長い地下通路を抜け、ようやく見覚えのある場所まで戻ってきた頃には、バンの頭からウラノスとの重い話の半分ほどが消えかけていた。
正確には、忘れたわけではない。
ただ、それよりも優先すべきことがあった。
「腹減ったな……」
朝に肉を挟んだパンを二つ食べた。
それから個室で長々と質問され、地下へ連れていかれ、今度は神様から質問攻めにされた。
身体を動かしていないとはいえ、バンにとっては十分すぎるほど長い時間だった。
受付の並ぶ広間へ戻ると、朝よりも人が増えている。依頼を受ける冒険者、魔石の換金へ来た者、書類を抱えて歩き回る職員。
その中で、バンは見覚えのある茶髪を見つけた。
「お、いたいた」
受付の奥で書類を整理していたマレナが顔を上げる。
そしてバンを見た瞬間、あからさまに安堵した。
「……戻ってきましたね」
「何だよ、その顔」
「少し安心しただけです」
「オレが逃げると思ってた?」
「思っていました」
「即答かよ」
「昨日の実績がありますから!」
言い返したマレナは、すぐに周囲を気にして声を落とした。
「それで……ウラノス様とのお話は終わったのですか?」
「ああ。ダンジョンに入っていいってさ」
「そんな簡単な言い方で済ませないでください!」
「でも許可は出たぞ――」
口にしかけて、バンは一瞬止まった。
「……出た」
「なぜ言い直したんです?」
「別に」
マレナが怪訝そうに見る。
バンは知らん顔で受付台へ肘をついた。
「正面から入れ。入る前に行く場所を言え。帰ったら報告しろ。変なもん見つけたら教えろ。あと壁を勝手に盗るなって」
「……大体合っています」
「もう聞いてんの?」
「つい先ほど、ロイマン様から連絡がありました」
マレナは机の上に置いてあった一枚の書類を取る。
「あなたについて、ギルド上層部から個別の探索許可が出ました。通常の冒険者登録とは異なり、ゼウス・ファミリア及びヘラ・ファミリアの共同保証を受ける外部協力者としての特例です」
「それそれ」
「もう少し自分のことに興味を持ってください!」
「入れりゃ同じだろ」
「違います!」
マレナは反射的に声を上げてから、また周囲の視線に気づいた。
「……とにかく!」
少し赤くなった顔のまま、今度は別の紙を差し出す。
「今後、ダンジョンへ入る際の申告、帰還後の報告、戦利品の相談、ギルドからの連絡については、原則として私が担当します」
「へぇ」
「……それだけですか?」
「よろしくな、マレナ」
「え?」
思いのほか素直な言葉が返ってきたため、マレナが目を瞬いた。
バンはもう別の方を見ている。
「これで毎回知らねぇ奴に同じ説明しなくて済むんだろ? そりゃ助かる」
「まあ……そういう目的もあります」
「じゃ、楽になったな」
「どちらかと言えば、あなたを各部署へ好き勝手に行かせないための措置だと思いますが……」
「似たようなもんだろ」
「全然違います」
マレナがため息をついた、その時。
広間の入口側が騒がしくなった。
「通るぞ! そこを空けてくれ!」
「台車が入る!」
「何だ?」
バンが振り返る。
数人のゼウス・ファミリア団員が、大きな台車を押してギルドへ入ってきていた。
一台ではない。
二台。
その後ろに、もう一台。
魔石や素材がそれぞれ丈夫な箱や袋へ分けられ、山のように積まれている。
先頭にいたパァルが、バンを見つけた。
「ちょうど戻ったか」
「何だ、これ?」
「お前の戦利品だ」
「……こんなにあったっけ?」
マレナがゆっくりとバンを見る。
「あなた、自分で拾った物の量を覚えていないんですか?」
「鞄に入るだけ入れてただけだしな」
「一度その鞄を見てみたかったです……」
「見るだけならやめとけ。もうボロボロだ」
「それについては俺から話す」
低い声がした。
台車の後ろから姿を現したのは、頑丈な体格のドワーフだった。
ドルガン・バルク。
第五十階層でバンの鞄を開き、中身の惨状を見て頭を抱えていた男である。
「お前の古い鞄は解体した」
「捨てたの?」
「使える革は残してあると言っただろう」
「ああ、そうだったな」
「忘れるな!」
ドルガンの太い眉がつり上がる。
「比較的傷みの少ない部分だけ切り出してある。新しい鞄の補強に使う」
「もうできた?」
「できるわけがないだろう!」
今度は完全に怒鳴られた。
「昨日地上へ戻ったばかりだ! 遠征装備の確認、負傷者の装備回収、破損品の整理まで残っているんだぞ!」
「忙しいな」
「誰の鞄まで仕事に増えたと思っている!」
「悪かったって」
バンは悪びれた様子も薄く笑う。
ドルガンは大きく息を吐いた。
「……大きくしすぎるつもりはない」
「ん?」
「お前が使う新しい鞄だ。容量だけ求めれば、いくらでも大きくできる。だが、お前は走る、跳ぶ、戦う。背中に荷物を背負ったままな」
「ああ」
「なら、でかければいいというものではない。身体から浮かないよう縦長にして、肩と腰で固定する。酒瓶は中で動かないようにする」
「そこ大事だな」
「毒物と一緒にするなという意味だ!」
「分かってるって」
「本当に分かっているのか……?」
疑わしそうなドルガンから視線を外し、バンは台車へ近づいた。
箱の中には見覚えのある物が詰まっている。
灰色や赤褐色の魔石。
硬い鱗。
毒牙。
棘。
厚い岩殻。
途中で「売れそうだから」と拾った物もあれば、魔物を倒したついでに回収した物もあった。
「黒い爪は?」
バンが尋ねる。
「持ってきていない」
答えたのはパァルだった。
「あれは正体が分かっていない。通常の換金品と一緒にギルドへ運ぶべきではないと判断した」
「じゃあ、どこに?」
「ゼウス・ファミリアの保管庫だ。封をした上で、別に調べる」
「売れねぇのか」
「お前は本当にそこしか興味がないのか?」
「売れねぇなら持っててもしょうがねぇだろ」
「価値が判明するまで待て」
「分かったよ」
バンはあっさり引き下がった。
そんな彼らの会話を聞きながら、マレナは台車の荷物を一つずつ見ていた。
最初は普通だった表情が、徐々に固まっていく。
「……これ、全部ですか?」
「黒い爪以外は、今回ギルドへ持ち込める物をほぼ全部だ」
パァルが答える。
「これを……バンさんが?」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「第二十九階層から第五十階層まで?」
「途中で拾わなかった物も多い」
マレナは黙った。
バンが横から顔を覗き込む。
「どうした?」
「頭が痛くなってきました」
「大丈夫か?」
「半分くらいあなたのせいです!」
「残り半分は?」
「この量です!」
◇
査定は、バンが思っていたより遥かに時間がかかった。
最初は受付裏の一角で済ませる予定だったらしい。
しかし、箱を開ける。
魔石を分類する。
素材を確認する。
また箱を開ける。
別の職員が呼ばれる。
さらに鑑定担当が増える。
気づけば一角が完全にバンの戦利品で占領されていた。
「これは第四十階層前後の個体でしょうか?」
「形状は近いですが、傷み方が……」
「この毒牙は分けてください! 素手で触らないで!」
「魔石の大きさを記録して!」
職員たちが慌ただしく動く。
その中心から少し離れた椅子に、バンは座っていた。
「暇だな」
「あなたの査定ですよ!?」
書類を抱えたマレナが振り返る。
「オレが見てても早くならねぇだろ」
「それは……そうですけど」
「飯行ってきていい?」
「駄目です」
「何で?」
「確認が必要になるかもしれません!」
「何を?」
そう言った直後、鑑定担当の男が一つの棘を持ってやってきた。
「バンさん、この素材を回収した階層を覚えていますか?」
「覚えてねぇ」
「…………」
「ほら、オレいなくても同じだろ」
「いてください!」
マレナの声が響いた。
◇
正午を少し過ぎた頃。
さすがにマレナも諦めたらしく、バンは一時的に外へ出ることを許された。
ただし条件付きだった。
「一刻以内に戻ってきてください」
「分かった」
「酒は禁止です」
「何で!?」
「戻ってきた時に酔っていたら困るからです!」
「その程度で酔わねぇよ」
「量の問題ではありません!」
「じゃ、一杯だけ」
「駄目です!」
「二杯」
「増やさないでください!」
結局、バンは酒を諦めて近くの店へ入った。
肉料理を三皿。
パン。
煮込み。
追加でもう一皿。
店員に「まだ食べるのか」と驚かれながら腹を満たし、約束より少し早くギルドへ戻る。
マレナが時計を確認して目を丸くした。
「……ちゃんと戻ってきた」
「何だよ。戻るって言っただろ」
「昨日のことがあるので……」
「いつまで言うんだ、それ」
「しばらくは言います」
◇
それからさらに数時間。
窓から差し込んでいた日差しが傾き始めた頃、ようやく最後の箱が片づけられた。
「……終わりました」
マレナが机へ突っ伏しそうな声で言った。
「やっと?」
「誰のせいですか……」
机の上には、分類された査定書が何枚も重なっている。
「本日中に値段を確定できた物については、こちらです。希少素材や状態確認が必要な物については一部保留になります」
「全部でいくら?」
「今計算しています」
「酒何本買える?」
「先に金額を聞いてください!」
横で待っていたパァルが、とうとう吹き出した。
「何笑ってんだよ」
「いや。第五十階層まで一人で行った男が、朝から夕方まで待たされて気にしているのが酒の本数だと思うとな」
「大事だろ」
「お前らしいとは思う」
マレナが最後の計算を書き込む。
そして顔を上げた。
「確定分だけでも、普通の冒険者ならしばらく生活に困らない額になります」
「へぇ」
「……具体的な金額を言いますね」
数字を聞いたバンは、一度だけ瞬きをした。
「結構あるな」
「反応、それだけですか?」
「酒ならかなり買える」
「やっぱりそこなんですね……」
「肉も買えるな」
「安心しました。食費も考えていたんですね」
「酒のつまみだ」
「前言撤回します!」
疲れ切ったマレナの声に、パァルがまた笑った。
バンも口元を上げる。
朝から個室へ閉じ込められ。
老神と世界の話をし。
その後は夕方まで魔石と素材の査定。
ダンジョンの中にいた時より、今日の方が妙に長く感じる。
「なあ、マレナ」
「何です?」
「明日は来なくていいよな?」
「ダンジョンへ行かないのであれば、基本的には」
「よし」
「ただし、保留中の素材について確認が必要になった場合は連絡します」
「どこに?」
「……そういえば、あなたの住んでいる教会まで連絡を届けるんでしたね」
「急ぎじゃなきゃ後でいいからな」
「あなたが連絡を取りに来てください!」
「面倒だなぁ」
「専用窓口になった初日からこれですか!?」
マレナの声が、夕方のギルドへ響いた。
バンは笑いながら立ち上がり、クレシューズを肩へ担ぐ。
「じゃ、今日は酒飲みに行ってくるわ」
「もう止めません……」
「マレナも来る?」
「仕事が残っています!」
「残念」
「誰のせいで増えたと思っているんですか!」
最後まで聞かず、バンは片手を上げて歩き出した。
その背中を見送りながら、マレナは机の上に残された大量の書類へ視線を落とす。
そして深く、深く息を吐いた。
「……専用担当、ですか」
今日一日だけで、先行きが少し不安になった。
だが。
山のような戦利品の横で、第五十階層まで行った本人だけが最後まで普段通りだったことを思い出し、マレナは小さく苦笑する。
「本当に、変な人ですね」
一方。
そんな担当職員の苦労など知らないバンは、すでに今夜どの酒場へ行くかを考えていた。
第108話でした。
第106話、第107話とギルドやウラノスとの重要な話が続いたため、今回は少し日常へ戻り、バンがダンジョンから持ち帰った大量の戦利品を整理する一日となりました。
そしてマレナは、正式にバンの専用窓口を担当することに。これから一番振り回されるギルド職員になるかもしれません。
ドルガンが製作する新しい鞄についても少しずつ形が決まり始めていますが、完成まではもう少し先になりそうです。