強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第20話です。


第20話 動く山

音が来るより先に、地面が沈んだ。

 

先遣隊の足元を走った震動は、揺れというより圧だった。

 

黒砂の下から巨大な掌で押し上げられたように、大地が一度膨らみ、次の瞬間には深く落ち込む。

 

「伏せろ!」

 

マキシムの声が飛ぶ。

 

全員が身を低くした直後。

 

世界が吠えた。

 

咆哮。

 

そう呼ぶには大きすぎる。

 

音ではない。

 

空気の壁だった。

 

ベヒーモスの口から放たれた衝撃が黒砂を巻き上げ、地面を削り、先遣隊へ押し寄せる。

 

アルフィアが前へ出た。

 

「静寂の園《シレンティウム・エデン》」

 

灰髪が大きく広がる。

 

彼女を中心に、音の消える領域が展開された。

 

迫る咆哮と静寂がぶつかる。

 

耳を潰す音は消えた。

 

だが、圧そのものまでは消えない。

 

黒砂の壁が静寂の外側を擦り、左右へ割れていく。

 

アルフィアの細い身体が後方へ滑った。

 

女帝が片手でその肩を支える。

 

「保ちなさい」

 

「言われなくとも」

 

アルフィアの声は平静だった。

 

けれど、唇の端から細い血が流れている。

 

バンはそれを見る。

 

「無茶すんな」

 

「今それを言うな」

 

「言うぞ」

 

「黙れ」

 

会話を続ける余裕はなかった。

 

咆哮に押し出された黒砂が、隊列の左右から回り込んでくる。

 

地面を這う黒い波。

 

中央には観測役と治療班。

 

このままでは挟まれる。

 

バンはクレシューズを伸ばした。

 

右手ではなく左手。

 

節を地面へ打ち込み、黒砂の手前にある普通の砂を掴む。

 

「強奪《スナッチ》」

 

狙うのは黒砂ではない。

 

流れの下へ潜り込んだ、黄色い砂。

 

左右から迫る波の足場を盗り、外へ逃がす。

 

黒砂の先端がわずかに崩れた。

 

「道、開けたぞ!」

 

マキシムが即座に手を振る。

 

「観測班を中央へ!後退!」

 

斥候たちが動く。

 

エルンは帳面を懐へ押し込み、膝をついた観測役の腕を取った。

 

セリアも反対側を支える。

 

その前へ女帝が立つ。

 

黒砂の中から、最初の魔物が飛び出した。

 

黒く染まったワーム。

 

口を開き、観測役へ食らいつこうとする。

 

女帝は片腕を振った。

 

武器すら抜いていない。

 

拳でもない。

 

手の甲で払っただけ。

 

ワームの巨体が横へ弾かれ、黒砂の上を何度も跳ねた。

 

地面が裂ける。

 

女帝は倒れた魔物を見もしない。

 

「遅い」

 

次の瞬間、彼女の姿が消えた。

 

黒砂を蹴り、隊列の後方へ回り込んだ別の魔物を踏み潰す。

 

黒い甲殻が砕けた。

 

あまりにも単純な力。

 

それだけで、周囲の魔物が一瞬たじろいだ。

 

ザルドが大剣を抜く。

 

「右を喰う」

 

「なら左は俺だ」

 

マキシムが前へ出た。

 

武器は持たない。

 

それでも、一歩踏み込むだけで空気が変わる。

 

黒砂から現れたサンドホーンの大型個体が、角を下げて突進した。

 

マキシムは避けない。

 

角を掴んだ。

 

両手ではない。

 

片手。

 

巨体の突進が、そこで止まる。

 

砂が男の踵から扇状に吹き飛んだ。

 

「軽い」

 

マキシムは腕を振る。

 

サンドホーンが宙へ浮いた。

 

家屋ほどある身体が、黒砂の向こうへ投げ捨てられる。

 

バンは目を細めた。

 

「お前ら、揃いも揃って馬鹿力だな」

 

「感想は帰ってからにしろ」

 

ザルドの大剣が、右から迫る黒砂持ちを両断する。

 

切断面から黒い粒が溢れる。

 

肉体を失っても、黒砂は形を作ろうと蠢いた。

 

「まだ動くぞ」

 

バンが言う。

 

「分かっている」

 

ザルドは刃を返し、黒砂の核になっている胸部を叩き潰した。

 

蠢きが止まる。

 

その間にも、地鳴りは大きくなっていた。

 

ベヒーモスが動いている。

 

背中の丘陵が持ち上がる。

 

外殻同士が擦れ合う音は、山崩れに似ていた。

 

巨獣が前脚を立てる。

 

それだけで、地平線が変わる。

 

伏せていた山が、起き上がる。

 

黒砂が滝のように外殻から流れ落ちた。

 

巨体の下から、古い骨や岩が押し出される。

 

先遣隊の誰も、すぐには声を出せなかった。

 

観測した姿。

 

地図に記した外殻。

 

足跡。

 

呼吸。

 

それらを頭で理解したつもりだった。

 

だが、実際に立ち上がる姿は、その理解を簡単に踏み潰した。

 

ベヒーモスの肩が上がる。

 

首が伸びる。

 

巨大な角が空を裂く。

 

その頭が、ゆっくりと先遣隊の方角へ向いた。

 

瞳が細くなる。

 

ようやく認識された。

 

敵としてではない。

 

地面に群がる小さな異物として。

 

「見過ぎたな」

 

女帝が言う。

 

マキシムも頷く。

 

「撤退速度を上げる」

 

アルフィアの静寂が揺らぐ。

 

彼女が咳をした。

 

短い。

 

けれど、その手には血が付いた。

 

バンが腕を掴む。

 

「下がれ」

 

「離せ」

 

「魔法解け」

 

「解けば咆哮が来る」

 

「次は俺が曲げる」

 

アルフィアが鋭く睨む。

 

「黒砂に触れるなと言ったはずだ」

 

「触らねぇ。向きだけ盗る」

 

「今のお前には広すぎる」

 

「全部は盗らねぇよ」

 

ベヒーモスが息を吸った。

 

大気が引かれる。

 

黒砂が巨獣の口元へ向かって流れ始める。

 

咆哮の前。

 

呼吸の切れ目。

 

バンが先ほど見つけた一瞬。

 

「来るぞ!」

 

エルンが叫ぶ。

 

アルフィアは再び魔法を広げようとする。

 

だが、身体が一瞬沈んだ。

 

女帝が支える。

 

「アルフィア」

 

「問題ありません」

 

「嘘ね」

 

「撃てます」

 

「今は撃つ場面ではない」

 

その会話の間に、バンは前へ出ていた。

 

暗い赤のコートが黒砂の風に翻る。

 

クレシューズを地面へ突き立てる。

 

《強奪》の糸を伸ばす。

 

狙うのは咆哮ではない。

 

巨獣の力でもない。

 

口から放たれる空気が、こちらへ向く直前。

 

その方向。

 

「全部はいらねぇ」

 

右腕が痺れる。

 

肩の傷が熱を持つ。

 

それでも糸を伸ばす。

 

巨大すぎる流れの端へ触れた瞬間。

 

身体の内側を、山に踏まれたような圧が走った。

 

血が喉へ上がる。

 

「っ……!」

 

深く掴むな。

 

引くな。

 

少しだけ。

 

ほんのわずか。

 

「こっち向くなよ」

 

強奪《スナッチ》。

 

ベヒーモスが吠えた。

 

黒い衝撃が放たれる。

 

正面からではない。

 

先遣隊のわずか右。

 

咆哮の壁が大地を削り、黒砂を天高く巻き上げる。

 

直撃は外れた。

 

だが、余波だけで全員の身体が浮いた。

 

バンも後方へ吹き飛ぶ。

 

地面へ叩きつけられる直前、ザルドの腕がコートを掴んだ。

 

そのまま無理やり引き戻される。

 

「今のは盗りすぎだ」

 

「方向だけだぞ」

 

「相手の大きさを考えろ」

 

「考えた結果だ」

 

バンは立とうとした。

 

右膝が崩れる。

 

ザルドが支える。

 

「立てるか」

 

「立ってる」

 

「支えている」

 

「細けぇな」

 

口元から血が落ちる。

 

アルフィアが静寂を解いた。

 

すぐにバンの前へ来る。

 

「馬鹿か、お前は」

 

「助かっただろ」

 

「腕を見ろ」

 

右腕が震えている。

 

指が開かない。

 

皮膚の下で、黒い筋のようなものが一瞬浮かび、消えた。

 

黒砂に直接触れてはいない。

 

それでも、咆哮の向きを盗ったことで、ベヒーモスの力の端が身体へ入り込んだ。

 

「まだ動く」

 

「その台詞を禁止したのは、あの薬師ではなかったか」

 

「聞いてたのか」

 

「何度も言われていただろう」

 

「記憶いいな」

 

「お前が学習しないだけだ」

 

アルフィアはバンの腕へ手を伸ばす。

 

治療ではない。

 

魔力の流れを調べる。

 

彼女の指が触れた瞬間、バンの身体に残った異質な力が反応した。

 

アルフィアが眉を寄せる。

 

「黒砂ではない」

 

「じゃあ何だ」

 

「ベヒーモスそのものの力に近い。咆哮を盗った時、縁を掴まれた」

 

「掴んだのは俺だぞ」

 

「向こうからも掴まれたと言っている」

 

バンは巨獣を見る。

 

ベヒーモスの瞳が、先ほどより明確にこちらを向いていた。

 

偶然ではない。

 

咆哮を曲げた存在を、認識した。

 

「好かれたかもな」

 

「最悪の相手に好かれたな」

 

ザルドが大剣を構える。

 

ベヒーモスが前脚を上げた。

 

空が暗くなる。

 

脚だけで、塔のような影。

 

あれが落ちれば、直接踏まれなくても周囲一帯が崩れる。

 

マキシムが叫ぶ。

 

「散開!足元を見るな、落下点の外へ走れ!」

 

今度は走る。

 

地面へ振動を伝える危険より、踏み潰される方が早い。

 

観測役たちが左右へ散る。

 

女帝が倒れた者を片腕で二人まとめて担ぎ上げる。

 

ザルドはバンを引きずるように走る。

 

「自分で走れる!」

 

「なら走れ」

 

「手ぇ離せ!」

 

「遅い」

 

アルフィアは彼らの後方で足を止めた。

 

閉じた目を開く。

 

灰と翠の瞳が、落ちてくる巨大な脚を捉える。

 

魔力が膨れ上がる。

 

「アルフィア!」

 

女帝の声が飛ぶ。

 

「分かっています」

 

短い詠唱。

 

灰髪が舞う。

 

彼女の正面へ、巨大な魔法の奔流が生まれかける。

 

バンは振り返る。

 

「馬鹿、撃つな!」

 

「足をずらすだけだ」

 

「お前まで同じこと言ってんじゃねぇか!」

 

アルフィアの魔法が放たれた。

 

白灰の衝撃。

 

ベヒーモスの脚へ正面から当てるのではない。

 

外側。

 

落下軌道の端へ。

 

山ほどの脚が、ほんのわずかに横へずれた。

 

直後。

 

大地が砕けた。

 

轟音。

 

黒砂が空へ噴き上がる。

 

衝撃波が先遣隊を背中から襲う。

 

全員が地面へ転がった。

 

岩が飛ぶ。

 

外殻の欠片が降る。

 

女帝が身体を起こし、両腕で飛来物を弾く。

 

ザルドも大剣を盾にして観測役を守る。

 

マキシムは落ちてきた巨岩を拳で砕いた。

 

バンはクレシューズを伸ばし、吹き飛ばされたエルンの腰へ絡める。

 

「捕まれ!」

 

エルンが節を掴む。

 

バンは左腕だけで引き寄せた。

 

右腕はまだ動かない。

 

砂煙が晴れる。

 

先遣隊がいた場所から少し外れたところに、巨大な脚が沈んでいる。

 

もしアルフィアの一撃がなければ。

 

もしバンが咆哮を曲げていなければ。

 

何人残っていたか分からない。

 

アルフィアが膝をつく。

 

女帝がすぐに駆け寄る。

 

「撃つなと言ったでしょう」

 

「軌道をずらしただけです」

 

「言い訳まで同じね」

 

アルフィアがバンを見る。

 

バンは血を吐きながら笑う。

 

「真似すんなよ」

 

「お前と一緒にするな」

 

「やってること同じだろ」

 

「精度が違う」

 

「負けず嫌いだな」

 

女帝が二人を睨む。

 

「黙りなさい。撤退するわよ」

 

マキシムが人数を確認する。

 

「欠員!」

 

エルンが周囲を見る。

 

「全員います!負傷者三!歩行困難が二!」

 

「担げ!」

 

ザルドが一人を肩へ乗せる。

 

女帝がもう一人を引き受ける。

 

アルフィアが立とうとする。

 

足元が揺れる。

 

バンが左手で腕を掴んだ。

 

「お前も担がれろ」

 

「断る」

 

「歩けてねぇぞ」

 

「歩ける」

 

「それ禁止だろ」

 

「お前が言うな」

 

アルフィアは腕を振り払おうとした。

 

だが、力が弱い。

 

バンはため息をつき、その肩へ腕を回す。

 

「離せ」

 

「うるせぇ」

 

「殺すぞ」

 

「帰ってからにしろ」

 

「触るな」

 

「今更だろ」

 

アルフィアは不機嫌そうにしながらも、完全には拒まなかった。

 

互いに傷を庇いながら歩く。

 

どちらが支えているのか分からない。

 

背後で、ベヒーモスが再び動く。

 

追うつもりなのか。

 

ただ足を置き直しているだけなのか。

 

人間には判別できない。

 

それでも一歩ごとに、黒い砂漠が波打つ。

 

「第二線まで急げ!」

 

マキシムの号令。

 

先遣隊が撤退を続ける。

 

来た時に記録した外殻。

 

巨大な足跡。

 

黒い骨。

 

それらを目印に、最短の経路を戻る。

 

だが、黒砂の地形は変わっていた。

 

ベヒーモスが立ち上がったせいで、流れが全て変わっている。

 

帰路にあった窪みが埋まり、平地が谷になっている。

 

黒砂の濃い帯が、隊列の前を横切っていた。

 

マキシムが止まる。

 

「迂回すれば時間がかかる」

 

女帝が背後を見る。

 

「追いつかれるわ」

 

ザルドが大剣を構える。

 

「俺が渡る」

 

「黒砂へ入る気か」

 

バンが言う。

 

「短距離なら耐える」

 

「毒が回るぞ」

 

「他に道はない」

 

バンは前方の黒砂帯を見る。

 

幅は広い。

 

深さも読めない。

 

だが、両側には普通の砂が残っている。

 

「道なら作れる」

 

アルフィアが即座に言う。

 

「今のお前には無理だ」

 

「黒砂は盗らねぇ」

 

「右腕も動かない」

 

「左で足りる」

 

クレシューズを地面へ伸ばす。

 

黒砂帯の両端。

 

普通の砂を引き寄せ、上へ重ねる。

 

橋ではない。

 

黒砂の表面を覆う、一時的な細道。

 

「強奪《スナッチ》」

 

左右の砂が動く。

 

黒い帯の上へ薄く積もる。

 

道ができた。

 

長くは保たない。

 

下から黒砂が染み上がってくる。

 

「走れ!」

 

隊列が渡る。

 

観測役。

 

負傷者。

 

マキシム。

 

女帝。

 

ザルド。

 

アルフィア。

 

最後にバン。

 

細道が崩れ始める。

 

バンの足首へ黒砂が絡んだ。

 

「ちっ」

 

引き抜こうとする。

 

右脚が動かない。

 

黒砂の下から、何かが掴んでいるような抵抗。

 

ザルドが手を伸ばす。

 

その前に、アルフィアが振り返った。

 

片手を上げる。

 

音のない衝撃が、バンの足元の黒砂を弾き飛ばす。

 

バンはその勢いで前へ跳ぶ。

 

ザルドが襟を掴み、引き上げた。

 

「またこれかよ!」

 

「便利だ」

 

「服伸びるだろ」

 

「生きているなら問題ない」

 

以前と同じ言葉。

 

バンは笑った。

 

アルフィアが冷たく言う。

 

「笑っている場合か」

 

「助かったぞ」

 

「貸しにしておく」

 

「飯で返す」

 

「要らん」

 

「肉多めな」

 

「話を聞け」

 

第二線の結界杭が見えた。

 

ヘラ・ファミリアの魔導士隊。

 

ゼウス・ファミリアの重装前衛。

 

治療班。

 

砂漠船。

 

先遣隊を待っていた者たちが、一斉に動き出す。

 

セリアが走ってくる。

 

「負傷者をこちらへ!」

 

パァルとリシェルも前へ出る。

 

「何があった!」

 

パァルの問いへ、マキシムが短く答える。

 

「目を覚ました」

 

その一言で十分だった。

 

背後。

 

黒い砂漠の奥で、巨大な影が立っている。

 

遠くからでも分かる。

 

山ではない。

 

動いている。

 

こちらへ来ているかどうかは、まだ分からない。

 

だが、一歩だけで地形を変えた。

 

咆哮だけで先遣隊を吹き飛ばした。

 

脚を下ろしただけで、最強の眷族たちに死を意識させた。

 

リシェルの顔が強張る。

 

「撤退準備を前倒しします。第二線は段階的に後退」

 

パァルも叫ぶ。

 

「第一線へ連絡!負傷者を受け入れろ!全隊、戦闘準備!」

 

エルンは治療師に肩を借りながら、帳面を取り出す。

 

「記録を……渡します」

 

「先に治療を受けろ」

 

セリアが叱る。

 

「ですが」

 

「記録は逃げません。あなたの命は逃げます」

 

エルンは言い返せず、担架へ乗せられた。

 

アルフィアも治療班へ連れていかれそうになる。

 

「私は歩けます」

 

セリアが見る。

 

「その言葉は禁止です」

 

バンが横で笑う。

 

「お前も言われてんじゃねぇか」

 

「黙れ」

 

「二人とも担架です」

 

セリアが言い切る。

 

「俺も?」

 

「右腕、右脚、吐血。歩かせません」

 

「大げさだな」

 

「担架です」

 

バンはザルドを見る。

 

「助けろ」

 

「治療師の指示に従え」

 

「裏切り者」

 

「生き残るためだ」

 

バンとアルフィアは、並んだ担架へ乗せられた。

 

アルフィアは露骨に不機嫌そうだった。

 

バンは仰向けになり、黒い空を見る。

 

「先遣って、見るだけじゃなかったか」

 

「怪物がこちらを見るとは限らない」

 

アルフィアが答える。

 

「見られたな」

 

「お前が咆哮を曲げたからだ」

 

「お前も足ずらしただろ」

 

「必要だった」

 

「俺も必要だった」

 

「お前の方が粗い」

 

「まだ言うか」

 

二人の担架が第二線の内側へ運ばれていく。

 

背後では、マキシムと女帝が黒い砂漠を見ていた。

 

ザルドは大剣の刃についた黒砂を拭う。

 

パァルとリシェルは、数百人を退かせるための命令を飛ばしている。

 

観測は成功した。

 

ベヒーモスの姿。

 

咆哮。

 

外殻。

 

呼吸の切れ目。

 

そして、人間を認識した時の反応。

 

必要な情報は持ち帰った。

 

だが、代わりに一つの事実を突きつけられた。

 

これは獣との戦いではない。

 

山を倒す戦いでもない。

 

歩くだけで世界の形を変えるものを、止める戦いだ。

 

遠くで、ベヒーモスがもう一度吠えた。

 

今度の咆哮は、先ほどよりも低い。

 

怒っているのか。

 

興味を持ったのか。

 

ただ呼吸しただけなのか。

 

誰にも分からない。

 

ただ一つ。

 

眠る災害は、もう眠っていなかった。




第20話でした。

今回はベヒーモスが立ち上がり、咆哮と一歩だけで先遣隊を追い詰める第一次接触を描きました。

バンは咆哮の威力そのものではなく方向だけを盗り、アルフィアは落下する脚の軌道を魔法でわずかにずらしています。どちらも無理をしたため、負傷した状態で第二線まで撤退する結果となりました。
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