強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

119 / 125
第113話 海の覇王

 ポセイドン・ファミリアから第二報が届いたのは、その日の夕刻だった。

 

 朝の急報を受けた時点で、ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアはすでに動き始めていた。深層遠征から戻った団員たちの負傷状況、使用できる装備、残っている薬品や食料、再び遠征へ出られる人数。まだ次の戦いが決まったわけではないというのに、二大派閥の本拠ではいつでも動けるよう準備が進められている。

 

 バンも一度教会へ戻るつもりだったのだが、結局そのままゼウス・ファミリアの本拠へ残っていた。帰ったところで寝るくらいしかすることがない、と口にしたせいで、パァルから「なら手伝え」と書類仕事を押しつけられそうになったが、それだけは丁重に断った。

 

「暇なのだろう?」

 

「暇と仕事したいは別だろ」

 

「安心しろ。お前に書類を任せるほど私は切羽詰まっていない」

 

「じゃあ最初から言うなよ」

 

「荷物運びくらいならできるだろう」

 

「オレを何だと思ってんだ」

 

「暇そうな男だ」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

 そんなやり取りをしていたところで、大広間の扉が勢いよく開いた。

 

 入ってきたのは朝の急使とは別の男だった。海水を吸った外套はまだ湿っており、靴にも泥が残っている。日に焼けた顔には疲労が色濃く浮かんでいたが、それでも足取りは崩していない。男は部屋の中央まで進むと、ゼウスとヘラへ深く頭を下げた。

 

「ポセイドン・ファミリアより、第二報をお持ちしました」

 

 それまで各々が行っていた作業が止まる。マキシムが手元の書類を机へ置き、レグナイトも壁際から身体を起こした。アルフィア、ザルド、リシェル、パァルも男へ視線を向ける。

 

「確認できたのか?」

 

 ゼウスの問いに、使者は迷わず頷いた。

 

「はい。主神ポセイドン御自身が確認されました。大型の海洋モンスターではありません」

 

 部屋の空気が静かに張り詰める。

 

「リヴァイアサンです」

 

 驚きの声は上がらなかった。朝の報告を聞いた時点で、その場にいた者たちの多くがすでに同じ可能性を考えていたからだ。それでも推測と確認済みの事実では意味が違う。

 

「根拠を」

 

 レグナイトが短く促すと、使者は背負っていた筒を下ろし、海図と数枚の記録画を机へ広げた。

 

「本日昼前、監視船三隻が対象海域へ接近しました。主神ポセイドンもそのうちの一隻へ乗船されています。完全な姿は確認できませんでしたが、海面へ浮上した背部と尾の一部を目視。古くから残されている記録と照合し、主神がリヴァイアサン本人に間違いないと判断されました」

 

 粗い線で描かれた記録画には、荒れる海面から巨大な黒い隆起が突き出していた。単体で見れば岩礁や小島にも見えるが、そのすぐ横に描かれた船と比較すると、異常な大きさがよく分かる。

 

「……でけぇな」

 

 バンが身を乗り出して画を見る。

 

「これで身体の全部じゃねぇんだろ?」

 

「確認されたのは一部だけです」

 

「やっぱりか」

 

 マキシムは海図から視線を上げずに尋ねた。

 

「交戦は?」

 

「していません。主神からも確認を最優先するよう厳命されていました。ただ、対象が身体を動かしただけで海面が大きく盛り上がり、監視船のうち二隻が舵を失いかけています。十分に距離を取っていたにもかかわらずです」

 

「賢明だな。確認のために三大クエストへ喧嘩を売る必要はない」

 

 パァルがそう言うと、使者も頷いた。

 

「現在、ポセイドン様は監視船団をさらに後退させ、遠距離から活動範囲を観測されています。これ以上近づけば、次は帰還できない可能性があるとの判断です」

 

「奴は動いておるのか?」

 

 ゼウスが白髭を撫でながら尋ねる。

 

「ゆっくりとですが、明らかに活動しています。今のところ一定方向へ進んでいるわけではありません。ただ、昨日までと比較して行動範囲は拡大しています」

 

 リシェルが朝から広げられていた海図と新しい記録を重ね合わせる。

 

「海洋モンスターが逃走している範囲とも重なりますね。リヴァイアサンを中心として、周囲の生態系そのものが押し出されている可能性があります」

 

「メレンはどうなの?」

 

 ヘラが聞くと、使者はすぐに答えた。

 

「街への直接的な危険は、現在のところ確認されていません。ただし、湖底の第二入口周辺では水棲モンスターの動きが普段より活発になっています。大量に地上へ溢れているわけではありませんが、通常ならさらに奥からほとんど動かない個体まで確認されています」

 

「そいつらもリヴァイアサンから逃げてるってことか?」

 

 バンが尋ねる。

 

「そこまでは断定できません。ただ、時期が一致している以上、無関係とは考えにくいでしょう」

 

「ベヒーモスの時と同じだな」

 

 ザルドが腕を組んだ。

 

「上にいる怪物が動けば、下の怪物まで落ち着かなくなる」

 

「とはいえ、メレンそのものを戦場にする必要はないわ」

 

 レグナイトは海図の上へ視線を落としたまま、淡々と言った。

 

「第二入口は監視を増やす程度で十分よ。余計な場所へ戦力を分散させれば、肝心の本体へ届かなくなる」

 

「ポセイドン様も同じ判断です。問題は海上にあります」

 

「なら、そこを聞きましょう」

 

 ヘラが指先で海図を叩く。

 

「相手がリヴァイアサンだと確認できた。次はどうやって戦場を作るの?」

 

 使者は一枚の別の海図を取り出した。そこに描かれているのはリヴァイアサンが確認された海域ではなく、大陸から大きく離れた場所に浮かぶ一つの孤島だった。

 

「朝お伝えした海上要塞について、主神から詳しい説明を預かっています」

 

 バンは眉を上げた。今朝の報告でも耳にした言葉だ。

 

「やっぱその話か。で、海上要塞って結局何なんだ?」

 

「我々が建造したものではありません」

 

「じゃあ誰が作った?」

 

「分かっていません」

 

 予想外の答えに、バンだけでなく何人かの表情が変わる。

 

「ただし、建造時期だけはある程度推測されています。少なくとも神々が下界へ降臨する以前。古代の人類が残したものです」

 

「古代人の遺産か」

 

 ゼウスの目が僅かに細くなる。

 

「はい」

 

 使者は海図上の孤島を指差した。

 

「数年前、ポセイドン・ファミリアの船団がこの海域を航行していた際、食料と真水の補給を目的にこの島へ上陸しました。外から見れば何の変哲もない大きな孤島です。中央には高い山があり、その周囲を深い森林が覆っている。人の住んでいた痕跡も見当たりませんでした」

 

 島の内部へ入った団員たちは水源と食料を探していた。その途中、山腹の崩れた岩壁の奥に、不自然なほど整った石材を発見したという。さらに調査を進めると、土砂と植物に埋もれた巨大な通路が現れ、その奥には山の内部とは思えないほど広大な人工空間が広がっていた。

 

「最初は古代都市か地下施設だと思われました。しかし、構造を調べていくうちに違うことが分かった。巨大な格納区画、外海へ繋がる水路、内部に残された航行機構。そして、その中心に眠っていた巨大構造物。それが海上要塞です」

 

 使者は簡易的な図面を広げた。

 

 形状は船というより、巨大な円形の人工島に近い。内部はいくつもの区画へ分けられており、居住区らしき場所や物資を収容する空間、戦闘用と思われる広い甲板まで存在している。

 

 バンは図面を覗き込みながら尋ねた。

 

「どれくらいでけぇ?」

 

「正確な測量はまだ終わっていませんが、端から端までおよそ七百メドル近いと推定されています」

 

「……七百?」

 

「はい」

 

「それ、船じゃねぇだろ」

 

「だから我々も海上要塞と呼んでいます」

 

「なるほどな」

 

 バンは納得したように腕を組んだ。

 

 それだけの大きさがあれば、戦闘員だけでなく治療師や鍛冶師、補給要員、大量の食料や武器までまとめて運べる。何より普通の船とは違い、数百人の冒険者が同時に戦えるだけの足場を海上へ作ることができる。

 

「今すぐ使えるのか?」

 

 パァルが尋ねると、使者は首を横に振った。

 

「移動させるだけなら、おそらく可能です。発見後、内部に巣食っていたモンスターを排除し、ポセイドン・ファミリアでも最低限の保全は続けてきました。ですが、長い年月放置されていたため損傷が激しい。外装、支柱、甲板、航行機構、内部設備。その全てに問題があります」

 

「つまり、海へ出すことはできても、リヴァイアサンの攻撃には耐えられない」

 

 リシェルの言葉に、使者が頷いた。

 

「現状ではそうです」

 

「なら直すしかないわね」

 

 レグナイトがあまりにも当然のように言った。

 

 バンが彼女を見る。

 

「簡単に言うなぁ」

 

「簡単だとは言っていないでしょう。必要だからやるのよ」

 

「七百メドルだぞ?」

 

「七百だろうと七千だろうと、海の上で戦うために必要なら直す。それだけよ」

 

「相変わらず無茶苦茶だな」

 

「女帝に不可能と言わせたいの?」

 

「別に」

 

 マキシムは図面を見ながら顎へ手を当てた。

 

「だがポセイドンだけでは無理だな。海上運用は専門でも、古代構造物の全面補修となれば話が違う」

 

「ゴブニュを呼びなさい」

 

 レグナイトは迷わなかった。

 

「大型構造物の修繕と補強なら、あそこが最も適任よ」

 

 ゼウスも頷く。

 

「ヘファイストスにも声を掛けるべきじゃのう。あれだけのものを戦場へ出すなら、装備や武装だけでなく金属部材も大量に必要になる」

 

「船体や大型構造部分はゴブニュ、戦闘用の装備や武具、金属補強はヘファイストス。航行機構と海上運用はポセイドンか」

 

 パァルが役割を整理するように口にする。

 

「それでも相当な人数と物資が必要になるな」

 

「オラリオ全体へ協力を求めればいい」

 

 ヘラが言った。

 

「三大クエストを相手にするのよ。ゼウスと私の眷族だけで、治療も補給も鍛冶も何もかも抱える必要はないでしょう」

 

「他のファミリアも連れてくのか?」

 

 バンが尋ねる。

 

「必要な人間だけよ」

 

 レグナイトが答えた。

 

「戦えるからという理由だけで全員を海へ連れていく気はないわ。前衛がいれば戦争になるわけではない。後衛を守る者、負傷者を治療する者、武器を直す者、物資を運ぶ者、それら全てが必要になる」

 

「オラリオを空っぽにするわけにもいかねぇしな」

 

「当然よ。三大クエストを討ちに出た間に自分たちの本拠を失うような間抜けになるつもりはないわ」

 

 その言葉に、ザルドがわずかに視線を伏せた。

 

 バンは横目でそれを見る。ザルドはいつも通りに立っているし、顔色も悪くない。ただ、ベヒーモス戦で受けた毒が完全に消えたわけではないことを、バンは知っている。本人も当然分かっているだろうが、この場でそれを口にする者はいなかった。

 

「誰を連れていくかは、要塞の修復状況と必要な役割を見てから決める」

 

 レグナイトはそう言って話を切った。

 

「誰を残すかも同時に決めるわ。本人の希望だけで前線へ連れていくつもりはない」

 

「ずいぶん厳しいな」

 

「戦争よ。遊びではないわ」

 

「そりゃそうか」

 

 アルフィアは海上要塞の図面よりも、リヴァイアサンの記録画を見ていた。

 

「奴について、過去の戦闘記録は残っていないのか?」

 

「極めて少数です。目撃記録はいくつか存在しますが、正面から戦った者の記録となるとほとんど残っていません。分かっているのは、巨大な身体、海中での圧倒的な機動力、そして通常の船なら一撃で破壊できる力を持つという程度です」

 

「弱点は?」

 

「不明です」

 

「なら、現地で見るしかないな」

 

 マキシムが言った。

 

「海上要塞を用意し、奴の攻撃を受けられる戦場を作る。その上で初めて、何が効くのか確かめられる」

 

「そうね」

 

 レグナイトも同意する。

 

「最初から誰か一人の力を当てにする気はないわ。リヴァイアサンを見て、攻撃を受け、こちらの攻撃を試す。倒し方を決めるのはその後よ」

 

 アルフィアは何も言わなかった。自分の魔法を使えばいい、と口にすることもない。相手の性質すら分からない段階で、自分の力だけを前提に作戦を組むほど彼女は軽率ではなかった。

 

「ただし」

 

 リシェルが静かに言う。

 

「ベヒーモス戦と深層遠征から、それほど時間が経っていません。治療が終わっていない者もいます」

 

「だから選別するのよ」

 

 レグナイトは即答した。

 

「肩書や名誉のために人員を選ぶつもりはない。今の状態で役に立てる者を連れていく。そうでない者は残る。それだけでしょう」

 

 バンが何気なく隣を見ると、ザルドと目が合った。

 

「何だ」

 

「いや、別に」

 

「今、俺を見ただろ」

 

「気のせいじゃねぇ?」

 

「お前は分かりやすいな」

 

「何がだよ」

 

「二人とも黙りなさい」

 

 ヘラに一言で切られ、バンは肩を竦めた。

 

 やがてマキシムが海図を畳みながら口を開く。

 

「では、最初にやるべきことは決まったな。海上要塞を戦場として使える状態へ戻す。それと並行して人員と物資を集める」

 

「異論はないわ」

 

 レグナイトが頷く。

 

 誰も反対しなかった。ベヒーモスを討ったばかりであり、深層遠征から帰ったばかりでもある。疲労も負傷もまだ完全には消えていない。それでも三大クエストが再び動き出したと分かってしまった以上、見なかったことにはできない。

 

 ゼウスがゆっくりと立ち上がった。

 

「また忙しくなるのう」

 

「嫌なら残っていてもいいのよ」

 

 ヘラが横から言う。

 

「誰がそんなことを言った。わしはただ、もう少し宴の余韻を楽しみたかっただけじゃ」

 

「女湯を覗いた余韻?」

 

「その話はもう終わったじゃろ!?」

 

 バンが吹き出し、マキシムまで僅かに口元を緩めた。張り詰めていた空気が一瞬だけ和らいだが、レグナイトが立ち上がると、自然と全員の視線が彼女へ集まった。

 

「ポセイドンへ伝えなさい。海上要塞の再起動準備に入れ、と」

 

「承知しました」

 

 使者が頭を下げる。

 

「リシェルはゴブニュとヘファイストスへ連絡を。必要な職人と資材の見積もりを急がせなさい。マキシムとパァルはゼウス側の戦力状況を整理して。こちらも同時に進めるわ」

 

「分かった」

 

「承知した」

 

「ゼウスとヘラは、協力を求める他派閥への話を通しておきなさい」

 

「わしにまで命令するかの?」

 

「嫌なら私一人でやるわ」

 

「……わしもやる」

 

「最初からそう言いなさい」

 

 ゼウスが小さく肩を落とした。

 

 そこでレグナイトの視線がバンへ向く。

 

「それで、バン」

 

「何だよ」

 

「お前も来るのでしょう?」

 

「まだ正式に誘われてねぇけど」

 

「では今誘うわ。海へ来なさい」

 

「相変わらず誘い方が偉そうだな」

 

「私が誰だと思っているの?」

 

「自称女帝」

 

「自称ではないわよ」

 

「そうかよ」

 

 バンは笑いながら机の上に広がる海図を見た。そこには、自分がまだ一度も足を踏み入れたことのない広大な海が描かれている。黒い砂漠ではベヒーモスと戦った。今度は、その海のどこかに同じ三大クエストの一角がいる。

 

「まあ、行くよ」

 

「そう」

 

「ただし船酔いしたら笑うなよ」

 

「お前が船酔いするなら見てみたいな」

 

 ザルドが真顔で言った。

 

「お前、さっきから地味に楽しんでんだろ」

 

「気のせいだ」

 

「絶対違ぇ」

 

 再び小さな笑いが起きる。

 

 それが収まるのを待ってから、レグナイトは机の上の海図へ手を置いた。指先の先には、ポセイドン・ファミリアが記した巨大な影の位置がある。

 

「準備を始めなさい。次の戦場は陸ではない」

 

 女帝の声に、誰も目を逸らさなかった。

 

「古代の海上要塞を起こし、海へ出る。奴の姿をこの目で確かめ、何が通じるのかを見極める。その上で――」

 

 レグナイトの指が、海図に記された一点を静かに押さえた。

 

「三大クエスト。海の覇王リヴァイアサンを討つ」

 

 陸の覇王との戦いを終えた英雄たちは、休息も束の間、再び次の大戦へ向けて動き始める。

 

 今度の戦場は、砂漠でも迷宮でもない。

 

 果ての見えない海と、その上に蘇ろうとしている古代の大地だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。