地下神殿の最奥。
石の玉座へ腰掛けた老神は、バンの問いにすぐには答えなかった。
白い髪と長い髭。巨大な身体は座してなお威圧感を放っているが、そこに敵意はない。ただ、何も見逃さないような静かな眼差しだけがバンへ向けられていた。
「そうだ。我が名はウラノス」
「へぇ。ギルドの一番偉い神様ってやつか」
「その認識で構わぬ」
バンは周囲を見回した。
広い地下神殿には他の人影がない。ロイマンの姿もなく、本当に二人だけらしい。
「で? わざわざこんなとこまで呼んで、何の用だ?」
「確認したいことがある」
「朝からずっとそればっかだな……」
バンが面倒そうに頭を掻く。
しかし、ウラノスは気にした様子もなく告げた。
「バン」
低い声が、静かな神殿に響いた。
「お前は、この世界の者ではないな」
バンの手が止まった。
赤い瞳が、まっすぐ老神へ向けられる。
「…………」
昨日までのギルド職員とは違う。
どこから来たのか。
何者なのか。
そう探る問いではなかった。
最初から何かを確信した上で聞いている。
数秒の沈黙の後、バンは小さく息を吐いた。
「……ああ。違う」
「やはりか」
「驚かねぇんだな?」
「驚くことと、事実を受け入れることは別だ」
「神様ってのは変な奴が多いけど、お前はその中でも変わってんな」
「ゼウスから聞かされていた通りだ。神に対しても遠慮がない」
「ゼウスから聞いてんのかよ」
「全てではない。だからこそ、お前自身に聞いている」
ウラノスはわずかに目を細めた。
「まず問おう。お前の力は、神の恩恵によるものではないのだな?」
「ああ。オレは誰の恩恵も受けてねぇ」
「それでも魔力を持つ」
「向こうじゃ別におかしくねぇからな」
「詳しく話せ」
バンは少し考え、肩に担いだクレシューズを床へ立てた。
「向こうには人間以外にも色々いる。魔神族、女神族、妖精族、巨人族……他にもな」
「女神族」
ウラノスがその言葉だけを拾う。
「ああ。けど、お前らみたいな神様とは違う。そういう名前の種族だと思っときゃいい」
「続けよ」
「魔神族とか女神族、妖精族、巨人族なんかは、ほとんどが生まれつき魔力を持ってる。けど人間は別だ」
「人間は持たぬのか?」
「全員が使えるわけじゃねぇ。才能がある奴の一部だけだな」
バンは自分の胸元を親指で軽く示した。
「厳しく鍛えて目覚める奴もいるし、死にかけたり、感情がぶっ壊れそうなくらい追い詰められて突然開花する奴もいる。そうやって自分だけの魔力に目覚める」
「一人一人、異なる力を?」
「基本はな」
ウラノスが沈黙する。
この世界では、神の恩恵によって魔法が発現する。
だが、バンの世界では神という存在を介さず、人間自身が固有の魔力へ目覚めるという。
「その魔力にも分類があるのか」
「ある」
「聞こう」
「……全部か?」
「全てだ」
「ったく……」
バンは記憶を探るように視線を上へ向けた。
「破壊型、変性型、回復型、探索型、精神型、幻惑型、隠密型、付呪型。それと珍しいのが神託型だったか」
「九種か」
「ああ。ただ、それだけじゃ収まらねぇ奴もいる」
「複数の性質を有する魔力か」
「そういうことだ。四つ以上の性質が一つの魔力に入ってる場合、英雄型って呼ばれる」
ウラノスの視線が僅かに鋭くなる。
「お前の《強奪》も、それに当たるのか」
「ああ」
「《強奪》……ゼウスとヘラから報告を受けている。物と力を奪う魔力だと」
「大体は合ってる」
「大体?」
「使い方次第で色々変わるからな」
バンは右手を軽く開いた。
「離れた物を見つけて奪う。《獲物狩り》なんかはそういう使い方だ」
「探索型」
「そうだな。それと、相手の身体の力を奪うこともできる」
「身体能力そのものを?」
「ああ。《身体狩り》って呼んでる」
ウラノスは、その技名を初めて聞くように静かに反復した。
「《身体狩り》……」
「力や速さを奪って、その分をオレに上乗せする。ただし限界はある。欲張りすぎりゃ、今度はこっちの身体が持たねぇ」
「そして、与えることもできると聞いた」
バンの表情が、ほんの少しだけ変わった。
「ああ」
「それも《強奪》なのか」
「逆に使うんだよ。《贈与》ってな。奪うんじゃなく、こっちの生命力を相手へ渡す」
「己の生命を削って?」
「必要ならな」
ウラノスは長く沈黙した。
「奪う魔力でありながら、与えることもできる……」
「変か?」
「いや。興味深い」
バンは鼻で小さく笑った。
「そういうこと考えんのが好きなら、オレよりマーリンと話した方が楽しいと思うけどな」
「マーリン?」
「仲間の一人だ。魔術についてなら、オレなんかよりよっぽど詳しい」
ウラノスはその名を記憶するように一度だけ頷いた。
「では次だ。その《強奪》は、神の恩恵すら奪えるのか?」
「知らねぇ」
即答だった。
「試したことがないのか」
「ねぇよ。こっちに来るまで恩恵なんて存在自体知らなかったしな」
「神そのものの力は?」
「それも知らねぇ。そもそも、お前ら相手に試す理由がない」
「可能性は否定できぬ、と」
「できねぇけど、できるとも言えねぇ。相手がデカすぎたり、世界そのものみてぇな力が絡むと、何でも好きに奪えるわけじゃないからな」
アンタレス。
古代の封印。
そしてダンジョン。
この世界へ来てからも、《強奪》が万能ではないことは何度も確認してきた。
「ダンジョンの壁も奪ったそうだな」
「ああ、それか」
バンは少しだけ目を逸らした。
「邪魔だったから、通れるぶんだけな」
「ダンジョンはただの地下迷宮ではない」
「それ、帰りにも言われた」
「ならば覚えておけ。あれは己を修復し、内部の異常へ反応する」
「分かった。今度から勝手に取らねぇよ」
「必要に迫られた場合まで禁じるつもりはない。ただし、理由なく刺激するな」
「善処する」
「……その言葉を信用してよいものか」
「ロイマンにも同じ顔されたな」
初めて、ウラノスの眉が僅かに動いた。
◇
「次に、お前がこの世界へ来た経緯を聞く」
神殿の空気が再び静まる。
「自ら世界を渡ったのではないな?」
「そんな便利なことできりゃ、とっくに帰ってる」
「何があった」
「戦ってた」
「誰と?」
「キャスって化け物だ」
バンの声から、先ほどまでの軽さが少し消えた。
「そいつとやり合ってる途中で空間が裂けた。キャスの攻撃のせいだったのか、《混沌》の力そのものが原因だったのかは分かんねぇ。気づいた時には、こっちに飛ばされてた」
「《混沌》とは?」
「……それ聞くか」
バンが僅かに顔をしかめた。
「説明が難しいか」
「オレも全部知ってるわけじゃねぇんだよ」
「知る範囲でよい」
しばらく考えた末、バンは口を開く。
「世界の根っこみてぇなもんだ。意思もある。魔神族や女神族も、元を辿れば《混沌》が生み出したって聞いてる」
「種族を生み出した力……」
「光とか闇とか、そういうもんよりもっと前にある。確か……不純でありながら純粋、とかそんな感じだったな」
「神すら知らぬ力か」
「こっちの世界に同じもんがあるかは知らねぇ」
「その《混沌》が、世界を隔てる境界へ干渉した可能性がある」
「たぶんな」
「再び同じ現象を起こせるか?」
「無理だろ。少なくともオレには」
バンはそこで僅かに視線を落とした。
「だから、帰り道も今は分かんねぇ」
「帰還を望んでいるのか」
問いに、迷いはなかった。
「ああ」
「理由は?」
「帰る場所がある」
短い返答。
しかし、それまでより明らかに重い。
「家族か」
「嫁と息子がいる。それに国もな」
「国?」
「一応、王やってる」
地下神殿に、珍しい沈黙が落ちた。
ウラノスがバンを見る。
「……お前が?」
「何だよ、その間」
「いや」
「神様にもそういう顔できんじゃねぇか」
「続けよ」
「誤魔化したな?」
「続けよ」
「はいはい」
バンは肩をすくめた。
「向こうには〈七つの大罪〉って騎士団があった。昔、オレもそこにいた」
「七つの大罪……罪人の集団か?」
「まあ、間違っちゃいねぇ」
「七人なのだな」
「団長がいて、オレ含め仲間が六名いた」
「そのマーリンという者も?」
「ああ。その一人だ」
「お前の帰還に関して、彼女なら何か分かる可能性があると?」
「魔術のことなら化け物みてぇに詳しい女だからな。《混沌》のこともオレより遥かに知ってる。オレが突然消えたなら、何が起きたか調べてる可能性はある」
「確信はない」
「当たり前だろ。こっちから向こうの様子なんて見えねぇんだから」
「では、ただ待つのか?」
「それは性に合わねぇな」
バンは口元を僅かに上げた。
「こっちはこっちで手掛かりがあれば探す。向こうは向こうで、マーリンなら何かやってるかもしれねぇ。それくらいに考えてる」
「焦ってはいないのだな」
「焦ったところで穴が開くわけじゃねぇしな」
だが。
帰りたいという意思だけは、言葉の奥にはっきり残っていた。
◇
「もう一つ」
ウラノスが言った。
「お前には神の恩恵がない。それにもかかわらず、深層の環境と怪物へ耐えている。その肉体も、生来のものなのか?」
「いや」
「では?」
「煉獄で鍛えられた」
「煉獄」
「向こうにある、まともな生き物なら住めねぇような場所だ」
バンは遠い記憶を思い出すように目を細めた。
「灼熱になったと思えば凍えるほど冷える。空気だってまともじゃねぇ。そこに長いこといたせいで、身体が慣れた」
「なぜ、そのような場所で生き延びられた」
「その頃は不死身だったからな」
ウラノスの目が僅かに細くなる。
「……不死?」
「ああ。昔の話だ」
「今は違うのか」
「違う」
「失った?」
「大事な奴を生かすために使った」
それ以上を語るつもりはないのか、バンはそこで口を閉じた。
ウラノスも深追いしなかった。
「ならば現在のお前は、致命傷を負えば死ぬ」
「ああ。普通に死ぬ」
「傷も治癒しない?」
「勝手には治らねぇよ」
「それでも、煉獄で得た肉体は残った」
「そういうことだ」
「後悔は?」
「してねぇ」
一瞬だった。
考える時間すらない。
ウラノスはそれ以上、その話を問わなかった。
「お前以外に、同じ世界から来た者はいるか」
「知らねぇ。少なくともオレは会ってない」
「この世界へ呼び寄せることは?」
「できねぇ」
「この世界を害する意思は?」
バンが眉を上げる。
「ねぇよ」
「即答だな」
「飯もうまいし、酒も悪くねぇ」
「それだけか」
「……ったく」
軽く答えたバンだったが、ウラノスが視線を逸らさないため、やがて笑みを消した。
「帰る方法が見つかるまで、ここで生きる。それだけだ。わざわざオラリオと喧嘩する理由なんてねぇ」
「ダンジョンを破壊する意思もない?」
「ねぇって。壁はもう勝手に奪わねぇよ」
「ならばよい」
ウラノスはゆっくりと目を閉じた。
長い沈黙。
バンは急かさなかった。
やがて、老神が再び目を開く。
「お前のダンジョンへの入場を認めよう」
「……いいのか?」
「無条件ではない」
「だと思った」
「お前を通常の冒険者として登録することはしない。神の恩恵を持たず、いずれのファミリアにも属していない以上、既存の制度へ当てはめることに意味はない」
低い声が神殿へ響く。
「ゼウス・ファミリア、ヘラ・ファミリア両派閥の共同保証を受ける外部協力者として、ギルド上層部の個別許可を与える」
「外部協力者?」
「名称に不満があるか」
「いや。面倒じゃなきゃ何でもいい」
「条件がある」
バンが嫌そうな顔をした。
「やっぱあんのか……」
「第一に、今後は正規の入口から入れ」
「ああ」
「第二に、入場前に探索目的と予定階層を申告せよ」
「予定階層……」
「『気になったから下へ行った』は認めぬ」
「先に釘刺すなよ」
「第三に、帰還後は報告を行うこと。予定外の異常、未知のモンスター、ダンジョンそのものの変化を確認した場合も同様だ」
「分かった」
「第四。理由なくダンジョンの壁を《強奪》するな」
「そこまで条件に入れんのかよ?」
「必要だ」
「……分かったって」
「そして、お前の出自についてはギルドから公表しない」
バンの表情が僅かに変わった。
「異世界人であること、神の恩恵を受けていないこと、単独で第五十階層まで到達したこと。いずれも不用意に広めるべき情報ではない」
「何で?」
「神々は好奇心が強い」
「あー……」
バンはゼウスやヘラを思い出した。
妙に納得できた。
「お前を調べようとする神が増えれば、都市の混乱を招く。さらに、事情を知らぬ冒険者が『無所属でもダンジョンへ入れる』と誤解する可能性もある」
「面倒くせぇな」
「ゆえに、外部へは個別審査によってギルドから探索許可を受けている者として扱う」
「嘘つけってことか?」
「違う」
ウラノスは即座に否定した。
「虚偽を求めるものではない。問われたことへ答えるかはお前自身が決めればよい。ただ、ギルドから積極的に公表はしないということだ」
「ならいい」
「条件を守れるか」
バンは少し考える。
「入口から普通に入って、行く場所言って、帰ったら報告。壁は勝手に取らねぇ」
「概ねそうだ」
「それくらいならいい」
「ならば決まりだ」
バンはクレシューズを肩へ戻した。
「もう帰っていいか?」
「ああ」
「やっと飯食えるな」
「……バン」
背を向けたところで、再び呼び止められる。
「何だ?」
「この世界へ来たことが、お前にとって何を意味するのか。それは我にも分からぬ」
バンは振り返らない。
「だが帰還の日まで、この世界で為したことは残る」
「難しいこと言うなぁ」
「覚えておけ」
少しだけ間があった。
「……考えとく」
片手を上げ、バンは地下神殿を後にした。
◇
バンの足音が完全に遠ざかった後。
地下神殿へ別の足音が近づいた。
現れたのはロイマンだった。
「お呼びでしょうか、ウラノス様」
「バンへの特例許可を正式に整えよ」
「……やはり許可されるのですね」
「危険性がないとは言わぬ。だが、現時点で都市へ害意はない」
「承知しました。しかし、問い合わせは増えるでしょうな。ゼウスとヘラの両派閥が揃って保証している時点で、神々も冒険者も放ってはおかないでしょう」
「必要以上の情報は伏せよ」
「異世界から来たことも?」
「公表する必要はない。恩恵を持たぬことも、単独で第五十階層へ至ったことも同様だ」
ロイマンが深く頷く。
「それから、彼の窓口を一つにまとめる」
「専属の担当を?」
「そうだ。入場申告、帰還確認、異常報告、戦利品に関する連絡。複数の部署を回らせれば、あの男は面倒がって逃げる」
「……否定できませんな」
「先ほど対応していた職員がいたな」
「マレナ・フォルクです」
「彼女に任せよ」
ロイマンが一瞬だけ黙った。
「本人が嫌がりそうですが」
「適任だ」
「……承知しました」
短く答え、ロイマンは頭を下げた。
一人残ったウラノスは、再び静かに目を閉じる。
神の恩恵を受けず。
この世界の理の外から現れ。
迷宮の深層へ踏み込んだ男。
その存在が何をもたらすのかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
迷宮都市オラリオにまた一人、これまでの常識だけでは測ることのできない者が加わったということだった。
第107話でした。
今回はウラノスとバンの一対一の対話を中心に、バンの故郷の世界、魔力の仕組み、《強奪》、煉獄、不死だった過去、そしてこの世界へ飛ばされた原因について触れました。
バンの過去については、まだ全てを話したわけではありません。〈七つの大罪〉の仲間たちや、それぞれが背負った「罪」、エレインとの詳しい出来事などについては、今後の話で改めて描いていく予定です。
そして、ようやくバンにも正式にダンジョンへ入る道ができました。ただし、今度からは勝手に入口を抜けたり、ダンジョンの壁を持っていったりはできません。