。

 

 売れる魔石や希少な素材。

 

 負傷者の命。

 

 残った食料と水。

 

 それらに比べれば、折れた武器は捨てるしかなかったのだろう。

 

 バンは荒野の中央へ視線を向ける。

 

 巨大な窪み。

 

 その一角に突き刺さった赤黒い角。

 

 遠くから見た時よりも、近づくほど異常な大きさが分かった。

 

 露出している部分だけでも、バンの身長を遥かに超えている。

 

 地面へ埋まった根元まで含めれば、さらに長いはずだ。

 

 表面には無数の傷があった。

 

 細い剣で何度も斬った跡。

 

 巨大な斧や大剣を叩きつけた深い傷。

 

 矢尻が突き刺さった小さな穴。

 

 炎に焼かれた黒い痕。

 

 雷が走ったように枝分かれした焦げ跡。

 

 角の先端は、何かに正面から打ち砕かれていた。

 

「これが生えてた奴、相当でけぇな」

 

 バンは角の表面へ手を触れた。

 

 すでに熱は残っていない。

 

 硬さを確かめるように指を曲げる。

 

 力を入れれば折ることはできそうだが、鞄へ入る大きさではなかった。

 

 そもそも、鞄には大型の魔石や素材、水袋、酒瓶が詰まっている。

 

「持ってけねぇな」

 

 手を離す。

 

 その時、角の根元に刻まれた傷へ気づいた。

 

 自然にできたものではない。

 

 刃物で削られた文字だった。

 

 いくつかは砂に埋まり、完全には読めない。

 

 それでも、日付らしい数字と、複数の人名が刻まれている。

 

 討伐に参加した者たちの名前なのか。

 

 戦いで死んだ者たちの名なのか。

 

 バンには分からなかった。

 

 文字の下には、二つの紋章が並んでいる。

 

 ゼウス・ファミリア。

 

 ヘラ・ファミリア。

 

 ベヒーモスとの戦いでも目にした印だった。

 

「二つで倒したってことか」

 

 角から離れ、巨大な窪みの縁へ立つ。

 

 底には黒い土と灰が積もっていた。

 

 怪物の身体は魔石を破壊され、すでにダンジョンへ還ったのだろう。

 

 それでも戦闘痕だけは消えずに残っている。

 

 大地を覆うほど巨大だった怪物。

 

 それへ向かって、二つの最強派閥が一斉に攻撃を浴びせた。

 

 窪みの深さと周囲の破壊を見れば、戦いの規模は容易に想像できた。

 

 ベヒーモスの時とは違う。

 

 あの戦いでは毒霧に覆われた大地で、遠征隊は巨大な敵へ正面から挑んでいた。

 

 ここでは、戦場そのものが何度も踏み荒らされている。

 

 怪物が動くだけで大地が割れ、角を振るうだけで隊列が崩されたのだろう。

 

 バンは窪みの底を眺めた。

 

「もう少し早く来てりゃ、戦えたのにな」

 

 残念そうに言いながらも、引き返す気はない。

 

 倒された相手のために待っていても、何も起きない。

 

 荒野の奥に並んだ魔石灯は、先ほどより近くなっていた。

 

 人影もはっきり見える。

 

 合同遠征隊の一部が、戦場跡で何かをしていた。

 

 

        ◇

 

 

 魔石灯の周囲には、十五人ほどの冒険者がいた。

 

 全員が戦闘の準備を整えている。

 

 休息していた第四十四階層の帰還分隊とは違い、大きな負傷を負った者は見当たらない。

 

 大楯を持った者が荒野の外側を警戒し、軽装の冒険者たちは地面へ打ち込まれた杭や縄を回収している。

 

 魔導士らしい二人は、戦場跡に残る黒い染みを調べていた。

 

 荷物の近くでは、小人族の男が魔石と素材を箱へ分けている。

 

 バンが近づくと、見張りの一人が槍を構えた。

 

「そこで止まれ!」

 

 周囲の冒険者たちも一斉に振り返る。

 

 剣を抜く者はいなかったが、全員の視線がバンへ集中した。

 

「赤い長衣に四節棍……報告にあった男か」

 

「報告?」

 

「第四十四階層の帰還分隊から伝令が来ている。無所属を名乗り、単独で下っている男がいるとな」

 

「伝わんの早ぇな」

 

「この遠征では、分隊同士の連絡が途切れれば命に関わる」

 

 槍を持った男はバンの背後を確かめた。

 

「本当に一人のまま来たようだな」

 

「ああ」

 

「第四十八階層を抜けてきたのか?」

 

「そこに山あっただろ。あれ越えてきたぞ」

 

「随分簡単に言う」

 

 男はバンの焦げた長衣と膨らんだ鞄を見る。

 

 第四十四階層の帰還分隊から、どこまで話を聞いているのかは分からない。

 

 だが、少なくともバンを敵とは見なしていないらしい。

 

 構えていた槍を僅かに下げた。

 

「私はこの戦場整理班の隊長を任されている。ここは安全地帯ではない。用がないなら、立ち止まらず第五十階層へ向かえ」

 

「道聞こうと思ってたんだけどな」

 

「この荒野を東へ進め」

 

「東ってどっちだ?」

 

「……前の分隊から、その話も聞いている」

 

 隊長は深く息を吐き、荒野の奥を指差した。

 

「あの三本の岩柱が見えるか?」

 

「ああ」

 

「中央の岩柱を正面に見て進め。近づけば、地面に白い杭が並んでいる。それを辿れば第五十階層への入口へ着く」

 

「分かりやすいな」

 

「途中で大きな亀裂が二つある。北側へ回れ」

 

「北はどっちだ?」

 

「亀裂の右側だ」

 

「最初からそう言えよ」

 

「方角くらい覚えろ」

 

 隊長の隣にいた女冒険者が、堪えきれず小さく笑った。

 

 隊長は睨むように横を見る。

 

「何がおかしい」

 

「いえ。隊長が方角を説明するのを諦めるところは、初めて見ましたので」

 

「黙って作業へ戻れ」

 

「はいはい」

 

 女冒険者は笑いを残したまま、地面へ打ち込まれた杭を抜き始めた。

 

 バンは巨大な窪みへ親指を向ける。

 

「あれ、何と戦った跡なんだ?」

 

 周囲の動きが一瞬だけ止まった。

 

 隊長はバンの表情を確かめる。

 

「知らずにここまで来たのか」

 

「ああ」

 

「ギルドの記録も読んでいないのか?」

 

「読んでねぇな」

 

「第49階層の階層主――バロールだ」

 

「バロール?」

 

「この大荒野を縄張りとする巨人型の階層主だ。異常な巨体と怪力、強固な外殻を持つ。あの角は、頭部から生えていたものの一部だ」

 

 バンは赤黒い角を見る。

 

 あれだけ巨大な角を持つ巨人。

 

 身体の大きさは、窪みの幅から考えても相当なものだったはずだ。

 

「お前らが倒したのか?」

 

「往路で、合同遠征隊の本隊が討伐した。団長たちを中心に、ゼウス側とヘラ側の主力が総出でな」

 

「二人も戦ったのか?」

 

「二人?」

 

「マキシムと女帝だぞ」

 

 隊長の顔が険しくなる。

 

「団長たちを呼び捨てにするな」

 

「またそれか」

 

「帰還分隊から、お前が同じことを言ったとも聞いている。知り合いだと名乗ったそうだな」

 

「本当だぞ」

 

「団長たちの知人が、方角も知らずに単独で深層を歩いているものか」

 

「いるんだから仕方ねぇだろ」

 

「……第五十階層へ行けば、嘘かどうか分かる」

 

「だから行くって言ってんだろ」

 

 隊長はしばらくバンを見たあと、追及を諦めたように首を横へ振った。

 

「バロールはすでに討伐されている。復活には時間が掛かる。少なくとも、私たちが地上へ戻るまで再び現れる可能性は低い」

 

「もう出ねぇのか」

 

「戦いたかったのか?」

 

「ああ」

 

「正気とは思えないな」

 

「よく言われるぞ」

 

 バンは気にした様子もなく答えた。

 

 隊長の視線がクレシューズへ向かう。

 

「お前の力なら、全く勝負にならないとは言い切れないのが余計に恐ろしい」

 

「オレのこと知ってんのか?」

 

「第四十四階層の分隊から、魔石を触れずに抜いたと報告を受けている。ベヒーモス討伐戦に参加していた赤い男の話も、以前から聞いていた」

 

「赤い男って呼ばれてんのか」

 

「名前を知らない者が多かったからな」

 

「バンだぞ」

 

「今は知っている」

 

 隊長は窪みの周辺へ視線を戻した。

 

「私たちはバロール戦で残された装備と物資を回収し、復活の兆候がないかを確認している。この場所を空ければ、あとは本隊と合流して地上へ戻る」

 

「本隊は第五十階層にいんだよな?」

 

「ああ。第七十一階層付近から戻り、第五十階層で長期休息に入っている」

 

「随分長く休んでんな」

 

「深層から戻った直後だ。負傷者の治療、装備の修理、物資の再配分、回収品の整理。やることはいくらでもある」

 

 隊長はバンの鞄を見る。

 

「お前も第五十階層へ着いたら、まず荷物を下ろした方がいい。その鞄は限界に見える」

 

「まだ破れてねぇぞ」

 

「破れてからでは遅い」

 

「それもそうだな」

 

 バンが鞄の紐を引き上げる。

 

 何度も岩へ擦れ、高熱に晒された革は変色していた。

 

 表面には細かなひびも見える。

 

 バジリスクの鱗を差し込んだ部分だけは比較的形を保っているが、第五十階層へ着く前に大きな衝撃を受ければ裂ける可能性もあった。

 

 

        ◇

 

 

「隊長! 南側の地面が動いています!」

 

 荒野の外側を見張っていた冒険者が声を上げた。

 

 全員の動きが変わる。

 

 作業をしていた者たちが手を止め、武器を取った。

 

 荷物の周囲へ大楯が並ぶ。

 

 魔導士たちは魔杖を構えながら、見張りが示した方向へ身体を向けた。

 

 バンも荒野を見る。

 

 黒く焼けた地面の一部が盛り上がっていた。

 

 一か所ではない。

 

 戦場跡に残る窪みの周囲で、五つの膨らみがゆっくりと動いている。

 

 砂と灰を押し退け、細長い背中が現れた。

 

 巨大な百足に似た怪物だった。

 

 身体は黒褐色の外殻に覆われ、節の両側から何十本もの脚が伸びている。

 

 頭部には鋏のような大顎。

 

 大顎の隙間から、紫色の液体が滴っていた。

 

 一体が地面から這い出る。

 

 全長は十メートルを超えている。

 

 続いて二体目。

 

 三体目。

 

 戦場跡に残った血や魔力の痕跡へ引き寄せられてきたのだろう。

 

「回収作業を中断! 荷物を中央へ集めろ!」

 

 隊長が指示を出す。

 

 大楯を持つ者が前へ出る。

 

 槍使いがその後ろに並び、魔導士たちはさらに後方へ下がった。

 

 巨大な百足の一体が、無数の脚を動かして突進してくる。

 

「正面、受けるぞ!」

 

 三枚の大楯が並んだ。

 

 百足の大顎が楯へぶつかる。

 

 金属が激しく軋み、前衛の足が地面を滑った。

 

 すぐに槍が伸びる。

 

 外殻の隙間を狙った一撃。

 

 だが、百足は身体を捻り、何本もの脚で槍を弾いた。

 

 別の個体が横へ回り込む。

 

 魔導士が短い詠唱を終え、炎の塊を撃ち込んだ。

 

 爆発。

 

 黒褐色の外殻が焦げる。

 

 しかし、怪物は止まらなかった。

 

「しぶてぇな」

 

 バンが呟く。

 

 隊長は剣を抜いたまま振り返った。

 

「お前は第五十階層へ向かえ! これは私たちの任務だ!」

 

「道聞いたばっかで置いてくのも悪いだろ」

 

「余計な心配だ!」

 

 五体のうち、二体は正面の防御線へ向かっている。

 

 一体は魔導士たちを狙い、残る二体は地面へ潜った。

 

 灰の表面が二本の線となって動く。

 

 一つは荷物。

 

 もう一つは、バロールの角の根元へ向かっていた。

 

「下から来るぞ!」

 

 冒険者が叫ぶ。

 

 荷物の周囲にいた大楯使いが地面を見る。

 

 だが、どこから出るのか分からない。

 

 バンは足元を通じて伝わる振動へ意識を向けた。

 

 灰の動きだけではない。

 

 地面の下を進む怪物の位置。

 

 何十本もの脚が土を掻く振動。

 

 一体は荷物の真下。

 

 もう一体は、戦場整理班の後方へ回り込もうとしている。

 

「そっちじゃねぇぞ」

 

 バンは荷物から少し外れた場所を指した。

 

「何を――」

 

 隊長が聞き返す前に、地面が破裂した。

 

 巨大な百足が灰と岩を吹き飛ばしながら現れる。

 

 予想していた位置と違ったため、大楯使いたちは反応が遅れた。

 

 百足の大顎が、素材を積んだ箱へ向かう。

 

 バンは片手を上げた。

 

「獲物狩り(フォックスハント)」

 

 黒褐色の外殻を突き抜け、胸部にあった魔石が引き抜かれる。

 

 怪物の動きが止まった。

 

 荷物へ大顎が届く直前、長い身体が灰へ変わって崩れていく。

 

 魔石がバンの手へ飛んできた。

 

「それも置いていけ! あとで回収する!」

 

「分かったぞ」

 

 隊長の声に従い、バンは魔石を荷物の脇へ投げた。

 

 もう一体の振動が近づく。

 

 今度は隊長の背後。

 

「後ろだぞ」

 

 隊長が振り返る。

 

 地面から百足の頭部が飛び出した。

 

 大顎が開く。

 

 隊長は横へ跳びながら剣を振り、片方の顎を弾いた。

 

 紫色の毒液が地面へ散る。

 

 灰が音を立てて溶けた。

 

 百足は身体の半分だけを地上へ出し、隊長へ大顎を振り下ろす。

 

 バンがクレシューズを伸ばした。

 

 先端が怪物の首へ巻きつく。

 

「借りるぞ」

 

 強く引いた。

 

 百足の巨体が地面から引き抜かれる。

 

 無数の脚が宙を掻き、周囲へ灰を撒き散らした。

 

 バンはそのまま身体を回転させる。

 

 クレシューズに巻かれた怪物が大きな円を描き、正面の防御線へ向かっていた別の個体へ叩きつけられた。

 

 二体の外殻が激突する。

 

 鈍い破砕音。

 

 重なった身体が地面を滑り、大きな窪みの中へ落ちた。

 

「今だ!」

 

 隊長の指示で、魔導士たちが一斉に魔法を放つ。

 

 炎。

 

 氷の槍。

 

 光の矢。

 

 複数の魔法が窪みの底へ突き刺さり、二体の外殻を砕いた。

 

 露出した身体へ剣士たちが飛び込む。

 

 魔石が破壊され、二体が灰へ変わった。

 

 残りは二体。

 

 一体は大楯へ噛みついたまま、前衛を押し込んでいる。

 

 もう一体は魔導士たちへ向かって横から迫っていた。

 

 バンはクレシューズを握ったまま、その二体を視界へ収める。

 

 神器の節を伸ばす。

 

 横へ大きく振り抜く。

 

「乱獲(クレイジーハント)」

 

 クレシューズが描いた軌道へ引かれるように、二つの魔石が怪物の身体から抜け落ちた。

 

 大楯へ噛みついていた顎から力が消える。

 

 魔導士へ迫っていた身体も動きを止めた。

 

 二体は同時に灰となり、乾いた風に吹かれて散っていった。

 

 戦場整理班の冒険者たちは、すぐに周囲の警戒へ戻った。

 

「ほかに振動は?」

 

「ありません!」

 

「地中も確認しろ。まだ潜んでいる可能性がある!」

 

 勝利を喜ぶ者はいない。

 

 第44階層の帰還分隊と同じだった。

 

 深層では、敵を倒した直後こそ最も危険なのだろう。

 

 魔導士の一人が地面へ魔杖を触れ、魔力を流す。

 

 しばらくして首を横へ振った。

 

「反応なし。周辺に地中を移動する個体はいません」

 

「警戒を維持したまま、回収を再開する」

 

 隊長が剣を鞘へ戻した。

 

 バンの前まで来る。

 

「助かった」

 

「これで道聞いた分は返したぞ」

 

「第四十四階層でも同じことを言ったそうだな」

 

「聞いてんのか」

 

「あの分隊の負傷者も、お前に助けられたと報告していた」

 

「一匹倒しただけだぞ」

 

「深層では、その一匹で全滅することもある」

 

 隊長は灰になった百足が残した魔石を見る。

 

 二つはバンの《乱獲》で一か所へ集まり、一つは荷物の脇へ置かれていた。

 

「魔石は持っていくか?」

 

「いらねぇ。鞄に入らねぇからな」

 

「では、遠征隊の回収品へ加えさせてもらう」

 

「ああ」

 

「第五十階層で団長たちに会うなら、こちらからも報告しておこう。無所属のバンが本当に一人で第四十九階層へ到達したとな」

 

「最初から信じてなかったのか?」

 

「第四十四階層へ一人で来たという時点で疑わしい。第四十八階層を越え、ここまで来たと聞けば、さらに疑わしくなる」

 

「見てただろ」

 

「だから、今は信じている」

 

 隊長は先ほど示した三本の岩柱へ顔を向けた。

 

「ここから第五十階層までは遠くない。ただし、荒野には地中種が多い。白い杭の近くを歩け。遠征隊が何度も通り、周辺の個体を減らしてある」

 

「分かったぞ」

 

「もう一つ。第五十階層へ入ったら、武器を構えたまま野営地へ近づくな。見張りに囲まれる」

 

「クレシューズは肩に担いでるだけだぞ」

 

「見慣れない者からすれば、十分に警戒する」

 

「面倒だな」

 

「遠征隊の中心部には負傷者と大量の物資がある。警戒するのは当然だ」

 

 バンはクレシューズを見る。

 

 歩く時も戦う時も、長く肩へ担いできた。

 

 しまう場所はない。

 

「近づいたら下ろせばいいか」

 

「そうしてくれ」

 

 隊長は作業中の冒険者たちへ戻っていった。

 

 

        ◇

 

 

 戦場整理班を離れ、バンは三本の岩柱へ向かって歩き始めた。

 

 大荒野には、乾いた風が絶えず吹いている。

 

 紅蓮の山岳から流れてきた赤い灰。

 

 バロールとの戦いで砕かれた岩。

 

 怪物たちが地面を掘り返した土。

 

 それらが混ざり合い、荒野の表面を薄く覆っていた。

 

 しばらく進むと、地面へ打ち込まれた白い杭が見つかった。

 

 人の背丈より短い木製の杭。

 

 表面には熱や毒への耐性を持つ薬品が塗られているらしく、深層の環境でも形を保っている。

 

 杭は一定の間隔で続いていた。

 

 バンはそれを辿る。

 

 途中、地面の下から小さな振動が伝わってきた。

 

 先ほどの百足ほど大きくはない。

 

 白い杭の外側。

 

 何かが灰の中を動いている。

 

 バンはそちらを見ず、気配を薄くした。

 

「絶気配(ゼロサイン)」

 

 地中の怪物はバンの近くまで来たあと、進む方向を変えた。

 

 杭の外側を横切り、遠ざかっていく。

 

 わざわざ倒す必要はない。

 

 魔石を回収する場所もなければ、時間を使う理由もなかった。

 

 白い杭は、二つの巨大な亀裂へ差しかかった。

 

 一つ目は遠征隊の指示どおり、右側へ回り込む道が作られている。

 

 亀裂の縁には太い縄が張られ、足場の崩れやすい場所を示していた。

 

 バンは縄の内側を進む。

 

 二つ目の亀裂はさらに大きかった。

 

 遠征隊が簡易的な橋を架けた痕跡がある。

 

 しかし、橋板の多くはすでに外されていた。

 

 帰還時に回収したのだろう。

 

 両側へ渡された太い縄だけが残っている。

 

「渡れってことだな」

 

 バンはクレシューズを伸ばし、反対側の杭へ巻きつけた。

 

 鞄の紐を片手で掴む。

 

 地面を蹴り、亀裂を越えた。

 

 紅蓮の山岳ほど強い熱風はない。

 

 乾いた風に長衣を煽られながら、反対側へ着地する。

 

 杭を越えた先で、荒野の景色が少しずつ変わり始めた。

 

 地面の色が褐色から灰色へ近づいていく。

 

 砕けた岩の数も減った。

 

 遠くに、黒い影が並んでいる。

 

 岩ではない。

 

 幹。

 

 枝。

 

 葉を持たない灰色の木々だった。

 

「森か?」

 

 荒野の果てに、広大な森林が広がっている。

 

 緑はない。

 

 幹も枝も葉も、すべてが灰を被ったような色をしていた。

 

 それでも、紅蓮の山岳や荒れ果てた大地とは明らかに違う。

 

 木々の隙間から、いくつもの光が見える。

 

 魔石灯。

 

 数十では足りない。

 

 森の奥まで、無数の明かりが連なっていた。

 

 大規模な野営地。

 

 武器を打つ金属音。

 

 人々の声。

 

 荷物を運ぶ車輪の音。

 

 遠くからでも分かるほど、多くの冒険者が集まっている。

 

 合同遠征隊の本隊だった。

 

 バンは歩きながら、肩に担いでいたクレシューズを下ろした。

 

 四つの節を縮め、片手で持つ。

 

 焦げと灰で黒ずんだ赤い長衣。

 

 限界まで膨らんだ鞄。

 

 温くなった水と酒。

 

 第四十九階層までに回収した魔石と素材。

 

 長く続いた単独探索の終わりが見えていた。

 

「やっと着いたな」

 

 灰色の木々の手前には、大きな石門が立っている。

 

 門の中央へ刻まれている数字は、五十。

 

 バンは白い杭が続く道を歩き、第50階層〈灰色の森林〉へ向かった。




第98話までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は第49階層〈大荒野モイトラ〉を進み、合同遠征隊が往路で討伐した階層主バロールの戦場跡を描きました。バンは戦場整理班から、巨大な角の持ち主と合同遠征隊の本隊が第五十階層で休息していることを教えられています。

また、戦場跡へ集まった地中型モンスターとの戦闘では、遠征隊の連携に加え、《獲物狩り》とクレシューズの軌道を用いる《乱獲》を使い分けました。

長く続いた単独探索を経て、バンは第50階層〈灰色の森林〉の入口へ到達しています。
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