強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

110 / 111
第13部 帰還者と海の報せ
第104話 両隣の客


 バベルを抜け出したバンが最初に向かったのは、廃教会ではなかった。

 

 酒場だった。

 

 昼を過ぎた店内には、仕事を終えた冒険者や商人たちの声が響いている。その一角で、バンは大皿に盛られた肉料理を片端から平らげていた。

 

 卓上には、空になった皿と酒瓶が並んでいる。

 

「やっぱ地上の酒はうめぇな」

 

 迷宮へ持ち込んだ酒も悪くはなかった。

 

 だが、残量を気にしながら飲む酒と、金を払えば次が出てくる酒では違う。

 

 バンは杯を空にすると、近くを通った店員へ手を上げた。

 

「酒と肉、追加だぞ」

 

「まだ食べるのかい?」

 

「ああ。何日も潜ってたからな」

 

 呆れた店員が空の皿を下げていく。

 

 その時、左右から二つの声が聞こえた。

 

「隣、いいか?」

 

「ここへ座るぞ」

 

 バンは運ばれてきたばかりの酒瓶へ手を伸ばしながら答える。

 

「ああ、いいぞ」

 

 右側の椅子が引かれる。

 

 続いて左側の椅子も動いた。

 

 バンは隣へ来た二人を見なかった。

 

 酒瓶の栓を抜き、杯へ注ぐ。続いて焼き上がった肉を切り分け、口へ運んだ。

 

 右隣の男が尋ねる。

 

「随分と飲んでいるな」

 

「ああ」

 

「何かあったのか?」

 

「ダンジョンに潜ってたからな。帰ってきた祝いだぞ」

 

 左隣から、冷たい声が飛んだ。

 

「どこまでだ」

 

「第五十階層だな」

 

 答えた直後。

 

 酒場の喧騒が、妙に遠くなった気がした。

 

 だが、バンは気にせず次の肉へ手を伸ばす。

 

「本当は持ち帰った魔石と素材を売って、その金でもっと飲むつもりだったんだけどな」

 

「売らなかったのか?」

 

「帰ってすぐ、面倒な奴らに捕まりそうになったんだぞ。事情があって、荷物を受け取る前に逃げてきた」

 

「事情?」

 

「個室まで来いって言われた」

 

「それで逃げたのか」

 

「ああ」

 

 左側から、低い声が落ちる。

 

「誰にも言わず、単独で第五十階層まで潜り、戻った後はギルド職員から逃げたのか」

 

「よく知ってんな」

 

 そこでようやく、バンは肉を切る手を止めた。

 

 右隣を見る。

 

 大柄な男が、腕を組んで座っている。

 

「よう」

 

 ザルドが笑った。

 

 バンの頬が僅かに引きつる。

 

 ゆっくりと左を見る。

 

 長い灰色の髪。

 

 閉じられた瞼。

 

 黒い衣装を纏った女が、音もなく座っていた。

 

「……いつからいた?」

 

「隣へ座った時からだ」

 

「許可したのはお前だ」

 

 アルフィアが答える。

 

 バンは手にしていた肉を口へ入れた。

 

 十分に噛む。

 

 酒で流し込む。

 

 それから静かに立ち上がろうとした。

 

「どこへ行く」

 

「酒が足りねぇから、別の店に行くぞ」

 

「ここにまだある」

 

「急に飲みたくなくなったな」

 

 椅子から腰を浮かせた瞬間。

 

 アルフィアの瞼が開いた。

 

 灰色と翠色。

 

 二つの瞳が、真横からバンを射抜く。

 

「座れ」

 

「嫌だぞ」

 

 バンは卓上に残っていた肉を一つ掴むと、そのまま後方へ跳んだ。

 

「福音(ゴスペル)」

 

 美しい鐘の音が鳴り響いた。

 

「げっ!」

 

 バンは空中で身体を捻る。

 

 目に見える光も、飛来する弾丸もない。

 

 それでも、全身を刺す危険へ従い、床を蹴って横へ飛び込んだ。

 

 直後。

 

 先ほどまでバンが立っていた場所を、不可視の轟音が貫いた。

 

 卓が砕ける。

 

 椅子が弾け飛ぶ。

 

 音の塊はそのまま酒場の壁へ衝突し、大穴を開けて通りへ抜けた。

 

 威力は明らかに抑えられている。

 

 それでも、酒場で放ってよい魔法ではなかった。

 

「本気で撃ってんじゃねぇぞ!」

 

「本気なら、店ごと消えている」

 

「そういう問題じゃねぇだろ!」

 

 客たちの悲鳴が上がる。

 

 バンは肉を咥えたまま、開いた壁の穴から通りへ飛び出した。

 

 アルフィアも立ち上がる。

 

 追おうとしたザルドの耳へ、再び鐘の余韻が届いた。

 

 彼は一歩だけ進み、止まる。

 

「……追えば巻き込まれるな」

 

 ザルドは椅子へ座り直した。

 

 砕けた卓の端には、バンがまだ開けていない酒瓶が一本残っている。

 

 それを拾い、栓を抜いた。

 

「勝手にいなくなった迷惑料として、これはもらっておくか」

 

「待ちな!」

 

 店主が、崩れた壁を見て叫ぶ。

 

「この修理代、誰に請求すればいいんだい!?」

 

「ヘラ・ファミリアだ」

 

「またかい!」

 

        ◇

 

 バンは人通りの多い大通りを全速力で走っていた。

 

 背後を振り返る。

 

 アルフィアの姿はまだ見えない。

 

「何で帰ってきて早々、こんな目に遭うんだよ!」

 

 通行人の間を縫い、荷車を飛び越える。

 

 角を曲がり、細い路地へ入る。

 

 そのまま建物の裏手へ回り込み、積まれていた空樽の陰へ身を伏せた。

 

 息を殺す。

 

 足音は聞こえない。

 

 鐘の音も鳴らない。

 

「……撒いたか?」

 

「誰をだ」

 

「うおっ!」

 

 頭上から声が落ちた。

 

 バンが見上げる。

 

 屋根の縁に、アルフィアが立っていた。

 

 彼女はバンが走った跡を見るように、路地へ視線を落としている。

 

「どうやって見つけた?」

 

「お前が蹴った木箱が倒れている。飛び越えた屋根の瓦もずれていた」

 

「細けぇな!」

 

 バンは樽を蹴り飛ばし、反対側の路地へ走る。

 

 背後から、鐘の音が鳴った。

 

 視線を向ける余裕もなく、バンは横の窓枠を掴み、身体を引き上げる。

 

 不可視の砲撃が路地を通過した。

 

 石畳が沈み、積まれた樽がまとめて粉砕される。

 

「危ねぇだろ!」

 

 窓の庇から屋根へ跳ぶ。

 

 砲撃は過ぎた。

 

 今なら、破壊された路地を横切って逆側へ抜けられる。

 

 そう判断して下へ飛び降りた瞬間。

 

「炸響(ルギオ)」

 

「――げっ」

 

 その場に残っていた音の魔力が起爆した。

 

 先ほどと同等の不可視の衝撃が、同じ路地でもう一度発生する。

 

 バンは地面へ着く直前に壁を蹴り、無理やり進路を変えた。

 

 背中を余波が掠める。

 

 赤い長衣が激しくはためき、身体が隣の建物の屋根まで吹き飛ばされた。

 

 バンは屋根を転がり、縁へ手をかけて止まる。

 

「二回目があんのかよ!」

 

「次は外さない」

 

「その台詞、さっきも聞いたぞ!」

 

 バンは屋根から屋根へ飛び移った。

 

 鐘の音が聞こえるたびに進路を変え、看板の陰へ潜り、露店の天幕を滑り抜ける。

 

 人混みへ紛れても、立ち止まらない。

 

 赤い長衣は目立ちすぎる。

 

 途中で長衣を脱ごうとも考えたが、置いていけば拾いに戻らなければならない。

 

 何より、アルフィアは服がなくても見つける気がした。

 

「くそっ、しつけぇな!」

 

 背後を振り返る。

 

 アルフィアは走っていなかった。

 

 だが、バンが角を曲がるたび、次の道に現れる。

 

 人の流れ。

 

 屋根の高さ。

 

 逃げ込めそうな路地。

 

 バンが選ぶ道を読んで、先へ回っている。

 

 再び鐘の音が響いた。

 

「またかよ!」

 

 バンは通り沿いの石柱へ飛びつき、身体を回転させる。

 

 不可視の砲撃が頭上を通過し、背後の看板を粉々にした。

 

 店主が悲鳴を上げる。

 

「請求はヘラ・ファミリアにしろ!」

 

 走りながら叫ぶと、遠くからアルフィアの声が返ってきた。

 

「勝手に決めるな」

 

「撃ったのお前だろ!」

 

 言い返した直後、短い咳が聞こえた。

 

 バンは一瞬だけ足を緩める。

 

 だが、次の角へアルフィアが姿を現すと、すぐに走り出した。

 

 長引かせるわけにはいかない。

 

 アルフィアの身体にも限界がある。

 

 だからといって、止まれば自分が何をされるか分からない。

 

「どっか、あいつが撃てねぇ場所は……」

 

 走りながら考える。

 

 ザルドのところへ戻る。

 

 駄目だ。

 

 さきほど助けなかった男が、今さら止めてくれるとは思えない。

 

 ゼウスのところへ逃げる。

 

 アルフィアはゼウス相手でも撃つ。

 

 ヘラなら止めるかもしれないが、その前にバンまで怒られそうだった。

 

 その時。

 

 廃教会で見た光景が、脳裏に浮かんだ。

 

 メーテリアが咳をした瞬間。

 

 窓から逃げたアルを追おうとしていたアルフィアが、即座に足を止めた。

 

 殺意も魔法も忘れ、妹のもとへ戻っていた。

 

「あいつの妹の前じゃ、さすがに撃てねぇよな」

 

 安全だという確証はない。

 

 だが、ほかに思いつく手もなかった。

 

 バンは進路を変えた。

 

        ◇

 

 ヘラ・ファミリア本拠。

 

 正面入口の扉が、勢いよく開いた。

 

 中にいた女性団員たちが、一斉に振り返る。

 

 赤い長衣の男が広間へ飛び込み、左右に延びる廊下を見比べた。

 

「メーテリアの部屋はどこだ!」

 

「な、何者ですか!?」

 

「説明は後だぞ!」

 

 バンは近くの廊下へ走り込む。

 

 だが、すぐに足を止めた。

 

 内部へ入ったのは初めてだ。

 

 同じような扉と柱が並び、どちらへ進めばいいのか分からない。

 

「くそっ、どっちだ!」

 

「うわっ!?」

 

 すぐ横の柱の陰から、人影が飛び出した。

 

 バンとぶつかりかけた男が、慌てて後ろへ下がる。

 

 紅玉のような赤い瞳が、バンを見上げた。

 

「何だ、あんた!」

 

「お前、アルか!」

 

「しっ! 声がでかいって! 団員たちに見つかるだろ!」

 

 アルは口元へ指を当てる。

 

 だが、すぐにバンの顔を見直した。

 

「あんた、教会にいた……バンか!」

 

「ああ。それより、メーテリアの部屋はどこだ!」

 

「いきなり何を――」

 

 遠くから、美しい鐘の音が響いた。

 

 アルの顔から、一瞬で血の気が引く。

 

「……今の音、まさか」

 

「アルフィアだ! さっさと案内しろ!」

 

「何したんだよ、あんた!」

 

「ちょっとダンジョンに潜っただけだぞ!」

 

「ちょっと潜っただけで、本拠まで追ってくるわけないだろ!」

 

「第五十階層まで行ったくらいだ!」

 

「それのどこがちょっとなんだよ!」

 

 玄関側から、何かが砕ける音が響いた。

 

 バンはアルの肩を掴む。

 

「詳しい話は後だ! メーテリアの前なら、あいつも撃てねぇ!」

 

「それ、メーテリアちゃんを盾にするってことか!?」

 

「違ぇよ。近くにいさせてもらうだけだぞ」

 

「ほとんど同じだろ!」

 

「早くしねぇと、お前も見つかるぞ」

 

 アルは背後の廊下を見る。

 

 前方からは、複数の女性団員の話し声が近づいている。

 

 後方からは、アルフィアの気配が迫っていた。

 

「……こっちだ!」

 

 アルが走り出す。

 

 バンもその後を追った。

 

「次の角を右! その先の階段は使わない!」

 

「何でだ?」

 

「団員たちの詰め所がある!」

 

「お前、詳しいな」

 

「何度も来てるからな!」

 

「正面から来りゃいいだろ」

 

「できたら苦労してないよ!」

 

 二人は角を曲がる。

 

 向こうから女性団員が現れると、アルが反対側の小部屋へバンを押し込んだ。

 

 通り過ぎるのを待ち、別の扉から廊下へ戻る。

 

 バンは後方を警戒し。

 

 アルは前方の団員たちを警戒する。

 

「何でオレまで隠れんだ?」

 

「あんたも勝手に本拠へ入ってきたんだろ!」

 

「入口から入ったぞ」

 

「堂々と侵入しただけじゃないか!」

 

 階段を上り、長い廊下へ出る。

 

 その瞬間。

 

 後方から、静かな声が届いた。

 

「……生意気不愉快無粋男(ゴミカス)」

 

 アルの肩が大きく跳ねた。

 

 振り返った先に、アルフィアが立っている。

 

「ち、違います! 今回は俺が連れてきたんじゃありません! この人が勝手に本拠へ入ってきたんです!」

 

「前にも思ったが、知り合いにしては長ぇ呼び方だな」

 

「今そこを気にしてる場合じゃないだろ!」

 

「二人とも、止まれ」

 

「止まったら何されるか分からねぇだろ!」

 

「俺まで一緒にしないでくれ!」

 

 バンとアルは同時に走り出した。

 

 アルフィアも無言で追う。

 

 ここまで来ると、彼女は《福音》を唱えなかった。

 

 メーテリアの部屋が近いからなのか、本拠の団員を巻き込まないためなのか。

 

 理由は分からない。

 

 だが、背後から迫る足音は、先ほどの鐘よりも恐ろしかった。

 

「次を左!」

 

「本当に合ってんだろうな!」

 

「何度も来てるって言っただろ!」

 

「何度も忍び込んでんのか?」

 

「今は聞くな!」

 

 二人は最後の角を曲がった。

 

 廊下の先に、一つの扉がある。

 

 アルが駆け寄り、取っ手を掴んだ。

 

「ここだ!」

 

「開けろ!」

 

「分かってる!」

 

 扉を開き、二人そろって部屋へ飛び込む。

 

 静かな室内。

 

 窓辺の椅子に座り、本を読んでいた女性が顔を上げた。

 

 雪のような髪。

 

 蒼い瞳。

 

 メーテリアは、息を切らした二人を交互に見る。

 

「まあ。お二人とも、どうしたのですか?」

 

 その直後。

 

 開いたままの扉の前に、アルフィアが現れた。

 

 バンは素早くメーテリアの隣へ移動する。

 

 アルも反対側へ回り込んだ。

 

 アルフィアの瞼が、僅かに震える。

 

「……そこを退け」

 

「嫌だぞ」

 

 バンは即答した。




第13部の第104話でした。

ギルドから逃げたバンを待っていたのは、数日間帰りを待たされていたザルドとアルフィアでした。《福音》の不可視の砲撃と、《炸響》による二段目から逃げ続けた末、バンはアルとともにメーテリアの部屋へ辿り着きます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。