強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第23話です。
ここから第4部「港町メレンと海神の眷属」に入ります。
リヴァイアサンとの戦場はメレンではなく、さらに沖の外洋です。
今回は、海上要塞建造の拠点である港町メレンと、ポセイドン・ファミリアとの初接触回になります。


第23話 港町メレン

ポルト・グランデを出てから、海沿いの道を歩き続けた。

 

潮風はずっと横から吹いていた。

 

右手には海。

左手には低い丘と岩場。

街道には魚を積んだ荷車、塩樽を運ぶ商人、港へ向かう船大工、槍を持った傭兵、祈るように海を見つめる漁師たちが行き交っている。

 

空は晴れていた。

 

だが、海はどこか落ち着かない。

 

波の形が妙だった。風の向きに対して、うねりが少しずれている。沖の方で、海面が盛り上がっては沈む。そのたびに、遠くの海鳥が一斉に飛び立った。

 

バンは歩きながら、干し肉をかじった。

 

「……海の匂いが濃くなってきたな」

 

ポルト・グランデの海は、食材と酒と市場の匂いが混じっていた。

 

だが、メレンへ近づくにつれて、匂いが変わっていく。

 

塩。

油。

濡れた木材。

縄。

鉄。

船底に塗る防水剤。

それから、どこか張り詰めた人間の汗の匂い。

 

うまいものの町から、海と戦う町へ。

 

そんな変化だった。

 

左腕はまだ少し重い。

 

ミラに巻かれた包帯は新しく替えてある。ポルト・グランデで食い込んだ海獣肉と深海魚のおかげで、傷そのものはかなり塞がってきた。だが、アンタレスの毒と月光を通した反動は完全には消えていない。

 

強く握れば痛む。

長く力を入れれば痺れる。

クレシューズを振るうには問題ないが、無理をすれば傷は開く。

 

「飯が足りねぇな」

 

バンは左手を握り、開いた。

 

「メレンにうまいもんがあるといいんだけどよ」

 

昼を少し過ぎた頃、丘の向こうに港町が見えた。

 

港町メレン。

 

ポルト・グランデほど派手ではない。

 

だが、規模は大きい。

 

海へ突き出した長い桟橋。船を引き上げる巨大な滑り台。いくつもの造船所。倉庫。見張り塔。灯台。岸壁に並ぶ漁船と軍船。海上には、普通の船とは比べものにならない巨大な構造物が浮かんでいた。

 

いや、浮かんでいるというより、海の上に町の一部がせり出しているようだった。

 

分厚い木材と鉄骨で組まれた足場。

塔のような櫓。

鎖で繋がれた巨大な浮き台。

何本もの帆柱。

上には鍛冶場、倉庫、見張り台、投射器らしきものまである。

 

海上要塞。

 

マーロウが言っていた言葉を、バンは思い出した。

 

「でけぇ足場だな」

 

港へ近づくにつれ、怒鳴り声が増えた。

 

「三番鎖、もっと締めろ!」

 

「北側の浮力板が沈んでるぞ!」

 

「樽をそこに置くな!そこは矢弾の通路だ!」

 

「ポセイドンの連中を呼べ!潮が変わった!」

 

「水中班、戻りました!」

 

人が走っている。

 

船大工、鍛冶師、荷運び、冒険者、海の魔物を解体する漁師、ギルド職員。誰もが忙しそうで、食堂の匂いよりも油と鉄の匂いが強い。

 

港の門で、バンはまた止められた。

 

今度の門番は、ポルト・グランデの門番よりさらに厳つい。日焼けした肌、短く刈った髪、腰には曲刀。鎧には波の紋章が入っている。

 

「名と目的を言え」

 

「バン。飯を食いに来た」

 

「帰れ」

 

即答だった。

 

バンは眉を上げる。

 

「早ぇな」

 

「今のメレンは観光客を入れている余裕はない。食い歩きならポルト・グランデへ行け」

 

「そこから来た」

 

「なら戻れ」

 

「俺の魚が外洋の化け物に止められてんだよ」

 

門番の目が細くなる。

 

「……外洋の話をどこで聞いた」

 

「ポルト・グランデ。蒼潮マグロが入らねぇって魚屋が怒ってた」

 

「蒼潮マグロ目当てでここまで来たのか」

 

「あと海王の肉」

 

門番の顔が険しくなった。

 

「海王を食材扱いするな」

 

「食えるかどうかは見てからだろ」

 

「そういう問題ではない」

 

その時、門の奥から若い男の声がした。

 

「何の騒ぎだ」

 

現れたのは、青い外套を羽織った青年だった。

 

年は二十代半ばほど。短い黒髪に、海のような青い目。鎧は軽装だが、手には三叉槍に似た槍を持っている。腰には短剣と、貝殻の形をした笛。

 

胸元には、波と三叉槍の紋章。

 

ポセイドン・ファミリア。

 

見ただけで、港の空気が少し変わった。

 

門番が姿勢を正す。

 

「カイムさん。旅人です。海王を食材扱いして、メレンへ入りたいと」

 

「説明が悪意あるな」

 

バンが言う。

 

「だいたい合っている」

 

青年、カイムはバンを見た。

 

頭から足元まで。

 

修復されたエンジ色のロングコート。スタッズ付きの赤いレザーパンツ。太い茶革のベルト。磨かれた銀のバックル。肩に担がれた聖棍クレシューズ。左腕の包帯。

 

「君が赤い旅人か」

 

「あ?」

 

「ポルト・グランデから早馬が来ていた。月戻りの果実を持ち込み、料理人ギルドで騒ぎを起こし、海獣肉を店ごと食い尽くしかけた赤い旅人がメレンへ向かう、と」

 

「店ごとは食ってねぇ」

 

「そこではない」

 

カイムは小さく息を吐いた。

 

「それに、黒い砂漠の話も聞いている。エルソスの森の異変が収まったこともな」

 

バンの目がわずかに細くなった。

 

「耳が早ぇな」

 

「海は情報を運ぶ。港は噂を集める。今のメレンならなおさらだ」

 

カイムは門番へ頷いた。

 

「通していい。ただし、彼には私がつく」

 

「いいんですか?」

 

「放っておく方が危険だ」

 

「おい」

 

バンが不満そうに言う。

 

カイムは真顔で答えた。

 

「海王を食材扱いする旅人を、港町メレンで放し飼いにするわけにはいかない」

 

「犬かよ」

 

「野良犬よりたちが悪そうだ」

 

門番が笑いを堪えた。

 

バンは肩をすくめ、門をくぐった。

 

港町メレンの中は、ポルト・グランデとはまったく違っていた。

 

食材の匂いはある。

焼き魚の屋台も、酒場も、魚市場もある。

 

だが、中心にあるのは食ではなかった。

 

船。

 

どこを見ても船だった。

 

造船所では巨大な木材が削られ、海上要塞へ運び込まれている。鍛冶場では鎖や鉄杭が打たれ、倉庫には矢弾、油壺、補修用の板、太い縄が積まれていた。

 

海沿いには、濡れた鎧の冒険者たちが集まっている。中には水中で活動するための装備を身につけた者もいた。鰭のような足具、空気袋、銛、網、短い槍。

 

バンはそれを眺めた。

 

「海で戦う気満々だな」

 

「戦わなければ、遠洋航路が死ぬ」

 

カイムが答える。

 

「外洋の異変は、もう噂の段階ではない。漁場が潰れ、船が沈み、海獣が逃げてきている。メレンそのものが襲われているわけではないが、このままでは外へ出られなくなる」

 

「出なきゃいいだろ」

 

「そうすれば、沿岸の町は飢える。食材も、塩も、交易品も、薬の材料も止まる」

 

「飯が減るわけだ」

 

「君の理解はいつもそこへ戻るのか」

 

「大事だろ」

 

「大事だが、順番が違う」

 

カイムは港の奥を指した。

 

海上要塞が近づく。

 

見上げるほど大きい。

 

複数の巨大な浮き台を鉄鎖で繋ぎ、上に木造の足場と塔を組んでいる。底には浮力を調整するための巨大な樽と、魔道具らしき金属板。側面には船を接続するための桟橋があり、上には投射器、補給倉庫、治療所まで作られている。

 

「これが外洋へ出る足場か」

 

「まだ未完成だ」

 

「これで未完成かよ」

 

「リヴァイアサン級の相手に、普通の船は紙だ。海の上に動かせる城を造る必要がある」

 

「で、これで海王を殴るのか」

 

「殴るというより、生き残るための足場だ」

 

カイムは厳しい顔で言った。

 

「海では、陸の強者がそのまま強者とは限らない。足場が揺れる。波が視界を奪う。水中から来る敵には剣が届かない。魔法も湿気と潮で狂うことがある。何より、落ちれば終わりだ」

 

「泳げばいいだろ」

 

「リヴァイアサンの周囲でか?」

 

「無理か」

 

「無理だ」

 

即答だった。

 

バンは笑った。

 

「海の連中は厳しいな」

 

「海が甘くないからだ」

 

その言葉に、バンは少しだけカイムを見る。

 

真面目だ。

 

海のことになると、冗談を入れる隙がない。

 

ポセイドン・ファミリア。

 

海神の眷属。

 

たしかに、外洋で何かをするなら、この連中が必要になるのだろう。

 

海上要塞の脇では、数人の冒険者が水から上がってきた。濡れた髪。青い外套。銛。腕には擦り傷があり、一人は肩を押さえている。

 

「水中班、戻りました!」

 

カイムが振り返る。

 

「潮は?」

 

「昨日より悪いです。東からの流れが急に反転しました。海底の砂が巻き上がって、視界がほとんどありません」

 

「海獣は」

 

「小型が群れで逃げています。追われているようでした」

 

「追っているものは見たか」

 

水中班の男は首を横に振った。

 

「見えません。ただ、音がしました」

 

「音?」

 

「海の底から、鐘みたいな音が」

 

周囲が静まった。

 

カイムの表情が硬くなる。

 

「分かった。休め。傷の手当てを受けろ」

 

「はい」

 

水中班が去る。

 

バンは海を見た。

 

「鐘ねぇ」

 

「リヴァイアサンが動く前触れだと言う者もいる」

 

「見た奴は?」

 

「近づいて戻った者は少ない。見た者も、全体は見ていない。海面の下で青い光が走り、船ほどの鰭が見えた。山のような背が浮いた。尾で海が割れた。証言はばらばらだ」

 

「でかいんだな」

 

「それだけで済むならよかった」

 

カイムは海上要塞を見上げた。

 

「ポセイドン・ファミリアだけでは足りない。ゼウス・ファミリア、ヘラ・ファミリアにも討伐要請が飛んでいる。主力が集まらなければ、外洋へ出ることすらできない」

 

「強い奴らが来るのか」

 

「この時代で最強の者たちだ」

 

「へぇ」

 

バンは少しだけ興味を示した。

 

だが、すぐに港の屋台へ視線がそれる。

 

焼き魚の匂いがした。

 

カイムはその視線に気づき、額を押さえた。

 

「話を聞いていたか」

 

「聞いてた。海は危ねぇ。足場がいる。強い奴らが来る。海王はでかい。飯は減ってる」

 

「最後だけ力が入っていたな」

 

「一番大事だからな」

 

バンは屋台へ向かおうとした。

 

カイムが肩を掴む。

 

「待て。まずは司令所へ来てもらう」

 

「飯は?」

 

「後だ」

 

「ポルト・グランデでも言われたぞ、それ」

 

「どこの町でも、君はまず止められるのだろうな」

 

バンは不満そうにしながらも、カイムについていった。

 

司令所は、海上要塞を見下ろせる高台にあった。

 

中には地図が広げられている。メレンの港、沿岸、外洋航路、遠洋漁場。そして、その先に大きく赤い円が描かれた海域。

 

そこには文字が書かれていた。

 

海王推定出没海域。

 

バンは地図を覗き込む。

 

「遠いな」

 

「メレンからさらに沖だ。普通の船なら、天候次第で数日かかる」

 

「歩けねぇのか」

 

「海だ」

 

「知ってる」

 

司令所にいた年配の男が、バンを見る。

 

灰色の髪。片目に古い傷。ポセイドン・ファミリアの紋章をつけた外套。カイムよりもずっと重い空気をまとっている。

 

「そいつが赤い旅人か」

 

「はい、オルド副団長」

 

カイムが答える。

 

副団長と呼ばれた男、オルドはバンをじろりと見た。

 

「海王を食うと言ったそうだな」

 

「食えるならな」

 

司令所の空気が凍る。

 

カイムが目を閉じた。

 

オルドは怒鳴らなかった。

 

ただ、低い声で言う。

 

「海を舐めるな、小僧」

 

バンの目が細くなった。

 

空気が少し変わる。

 

だが、オルドは引かない。

 

「あれは食材ではない。海の災厄だ。船を沈め、漁場を潰し、人を呑む。海の上で生きる者にとって、リヴァイアサンは冗談にしていい名ではない」

 

バンはオルドを見ていた。

 

しばらくして、肩をすくめる。

 

「俺にとっちゃ、飯の邪魔してる奴だ」

 

「同じことだと思っているのか」

 

「飯の邪魔ってのは、人が生きる邪魔ってことだろ」

 

オルドの目がわずかに変わった。

 

バンは続ける。

 

「船が沈む。魚が来ねぇ。酒場で笑えねぇ。泣く奴が増える。だったら邪魔だ。名前が海王だろうが何だろうが、どかす理由にはなる」

 

司令所に沈黙が落ちた。

 

カイムが少しだけバンを見る。

 

オルドは腕を組んだ。

 

「……口は悪いが、言っていることは分からんでもない」

 

「だろ」

 

「だが、食うと言うな」

 

「そこは譲れねぇな」

 

「なぜだ」

 

「倒した後に食えるかもしれねぇだろ」

 

カイムが小さく呻いた。

 

オルドは額に手を当てた。

 

「カイム」

 

「はい」

 

「こいつから目を離すな」

 

「承知しています」

 

「それと、ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの到着まで、勝手に外洋へ出すな」

 

「はい」

 

バンが顔をしかめる。

 

「勝手に出ねぇよ。船の場所知らねぇし」

 

「知っていたら出る気だったのか」

 

「腹が減ってたらな」

 

「だから目を離すなと言っている」

 

オルドは地図の赤い円を指した。

 

「赤い旅人。お前の噂は聞いている。黒い砂漠で何をしたのか、エルソスで何が起きたのか、詳しくは知らん。だが、普通の旅人でないことは分かる」

 

「ただの旅人だ」

 

「ただの旅人は三大クエストの名を聞いて、肉の心配をしない」

 

「うまいかどうかは大事だろ」

 

「黙って聞け」

 

オルドの声が少しだけ強くなる。

 

「外洋では、個人の強さだけでは足りん。足場、潮、風、補給、水中の守り、撤退路。すべてが必要だ。ゼウスもヘラも、ポセイドンの海を借りなければ戦えない」

 

その言葉には、誇りがあった。

 

自分たちだけで倒せるとは言わない。

 

だが、自分たちがいなければ誰も戦えない。

 

海の専門家としての矜持。

 

バンはそれを嗅ぎ取った。

 

「なるほどな」

 

「分かったか」

 

「ああ。海で飯食うにも、皿がいるってことだろ」

 

オルドは数秒固まった。

 

カイムが横を向いて咳払いをした。

 

「……まあ、間違ってはいない」

 

「だろ」

 

バンは地図を見る。

 

メレン。

海上要塞。

外洋航路。

赤い円。

 

そこに、海王がいる。

 

「で、俺は何すりゃいい」

 

オルドは目を細めた。

 

「今は何もするな。待て。食え。休め。腕を治せ」

 

「食え?」

 

「腹が減っている顔をしている」

 

「分かるのか」

 

「海の男は、空腹と嵐の匂いには敏い」

 

バンは少し笑った。

 

オルドはカイムへ言った。

 

「連れて行け。港の食堂で食わせろ。暴れたら海に投げ込め」

 

「承知しました」

 

「投げ込めるならな」

 

バンが笑う。

 

カイムは真面目な顔で返した。

 

「海では、陸より少し自信がある」

 

「へぇ」

 

二人の視線がぶつかる。

 

軽い挑発。

だが、殺気はない。

 

オルドが咳払いをした。

 

「喧嘩は食堂の外でやれ」

 

「食堂ではやらねぇよ。飯がまずくなる」

 

「そこだけは信用できそうだ」

 

司令所を出ると、夕方の光が港を赤く染めていた。

 

海上要塞では、まだ作業が続いている。鎖が鳴り、木槌が響き、海鳥が鳴く。

 

カイムはバンを港の食堂へ案内した。

 

途中、バンは海上要塞をもう一度見上げる。

 

巨大な足場。

外洋へ出るための城。

海王と戦うための皿。

 

バンは口元を上げた。

 

「面白くなってきたな」

 

「危険になってきた、の間違いだ」

 

「似たようなもんだろ」

 

「全然違う」

 

食堂からは、焼いた魚と濃いスープの匂いがした。

 

バンの腹が鳴る。

 

カイムはため息をついた。

 

「まずは食え。話はそれからだ」

 

「いい町だな、メレン」

 

「食事を出すだけで評価が上がるのか」

 

「飯は大事だろ」

 

「もう分かった」

 

バンは食堂へ入る。

 

その背後で、港の鐘が鳴った。

 

低く、重い音。

 

外洋の方角で、潮が変わったことを告げる鐘だった。

 

メレンの港が、わずかにざわめく。

 

海の向こうで、何かが動いている。

 

まだ見ぬ海王の影が、少しずつ近づいていた。




第23話でした。
第4部「港町メレンと海神の眷属」の導入回です。
メレンはリヴァイアサンとの直接の戦場ではなく、外洋へ出るための港町・海上要塞建造の拠点として描いています。
次回は、ポセイドン・ファミリアとの関わりを深めつつ、ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの影も近づいてきます。
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