強欲の旅人は神の恩恵を受けない   作:ルクエリシオン

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第3話です。
今回は、バンがこの世界の「神」「ファミリア」「恩恵」「魔石」「オラリオ」について知っていく回です。
説明回ですが、バンらしく、飯と酒と金になるかどうかを基準に受け止めます。


第3話 神様が歩く世界

朝の村は、肉の匂いで目を覚ました。

 

昨日の大イノシシは、夜のうちに大半が腹へ収まった。

だが、あれだけの巨体だ。食い切れなかった肉は塩をすり込まれ、干し肉にするために細く切られ、軒先へ吊るされている。骨は大鍋に沈められ、朝から白く濁った出汁を吐き出していた。

 

バンは酒場兼集会所の壁にもたれ、浅く眠っていた。

 

床に敷かれた藁。薄い毛布。近くのかまどから届く熱。

寝床としては悪くない。煉獄に比べれば、王族の寝室みたいなものだ。

 

鍋の匂いで目を開ける。

 

「……いい匂いしてんな」

 

寝起きの第一声がそれだった。

 

集会所の奥では、村の女たちが鍋をかき混ぜている。昨日のイノシシの骨と、残った野菜と豆を煮込んだ汁物だ。表面には薄く脂が浮き、朝の光を受けてきらりと光っていた。

 

 女の一人が振り向く。

 

「起きたかい、赤コートの兄ちゃん。朝飯、食べるだろ?」

 

「食う」

 

「返事が早いね」

 

「飯の誘いは断らねぇ」

 

バンは立ち上がり、肩を回した。

 

外へ出ると、村の空気は昨日より少し明るかった。

壊れた柵はまだ直っていない。踏み荒らされた畑も残っている。だが、村人たちの顔には、怯えよりも忙しさがあった。

 

吊るされた肉を見て、子どもたちがはしゃいでいる。

若者たちは柵の修理に取りかかり、老人たちは骨を割って鍋に足していた。

 

昨日まで脅威だった獣が、今日は村の食料になっている。

 

バンはその光景を見て、少しだけ口の端を上げた。

 

「悪くねぇ朝だ」

 

井戸で顔を洗い、集会所へ戻る。

出された朝飯は、黒パン、薄く切ったイノシシ肉、そして骨出汁のスープだった。

 

バンはスープを一口飲んだ。

 

「昨日よりいいな」

 

村長が隣に座る。

 

「お前が塩を使いすぎたせいでな」

 

「うまくなったろ」

 

「否定はせん」

 

村長は苦笑した。

 

スープは素朴だった。

だが、骨の旨味がしっかり出ている。豆のとろみもある。肉の脂が、硬い黒パンによく合った。

 

バンが黙々と食っていると、外から車輪の音が聞こえた。

 

木の車輪が土を噛む音。

馬の鼻息。

鈴の軽い音。

 

村の入口に、一台の荷馬車が止まった。

 

「行商人か」

 

村長が立ち上がる。

 

バンもパンを口にくわえたまま外を見た。

 

荷馬車から降りてきたのは、背の低い中年男だった。丸い帽子をかぶり、腹は少し出ている。腰には小さな帳簿と革袋。商人らしく、目だけはよく動いていた。

 

「おお、ずいぶん肉の匂いがするじゃないか。何か祭りでも?」

 

「昨日、大イノシシが出た」

 

「ほう。それで?」

 

行商人の視線が、干されている肉へ向かう。

村長が顎でバンを示した。

 

「あいつが狩った」

 

行商人の目がバンへ移る。

 

エンジ色のロングコート。赤いレザーパンツ。武器なし。

村の中で朝飯を食っている、どう見ても普通ではない男。

 

「……冒険者さんで?」

 

「旅人だ」

 

バンはパンを飲み込み、答えた。

 

「冒険者じゃない?」

 

「たぶんな」

 

「たぶん?」

 

「その冒険者ってのが何か、まだよく分かってねぇ」

 

行商人は目を丸くした。

そして、すぐに商人らしい笑みを浮かべる。

 

「なるほど。遠方から来た方ですかな」

 

「かなり遠くだな」

 

「では、私でよければ説明しましょう。情報も商品ですから、代金はいただきたいところですが……」

 

行商人は鼻をひくつかせ、鍋の方を見た。

 

「そのスープ一杯で手を打ちましょう」

 

「安い情報だな」

 

「温かい飯は、旅商人にとって高級品です」

 

「分かってんじゃねぇか」

 

バンは笑い、集会所へ戻った。

 

行商人は名をラドといった。

ラドはスープを受け取り、一口飲んだ瞬間、頬を緩めた。

 

「これはいい。昨日の肉ですかな」

 

「ああ。赤コートの兄ちゃんが捌いてくれた」

 

「ほうほう。戦えて、捌けて、料理もできる。ますます冒険者では?」

 

「だから違うって言ってんだろ」

 

バンは濁り酒の残りを探したが、朝から出す気はないらしい。仕方なくスープを飲む。

 

ラドは帳簿を閉じ、話し始めた。

 

「まず、この世界では神々が下界を歩いています」

 

「昨日も聞いたな。本当に歩いてんのか」

 

「歩いています。飲みますし、食べますし、騒ぎますし、借金もします」

 

「神様ってのは暇なんだな」

 

「その通り。神々は天界で退屈し、娯楽を求めて下界へ降りました。そして、人に恩恵を与え、ファミリアを作った」

 

「恩恵ってのが、背中に字を書くやつか」

 

「ええ。神の血を垂らし、背中に神聖文字を刻む。すると、その者の力が数値として現れます。力、耐久、器用、敏捷、魔力。さらにスキルや魔法の才が開くこともある」

 

「面倒くせぇ」

 

バンは即答した。

 

ラドは苦笑する。

 

「便利でもありますよ。自分がどれだけ成長したか分かりますから」

 

「殴って効けば強くなってる。効かなきゃ足りねぇ。それでいいだろ」

 

「なんとも野蛮な測り方ですな」

 

「分かりやすいだろ」

 

ラドはスープをもう一口飲み、肩をすくめた。

 

「ファミリアに入れば、神の庇護を受けられます。仕事も得やすい。オラリオでは、ファミリア所属であることが身分証のようなものです」

 

「身分証ねぇ」

 

「冒険者になるには、基本的にファミリア所属が必要です。迷宮都市オラリオのダンジョンへ潜り、魔物を倒し、魔石を持ち帰る。それが冒険者の仕事」

 

「魔物を倒して、石を拾って、金にする」

 

「そうです」

 

「肉は?」

 

「普通は残りません」

 

「使えねぇな」

 

バンが顔をしかめると、ラドは笑った。

 

「まれに肉や内臓がドロップアイテムとして残るものもいます。ですが珍しい。基本は魔石です」

 

「昨日、三つくらい捨てた」

 

ラドの手が止まった。

 

「捨てた?」

 

「食えなかったからな」

 

「……どのくらいの大きさで?」

 

「これくらいだ」

 

バンが指で示す。

ラドは真顔になった。

 

「それ、三つでこの村の濁り酒なら樽で買えましたよ」

 

バンの表情が変わった。

 

「マジか」

 

「マジです」

 

「先に言えよ」

 

「知りませんよ、そんな人がいるなんて」

 

村長が横で笑いをこらえている。

若者たちも、昨日の話を思い出して肩を震わせた。

 

バンは少しだけ悔しそうに腕を組む。

 

「石が酒になるなら拾ったのによ」

 

「普通は酒どころか、パンにも塩にもなります」

 

「なら次から拾う」

 

バンはきっぱり言った。

 

この世界に来て初めて、魔石の価値がバンの中で上がった。

理由は金になるからではない。酒になるからである。

 

ラドは妙な納得をした顔で頷いた。

 

「あなたは本当に変わっていますな」

 

「よく言われる」

 

「神の恩恵を受ける気は?」

 

「ねぇな」

 

あまりにも早い返事だった。

 

ラドは目を瞬かせる。

 

「理由を聞いても?」

 

「背中に神様の字を書かれんのが面倒くせぇ。それに、誰かの下につくつもりもねぇ」

 

「ファミリアは下につくというより、家族のようなものですが」

 

「家族なら、もういる」

 

バンの声が、ほんの少しだけ低くなった。

 

ラドはそれ以上、軽く踏み込まなかった。

商人は、人の表情を見る。ここから先は商品にならない話だと分かった。

 

バンはスープを飲み干し、器を置く。

 

「強くなるのに神様が必要ってのも、よく分かんねぇしな」

 

「神の恩恵は、この世界では最も確かな成長の道です」

 

「そうか」

 

「興味がないと?」

 

「便利なんだろうが、俺にはいらねぇ」

 

バンは当たり前のように言った。

 

村長も、ラドも、周りにいた村人たちも少し黙った。

 

この世界で、神の恩恵をいらないと言い切る者は珍しい。

与えられない者はいる。望んでもファミリアに入れない者もいる。だが、力を得る機会を前にして、それを面倒だと言う者はあまりいない。

 

それは無知なのか。

傲慢なのか。

あるいは、そもそも必要としないほど別の場所を歩いてきたのか。

 

ラドはバンの腕を見た。

大イノシシを素手で止めたという話が、嘘ではないことを思い出す。

 

「あなたのような人は、オラリオでも目立つでしょうな」

 

「酒はうまいのか?」

 

「店によります」

 

「飯は?」

 

「店によります」

 

「なら行く価値はあるな」

 

判断基準があまりにも単純だった。

 

だが、バンにとっては十分だった。

 

ラドは荷馬車から地図を取り出した。

羊皮紙に描かれた簡素な地図だ。村の位置、街道、川、森、いくつかの町。そして遠くに大きく記された都市。

 

「ここがオラリオです。迷宮都市。世界の中心と言ってもいい」

 

「遠いな」

 

「歩きなら、それなりに。街道を通れば、途中にいくつか町があります。水辺の町リーヴァを経由するといいでしょう。魚がうまい」

 

バンの目が少し細くなる。

 

「魚」

 

「ええ。リーヴァ大鱒という名物があります。黒だれで焼くと絶品です」

 

「詳しく」

 

ラドは笑った。

 

「食いつくところが分かりやすすぎますな」

 

「うまい飯の話は大事だろ」

 

「もちろん。リーヴァは川沿いの町でしてね。濁り酒も悪くない。魚を蒸しても焼いてもいい。黒だれは少し癖がありますが、旅人には人気です」

 

「次はそこだな」

 

バンは即決した。

 

オラリオへ行く。

その前に、魚のうまい町へ寄る。

 

当然の流れだった。

 

ラドはさらに話を続ける。

 

「オラリオには強大なファミリアがいくつもあります。今の頂点はゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアでしょう」

 

「強いのか?」

 

「この時代で最強です。ゼウス側にはオラリオ最強の男マキシム、暴食のザルド。ヘラ側には女帝、アルフィアなど。雲の上の存在です」

 

「へぇ」

 

バンは少しだけ興味を示した。

 

強いやつ。

それは嫌いではない。

 

だが、今のところ優先順位は魚と酒の方が上だった。

 

「そいつらはうまい飯屋を知ってんのか?」

 

「知っているかもしれませんが、会えるかどうかは別問題です」

 

「なら会った時に聞きゃいい」

 

「会う前提なのが怖いですな」

 

ラドはため息まじりに笑った。

 

その時、村の入口で別の村人が声を上げた。

 

「ラドさん、あれも見せてくれよ。妙な棒の話!」

 

バンの耳が動いた。

 

「妙な棒?」

 

ラドは「ああ」と思い出したように手を打った。

 

「そうでした。少し変わった品の話がありまして」

 

「どんな」

 

「リーヴァからさらに南東、砂漠へ向かう交易路の途中にリオードというオアシス都市があります。そこで、古道具屋が妙な武器を仕入れたという噂を聞きました」

 

バンの目が少し鋭くなる。

 

「武器?」

 

「ええ。四つに折れた棒のようなものだとか。槍でも棍でもない。持ち主も分からない。古道具屋の主人は珍品として売りたがっているそうです」

 

空気が、わずかに変わった。

 

村長がバンを見る。

昨日、バンが言っていた武器。四つに分かれる棒のようなもの。

 

バンは黙っていた。

 

それから、口元を上げる。

 

「見つけた」

 

「心当たりが?」

 

「俺のだ」

 

即答だった。

 

ラドは目を丸くする。

 

「あなたの?」

 

「ああ。聖棍クレシューズ。俺の相棒だ」

 

「聖棍……」

 

「どこだ、そのリオードってのは」

 

「リーヴァを越え、砂漠へ向かう交易路です。少し遠いですが、街道を辿れば行けます。ただし砂漠へ近づくほど魔物も盗賊も増える」

 

「ならちょうどいい」

 

「何がです?」

 

「石を拾えば酒代になるんだろ」

 

ラドは一瞬黙り、それから笑った。

 

「あなたは本当に、判断基準が酒ですな」

 

「飯もだ」

 

「そこは譲らないのですね」

 

バンは立ち上がった。

 

村の朝は、すっかり明るくなっていた。

柵を直す音。干し肉を吊るす声。鍋を洗う水の音。子どもたちの笑い声。

 

昨日、大イノシシに怯えていた村は、今は生きるために動いている。

 

バンはその中を歩き、村長のところへ向かった。

 

「世話になったな」

 

「もう行くのか」

 

「ああ。魚のうまい町と、俺の武器を売ってる古道具屋に用ができた」

 

「忙しい旅人だ」

 

「腹は待ってくれねぇからな」

 

村長は小さな革袋を差し出した。

 

「これは?」

 

「昨日の礼だ。魔石ほどじゃないが、少しの硬貨と干し肉を入れてある」

 

「いいのか?」

 

「大イノシシを狩って、料理までしてくれた。村からすれば安すぎる礼だ」

 

バンは革袋を受け取り、中を覗いた。

硬貨が数枚。干し肉が包まれている。

 

「酒、買えるか?」

 

「少しならな」

 

「なら十分だ」

 

 村長は笑った。

 

若者たちも集まってきた。

昨日助けられた若者が、少し照れたように言う。

 

「また来ることがあったら、寄ってくれ」

 

「酒がうまくなってたらな」

 

「……頑張るよ」

 

女たちが黒パンを包んで渡してくれた。

子どもたちは、赤い服の旅人を見上げて手を振っている。

 

バンは片手を上げた。

 

「じゃあな」

 

そして、街道へ向かって歩き出した。

 

荷馬車の準備をしていたラドが、横へ並ぶ。

 

「途中までなら乗せますよ。リーヴァ方面へ行きますので」

 

「飯は?」

 

「干し肉とパンなら」

 

「酒は?」

 

「少しなら」

 

「乗る」

 

「即決ですな」

 

バンは荷馬車の後ろへ乗り込んだ。

木箱の上に腰を下ろし、村からもらった干し肉をかじる。

 

荷馬車がゆっくり動き出した。

 

村が少しずつ遠ざかる。

煙が細く空へ昇っている。

 

この世界には神様が歩いている。

人は背中に恩恵を刻み、強くなる。

魔物を倒せば石が残り、その石は酒代になる。

魚のうまい町があり、どこかの古道具屋にはクレシューズがあるかもしれない。

 

変な世界だ。

 

だが、悪くはない。

 

バンは干し肉を飲み込み、空を見上げた。

 

「神様が歩く世界ねぇ」

 

風がロングコートを揺らす。

荷馬車の車輪が、乾いた街道を軋ませる。

 

ラドが前から声をかけた。

 

「バンさん。オラリオへ行けば、あなたもどこかのファミリアに誘われるかもしれませんよ」

 

「断る」

 

「まだ何も言ってませんが」

 

「面倒くせぇ」

 

「神々を前にしても、そう言えるといいですな」

 

バンは笑った。

 

「神様だろうが何だろうが、飯が冷めるなら邪魔だろ」

 

ラドはしばらく黙り、やがて肩を震わせた。

 

「あなた、長生きできるか、ものすごく早く死ぬかのどちらかですな」

 

「死ぬ気はねぇよ。まだ食ってねぇもんが多すぎる」

 

荷馬車は街道を進む。

 

目指すは、水辺の町リーヴァ。

黒だれの魚と、濁り酒の町。

 

そしてその先には、迷子の相棒へ続く道がある。

 

バンは口の端を上げ、荷台に寝転がった。

 

「悪くねぇな」

 

神の恩恵もなく。

ステイタスもなく。

ファミリアにも属さず。

 

赤い旅人は、ただ酒と飯と相棒を求めて、神様が歩く世界を進んでいく。




第3話は、この世界の基本情報をバンが知る回でした。
神、ファミリア、恩恵、魔石、オラリオ、そしてクレシューズの噂。
次回は、水辺の町リーヴァで川魚と濁り酒、そして新たな魔物との遭遇になります。
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