強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第14話です。
第13話で見つけた地下遺跡へ、バンが足を踏み入れます。
今回は小型サソリの大群戦と、バンの技の一つである狩りの祭典《ハンターフェス》を使う回です。


第14話 砂蠍の海

石段は、深く続いていた。

 

湿った土の匂いが、下から吹き上がってくる。

苔の匂い。古い石の匂い。閉じ込められた空気の匂い。

 

そして、その奥に混じる赤黒い毒の匂い。

 

バンは聖棍クレシューズを肩に担ぎ、ゆっくりと階段を下りていた。

 

足元の石は古い。

苔に覆われ、ところどころ欠けている。根が石段の隙間から入り込み、まるで森そのものが遺跡を抱え込んでいるようだった。

 

地上の墓標は、もう見えない。

 

上から差し込む光も、少しずつ薄くなっていく。

代わりに、地下の奥から赤黒い光が脈を打つように揺れていた。

 

どくん。

 

光が強くなる。

 

どくん。

 

石段の壁に刻まれた古い紋様が、一瞬だけ浮かび上がる。

 

月。

森。

人々。

槍を持つ戦士たち。

その上に描かれた、長い尾を持つ巨大な蠍。

 

バンは壁画を横目で見た。

 

「ずいぶん昔から嫌われてたみてぇだな、サソリ」

 

答える声はない。

 

代わりに、足元から音が返ってきた。

 

かさ。

 

バンは足を止める。

 

かさかさ。

 

石段の下。

壁の亀裂。

天井の隙間。

 

小さな足音が、いくつも重なっていく。

 

バンは息を吐いた。

 

「またかよ」

 

最初の一匹が、壁の割れ目から飛び出した。

 

赤黒い結晶のような外殻。

細い脚。

鋭い尾針。

 

第13話で見た小型サソリと同じ個体だった。

 

バンはクレシューズを軽く振った。

 

ぱきん。

 

サソリが砕ける。

 

魔石は残らない。

殻も残らない。

赤黒い粒子だけが、石段の空気に溶けて消える。

 

「相変わらず、何も残さねぇな」

 

バンは不満そうに言った。

 

その直後、石段の下から無数の音が上がってきた。

 

かさかさかさかさ。

 

それは足音というより、砂が流れる音に近かった。

ただし、その砂は生きている。

 

石段の奥から、小型サソリの群れが溢れてきた。

 

十や二十ではない。

赤黒い外殻が、石段を埋める。

壁を走り、天井を這い、床の割れ目から湧き出してくる。

 

まるで、地下から砂の海が押し寄せてくるようだった。

 

バンは眉を上げた。

 

「多いな」

 

そして、笑った。

 

「食えねぇくせに」

 

群れが来た。

 

真正面から押し寄せる個体を、クレシューズで薙ぎ払う。

足元へ潜り込もうとする個体を踏み砕く。

天井から落ちてくる個体を、棍のしなりで弾き返す。

 

ぱきん。

ぱきん。

ぱきん。

 

軽い音が、石段に続く。

 

だが、減らない。

 

砕いた先から、次が来る。

壁の奥から、さらに湧く。

下の暗闇から、赤黒い粒子をまとった群れが這い上がってくる。

 

サソリたちは、ただ襲っているのではない。

 

押し戻そうとしている。

 

地下の奥へ行かせまいとしている。

 

バンは一匹をクレシューズで引っかけ、空中へ放り上げた。

左手を軽く開く。

 

「ちょいと借りるぜ」

 

スナッチ。

 

その動きの力を奪う。

 

サソリが空中で止まった。

 

だが、その瞬間、また妙な感覚が指先へ伝わった。

 

糸。

 

第13話で感じたものと同じ。

細く、赤黒く、地下の奥へ続く糸。

 

バンはサソリを握り潰すように力を返し、隣の個体へ叩きつけた。

 

二匹まとめて砕ける。

 

「……繋がりが強くなってんな」

 

低く呟く。

 

地上で感じた時よりも、はっきりしている。

群れの奥にいる何かが、近い。

 

あるいは、この遺跡に入ったことで、こちらも相手の腹の中へ近づいているのかもしれない。

 

「巣に入っちまったか」

 

バンは笑った。

 

「なら、掃除だな」

 

サソリの群れが一斉に跳んだ。

 

尾針が光る。

赤黒い毒が、針の先で濡れている。

 

バンはクレシューズを回した。

 

四節の棍が、狭い石段の中でしなる。

普通なら扱いづらい場所だ。だが、バンは壁の距離、天井の高さ、足元の段差を一瞬で測り、棍を必要な長さだけ使う。

 

長く伸ばす時は、群れをまとめて払う。

短く畳む時は、足元の個体を正確に砕く。

節の動きで角度を変え、壁を這う個体だけを弾く。

 

獲物狩り《フォックスハント》ほどの精密さではない。

だが、獲物を逃さないための手つきは、同じだった。

 

一匹が、バンの首元へ飛んだ。

 

バンは顔を少し傾ける。

 

尾針が頬を掠める。

 

その直後、クレシューズの先端がサソリの胴を打ち抜いた。

 

「急所はそこか」

 

サソリが砕ける。

 

だが、その隙に別の三匹が足へ絡んだ。

 

針が刺さる。

 

「ちっ」

 

太腿に痛み。

足首に痺れ。

ふくらはぎに熱。

 

毒が入る。

 

バンは足を振り、まとめて叩き潰した。

だが、指先の感覚が少し鈍っていた。

 

さっきより毒が濃い。

 

地上のサソリより、地下の個体の方が厄介だ。

 

バンは舌打ちした。

 

「奥に行くほど味が濃いってか。料理なら歓迎なんだけどな」

 

さらに下へ進む。

 

石段が終わった先には、広い地下空間があった。

 

天井は高く、無数の石柱が並んでいる。柱には月の紋様が刻まれ、ところどころに古い文字が走っていた。床は白い石で作られていたはずだが、今は赤黒い亀裂が広がり、その隙間から小型サソリが這い出している。

 

空間の中央には、浅い水路のようなものがあった。

 

だが、水はない。

 

代わりに、赤黒い砂のような粒子がそこを流れていた。

 

砂蠍の海。

 

バンはその光景を見て、思わず笑った。

 

「海って言うには、だいぶ小せぇな」

 

ただし、その数は洒落にならない。

 

床一面に、小型サソリがいた。

 

白い石の床が見えないほど、赤黒い外殻が蠢いている。

壁にも、柱にも、天井にもいる。

すべての個体が、バンの方を向いていた。

 

何百。

いや、もっと。

 

一匹一匹は弱い。

だが、毒を持つ。

魔石を残さず、砕けば粒子になって消える。

そして全てが、奥にいる何かと繋がっている。

 

バンは肩を回した。

 

「こりゃ、ちまちまやる量じゃねぇな」

 

群れが動いた。

 

床が波打つ。

 

赤黒いサソリの海が、バンへ押し寄せる。

 

クレシューズを振る。

先頭の群れが砕ける。

 

だが、後ろから次が来る。

 

踏み潰す。

砕く。

払う。

弾く。

 

追いつかない。

 

足元から這い上がる個体を、バンは蹴り飛ばした。

背後から来たものをクレシューズの節で叩き落とす。

だが、腕に二匹、肩に一匹、腰に一匹が取りつく。

 

針。

 

毒。

 

「っ……」

 

指が痺れる。

 

握力が少し落ちる。

クレシューズの回転が、一瞬だけ鈍った。

 

その隙に、さらに群れが詰め寄る。

 

バンは目を細めた。

 

「面倒くせぇな」

 

クレシューズを地面へ突き立てる。

 

そして、左手を広げた。

 

「まとめて借りるぜ」

 

狩りの祭典《ハンターフェス》。

 

周囲の生き物から、身体能力を奪う技。

 

本来なら、敵味方関係なく周囲の生物すべてを対象にできる凶悪な技だ。

今、この地下空間にいる生き物は、ほぼサソリだけ。

 

奪う。

 

脚の速さ。

跳ぶ力。

尾を振る瞬発力。

外殻の内側で蠢く筋肉の動き。

 

小さな力が、無数にバンへ流れ込んでくる。

 

普通の相手なら一つ一つは微弱。

だが、数が多い。

 

数百の力が、一斉に流れ込む。

 

バンの血管が浮いた。

身体の奥が熱くなる。

足の痺れが一瞬だけ薄れる。

 

「……お」

 

バンは笑った。

 

「数だけはあるじゃねぇか」

 

一方、サソリの海は止まった。

 

完全にではない。

だが、明らかに鈍った。

 

跳ぼうとした個体が、床の上でよろける。

壁を走っていた個体が落ちる。

尾を振り上げた個体が、そのまま固まる。

 

赤黒い波が、ぐずりと崩れた。

 

バンはクレシューズを引き抜いた。

 

「じゃ、狩るか」

 

踏み込む。

 

さっきまでとは動きが違った。

 

地面を蹴っただけで、身体が前へ伸びる。

クレシューズの振りが速くなる。

腕の動きが軽い。

 

奪った力は、バンの身体へ乗っている。

 

ただし、許容範囲の中で。

 

奪いすぎれば自分が壊れる。

だから必要な分だけ、動ける分だけ。

 

バンは赤黒い海の中を走った。

 

クレシューズが円を描く。

鈍ったサソリたちがまとめて砕ける。

足元の個体を踏み抜き、壁を蹴り、柱を支点にして跳ぶ。

 

群れが道を塞ぐ。

 

バンはクレシューズを畳んだ。

 

拳を握る。

 

武器を使わない。

 

目の前のサソリたちへ、両手が伸びる。

 

乱獲《クレイジーハント》。

 

煉獄で覚えた狩り。

武器なしで、獲物を狩る手。

 

一匹を掴む。

力を奪い、動きを止め、そのまま隣へ叩きつける。

二匹目の尾を掴み、三匹目へ投げる。

四匹目の跳躍を奪い、空中で失速させ、踏み砕く。

 

フォックスハントの精密さを、素手で、大勢へ。

 

サソリの海に穴が開いていく。

 

「おら、どけ」

 

バンは進む。

 

砕ける音が連続した。

 

ぱきん、ぱきん、ぱきん、ぱきん。

 

赤黒い粒子が、地下空間を満たす。

まるで逆さに降る火の粉だった。

 

だが、そこでバンは眉をひそめた。

 

おかしい。

 

サソリの数は減っている。

だが、糸は切れていない。

 

むしろ、強くなっている。

 

狩りの祭典で奪った力の奥に、別の力が混じっている。

 

小型サソリの力ではない。

 

もっと大きい。

もっと冷たい。

もっと古い。

 

そして、どこか月の光に似ている。

 

バンは足を止めた。

 

「……こいつらを使って、何か喰ってやがるな」

 

小型サソリたちは、ただの兵隊ではない。

 

糸で繋がれた手足。

そして、同時に管でもある。

 

奥にいる何かが、この群れを通じて、遺跡に残る力を吸い上げている。

 

月の紋様。

弱った精霊の気配。

赤黒い毒。

 

バンは天井の壁画を見上げた。

 

そこには、月のような光を抱く女性の姿が描かれていた。

その周囲で、人々が祈っている。

 

だが、その絵の端には、赤黒い蠍の尾が描き足されたように伸びていた。

 

月を喰う尾。

 

「趣味悪ぃ絵だな」

 

その時、地下空間の奥で、石の扉が震えた。

 

重い音が響く。

 

ごん。

 

ごん。

 

扉の向こうから、何かが動いている。

 

サソリの群れが、一斉にそちらへ下がった。

 

逃げたのではない。

 

道を作った。

 

赤黒い海が左右へ割れる。

 

その奥に、巨大な扉があった。

月の紋様が刻まれた白い石の扉。

だが、その中央には赤黒い亀裂が走り、蠍の尾のような紋様が絡みついている。

 

扉の隙間から、冷たい光が漏れていた。

 

月光。

 

だが、澄んでいない。

赤黒い毒に濁った月光だった。

 

バンはクレシューズを肩に担ぎ直した。

 

狩りの祭典で奪った力が、少しずつ抜けていく。

サソリたちへ戻っている。

 

時間が経てば、奪った力は返る。

 

バンはそれを分かっていた。

 

「長居はできねぇな」

 

指先の痺れが戻る。

毒も残っている。

身体は軽くなったが、その分、反動もじわじわ来ていた。

 

力を奪えば、楽になる。

だが、奪った力を自分の身体に乗せる以上、負荷もある。

 

バンは軽く肩を鳴らした。

 

「ま、宴会でも食いすぎりゃ腹壊すしな」

 

自分でそう言って、少し笑う。

 

サソリの群れは、左右に割れたまま動かない。

 

まるで、奥へ誘っているようだった。

 

バンは扉へ向かって歩いた。

 

その時、足元に一匹だけサソリが残っていた。

 

他の個体より少し大きい。

外殻に月のような白い筋が入っている。

 

バンはそれを見下ろした。

 

「案内役か?」

 

サソリが尾を上げる。

 

攻撃ではない。

扉を指すような動きだった。

 

バンは目を細めた。

 

「お前ら、喋れねぇくせに小細工はするんだな」

 

クレシューズの先で、サソリを軽く弾く。

 

砕かない。

横へどかすだけ。

 

「案内されるのは嫌いじゃねぇけどよ」

 

バンは扉の前に立った。

 

赤黒い亀裂から、冷たい毒の気配が漏れている。

 

耳を澄ますと、奥からかすかな音がした。

 

誰かの声。

 

いや、歌かもしれない。

 

遠い月の下で、消えかけた精霊が泣いているような音。

 

その上に、かさかさとサソリの足音が重なる。

 

バンは扉へ手をかけた。

 

「飯が不味くなる声だな」

 

力を込める。

 

重い。

 

だが、開く。

 

白い石の扉が、軋みながら少しずつ動いた。

 

その向こうから、赤黒く濁った月光が溢れる。

 

バンの顔に、冷たい光が当たる。

 

扉の奥に広がっていたのは、巨大な地下神殿だった。

 

中央には、月の祭壇。

 

その祭壇を取り囲むように、無数のサソリが蠢いている。

 

そして、そのさらに奥。

 

石の柱の影で、巨大な蠍の尾が、ゆっくりと動いた。

 

バンは口の端を上げた。

 

「親玉、見えたな」

 

赤黒い月光の中で、砂蠍の海が再び蠢き始めた。




第14話でした。
今回は地下遺跡での大群戦と、狩りの祭典《ハンターフェス》、乱獲《クレイジーハント》を使用しました。
ただし、小型サソリたちは単なる雑魚ではなく、奥にいる巨大な何かと繋がっています。
次回、第15話「歩くパラドックス」では、ついにアンタレスの異常性が本格的に見えてきます。
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