強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第2話です。
今回は、バンが初めてこの世界の人里に入り、飯と酒と狩りで村人たちと関わっていく話です。
ダンまち世界の住人から見た「魔石を拾わず、野兎を焼いていた男」の異様さも少し入れています。


第2話 飯の礼

煙を目印に歩き続けると、草原の向こうに小さな村が見えてきた。

 

木の柵に囲まれた、素朴な村だった。

石造りではない。ほとんどが木と土壁で作られた家だ。屋根には干し草が積まれ、家々の隙間には薪が重ねられている。村の中心には古びた井戸があり、そのそばで女たちが桶を運んでいた。

 

夕暮れの薄い光の中、かまどの煙が細く伸びている。

 

バンはその匂いを嗅いだ。

 

「……煮込みか」

 

肉の匂いは薄い。

野菜と豆、それから少し焦げた麦の匂い。腹を鳴らすほど強い匂いではないが、少なくとも人の飯の匂いだった。

 

村の入口に近づくと、見張りらしい若い男がこちらに気づいた。

槍を持っている。とはいえ、刃は古く、柄も少し歪んでいた。戦い慣れた兵士というより、村を守るために仕方なく立っている若者だ。

 

「止まれ! どこの者だ!」

 

声は大きいが、膝が少し震えている。

 

バンは足を止めた。

両手を軽く上げる。

 

「旅人だ。飯と酒がありゃ助かる」

 

「……旅人?」

 

若者はバンを上から下まで見た。

エンジ色のロングコート。胸元の開いた高襟。スタッズ付きの赤いレザーパンツ。太い茶革のベルトと銀のバックル。草原の辺境に現れるには、あまりにも目立つ格好だった。

 

「その格好でか?」

 

「悪いか?」

 

「いや……悪いっていうか……」

 

若者は言葉に詰まった。

怪しい。明らかに怪しい。だが、盗賊にしては一人だ。貴族にしては身なりが荒い。冒険者にしては武器がない。

 

判断に困っていると、井戸のそばにいた中年の男が近づいてきた。髭を生やし、肩幅が広い。村長か、それに近い立場の男らしい。

 

「何者だ?」

 

「だから旅人だって。昨日から歩きっぱなしでな。酒が飲めるなら、金は……」

 

バンはそこで少し考えた。

金。

 

ない。

 

この世界の金など持っているはずがない。

 

「……金はねぇな」

 

若者が槍を構え直した。

 

「おい!」

 

「でも腕はあるぜ。飯の代わりに何かやってやるよ」

 

村長らしき男は、さらに怪しむように目を細めた。

 

「冒険者か?」

 

「知らねぇな。その冒険者ってのは、飯が出るのか?」

 

「……違うのか」

 

男たちは顔を見合わせた。

 

この世界で、武器を持たずに草原を歩く者は少ない。

周囲には魔物が出る。低級とはいえ、普通の村人には十分すぎる脅威だ。旅人なら護衛を雇う。冒険者なら魔石を集める。商人なら荷がある。

 

だが目の前の男には、荷も、護衛も、武器も、魔石袋もない。

 

あるのは、妙に堂々とした態度と、腹を空かせた顔だけだった。

 

「道中で魔物に会わなかったのか?」

 

「会ったぜ。三匹くらい」

 

「……倒したのか?」

 

「ああ」

 

「魔石は?」

 

「石なら捨てた」

 

村人たちの空気が止まった。

 

若者が、ぽかんと口を開ける。

 

「捨てた?」

 

「食えねぇだろ、あれ」

 

「魔石を……食う?」

 

「倒したら灰になりやがってな。肉も骨も残らねぇ。だから野兎を焼いて食った」

 

今度こそ、村人たちは完全に固まった。

 

魔物を倒して魔石を拾わず、野兎を狩って焼いていた男。

彼らからすれば、それはあまりにも奇妙だった。

 

魔石は金になる。

村にとっても、冒険者にとっても、魔物討伐とは危険と引き換えの収入だ。魔石は貨幣と同じような価値を持つ。拾わないなど、まともな者のすることではない。

 

それを、目の前の男は「食えねぇから」と言った。

 

村長はしばらくバンを見ていたが、やがて深く息を吐いた。

 

「……とりあえず、酒場へ来い」

 

「あるのか、酒」

 

バンの目が少し輝いた。

 

「薄い濁り酒くらいならな」

 

「十分だ」

 

こうして、バンは村の中へ通された。

 

村の酒場は、酒場というより集会所に近かった。

太い梁の下に、古い木の机が三つ。壁には農具や狩猟用の弓が掛けられている。奥には小さなかまどがあり、大鍋から湯気が上がっていた。

 

出されたのは、黒パン、野菜のスープ、薄く切った干し肉。そして木の杯に入った濁り酒だった。

 

バンは濁り酒を一口飲む。

 

「薄いな」

 

村長の眉が動く。

 

「文句か?」

 

「いや。水よりはいい」

 

そう言って、バンはもう一口飲んだ。

酸味が強い。舌に残る渋みもある。だが、酒は酒だ。

 

「悪くねぇ」

 

その一言で、酒場の空気がほんの少しだけ緩んだ。

 

バンは黒パンを裂き、スープに浸して食べた。

硬い。味は薄い。野菜は煮崩れ、豆は少し粉っぽい。干し肉は塩気が強すぎる。

 

だが、温かい。

 

旅の一日目としては、上等だった。

 

「で、何をすりゃ飯代になる?」

 

バンが聞くと、村長は腕を組んだ。

 

「薪割りでも、柵の修理でも、魔物退治でも、できることはある」

 

「魔物退治はやめとけ。どうせ石しか残らねぇ」

 

「普通はその石が大事なんだ」

 

「そうなのか?」

 

バンは心底どうでもよさそうに言った。

 

村人たちがまた微妙な顔をする。

 

その時だった。

 

外で、悲鳴が上がった。

 

続いて、柵の向こうから大きな音が響く。

木が折れる音。獣の唸り。地面を蹴る重い足音。

 

酒場の空気が一瞬で変わった。

 

「また来たか!」

 

村長が立ち上がる。

若者たちが槍や弓を取って外へ走った。

 

バンも杯を置き、ゆっくりと立ち上がる。

 

「何だ?」

 

「大イノシシだ。最近、山から下りてくる。柵を壊して畑を荒らすんだ」

 

「イノシシ?」

 

バンの目つきが変わった。

 

「食えんのか?」

 

村長は一瞬、何を聞かれたのか分からない顔をした。

 

「……食える。だが、でかいぞ。普通のイノシシじゃない。下手に近づけば腹を裂かれる」

 

「食えるなら十分だ」

 

バンは外へ出た。

 

村の外れでは、柵の一部が壊されていた。

その向こうに、巨大な影がいる。

 

大イノシシ。

 

確かにでかい。

普通の獣の二倍、いや三倍はある。黒褐色の剛毛。曲がった牙。太い首。地面を掘る蹄。鼻息だけで土埃が舞う。

 

畑には踏み荒らされた野菜が散らばり、村人たちが距離を取って弓を構えている。

矢は何本か刺さっているが、分厚い脂と筋肉に阻まれ、深くは届いていない。

 

「下がれ!」

 

村長が叫ぶ。

 

大イノシシが突進した。

若者の一人が逃げ遅れる。

 

バンは、地面を蹴った。

 

赤い影が、若者の前に入る。

 

「おい、ちょっと借りるぜ」

 

「え?」

 

バンは若者の襟首を掴み、横へ放り投げた。

次の瞬間、大イノシシの牙がバンに迫る。

 

バンは左手で牙を掴んだ。

 

衝撃が地面を揺らす。

土がめくれ、バンの足元に二本の溝が刻まれた。

 

村人たちが息を呑む。

 

大イノシシは唸り、さらに押し込もうとする。

普通なら人間の身体など弾き飛ばされる。腹を裂かれ、柵ごと潰される。

 

だが、バンは動かなかった。

 

「おお、力あるじゃねぇか」

 

楽しそうに言い、バンは牙を握る手に力を込めた。

 

軋む音がした。

 

大イノシシの身体が、ほんのわずかに浮く。

次の瞬間、バンはその巨体を横へ投げた。

 

轟音。

大イノシシが地面に叩きつけられ、土煙が上がる。

 

村人たちは声を失った。

 

バンは倒れた大イノシシへ近づく。

イノシシはまだ生きていた。暴れようと脚を動かす。

 

「悪いな。腹減ってんだ」

 

バンはその首筋へ手刀を落とした。

 

骨が折れる鈍い音。

大イノシシの身体から力が抜けた。

 

村の外が静まり返る。

 

誰も動けない。

誰も言葉を出せない。

 

バンだけが、倒れた獲物を見下ろして満足そうに頷いた。

 

「こいつは肉になるな」

 

その一言で、ようやく村長が我に返った。

 

「お、お前……何者だ?」

 

「だから旅人だって」

 

 バンは大イノシシの脚を掴む。

 

「で、どこで捌く?」

 

そこからのバンの動きは、戦いよりも村人たちを驚かせた。

 

まず血を抜く。

太い首の血管を正確に切り、獣を傾ける。血が土へ流れ、鉄臭い匂いが広がる。

 

次に腹を開く。

内臓を傷つけないように手早く取り出し、食えるものと捨てるものを分ける。

 

皮を剥ぐ。

剛毛と分厚い皮を、慣れた手つきで剥がしていく。

 

肉を部位ごとに分ける。

肩、腿、腹、背、肋骨。骨付きのまま焼くところ、煮込みに向くところ、脂を取るところ。

 

村の女たちが思わず近づいて見ていた。

 

「……あんた、本当に旅人かい?」

 

「旅してりゃ、捌くくらい覚えるだろ」

 

「普通は覚えないよ」

 

「そうか?」

 

バンは本気で不思議そうに返した。

 

酒場の裏に大きな火が起こされた。

村人たちは鍋を運び、串を削り、香草や根菜を集めた。貯蔵庫から塩と少しの酒が出される。

 

バンはそれを見て、口元を上げた。

 

「あるじゃねぇか、塩」

 

「貴重なんだぞ」

 

「肉がある時に使わねぇで、いつ使うんだよ」

 

そう言って、バンは調理を始めた。

 

まずは脂身の香草焼き。

 

腹の脂が乗った部分に塩をすり込み、潰した香草をまぶす。

串に刺して火にかざすと、脂が透明な滴になって落ちた。火が跳ね、香草の匂いが広がる。

 

次に骨付き肉の豪快焼き。

 

肋骨についた肉を大きく切り出し、酒を少しかけて臭みを飛ばす。表面に塩を振り、強火で焼き目をつける。肉の表面が焦げ、脂が弾けるたび、村の子どもたちが目を輝かせた。

 

最後に、イノシシの具だくさん煮込み。

 

硬い部位を小さく切り、豆、根菜、野草と一緒に大鍋へ入れる。骨も叩き割って入れた。煮込むほど、白く濁った旨味が出る。

 

バンは鍋をかき混ぜ、味を見る。

 

「薄いな。塩もう少し」

 

「使いすぎだ」

 

「うまい飯にケチるな」

 

村長が渋い顔をしたが、結局塩を足した。

その後、鍋の匂いが変わった。

 

ぼやけていた味が、急に輪郭を持つ。

肉の脂、豆の甘み、根菜の土っぽい香り、香草の青さ。全部がまとまり、腹の奥を刺激する匂いになった。

 

 村人たちの喉が鳴る。

 

 バンは笑った。

 

「ほらな」

 

やがて、村の中心に人が集まった。

 

最初は警戒していた者たちも、焼けた肉の匂いには勝てなかった。

子どもたちは骨付き肉を見て跳ね、老人たちは煮込みの鍋を覗き込み、若者たちは濁り酒の樽を運び出した。

 

 夜が来るころには、村は小さな宴になっていた。

 

バンは火のそばで肉を焼きながら、村人たちに次々と料理を渡す。

 

「熱いぞ。落とすなよ」

 

「うまい!」

 

子どもの一人が叫んだ。

 

その声を聞いて、村人たちが笑った。

硬かった空気が、少しずつほどけていく。

 

村長も煮込みを一口食べ、しばらく黙った。

 

「……うまいな」

 

「だろ?」

 

「腹立つくらいにな」

 

「褒め言葉だな」

 

バンは濁り酒を飲んだ。

やはり薄い。だが、脂の強い肉にはよく合った。口の中を軽く流し、また肉を食いたくなる。

 

「悪くねぇ」

 

バンがそう言うと、村長は少しだけ笑った。

 

「飯代にはなったか?」

 

「飯どころか、村中の礼になった」

 

「大げさだな。食える獣を狩っただけだろ」

 

「普通は、あんなものを素手で止めん」

 

村長は真顔で言った。

 

村人たちも頷いている。

 

バンは肩をすくめた。

 

「武器がねぇからな」

 

「武器なしでやる方がおかしいんだ」

 

「そうか?」

 

「そうだ」

 

そこへ、昼間の若者が近づいてきた。

バンに襟首を掴まれて投げられた若者だ。

 

「あ、あの……助かった。ありがとう」

 

「礼なら肉食っとけ。冷めるぞ」

 

「いや、でも」

 

「腹減ってんだろ?」

 

若者は少し迷い、骨付き肉を受け取った。

一口かじり、目を見開く。

 

「……うまい」

 

「だろ」

 

バンは満足そうに笑った。

 

宴が進むにつれ、村人たちは少しずつバンに話しかけるようになった。

 

「赤コートの兄ちゃん、どこから来たんだ?」

 

「遠くからだ」

 

「どれくらい遠く?」

 

「たぶん、かなり」

 

「なんだそれ」

 

笑い声が上がる。

 

別の老人が、バンの前に座った。

 

「オラリオへ行くのか?」

 

「オラリオ?」

 

「知らんのか。迷宮都市だ。世界中の冒険者が集まる。神々のファミリアも、あそこに多い」

 

「神様ってのは、本当に歩いてんのか?」

 

老人は不思議そうな顔をした。

 

「当たり前だろう。下界に降りた神々が、眷属に恩恵を与える。背中に神聖文字を刻まれた者が冒険者になる」

 

「へぇ」

 

バンは酒を飲む。

 

「背中に字を書かれりゃ強くなんのか」

 

「簡単に言えばな。レベル、アビリティ、スキル、魔法。そういうものが与えられる」

 

「面倒くせぇな」

 

バンは心底そう思って言った。

 

老人は苦笑した。

 

「面倒でも、それがこの世界で強くなる道だ。魔物を倒し、魔石やドロップアイテムを持ち帰る。冒険者はそれで稼ぐ」

 

「だから石を拾えって話か」

 

「そうだ。お前さんが捨てた魔石も、持ち帰れば金になった」

 

「金より肉の方が大事だろ」

 

「普通は金で肉を買うんだ」

 

「ああ、そういう考え方もあるか」

 

村人たちはまた妙な顔をした。

 

バンにとって、狩りは食うためのものだった。

だが、この世界の人間にとって魔物討伐は、魔石を得るための経済活動でもある。

 

倒して食えないなら価値がない、というバンの考えは、この世界ではかなりズレている。

 

それでもバンは気にしない。

 

「ま、次からは拾っとくか。酒代になるならな」

 

その言葉に、老人は頷いた。

 

「それがいい。石は食えんが、酒には変わる」

 

「それなら悪くねぇ」

 

バンはようやく魔石に興味を持った。

 

酒に変わるなら、話は別だ。

 

村長が言った。

 

「しばらくこの村にいるか? 寝床くらいなら用意できる」

 

「ありがてぇが、明日には出る」

 

「どこへ?」

 

「酒と情報が多い場所だな。あと、俺の武器を探さねぇと」

 

「武器?」

 

「ああ。四つに分かれる棒みてぇなやつだ。見かけたら教えてくれ」

 

村人たちは顔を見合わせたが、誰も心当たりはないようだった。

 

「オラリオへ行けば、情報はあるかもしれん」

 

老人が言った。

 

「人も物も集まる。変わった武器なら、どこかの市に流れていることもある」

 

「なら、そっちだな」

 

バンは濁り酒を飲み干した。

 

薄い。

だが、今日の肉と合わせるなら悪くない。

 

村の子どもたちは、腹いっぱいになって火のそばで眠り始めている。

若者たちはまだ肉を食い、女たちは鍋を分け、老人たちは酒を少しずつ飲んでいる。

 

大イノシシに怯えていた村に、笑い声が戻っていた。

 

バンはその様子を眺め、少しだけ目を細めた。

 

英雄になるつもりはない。

誰かに感謝されるために動いたわけでもない。

 

ただ、腹が減っていた。

食える獣がいた。

狩って、焼いて、煮込んだ。

 

それだけだ。

 

それだけで、人が笑うなら悪くない。

 

村長が、バンの杯に濁り酒を注いだ。

 

「改めて礼を言う。助かった」

 

「飯食わせてもらったしな」

 

「それだけで、あれを狩ったのか?」

 

バンは杯を持ち上げる。

 

「飯の礼だった」

 

そう言って、バンは薄い濁り酒を飲んだ。

 

火が弾ける。

肉の匂いが夜の村に残る。

 

この世界に来て、最初の夜。

バンは、少しだけこの世界のことを知った。

 

神が歩き、恩恵で人が強くなる世界。

魔物を倒せば肉ではなく石が残り、その石が酒代になる世界。

 

変な世界だ。

 

だが、飯は食える。

酒もある。

人は笑う。

 

なら、旅をするには十分だった。




第2話は、バンが初めて人里に入り、この世界の価値観とのズレを見せる回でした。
次回は、神・ファミリア・恩恵・オラリオについて、もう少し具体的に知っていく話になります。
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