第13話で見つけた地下遺跡へ、バンが足を踏み入れます。
今回は小型サソリの大群戦と、バンの技の一つである狩りの祭典《ハンターフェス》を使う回です。
石段は、深く続いていた。
湿った土の匂いが、下から吹き上がってくる。
苔の匂い。古い石の匂い。閉じ込められた空気の匂い。
そして、その奥に混じる赤黒い毒の匂い。
バンは聖棍クレシューズを肩に担ぎ、ゆっくりと階段を下りていた。
足元の石は古い。
苔に覆われ、ところどころ欠けている。根が石段の隙間から入り込み、まるで森そのものが遺跡を抱え込んでいるようだった。
地上の墓標は、もう見えない。
上から差し込む光も、少しずつ薄くなっていく。
代わりに、地下の奥から赤黒い光が脈を打つように揺れていた。
どくん。
光が強くなる。
どくん。
石段の壁に刻まれた古い紋様が、一瞬だけ浮かび上がる。
月。
森。
人々。
槍を持つ戦士たち。
その上に描かれた、長い尾を持つ巨大な蠍。
バンは壁画を横目で見た。
「ずいぶん昔から嫌われてたみてぇだな、サソリ」
答える声はない。
代わりに、足元から音が返ってきた。
かさ。
バンは足を止める。
かさかさ。
石段の下。
壁の亀裂。
天井の隙間。
小さな足音が、いくつも重なっていく。
バンは息を吐いた。
「またかよ」
最初の一匹が、壁の割れ目から飛び出した。
赤黒い結晶のような外殻。
細い脚。
鋭い尾針。
第13話で見た小型サソリと同じ個体だった。
バンはクレシューズを軽く振った。
ぱきん。
サソリが砕ける。
魔石は残らない。
殻も残らない。
赤黒い粒子だけが、石段の空気に溶けて消える。
「相変わらず、何も残さねぇな」
バンは不満そうに言った。
その直後、石段の下から無数の音が上がってきた。
かさかさかさかさ。
それは足音というより、砂が流れる音に近かった。
ただし、その砂は生きている。
石段の奥から、小型サソリの群れが溢れてきた。
十や二十ではない。
赤黒い外殻が、石段を埋める。
壁を走り、天井を這い、床の割れ目から湧き出してくる。
まるで、地下から砂の海が押し寄せてくるようだった。
バンは眉を上げた。
「多いな」
そして、笑った。
「食えねぇくせに」
群れが来た。
真正面から押し寄せる個体を、クレシューズで薙ぎ払う。
足元へ潜り込もうとする個体を踏み砕く。
天井から落ちてくる個体を、棍のしなりで弾き返す。
ぱきん。
ぱきん。
ぱきん。
軽い音が、石段に続く。
だが、減らない。
砕いた先から、次が来る。
壁の奥から、さらに湧く。
下の暗闇から、赤黒い粒子をまとった群れが這い上がってくる。
サソリたちは、ただ襲っているのではない。
押し戻そうとしている。
地下の奥へ行かせまいとしている。
バンは一匹をクレシューズで引っかけ、空中へ放り上げた。
左手を軽く開く。
「ちょいと借りるぜ」
スナッチ。
その動きの力を奪う。
サソリが空中で止まった。
だが、その瞬間、また妙な感覚が指先へ伝わった。
糸。
第13話で感じたものと同じ。
細く、赤黒く、地下の奥へ続く糸。
バンはサソリを握り潰すように力を返し、隣の個体へ叩きつけた。
二匹まとめて砕ける。
「……繋がりが強くなってんな」
低く呟く。
地上で感じた時よりも、はっきりしている。
群れの奥にいる何かが、近い。
あるいは、この遺跡に入ったことで、こちらも相手の腹の中へ近づいているのかもしれない。
「巣に入っちまったか」
バンは笑った。
「なら、掃除だな」
サソリの群れが一斉に跳んだ。
尾針が光る。
赤黒い毒が、針の先で濡れている。
バンはクレシューズを回した。
四節の棍が、狭い石段の中でしなる。
普通なら扱いづらい場所だ。だが、バンは壁の距離、天井の高さ、足元の段差を一瞬で測り、棍を必要な長さだけ使う。
長く伸ばす時は、群れをまとめて払う。
短く畳む時は、足元の個体を正確に砕く。
節の動きで角度を変え、壁を這う個体だけを弾く。
獲物狩り《フォックスハント》ほどの精密さではない。
だが、獲物を逃さないための手つきは、同じだった。
一匹が、バンの首元へ飛んだ。
バンは顔を少し傾ける。
尾針が頬を掠める。
その直後、クレシューズの先端がサソリの胴を打ち抜いた。
「急所はそこか」
サソリが砕ける。
だが、その隙に別の三匹が足へ絡んだ。
針が刺さる。
「ちっ」
太腿に痛み。
足首に痺れ。
ふくらはぎに熱。
毒が入る。
バンは足を振り、まとめて叩き潰した。
だが、指先の感覚が少し鈍っていた。
さっきより毒が濃い。
地上のサソリより、地下の個体の方が厄介だ。
バンは舌打ちした。
「奥に行くほど味が濃いってか。料理なら歓迎なんだけどな」
さらに下へ進む。
石段が終わった先には、広い地下空間があった。
天井は高く、無数の石柱が並んでいる。柱には月の紋様が刻まれ、ところどころに古い文字が走っていた。床は白い石で作られていたはずだが、今は赤黒い亀裂が広がり、その隙間から小型サソリが這い出している。
空間の中央には、浅い水路のようなものがあった。
だが、水はない。
代わりに、赤黒い砂のような粒子がそこを流れていた。
砂蠍の海。
バンはその光景を見て、思わず笑った。
「海って言うには、だいぶ小せぇな」
ただし、その数は洒落にならない。
床一面に、小型サソリがいた。
白い石の床が見えないほど、赤黒い外殻が蠢いている。
壁にも、柱にも、天井にもいる。
すべての個体が、バンの方を向いていた。
何百。
いや、もっと。
一匹一匹は弱い。
だが、毒を持つ。
魔石を残さず、砕けば粒子になって消える。
そして全てが、奥にいる何かと繋がっている。
バンは肩を回した。
「こりゃ、ちまちまやる量じゃねぇな」
群れが動いた。
床が波打つ。
赤黒いサソリの海が、バンへ押し寄せる。
クレシューズを振る。
先頭の群れが砕ける。
だが、後ろから次が来る。
踏み潰す。
砕く。
払う。
弾く。
追いつかない。
足元から這い上がる個体を、バンは蹴り飛ばした。
背後から来たものをクレシューズの節で叩き落とす。
だが、腕に二匹、肩に一匹、腰に一匹が取りつく。
針。
毒。
「っ……」
指が痺れる。
握力が少し落ちる。
クレシューズの回転が、一瞬だけ鈍った。
その隙に、さらに群れが詰め寄る。
バンは目を細めた。
「面倒くせぇな」
クレシューズを地面へ突き立てる。
そして、左手を広げた。
「まとめて借りるぜ」
狩りの祭典《ハンターフェス》。
周囲の生き物から、身体能力を奪う技。
本来なら、敵味方関係なく周囲の生物すべてを対象にできる凶悪な技だ。
今、この地下空間にいる生き物は、ほぼサソリだけ。
奪う。
脚の速さ。
跳ぶ力。
尾を振る瞬発力。
外殻の内側で蠢く筋肉の動き。
小さな力が、無数にバンへ流れ込んでくる。
普通の相手なら一つ一つは微弱。
だが、数が多い。
数百の力が、一斉に流れ込む。
バンの血管が浮いた。
身体の奥が熱くなる。
足の痺れが一瞬だけ薄れる。
「……お」
バンは笑った。
「数だけはあるじゃねぇか」
一方、サソリの海は止まった。
完全にではない。
だが、明らかに鈍った。
跳ぼうとした個体が、床の上でよろける。
壁を走っていた個体が落ちる。
尾を振り上げた個体が、そのまま固まる。
赤黒い波が、ぐずりと崩れた。
バンはクレシューズを引き抜いた。
「じゃ、狩るか」
踏み込む。
さっきまでとは動きが違った。
地面を蹴っただけで、身体が前へ伸びる。
クレシューズの振りが速くなる。
腕の動きが軽い。
奪った力は、バンの身体へ乗っている。
ただし、許容範囲の中で。
奪いすぎれば自分が壊れる。
だから必要な分だけ、動ける分だけ。
バンは赤黒い海の中を走った。
クレシューズが円を描く。
鈍ったサソリたちがまとめて砕ける。
足元の個体を踏み抜き、壁を蹴り、柱を支点にして跳ぶ。
群れが道を塞ぐ。
バンはクレシューズを畳んだ。
拳を握る。
武器を使わない。
目の前のサソリたちへ、両手が伸びる。
乱獲《クレイジーハント》。
煉獄で覚えた狩り。
武器なしで、獲物を狩る手。
一匹を掴む。
力を奪い、動きを止め、そのまま隣へ叩きつける。
二匹目の尾を掴み、三匹目へ投げる。
四匹目の跳躍を奪い、空中で失速させ、踏み砕く。
フォックスハントの精密さを、素手で、大勢へ。
サソリの海に穴が開いていく。
「おら、どけ」
バンは進む。
砕ける音が連続した。
ぱきん、ぱきん、ぱきん、ぱきん。
赤黒い粒子が、地下空間を満たす。
まるで逆さに降る火の粉だった。
だが、そこでバンは眉をひそめた。
おかしい。
サソリの数は減っている。
だが、糸は切れていない。
むしろ、強くなっている。
狩りの祭典で奪った力の奥に、別の力が混じっている。
小型サソリの力ではない。
もっと大きい。
もっと冷たい。
もっと古い。
そして、どこか月の光に似ている。
バンは足を止めた。
「……こいつらを使って、何か喰ってやがるな」
小型サソリたちは、ただの兵隊ではない。
糸で繋がれた手足。
そして、同時に管でもある。
奥にいる何かが、この群れを通じて、遺跡に残る力を吸い上げている。
月の紋様。
弱った精霊の気配。
赤黒い毒。
バンは天井の壁画を見上げた。
そこには、月のような光を抱く女性の姿が描かれていた。
その周囲で、人々が祈っている。
だが、その絵の端には、赤黒い蠍の尾が描き足されたように伸びていた。
月を喰う尾。
「趣味悪ぃ絵だな」
その時、地下空間の奥で、石の扉が震えた。
重い音が響く。
ごん。
ごん。
扉の向こうから、何かが動いている。
サソリの群れが、一斉にそちらへ下がった。
逃げたのではない。
道を作った。
赤黒い海が左右へ割れる。
その奥に、巨大な扉があった。
月の紋様が刻まれた白い石の扉。
だが、その中央には赤黒い亀裂が走り、蠍の尾のような紋様が絡みついている。
扉の隙間から、冷たい光が漏れていた。
月光。
だが、澄んでいない。
赤黒い毒に濁った月光だった。
バンはクレシューズを肩に担ぎ直した。
狩りの祭典で奪った力が、少しずつ抜けていく。
サソリたちへ戻っている。
時間が経てば、奪った力は返る。
バンはそれを分かっていた。
「長居はできねぇな」
指先の痺れが戻る。
毒も残っている。
身体は軽くなったが、その分、反動もじわじわ来ていた。
力を奪えば、楽になる。
だが、奪った力を自分の身体に乗せる以上、負荷もある。
バンは軽く肩を鳴らした。
「ま、宴会でも食いすぎりゃ腹壊すしな」
自分でそう言って、少し笑う。
サソリの群れは、左右に割れたまま動かない。
まるで、奥へ誘っているようだった。
バンは扉へ向かって歩いた。
その時、足元に一匹だけサソリが残っていた。
他の個体より少し大きい。
外殻に月のような白い筋が入っている。
バンはそれを見下ろした。
「案内役か?」
サソリが尾を上げる。
攻撃ではない。
扉を指すような動きだった。
バンは目を細めた。
「お前ら、喋れねぇくせに小細工はするんだな」
クレシューズの先で、サソリを軽く弾く。
砕かない。
横へどかすだけ。
「案内されるのは嫌いじゃねぇけどよ」
バンは扉の前に立った。
赤黒い亀裂から、冷たい毒の気配が漏れている。
耳を澄ますと、奥からかすかな音がした。
誰かの声。
いや、歌かもしれない。
遠い月の下で、消えかけた精霊が泣いているような音。
その上に、かさかさとサソリの足音が重なる。
バンは扉へ手をかけた。
「飯が不味くなる声だな」
力を込める。
重い。
だが、開く。
白い石の扉が、軋みながら少しずつ動いた。
その向こうから、赤黒く濁った月光が溢れる。
バンの顔に、冷たい光が当たる。
扉の奥に広がっていたのは、巨大な地下神殿だった。
中央には、月の祭壇。
その祭壇を取り囲むように、無数のサソリが蠢いている。
そして、そのさらに奥。
石の柱の影で、巨大な蠍の尾が、ゆっくりと動いた。
バンは口の端を上げた。
「親玉、見えたな」
赤黒い月光の中で、砂蠍の海が再び蠢き始めた。
第14話でした。
今回は地下遺跡での大群戦と、狩りの祭典《ハンターフェス》、乱獲《クレイジーハント》を使用しました。
ただし、小型サソリたちは単なる雑魚ではなく、奥にいる巨大な何かと繋がっています。
次回、第15話「歩くパラドックス」では、ついにアンタレスの異常性が本格的に見えてきます。