強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第13部 帰還者と海の報せ
第104話 両隣の客


 バベルを抜け出したバンが最初に向かったのは、廃教会ではなかった。

 

 酒場だった。

 

 昼を過ぎた店内には、仕事を終えた冒険者や商人たちの声が響いている。その一角で、バンは大皿に盛られた肉料理を片端から平らげていた。

 

 卓上には、空になった皿と酒瓶が並んでいる。

 

「やっぱ地上の酒はうめぇな」

 

 迷宮へ持ち込んだ酒も悪くはなかった。

 

 だが、残量を気にしながら飲む酒と、金を払えば次が出てくる酒では違う。

 

 バンは杯を空にすると、近くを通った店員へ手を上げた。

 

「酒と肉、追加な」

 

「まだ食べるのかい?」

 

「ああ。何日も潜ってたからな」

 

 呆れた店員が空の皿を下げていく。

 

 その時、左右から二つの声が聞こえた。

 

「隣、いいか?」

 

「ここへ座るぞ」

 

 バンは運ばれてきたばかりの酒瓶へ手を伸ばしながら答える。

 

「ああ、構わねぇ」

 

 右側の椅子が引かれる。

 

 続いて左側の椅子も動いた。

 

 バンは隣へ来た二人を見なかった。

 

 酒瓶の栓を抜き、杯へ注ぐ。続いて焼き上がった肉を切り分け、口へ運んだ。

 

 右隣の男が尋ねる。

 

「随分と飲んでいるな」

 

「ああ」

 

「何かあったのか?」

 

「ダンジョン帰りだ。無事に戻った祝いってやつだな」

 

 左隣から、冷たい声が飛んだ。

 

どこまでだ

 

「第五十階層だな」

 

 答えた直後。

 

 酒場の喧騒が、妙に遠くなった気がした。

 

 だが、バンは気にせず次の肉へ手を伸ばす。

 

「本当は持ち帰った魔石と素材を売って、その金でもっと飲むつもりだったんだけどな」

 

「売らなかったのか?」

 

「帰ってすぐ、面倒な奴らに捕まりそうになってな。事情があって、荷物を受け取る前に逃げてきた」

 

「事情?」

 

「個室まで来いって言われた」

 

「それで逃げたのか」

 

「ああ」

 

 左側から、低い声が落ちる。

 

誰にも言わず、単独で第五十階層まで潜り、戻った後はギルド職員から逃げたのか

 

「よく知ってんな」

 

 そこでようやく、バンは肉を切る手を止めた。

 

 右隣を見る。

 

 大柄な男が、腕を組んで座っている。

 

「よう」

 

 ザルドが笑った。

 

 バンの頬が僅かに引きつる。

 

 ゆっくりと左を見る。

 

 長い灰色の髪。

 

 閉じられた瞼。

 

 黒い衣装を纏った女が、音もなく座っていた。

 

「……いつからいた?」

 

「隣へ座った時からだ」

 

「許可したのはお前だ」

 

 アルフィアが答える。

 

 バンは手にしていた肉を口へ入れた。

 

 十分に噛む。

 

 酒で流し込む。

 

 それから静かに立ち上がろうとした。

 

「どこへ行く」

 

「酒が足りねぇから、別の店に行くわ」

 

「ここにまだある」

 

「急に飲みたくなくなったな」

 

 椅子から腰を浮かせた瞬間。

 

 アルフィアの瞼が開いた。

 

 灰色と翠色。

 

 二つの瞳が、真横からバンを射抜く。

 

座れ

 

「誰が座るかよ」

 

 バンは卓上に残っていた肉を一つ掴むと、そのまま後方へ跳んだ。

 

「福音(ゴスペル)」

 

 美しい鐘の音が鳴り響いた。

 

「げっ!」

 

 バンは空中で身体を捻る。

 

 目に見える光も、飛来する弾丸もない。

 

 それでも、全身を刺す危険へ従い、床を蹴って横へ飛び込んだ。

 

 直後。

 

 先ほどまでバンが立っていた場所を、不可視の轟音が貫いた。

 

 卓が砕ける。椅子が弾け飛ぶ。

 

 音の塊はそのまま酒場の壁へ衝突し、大穴を開けて通りへ抜けた。

 

 威力は明らかに抑えられている。

 

 それでも、酒場で放ってよい魔法ではなかった。

 

「おいおい、本気で撃つなって!」

 

「本気なら、店ごと消えている」

 

「そういう問題じゃねぇだろ!」

 

 客たちの悲鳴が上がる。

 

 バンは肉を咥えたまま、開いた壁の穴から通りへ飛び出した。

 

 アルフィアも立ち上がる。

 

 追おうとしたザルドの耳へ、再び鐘の余韻が届いた。

 

 彼は一歩だけ進み、止まる。

 

「……追えば巻き込まれるな」

 

 ザルドは椅子へ座り直した。

 

 砕けた卓の端には、バンがまだ開けていない酒瓶が一本残っている。

 

 それを拾い、栓を抜いた。

 

「勝手にいなくなった迷惑料として、これはもらっておくか」

 

「待ちな!」

 

 店主が、崩れた壁を見て叫ぶ。

 

この修理代、誰に請求すればいいんだい!?

 

「ヘラ・ファミリアだ」

 

「またかい!」

 

        ◇

 

 バンは人通りの多い大通りを全速力で走っていた。

 

 背後を振り返る。

 

 アルフィアの姿はまだ見えない。

 

「何で帰ってきて早々、こんな目に遭うんだよ!」

 

 通行人の間を縫い、荷車を飛び越える。

 

 角を曲がり、細い路地へ入る。

 

 そのまま建物の裏手へ回り込み、積まれていた空樽の陰へ身を伏せた。

 

 息を殺す。

 

 足音は聞こえない。

 

 鐘の音も鳴らない。

 

「……撒いたか?」

 

「誰をだ」

 

「うおっ!」

 

 頭上から声が落ちた。

 

 バンが見上げる。

 

 屋根の縁に、アルフィアが立っていた。

 

 彼女はバンが走った跡を見るように、路地へ視線を落としている。

 

「どうやって見つけた?」

 

「お前が蹴った木箱が倒れている。飛び越えた屋根の瓦もずれていた」

 

「細けぇな!」

 

 バンは樽を蹴り飛ばし、反対側の路地へ走る。

 

 背後から、鐘の音が鳴った。

 

 視線を向ける余裕もなく、バンは横の窓枠を掴み、身体を引き上げる。

 

 不可視の砲撃が路地を通過した。

 

 石畳が沈み、積まれた樽がまとめて粉砕される。

 

「危ねぇだろ!」

 

 窓の庇から屋根へ跳ぶ。

 

 砲撃は過ぎた。

 

 今なら、破壊された路地を横切って逆側へ抜けられる。

 

 そう判断して下へ飛び降りた瞬間。

 

炸響(ルギオ)

 

「――げっ」

 

 その場に残っていた音の魔力が起爆した。

 

 先ほどと同等の不可視の衝撃が、同じ路地でもう一度発生する。

 

 バンは地面へ着く直前に壁を蹴り、無理やり進路を変えた。

 

 背中を余波が掠める。

 

 赤い長衣が激しくはためき、身体が隣の建物の屋根まで吹き飛ばされた。

 

 バンは屋根を転がり、縁へ手をかけて止まる。

 

「二回目があんのかよ!」

 

次は外さない

 

「その台詞、さっきも聞いたぞ!」

 

 バンは屋根から屋根へ飛び移った。

 

 鐘の音が聞こえるたびに進路を変え、看板の陰へ潜り、露店の天幕を滑り抜ける。

 

 人混みへ紛れても、立ち止まらない。

 

 赤い長衣は目立ちすぎる。

 

 途中で長衣を脱ごうとも考えたが、置いていけば拾いに戻らなければならない。

 

 何より、アルフィアは服がなくても見つける気がした。

 

「くそっ、しつけぇな!」

 

 背後を振り返る。

 

 アルフィアは走っていなかった。

 

 だが、バンが角を曲がるたび、次の道に現れる。

 

 人の流れ。

 

 屋根の高さ。

 

 逃げ込めそうな路地。

 

 バンが選ぶ道を読んで、先へ回っている。

 

 再び鐘の音が響いた。

 

「またかよ!」

 

 バンは通り沿いの石柱へ飛びつき、身体を回転させる。

 

 不可視の砲撃が頭上を通過し、背後の看板を粉々にした。

 

 店主が悲鳴を上げる。

 

「請求はヘラ・ファミリアにしろ!」

 

 走りながら叫ぶと、遠くからアルフィアの声が返ってきた。

 

「勝手に決めるな」

 

「撃ったのお前だろ!」

 

 言い返した直後、短い咳が聞こえた。

 

 バンは一瞬だけ足を緩める。

 

 だが、次の角へアルフィアが姿を現すと、すぐに走り出した。

 

 長引かせるわけにはいかない。

 

 アルフィアの身体にも限界がある。

 

 だからといって、止まれば自分が何をされるか分からない。

 

「どっか、あいつが撃てねぇ場所は……」

 

 走りながら考える。

 

 ザルドのところへ戻る。

 

 駄目だ。

 

 さきほど助けなかった男が、今さら止めてくれるとは思えない。

 

 ゼウスのところへ逃げる。

 

 アルフィアはゼウス相手でも撃つ。

 

 ヘラなら止めるかもしれないが、その前にバンまで怒られそうだった。

 

 その時。

 

 廃教会で見た光景が、脳裏に浮かんだ。

 

 メーテリアが咳をした瞬間。

 

 窓から逃げたアルを追おうとしていたアルフィアが、即座に足を止めた。

 

 殺意も魔法も忘れ、妹のもとへ戻っていた。

 

「あいつの妹の前じゃ、さすがに撃てねぇよな」

 

 安全だという確証はない。

 

 だが、ほかに思いつく手もなかった。

 

 バンは進路を変えた。

 

        ◇

 

 ヘラ・ファミリア本拠。

 

 正面入口の扉が、勢いよく開いた。

 

 中にいた女性団員たちが、一斉に振り返る。

 

 赤い長衣の男が広間へ飛び込み、左右に延びる廊下を見比べた。

 

「メーテリアの部屋はどこだ!」

 

「な、何者ですか!?」

 

「説明は後だ!」

 

 バンは近くの廊下へ走り込む。

 

 だが、すぐに足を止めた。

 

 内部へ入ったのは初めてだ。

 

 同じような扉と柱が並び、どちらへ進めばいいのか分からない。

 

「くそっ、どっちだ!」

 

「うわっ!?」

 

 すぐ横の柱の陰から、人影が飛び出した。

 

 バンとぶつかりかけた男が、慌てて後ろへ下がる。

 

 紅玉のような赤い瞳が、バンを見上げた。

 

「何だ、あんた!」

 

「お前、アルか!」

 

「しっ! 声がでかいって! 団員たちに見つかるだろ!」

 

 アルは口元へ指を当てる。

 

 だが、すぐにバンの顔を見直した。

 

「あんた、教会にいた……バンか!」

 

「ああ。それより、メーテリアの部屋はどこだ!」

 

「いきなり何を――」

 

 遠くから、美しい鐘の音が響いた。

 

 アルの顔から、一瞬で血の気が引く。

 

「……今の音、まさか」

 

「アルフィアだ! さっさと案内しろ!」

 

「何したんだよ、あんた!」

 

「ちょっとダンジョンに潜っただけだ!」

 

「ちょっと潜っただけで、本拠まで追ってくるわけないだろ!」

 

「第五十階層まで行ったくらいだ!」

 

「それのどこがちょっとなんだよ!」

 

 玄関側から、何かが砕ける音が響いた。

 

 バンはアルの肩を掴む。

 

「詳しい話は後だ! メーテリアの前なら、あいつも撃てねぇ!」

 

「それ、メーテリアちゃんを盾にするってことか!?」

 

「違ぇよ。近くにいさせてもらうだけだ」

 

「ほとんど同じだろ!」

 

「早くしねぇと、お前も見つかるぞ」

 

 アルは背後の廊下を見る。

 

 前方からは、複数の女性団員の話し声が近づいている。

 

 後方からは、アルフィアの気配が迫っていた。

 

「……こっちだ!」

 

 アルが走り出す。

 

 バンもその後を追った。

 

「次の角を右! その先の階段は使わない!」

 

「何でだ?」

 

「団員たちの詰め所がある!」

 

「お前、詳しいな」

 

「何度も来てるからな!」

 

「正面から来りゃいいだろ」

 

「できたら苦労してないよ!」

 

 二人は角を曲がる。

 

 向こうから女性団員が現れると、アルが反対側の小部屋へバンを押し込んだ。

 

 通り過ぎるのを待ち、別の扉から廊下へ戻る。

 

 バンは後方を警戒し。

 

 アルは前方の団員たちを警戒する。

 

「何でオレまで隠れんだ?」

 

「あんたも勝手に本拠へ入ってきたんだろ!」

 

「正面から入った」

 

「堂々と侵入しただけじゃないか!」

 

 階段を上り、長い廊下へ出る。

 

 その瞬間。

 

 後方から、静かな声が届いた。

 

……生意気不愉快無粋男(ゴミカス)

 

 アルの肩が大きく跳ねた。

 

 振り返った先に、アルフィアが立っている。

 

「ち、違います! 今回は俺が連れてきたんじゃありません! この人が勝手に本拠へ入ってきたんです!」

 

「前にも思ったが、知り合いにしては長ぇ呼び方だな」

 

「今そこを気にしてる場合じゃないだろ!」

 

二人とも、止まれ

 

「止まったら何されるか分からねぇだろ!」

 

「俺まで一緒にしないでくれ!」

 

 バンとアルは同時に走り出した。

 

 アルフィアも無言で追う。

 

 ここまで来ると、彼女は《福音》を唱えなかった。

 

 メーテリアの部屋が近いからなのか、本拠の団員を巻き込まないためなのか。

 

 理由は分からない。

 

 だが、背後から迫る足音は、先ほどの鐘よりも恐ろしかった。

 

「次を左!」

 

「本当に合ってんだろうな!」

 

「何度も来てるって言っただろ!」

 

「何度も忍び込んでんのか?」

 

「今は聞くな!」

 

 二人は最後の角を曲がった。

 

 廊下の先に、一つの扉がある。

 

 アルが駆け寄り、取っ手を掴んだ。

 

「ここだ!」

 

「開けろ!」

 

「分かってる!」

 

 扉を開き、二人そろって部屋へ飛び込む。

 

 静かな室内。

 

 窓辺の椅子に座り、本を読んでいた女性が顔を上げた。

 

 雪のような髪。

 

 蒼い瞳。

 

 メーテリアは、息を切らした二人を交互に見る。

 

「まあ。お二人とも、どうしたのですか?」

 

 その直後。

 

 開いたままの扉の前に、アルフィアが現れた。

 

 バンは素早くメーテリアの隣へ移動する。

 

 アルも反対側へ回り込んだ。

 

 アルフィアの瞼が、僅かに震える。

 

……そこを退け

 

退かねぇ

 

 バンは即答した。




第13部の第104話でした。

ギルドから逃げたバンを待っていたのは、数日間帰りを待たされていたザルドとアルフィアでした。《福音》の不可視の砲撃と、《炸響》による二段目から逃げ続けた末、バンはアルとともにメーテリアの部屋へ辿り着きます。
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